たむたむの独り言

写真を中心にした情報です。

山ノ鼻ー竜宮ー見晴十字路ー元湯山荘ー三条ノ滝ー兎田代ー上田代ー御池

2015-07-27 14:29:32 | Weblog

2015年7月25日(土)~26日(日) 25日鳩待峠から尾瀬ヶ原に入り、山ノ鼻の尾瀬ロッジに一泊。夜はビジターセンターで行われたスライドショーを見に行く。 解説者から最後に「尾瀬の木道を歩くときには、脇見をしないよう十分気を付けて歩いてください。」との注意喚起があった。 にもかかわらず今日は木道で2度も足を踏み外して転倒してしまった。 幸い怪我はなかったが、身をもって脇見が危険であることを実証してしまった。 ロッジに戻る途中、珍しく星が出ていたので少し歩いてみた。すると前を歩いていたオバサンたちが騒がしい。 近づいてみるとホタルが飛び交っていた。 前を歩いていた女房の背中にもホタルが止まっている。 尾瀬でホタルを見たのは初めてであった。

翌26日は4:30に山小屋を出発、 見晴十字路を回って元湯山荘、三条ノ滝経由で御池に向かう。 尾瀬が最も混雑するシーズンの休日であったが、山小屋に泊まった者だけが味わえる静かで幻想的な早朝の尾瀬を十分満喫することができた。 見晴十字路で、山小屋で用意してもらった朝食のおにぎりを食べる。 一休みして三条ノ滝へ向かう。 尾瀬ヶ原の北端で、三条ノ滝へ下る山道が始まるあたりに元湯山荘がある。 登山道脇に売店と休憩所があったので、ここで一休みしてコーヒーを注文した。 こんなところでも本格的なおいしいコーヒーが飲める。 ちょっと複雑な気持ちで山を下り始める。 40年ほど前、心臓発作で倒れた人を、3人で交代で担ぎながら登った登山道を下って行った。 その人は幸い命を取りとめたらしく、後日礼状が届いた。 登山道を下りながら、若かったとは言え、よくこんな急で荒れている道を80キロはあると思われる中年男性を背負って登ったものだと我ながら感心する。  今では10キロ程度のザックを担いでも喘いでいるありさまである。 三条ノ滝への分岐ではザックをそこに置いて空身で向かった。 三条ノ滝は雪解けの時期を過ぎても、堂々たる水量であった。 さすが日本100名滝である。 40年ぶりだったがほとんど記憶は残っていない。 三条ノ滝から御池へのルートは初めてであったが、暑いし、単調だし、長いし非常に疲れた。 全行程7時間半かかって、ちょうど12時に御池にたどり着いた。

 

 〈25日の日没近く。 山ノ鼻付近。〉

 〈26日早朝。朝霧の尾瀬ヶ原。〉 

 〈竜宮十字路近くで朝日が登り始める。〉 

 〈40年ぶりの三条ノ滝。〉

 〈御池の手前の湿原。この頃は名前を確認する気力なし。〉

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50年ぶりの鳥屋野潟湖面からの景色

2015-07-19 13:53:07 | Weblog

2015年7月18日(土) 今日から3日間、新潟の潟を代表する鳥屋野潟で「とやの潟環境遊覧」というイベントがある。  潟の中に船を出して湖面から見る景観を体験しながら、潟の歴史や環境についての話を聞くというもので、市民から鳥屋野潟の今後の利活用について考えてもらおうとする市民活動である。 このイベントに会社のスタッフも何人か関わっているので参加してみた。 今では市街地に囲まれた感のある鳥屋野潟であるが、この潟には船着場がなく、一般市民が潟の中から周りの景観を見ることはできない。 しかし、今からちょうど50年前、私は大学のヨット部に入ったばかりで、この鳥屋野潟が部活の場所であった。 海のない岐阜県で育った私は、海にあこがれてヨット部に入った。 ところが、大学の裏が海であるにも関らず、ヨットの練習は水の汚い鳥屋野潟であった。 日本海は荒れる日が多く、思うようにヨットを出すことができないことが原因だったが、清流の長良川と木曽川で育った私には、練習が終るとヤッケはヘドロで汚れ、くさい臭いがついてしまうという状況には耐えられなかった。 それが原因で結局3ヶ月も持たずに辞めてしまった。 その頃と比べると今は水質が改善され、かなりきれいになった。 ヨット部は沖に離岸堤が整備されて練習場所も海に変わった。 ちょうど50年前の今頃は、黒い水しぶきを浴びながらヨットの練習をしていたはずである。 その頃はまわりの景色を見る余裕などなかったが、ほとんどヨシで囲まれていたと思う。 今では公園や図書館、サッカー場のビッグスワンなどが周りに整備され、貴重な都市の水辺となっている。 今後の保全と活用の具体的な計画には、新潟のアイデンティティとも言える潟という水辺に対する市民の意識の高まりが必要だが・・・。

〈「いくとぴあ」の脇の新堀排水路から船が出る。〉

〈船は阿賀野川の船下りに使っていたものを借りたらしい。〉

〈伴走船は我が社の調査用モーターボートを提供している。〉

〈湖畔にはJ1アルビレックスのホームスタジアム「ビッグスワン」がある。〉

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何年かぶりの福井市

2015-07-13 16:50:44 | Weblog

2015年7月10日(金)、11日(土) 技術士会北陸本部の役員会と年次大会に出席のため久しぶりに福井市を訪れた。 当初は電車で行く予定にしていて、初めて北陸新幹線に乗るつもりでいた。しかし、新潟からの参加者の有志6人で、車に乗り合わせて行くことになった。 少し残念な気持ちはあったが、電車だと2回乗り換えなくてはならず、車はその点便利だ。 しかし、400㎞以上高速道路を走らなければならない。 当方は乗せてもらうだけなので楽だが、運転する人は大変である。 早朝6時に新潟市を出発、福井市には11時半頃到着した。 

北陸新幹線が開通して、首都圏と北陸地方の時間距離は格段に短縮されて便利になった。しかし、新潟から富山、金沢、福井などへのアクセスは、ここ10年くらいの間に徐々に不便となり、新幹線の開通で決定的となった。昔は新潟-大阪間の特急や急行が何本かあり、福井へは乗り換えることなく行けた。 しかし、その後徐々に新潟-大阪間の直通列車が廃止され、富山か金沢で乗り換えないと福井に行くことはできなくなった。 そして今年の北陸新幹線の開通によって、上越と金沢で2回の乗り換えを余儀なくされるようになってしまった。 そのうち福井まで北陸新幹線は延伸するので、1回で済むとはいえ、地方都市間のJRの利便性は悪くなる一方である。

〈会議場のあるビルから、やがて新幹線が通る福井駅を望む〉

〈全大会での委員会の活動報告〉

〈昼食は福井が元祖だというソースかつ丼であった〉

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前回間違った下山ルートの道標を確認するため、再び高坪山へ

2015-07-05 18:49:59 | Weblog

  • 2015年7月5日(日) 今年の4月下旬に登った村上市の高坪山は、同じ地点に登山口が2つあり、どちらから登っても同じ地点に戻ってくることができる。 前に登った時は「蔵王ルート」から登って「虚空蔵ルート」を下山した。 今年は逆のルートをとって「虚空蔵ルート」から登って「蔵王ルート」を下る予定だった。 しかし、山頂を過ぎて「蔵王ルート」を下り始めてしばらくすると登山道が2つに分かれている。 道標には左が蔵王集落方向、右が荒川町方向となっていたが、「蔵王ルート」の表記はなかった。 当然蔵王集落方向だと思って左の登山道を下った。 ところがコースタイムからすると、とうに下山している時間なのに20分も余計にかかって全く見覚えのないところに出てしまった。 その登山口には蔵王登山口という看板がある??? この不可解なできごとを検証するために再び高坪山にやって来た。 今日は絶対間違えないように「蔵王ルート」から登ることにした。 登山口から40~50分位の所に問題の道標はあったが、何とその前面に新しい道標が立てられているではないか! それには「虚空蔵平」と「高坪山頂」の2方向しか表示がないため、今度は間違うことはないだろうが、蔵王ルートの表示はない。 地元の人には何の問題もないのだろうが、もう少し統一した表示にできないのだろうか?  

〈ここで2つの登山コースに分かれるが、どちらからでも一周して同じ場所に戻ってこれる。〉

〈晴れていれば日本海と佐渡島、粟島が望めるはずだが・・・。〉

〈山頂につながる尾根沿いはブナ林が続く。〉

〈問題の道標は後ろに隠れていたが、これでは地元の人や常連以外の人は間違えるのは当たり前だと思う。〉

〈山頂の銘板の文字が消えそう。〉

〈結構なブナの大木も見られる。〉

〈飯豊連峰の見晴台も今日は残念ながら雲の中〉

〈この前来た時は花盛りだったが、もう赤い実をつけているオオカメノキ〉

〈登山道の脇に一輪ひっそり咲いていたアザミ。だが薄暗い木陰では目立つ存在だった。〉

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