2009年4月29日(水)、晴天の休日、残念ながら連休前に片付けなければならない仕事が残ってしまい、結局早朝から会社へ。お昼に女房から頼まれていた買い物に付き合い、ネコのエサを買う。
「猫ちゃんが元気になる○○」などという健康食品がたくさん並んでいる。「うちのネコはこれ以上元気にならなくていいから、そんなもんいらん!」と言うと、いつもは「ネコなんて世話が大変で癒しになんかならない!」と文句をいう女房が、「そんな、かわいそうに」などと言っている。最近また、夜鳴きがうるさくて睡眠不足気味の私は、ネコを怒鳴りつけたりするので、ネコの方も私と目が合うとそそくさと逃げていく。静かになるサプリがあればすぐに買ってやるのだが・・・。
食事をして会社に戻る途中、裏の海でウインドサーフィンを楽しんでいる人たちがいた。今日は風もあってウインドサーフィンにはもってこいの日よりだが、まだ海は冷たそうである。しかしいつの間にかそういう季節になってしまった。
2009年4月26日(日)、荒天の休日、この機会に福島県立美術館で開催されている「アンドリュー・ワイエス展」を見に行こうと朝になって思いついた。土日の昼間だけは時々車の運転をしているが長距離はしていない。会津までなら高速道路で1時間ちょっとなので出かけることにした。
ところが出発前にカーナビをセットしていて福島県立美術館と福島県立博物館を勘違いしていたことに気づいた。行こうとしていたのは博物館の方で、美術館は福島市にある。
福島市は会津若松市から更に100kmくらい走らなければならない。当初考えていたより往復200 km余計に走るのは現状では断念せざるを得ない。
しかし、折角出かける支度をしたので勘違いしていた福島県立博物館に行くことにした。2度目であるが、多分展示も更新されていたのだろう、以前の記憶とは異なっていた。企画展は、NHK大河ドラマにちなんだ「天地人展」がちょうど今日から開催されていた。会津は上杉家が豊臣秀吉によって越後から移封された地である。今年は新潟では南魚沼市や上越市、福島では会津若松市、山形では米沢市などが直江兼続ゆかりの地として売り出し中である。
県境付近の山腹では萌出る落葉広葉樹の新芽のモコモコ感の中にヤマザクラが点在する雨に煙る早春の景が広がっていた。
2009年4月25日(土)、朱鷺にかかわるイベントの記念品を探していたところ、「千羽トキ」という折り紙を販売している会社が近くにあることをネットで発見!早速サンプルを取り寄せてみた。折り方はツルと同じだが、クチバシと頭部が折りあがるとトキのようになるよう印刷されている。後頭部の羽は折り終わってから切り込みを入れるようになっている。それなりにトキに見える優れモノである。
淡いピンクの色紙が3枚と完成品一羽、飾れるように台座とピンが添えられていて価格は1セット180円。
今情報を集めているトキヒコーキやトキ竹トンボなどよりは高いが、数がまとまれば、もう少し安くはなるだろう。候補の一つに加えることにした。
今日は久しぶりの本格的な雨模様となった。明日はさらに悪くなりそうな予報である。 先週、中判カメラ用のフィルムを買ったので、明日の日曜日は重いカメラを担いで写真を撮りに行こうと思っていたが無理のようである。
しばらく使っていなかった三脚に固定してみると、三脚が微妙にガタつく。ちょっとしたカメラより高い三脚だったのに何てことだ!修理できればいいが・・・。 あの三脚でないと、他の軽い華奢な三脚では用をなさない。少々ショック!いやかなりショック!である。
〈朱鷺の折り紙の完成品〉
2009年4月22日(水)、新潟駅から萬代橋を渡り新潟グランドホテルまで歩くと結構いい運動になる。最近は雨風でなければ歩くことが大して気にならなくなった。普段は背中を丸めてパソコンに向かっているので、歩くときは意識的に背筋を伸ばすように心掛けている。
今日は午後から新潟県中小企業家同友会の総会と講演会に出席した。今まで15年以上も休眠会員だったが、その間に会員は500名を超えたという。どうやらその中で一番古い会員が私であるらしい。その関係もあってか昨年の総会では基調講演を頼まれての参加だった。今日の総会には約200名の参加があったが、ほとんど顔見知りはいなくなっていた。
本日の基調講演は日刊工業新聞の社長で「モノづくりのパラダイムシフト」~大経済危機を乗り切る~であった。印象に残った話は、最後の質問に答える形で紹介された「中小企業のブランド化戦略の一つとして『スピード』がある」という話であった。注文を受けた製品をどこよりも速く納品することで信頼を得て売上を伸ばした企業の事例である。徹夜してでも工期短縮にこだわることで「あの会社なら必ず工期に間に合わせてくれる」という信頼感そのものが、その会社のブランドになっていったということである。これは中小企業だからこそできる技であろう。
〈萬代橋の歩道のチューリップも咲き始めた〉
〈約200名が参加した総会での講演会〉
2009年4月19日(日)、わが家の小さい庭にも色々な花が咲き始めた。昔、種から育てた鉢植えの水芭蕉が、水の無い小さな池の隅で控えめに一輪咲いている。玄関のアプローチのアケビも紫色の小さな花をたくさんつけている。昨年も一昨年も3個ほど実をつけたが、今年はもっとたくさんつけそうだ。今年の開花は昨年よりちょうど1週間ほど早い。
アケビは実も食べられるが、早春の新芽は山菜としてとても美味しい。また、アケビのツルは籠などのツル細工として昔から使われてきた。まさに森の恵みをもたらしてくれた代表的な植物の一つである。
昨年は花が比較的少なかったので人工的に綿棒を使って受粉させてみた。が…、効果があったかどうかは定かではない。しかし今年は花をたくさんつけたので、自然に任せてみることにした。
しかし、今の時期チョウもハチもいないので大丈夫なのだろうか?風だけで受粉できるのだろうか?と少し不安はある。
森林インストラクターとしては、アケビの花は虫媒花だったか風媒花だったかを知らないというのはまずい。さっそく調べておかなくては…。
2009年4月18日(土)、平成21年度の技術士合格者歓迎会を兼ねた恒例の懇談会が技術士センターで開催された。当社からは2部門目の合格者が1人出たが、新規合格を目指す若手の受験者は残念ながら全員討ち死にであった。最近は国の機関からのコンサル業務の受注には関連部門の技術士資格の取得が必要不可欠になってきている。
機械、電気・電子、航空・宇宙、建設、応用理学、農業、森林、生物工学、情報工学など、理・工・農学系を中心に21部門の多様な専門分野がある。文部科学省所管の資格で、試験は難しいが、ほとんど一般の人にはなじみがなく知名度は低い。
最近の色々な偽装問題などで問われている職業倫理の問題は、昔から技術士には重要な要素として位置づけられており、面接試験では経験や技術的力量だけでなく人物の資質も問われる。
今日は、新潟県内の13部門約60人の技術士が集まった。そのうち今回の合格者の出席は15人であった。年に1度だけの集まりだが、全く異なる専門の技術者の話を聴くのはなかなか興味深い。今年こそは当社も全員合格をスローガンにハッパをかけている。
2009年4月16日(水)、今日は会議の場所が信濃川沿いの川端町だったので、JR白山駅で降りて信濃川やすらぎ堤を歩いて行くことにした。桜は半分ほど散ってしまっていたが、今度はチューリップが咲き始めていた。時折霧雨が降る肌寒い天気だったので人出はあまりなかったが、ただ一組のグループだけが、東屋の風上側の三方向をブルーシートで囲って花見の酒盛りをしていた。しかし、ここまでくるとさすがにかなり浮いた存在になっている。
芝生や歩道には桜の花びらが散って薄らと雪が積もったようになっていた。たまに犬の散歩させている人やジョギングをしている人とすれ違う程度で、もうすっかり桜の花は忘れ去られた存在になりつつある。入れ替わりに足もとのチューリップが出番の準備を終えて開花直前となっていた。
これまでのように車を使っていたらゆっくり見ることがなかったであろう季節の変わり目の一瞬である。
〈信濃川やすらぎ堤の桜は既に半分ほど散っていた〉
〈次の出番はチューリップである〉
2009年4月12日(日)、女房が見せたいものがあるといって白山神社に連れて行かれた。本殿の周りに、たくさんの絵馬をかける衝立のようなものがいくつも立てられている。その一番下の隅っこの絵馬を指差してこれだと言う。見ると「あたまがよくなりますように」と書かれた絵馬があった。先週帰った7歳の孫その1がどうしても書きたいとねだって、自分で書いて掛けて行ったものだという。何か思うところがあったのかどうか知らないが、思わず笑ってしまった。あの年だと普通は自分の欲しいものが手に入るようにといったたぐいのことを書くのではないかと思うのだが…。まあどちらにしても他力本願の話しなので願望はあっても努力しなければ達成できない。これから一体どんな生長をしていくのか自分の子供の時とは違って楽しみながら見ていられるのはジジババの特権である。
白山公園はちょうど桜が満開で露店も並び、思ったより多くの人出でにぎわっていた。
いつも孫たちが帰ると疲労のため具合が悪くなる女房だが、今回も孫たちが帰った翌日から具合が悪くなり今日で1週間になる。「来てうれし、去ってうれしい孫台風」というところか。
2009年4月10日(金)、新年度から建築設計室に新卒の新入社員が入社した。専門は歴史的建造物(古建築)である。彼女は学生時代から当社にアルバイトとして時々手伝いに来ていたが、今春大学院修士課程を修了して正式に入社することになった。
当社では、数百年前の古い神社仏閣の建築物や古民家、50から100年前の比較的新らしい近代化遺産としての建築物や土木構造物などの調査、保全対策、復元設計などを得意としている。もちろん現代の新しい建築物の設計も行うが、こちらは公共事業の削減とこの長期化する不況下で、仕事量が激減している。
そんな状況の中ではあるが、一方でこれまで新しい開発行為のために取り壊されていった古い建造物やまちなみだったが、これからはその地域の歴史の生き証人として大切に保存していこうという動きがようやく広がりを見せるようになってきた。
昨年は、この分野を専門とする当社の若手社員が博士号を取得した。これまでの長年の実績と同時に、若い後継者が育ってきていることは心強い。やっと彼にも後輩の部下ができた。この部門の今後の成果を期待したい
〈技術スタッフの新卒新入社員歓迎会は久し振りである〉
2009年4月7日(火)、今日も暖かく春らしい天気が続いている。ついに当社の桜も開花した。前の事務所から移植した大きい方の桜はエドヒガンの変種と思われるが、はっきりした種名はわからない。小さくて控え目な花をつけるが花の数は比較的多い。 昨年は4月8日の段階で8分咲きくらいになっていたので、今年はそれよりやや遅いくらいである。
小さい方の桜は駐車場の植え込みの中にあったもので、今年初めて気づいた。誰かが苗木を植えたのだと思うが、この桜も花はソメイヨシノに似ているが幹や枝の感じがそれとは異なっているため、これも正確な種名はわからない。
今年は暖冬だったため桜の開花が5日から1週間ほど早まるのではないかと言われていたが、結局のところ平年とさほど変わらない時期に落ち着きそうだ。
2009年4月6日(月)、北陸新幹線金沢延伸に伴う(仮称)上越駅周辺地区整備に関するプロポーザルに指名されたため、現地を見に久しぶりに上越市を訪れた。しばらく行かなかった間に新幹線の橋脚部分の形が既にでき上がっている箇所も多かった。
(仮称)上越駅は上越市の中心街からかなり離れた新井市寄りのJR信越線脇野田駅付近に予定されている。ここを拠点として新しい街並みが今後短期間に形成されるとは考えにくい。結節点としての駅の役割からすると現在のJR直江津駅にはとうてい及ばない。課題の多い駅だけにこのコンペは非常に難しい。
現地を一通り見たあと、帰りに高田公園の桜の開花状況を見に寄ってみた。平日にもかかわらず結構な人出である。桜はまだ3分咲きくらいであったが、風当たりの少ない南東側は8分咲きくらいのところもあった。
ちょうど当社で改修設計を行った園地の枝垂れ桜が一番開花が早かったようである。
2009年4月5日(日)〔3〕、約50分で朱鷺メッセに到着、なかなか快適な船旅であった。快晴の春休みの日曜日なのに乗船客は我々の他は途中の乗下船客を含めて2組しかいなかった。
結構ゆったりと格安で非日常的な体験ができる。使い方によっては色々な楽しみ方がある水上バスである。来客を案内してもいいし、予約すればランチクルージングやディナークルージングもできる。もっと市民に広く利用してもらいたいものだ。
新潟市の市内観光案内には、だいたいこの水上バスが航行している写真が使用されているが今一利用客が伸びない。
行政も「水の都にいがた」を標榜するのなら、「一企業のためにだけ便宜を図ることはできない」などと了見の狭いことを言わず、国も県も市ももっと積極的にこの水上バスや信濃川両岸の景観整備に連携して協力と支援を願いたいものである。もともと利益目的ではなく、新潟市のまちづくりの一環として市民株主を募って設立した会社である。しかし、利益が出せなければこの志も途中で挫折してしまうことになる。とりあえずは株主が機会あるごとに利用して口コミで広がる状況を作り出すことが必要だろう。
2009年4月5日(日)〔2〕、ジジ・ババに娘の旦那と孫たちの5人で新潟ふるさと村から信濃川ウオーターシャトルに乗って河口の朱鷺メッセに向かった。天気は良かったがまだ風は少し冷たかった。
まずは船内でコーヒーとジュースを頼み、おつまみのカッパえびせんをつまみながら、ゆったりと流れる信濃川を下る。孫たちがデッキに出たがってうるさいので、飲み物とカッパえびせんの袋を持ってデッキに出る。今日はたくさんのカモメが集まってくるのを孫たちに見せてやろうと思っていたので、少し下ってから上空を飛んでいたカモメに向かってカッパえびせんを投げさせてみた。
するとどこから集まってきたのか、一瞬のうちに数十羽のカモメがデッキのまわりに群れてきた。中には直接手からくわえていくヤツもいる。あまりたくさんのカモメが目の前に集まってきたので、孫たちも怖くなってだんだん後ずさりしている。「孫その1」は、あまり近くで目が合うとカモメの目つきが怖いという。
それでも、結局カモメのためにカッパえびせんを4袋も買って大盤振る舞いをしてしまった。
2009年4月5日(日)〔1〕、今日はいよいよ孫たちが帰る日、新潟に来るたびに何か必ず傑作な孫語録を残していく。今回の極めつけは、自分の母がその母親から、実家天国を決め付けて家事を手伝おうとしないことで怒られているのを脇で見ていた「孫その1」が、バァバに向かって一言「あんたが育てたんでしょ!」
これにはさすがに皆大笑いしてしまった。新潟に来ている間、ママよりうるさいバァバにいつも怒られてばかりいた7歳の「孫その1」の痛烈な一撃であった。
今日は、娘が帰る前に友人に会いに出かけるというので、孫たちを新潟ふるさと村から信濃川ウオーターシャトルに乗せて朱鷺メッセまで下り、日航ホテルの展望室で合流することにした。出かけるときに「孫その2」が駐車場の舗装から突き出ているツクシを見つけた。自分が通っている幼稚園の年少組に「つくし組」というのがあるので良く知っていたようだが、それにしても隅っこのツクシを良く見つけたものだ。
このツクシ、舗装の割れ目からではなく、透水性舗装の隙間を縫って伸びてきている。たくましい生命力に驚かされる。
2009年4月4日(土)、昨年の暮れ、90歳まで現役の技術者として当社に勤務していた通称「ご老公」と、会社の有志が集まって忘年会を開いた。さすがに足腰は会社を辞めた頃より衰えてはいたが、まだまだ頭はしっかりしていて健在であった。酒も量こそ少なくなったものの相変わらずうまそうに酒を飲み、飲み会も最後まで付き合ってくれた。
酒を注ぎながら改めて年令を聞くと今年は95歳になるという。そこでハッとオヤジのことを思い出した。父は「ご老公」よりちょうど1歳年下で誕生日も同じであった。二人とも10年以上一緒に仕事をしていたが、父は82歳で体調をくずして引退した。86歳で脳出血で倒れて入院、そのまま1年後に他界した。「ご老公」が今年95歳になるとすれば、もしかして父の7回忌は過ぎてしまったのではないかと思ったからである。
帰宅して母に確認すると、今年が7回忌だという。危うく忘れそうになっていた7回忌である。
孫その1が生まれたときはまだ健在だったので、膝に初ひ孫を抱いた写真が残っている。そのひ孫も今年は小学2年生で満8歳になる。