たむたむの独り言

写真を中心にした情報です。

バラの花束と酒を持って墓参り

2012-06-28 12:55:56 | Weblog

2012年6月27日(水)、昨年96歳の誕生日に亡くなられたわが社の元社員で、通称「ご老公」のお墓が先月完成したという話を聞き、ちょうど一周忌の今日、バラの花束とお酒を持って有志で墓参りに出かけた。 彼がわが社に入社したのは何と70歳の時で、それから20年間現役を務め、90歳で退職したという伝説の人物である。 彼は戦後園芸関係の家業を継いだが、今から50年くらい前、新潟市が新しく公園緑地課を創設した時に、市に乞われて専門技術者として市の職員に迎えられた。 もともと彼は千葉高等園芸専門学校(現千葉大学園芸学部)の出身で、知識も実践もあり、当時緑化関係の専門技術者がいなかった新潟市にとって貴重な人材であった。 私との最初の接点はその直後で、当時緑化工事の現場監督をしていた私が、初めて新潟市の公園の施工を担当したときの発注者側の技術者が彼であった。 その公園の竣工検査の時に彼から「おい、木というのはなぁ、設計書通りの規格のものを図面通りに植えりゃぁいいってもんじゃねぇ。 木にはそれぞれ向きがあり、樹形にも個性がある。 その向きや枝ぶりをよく見て、どう組み合わせたら自然で美しく見えるかを考えなきゃいかん。 こんな植え方はプロの仕事じゃねぇ。 やり直せ!」 としかられたのが最初の出会いであった。 その後市を退職後市内の造園会社に勤めた後、縁あって当社の技術者として手伝ってもらうことになった。 酒と女が大好きだけど、おしゃれでダンディなこのじいさんを、我々は「じっちゃん」、あるいは「ご老公」と呼んでその後20年間にわたって仲間として一緒に仕事をしてきた。 90歳で退職してもまだかくしゃくとしていたので100歳までは元気でいてくれると誰もが思っていた。 しかし、昨年ちょうど96歳の誕生日に他界されてしまった。 私が東ゴビ砂漠に出かけていて留守の間の出来事だった。 葬儀に参列することもできなかったので、この一周忌に彼の好きなバラの花と日本酒を持ってみんなで出かけた。 きっと喜んでくれたに違いない。

〈ハイカラだった「ご老公」に似合う横置き横文字の墓石だった。〉

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森林認証フォーラムin東京

2012-06-28 07:57:43 | Weblog

2012年6月25日(月)、切り出された木材が、違法に伐採されたものでなく、きちんと持続可能な維持管理がされている森林から生産されたものであることを証明するのが「森林認証」である。 日本ではまだなじみが薄いが、ドイツやイギリスなどではかなり前から取り入れられている制度で、南洋材などの違法な伐採を防ぐ手段としてかなり浸透してきている。 国際的には先行しているいくつかの認証制度があるが、今日のフォーラムは日本独自で立ち上げた森林認証機関の主催である。 当社も今年度からこの森林認証の登録コンサルタント機関として加わっているためフォーラムに参加した。 基調講演は「森林認証と木材利用」というテーマで大熊東大名誉教授の講演があり、その後森林や木材に関係する人たちによるパネルディスカッションが行われた。 全体を通して確実に言えることは、「森林認証制度が広まるためには川上側の木材生産者にとっても、中下流側の流通や利用者側にとっても、経済的あるいは品質的なメリットを含めて他の木材との差別化が実感できなければならない」ということである。  森林の保全に対する配慮という部分だけではそれほどの広がりは期待できない。 例えば、家を建てる施主が、自分の家に使われる木材の素性にこだわるようになれば、つまり、農産物のように生産者の顔が見えるものが好まれるようになれば、当然その商品のトレーサビリティが求められ、森林認証材の価値は上がる。 いずれにしてもこれからの健全な林業の発展にとって役に立つシステムを確立する必要があると感じた。 それには木材生産者や林業関係者だけでなく、利用者・消費者にとっても役に立つものでなくてはならない。 それは、これから試行的に実際に取り組もうとしている長岡市の100haの民有林の課題そのものである。

〈東京赤坂の三会堂ビルで開かれた森林認証フォーラム。 予想したよりも参加者は多かった〉

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所有する山林の全容がわからない大地主の子孫

2012-06-24 17:08:44 | Weblog

2012年6月24日(日)、所有する100ヘクタールの森林の有効活用の相談を受けて長岡市(旧越路町)の現地に出かけた。 現在のご当主は山梨県に住んでおられ、実家は市に寄贈されて現在は重要文化財として般公開されている。 実家の脇に別荘があり、長岡に戻る時はそこを利用しているとのことであった。 先々代の時に農地解放で、屋敷と山林を残して全て没収されてしまたため、現在はほとんど放置された山林約100ヘクタールが周辺に点在している。 今日はその山林がどんな状況なのかを見せていただくために、地元で長く区長を務めていた方に案内してもらった。 地主のご当主にも同行いただいたが、いくつかの山林については、「全く知らなかった。」と言うことである。 今日案内していただいた方は85歳だったが、もし彼が亡くなってしまえば所在地がわからなくなってしまう山林が多い。 今のうちに確認をしておかなければ次の代になればなおさらわからなくなる。 恐らく全国的に同じような状況で放置(放棄?)されている森林が多いのだろう。 森林はちゃんと管理すれば半永久的に生産物を収穫し続けられるのにもったいない話だ。 しかもその間CO2も吸収し続けてくれる。 資源の少ない我が国に豊富にあり、しかも持続的に利用可能な森林を活用しない手はない。 しかし、根本的な改善がなされないまま林業は衰退の一途をたどってきた。 この状況を変えるためにどうすればよいのか? 各地で知恵を絞って頑張っている事業体も少なくない。 どんな提案ができるかまだわからないが、この山林の利活用だけでは限界がある。 地域ぐるみで地域の資源全てを活用する方策が必要な気がする

〈小千谷市と柏崎市を結ぶ旧道があった。 多分さらに三国峠を越えて関東につながっていたのだろう。〉

〈峠には当時茶屋があったらしい。〉

〈こんなスギ林の面積が多ければ良いのだが、ほとんどは雑木林であった。〉

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孫その1を連れて雨の尾瀬旅行

2012-06-18 17:05:01 | Weblog

2012年6月16日(土)、鳩待峠行きのバス乗り場まで娘の車で送ってもらい、我々ジジ・ババと小5の「孫その1」の3人で小雨がパラつく戸倉の駐車場を出発した。 鳩待峠に近づくにつれてだんだん空が薄暗くなってきて雨も本降りになってきた。 「孫その1」が嫌がるかと思ったが、そうでもなく平気そうだったので、予定通り尾瀬ヶ原に下ることにした。 雨具を着て準備をしている間にさらに雨脚が激しくなり、やがて土砂降りになってきた。 しかし孫はポンチョに長靴をはいて私のスパッツをつけると、却ってその格好で歩くのが新鮮なのか、一人雨の中ではしゃいでいる。 次々とバスを降りてくる団体さんに押し出されるように雨の中を出発する。 足元が滑りそうなのでゆっくりと慎重に下る。 それでも私が滑りそうになると。「ジィジ大丈夫?」と孫が気遣ってくれる。 小1時間で無事山の鼻に到着。 今晩宿泊予定の尾瀬ロッジに早めにチェックインし、荷物を部屋に置いて尾瀬ヶ原の散策に出かける。 もう終わってしまったのではないかと心配したミズバショウもまだまだ見ごろでホッとした。 これを孫娘に見せてやりたかった訳だから、まずは目的を果たせそうだ。 それに、小雨降る湿原のミズバショウは一層生き生きして美しい。 特に至仏山側に広がる湿原のミズバショウ群落はあまり人が行かず、「尾瀬を独り占め!」という気分になれる。 今回は息子を山嫌いにさせてしまった過ちは繰り返すまいと、とにかく無理はさせないように注意した。 本来なら見晴らし十字路あたりまで歩くのだが、今日は山の鼻を中心に30分以内くらいのところを散策し、ビジターセンターに寄ったりしてのんびり過ごした。 山の鼻付近の山小屋は、尾瀬ヶ原や尾瀬沼にある他の山小屋と違って電気がきており、尾瀬ロッジは温泉もあって部屋もきれいで快適である。 しかし、孫にとってはテレビもゲームもマンガ本もない夜はいささか苦痛のようだった。 しきりに本を持ってくるのを忘れたことを悔やんでいた。 

翌朝は朝食を済ませて早々に山小屋を出発し、鳩待峠に向かった。 帰りも文句を言わず、自分で持ってきたカメラで写真を撮りながら疲れた様子もなく登って行った。 ただ、すれ違う人たちに「こんにちは!」と声をかけられても、はずかしくて大きな声で返せないため、それがやや苦痛のようだった。 2時間くらいかけてゆっくり登ればいいと思っていたが、結局鳩待峠まで1時間10分ほどで登り切ってしまった。 初めての山行きとしてはまずまずの成果であった。 と思うのは我々だけで、実は本人はかなり「気を使い屋さん」なので、自分を連れて行きたがっているジジ・ババのために付き合ってくれたのかもしれない。 そんな気がするほど、いつの間にかどんどん成長していく孫娘である。

http://www.youtube.com/watch?v=mu8KdO7CbBg

〈鳩待峠を出発する頃には雨は一層激しくなってきた。〉

〈今日のために買ってやった新しいデザインの長靴にスパッツをつけ、ポンチョを着て傘もさしていざ出発〉

〈ミズバショウも待っていてくれた!〉

〈至仏山側に広がる水芭蕉の群落〉

〈盛んにシャッターを切る孫その1〉

〈雨が降り続く尾瀬ヶ原〉

〈土曜日に人影が写らないのは珍しい。〉

〈快適だった尾瀬ロッジ〉

〈白いミズバショウにリュウキンカがアクセントとなって美しい〉

〈雨に打たれてうなだれるシラネアオイ〉

〈鳩待峠に向かって疲れた様子もなく元気良く歩く「孫その1」〉

〈鳩待峠に楽勝で戻ってこれた。いい思い出になってくれればいいのだが…。〉

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様変わりの中国との技術交流、20年前とは完全に逆転した経済力!

2012-06-14 08:30:23 | Weblog

2012年6月13日(水)、昔から我々の中国との技術交流で通訳を務めてくれている李さんが、県との技術交流のため黒竜江省の役人たちに同行して新潟市に来ているという連絡が入った。 久しぶりなので歓迎会をすることになり、有志が集まることになった。 彼が連れてきている一行は、省の副議長を団長とする省農業科学院のメンバーで、英語と日本語の通訳を入れた7名だった。 彼らは6月2日にハルビンを出発し、カナダ、アメリカ、メキシコを廻って帰りに日本に立ち寄り、15日に新潟空港からハルビンに帰国するという話だ。 豪華な海外視察旅行である。 その中の一人がキャノン5Dに純正の28~300mmズームレンズをつけたカメラを持っている。 我々だって簡単に手が出せる代物ではない。 日本でネットの安売りで買っても50万円はするのではないか? 時代は変わったとはいえ、ちょっと前までは中国の人たちは我々が持っているカメラを珍しそうに覗き込んでいたものである。 あまりにも急激な経済成長が、どんなリスクを含んでいるのか先行きの予測はできないが、正常ではないことは確かである。 一昔前の日本のバブルの比ではない。 20数年前はほとんどの人がヨレヨレの人民服を着て古い自転車に乗っていた。 道路はほとんど未舗装でデコボコ、車は少なく馬車の方が多かった。 今や街はきれいになり、高層ビルが立ち並び、高速道路が縦横に走っている。 最近は中国からのオファーが少なくなって技術協力に行くこともめっきり減ったため、中国に行く機会も急激に減ってきた。 これからは中国から経済支援と技術援助をもらわなければならなくなる時代がくるかもしれない。

〈少し早くホテルに着いたので展望台に昇ってみた。 夕日を受けてビルの影が長く延びていた。〉

〈信濃川と柳都大橋。 遠くに弥彦・角田山が良く見えた。〉

〈歓迎会の前に、御一行様は「和牛のステーキが食べたい」とのたまったそうな。 誰が払うと思っているのか? 我々はしがないNPOなのだ! ホテルに無理を言って格安にお願いしたが…。〉

 

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NPOの事務局で頑張っていた女の子が厚生労働副大臣に

2012-06-09 20:27:23 | Weblog

2012年6月9日(土)、もう20年近く前になるだろうか、貧しいアジアの国々で学校を建てたり、ボランティア活動の支援などをしているNPOの事務局を担当していた元気な若い女の子がいた。 当時は大学院の修士課程を出て間もない頃だったと思う。 私も設立当初からそのNPOの会員で監査役などをさせられていた。 その彼女が30代前半で県会議員に当選し、数年後に衆議院議員に初当選以来3期目を迎える。 彼女は今年4月かをら厚生労働副大臣に就任した。 今日はその彼女を励ます会があり、案内を貰ったので出かけた。 基調講演者として安住財務大臣が応援に来ており、懇親会には県知事も市長もお祝いに出席して「励ます会」は盛大に行われた。 彼女はまだ結婚してから何年も経っていないが、立ち居振る舞いはすっかり国会議員の先生である。 ちなみにご主人も埼玉選出の国会議員である。 彼女には言いたいことや聞きたいことがいっぱいあったが、この状況ではなかなか近づけない。 去年までは時々会社にも顔を出してくれたが、副大臣という重責に加えて、この混乱した政局ではこれから大変だ。 次回の選挙はかなり厳しくなることは間違いない。 今日の会の案内を貰った時も、果たして会の当日まで副大臣でいられるかどうかわからないじゃないか?と思わせる今の政局である。 

(安住財務大臣のお祝いのあいさつ。将来は総理の器だと持ち上げる。〉

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軽井沢野鳥の森

2012-06-05 21:49:13 | Weblog

2012年6月5日(火)、所用で軽井沢の星野リゾートに来た。 晴れていたので浅間山が良く見えるのを期待したが、残念ながら小諸・軽井沢周辺はもやがかかっていて裾野だけがぼんやり見える程度だった。 軽井沢には環境省が野鳥の森に指定している「軽井沢野鳥の森」がある。 森の中を歩いてみたがさすが軽井沢である、平日にもかかわらず何人かのバードウオッチャーや家族連れに出会う。 ビジターセンターやレストランのある周辺には貸切バスがどんどん入ってくる。  ちょうど新緑が美しい季節になってきたので休日の混雑ぶりが想像できる。 今年の冬はマイナス20度以下まで下がったことがあると聞いた。 冬は訪れる観光客は少ないだろうが、春から秋までは確かに人を惹きつける魅力がある場所である。

 〈野鳥の森の看板〉

 〈森の中の道標〉

 〈親子連れの家族が森の中を歩いていた。〉

 〈森の中の遊歩道は良く整備されている。〉

 

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角田山浦浜コース

2012-06-04 19:05:01 | Weblog

2012年6月3日(日)、角田山には一般的な登山ルートが7本ある。 このルート以外にもいくつかのルートがあり、おそらく10本以上はあるだろう。 公認ルートといわれる7つのルートの中で何故かまだ登っていなかった浦浜コースから今日は登ってみtることにした。 自宅を出て5分ほどしたら母親から、「玄関に置いてあるリュックは持っていかなくていいものなのかい?」と電話があった。 すぐ引き返せるところで気がついてくれてよかった。 でなければ登山口に着いて登りはじめる時まで気付かなかっただろう。 だんだんボケ老人に近づいているのかも? 先週届いた人間ドックでの体力年齢は、昨年より1歳若返って46歳だたのに! 頭がボケていつまでも元気では、家族から最も嫌われる老人になってしまう。 今後、体力年齢を自慢するのは止めておこう。

ちょうど9時に浦浜登山口をスタート、五ヶ浜コースとの合流点まで1時間弱、結構きつい急登が多い登山道を喘ぎながら登る。 途中に2ヶ所の東屋があり、登山道もよく整備されている。 あとは緩やかな尾根沿いの登山道を30分足らず登り、10時20分に山頂に着いた。 約80分の行程であった。

〈道路傍に登山口の案内板を見つけ、その前の広場に車を停めて階段を登りはじめた。 しかし、この階段を登ったところに広い駐車場とトイレが整備されていた。〉

〈15分ほど登ると不等沈下を起こしたような東屋がある。 梁で』頭を打ってしまった。 葉の茂った今では海の見晴らしは効かない。〉

〈さらに30分以上登ると、もう一つの東屋がある。 もう少しで五ヶ浜コースとの合流点だ。〉

 〈五ヶ浜コースと合流。〉

 〈山頂にはタニウツギが咲いていた。〉

〈葉が茂ってくると、下りも日本海の眺望が開ける場所はほとんどない。 ふもと近くまで下ったあたりの木によじ登ってこのくらいだった。〉

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寺尾中央公園のバラ

2012-06-02 21:30:52 | Weblog

2012年6月2日(土)、いつの間にかバラの季節になっていた。 毎年この時期には、自宅から歩ける距離にある寺尾中央公園のバラ園に撮影に行く。 ここのバラ園はあまり管理が良くないのか、ここ数年見ているが株はほとんど大きくなっていない。 もう少し種類、本数がほしいところだが管理人がいるわけではないのでバラが多いと維持が大変なのだろう。 とりあえず色の違う花を何種類か撮ってみた。 

ばらバラ薔薇

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