2008年12月29日(2)、孫たちがおとなしくしているときはゲームをしている時と、バァバやママの化粧品でいたずらしているときだけである。DSとかいうゲーム機を2人とも持っていて怒られるまで何時間でもやっている。3歳の孫も全く動かないでじっとして真剣にボタンを操作している。こちらは覗いてみても何をやっているのかさっぱり理解できない。姉のやっているのを見て覚えたのだろうが、ついこの前やっとおむつが取れたばかりだというのに…。いったいどうなっているのだろう最近の子供の頭は!
バーチャルの世界が現実の世界を追い越してどんどん進化していくと、子どもたちはバーチャルの世界の方が刺激的で面白くなるのは当然かもしれない。特にものごとの良し悪しの判断ができないような小さな子供にとっては危険なことだと思うのだが…。かと言って自分の子供に使わせないようにするには、学校へも行かせず山奥に隔離でもしない限り不可能だろう。ゲームはさらに進化するのは間違いない。いったいこれからどうなっていくのだろうか?
2008年12月29日(1)、新潟では昨夜までまる3昼夜、台風並みの冬の嵐が吹き荒れて寒い日が続いた。台風なら本州ではせいぜい数時間から半日程度我慢すれば通過していくが、冬の嵐は西高東低の気圧配置が崩れるまで吹き荒れるから始末が悪い。ちょうど熊谷から孫たちが来た日から荒れ始めたため外にも出られずかわいそうだ。きょうはようやく風も収まって日も差してきた。早朝、仕事で海岸の飛砂の状況写真を撮りに行ったが、海岸道路では所々路面が砂でおおわれている。浜辺に出てみたが海はまだ波は高くシケが続いている。
この3日間天気予報では雪マークだったが、新潟市内ではほとんど降雪はなく、この風で山の方に雪雲も飛ばされたに違いない。この寒波でスキー場にはある程度降雪があったようなので、正月には孫たちをスキーに連れて行けそうだ。
2008年12月28日、冬休みで孫たちがやってきた。孫その1はピアノを習っていて毎朝必ず練習をさせられている。いつもいやいややっているようにしか見えないが、信じられないくらい上達は早い。まじめな性格なのでいやいやでも続けていればそれなりにうまくなるのだろう。それにしても最近楽譜のオタマジャクシの数が増えて複雑になってきた。この音符が読めるのだから大したものだ。
私も50歳になったとき、確か「50歳からできるハ長調のピアノ」というような題の教材を通販で買って始めたことがあった。当然のごとく一曲も満足に弾けないまま挫折。吸収力の違いか感性の違いか知らないがこの差は何だろう。
できるわけがないと思っていたことができるようになるのが成長期の子供で、できないわけがないと思っていることができなくなるのが老化が始まった中高年なのかも知れない。最近特に身にしみて感ずるようになった。
2008年12月20日、今日は久しぶりに大学時代の同じ研究室の仲間6人が、東京の友人宅に集まって同級会を開いた。卒業直後の若いころは毎年苗場の行きつけの民宿に泊まってスキー同窓会を行っていた。40を過ぎる頃から温泉旅行に変わり、一時は海外旅行に行ったりもした。その後、それぞれが責任ある立場になるにつれて予定がなかなか噛み合わず、間が開くようになった。今回は全員が還暦を過ぎ、定年退職後悠々自適の暮らしを始めた奴もいたため、年末ではあるけれど急きょ東京で集まることとなった。
私を除いて皆酒が強いが、何と大酒のみの男が退職後、趣味でケーキ作りを始めたといって自慢のシフォンケーキを持ってきた。もう一人は家庭菜園でできた自慢の野菜をたくさん持ち込んで鍋の材料にし、「老後に趣味をどう生かすか?」という話題で花が咲いた。まだお互い同士ではそんな年には見えないが、知らない人から見ればやっぱり60過ぎのジジイなんだろうナ…。ということを残念ながら確認し合ってお開きとなった。
2008年12月17日、注文してあった書籍を受け取りに、新潟駅南のジュンク堂に出かけた。恒例のケヤキ通りのイルミネーションが点灯していたが、不景気のせいか心なしか電球の数が少ない気がする。仙台のそれと比べると見劣りはするが年末のイベントとしてはすっかり定着した感がある。
世の中はCO2の削減や省エネなどが声高に叫ばれているが、街の明かりが暗くなるのだけは勘弁してもらいたい。特に市街地はただでさえ郊外の大店舗に客を奪われて閑散としてしまっている。街全体でイメージアップを図れるのは市街地だからこそである。利便性で差をつけられた分、アミューズメント性や文化性・歴史性、非日常性の魅力などで巻き返さなくては益々落ち込んでしまう。
町が発展してきた歴史を大事にして、町の個性に磨きをかけることができるかどうかは市民の文化性の尺度のような気がする。しかし、こんな社会経済状況が続けば町の未来を考える余裕すらも無くなってしまうかもしれない。
2008年12月16日、新潟では今の時期には珍しい快晴の1日だった。打ち合わせのために南魚沼市にある県の出先機関に行く途中、高速道路から雪をかぶった越後三山がよく見えた。車窓からちょうど今回の調査現場付近を通過する時をねらってシャッターを切った。その背後に駒ケ岳がくっきりとそびえている。
もう12月も中旬である。普通なら平地にも雪があって不思議はない頃た。しかし今年は…というより、今年も暖かく年末にスキー場は稼働できるのか危ぶまれる。
今日の打ち合わせで、もう一度現地に補足調査に入らなければならなくなったが、まだ今週は雪の心配がないので何とか調査ができる。山の調査はここまでくるといつ雪になるかで決まる。ここへ来ての降雪はもう根雪になることを覚悟しなければならない。発注時期がもう少し早ければと思うが、現場は今の時期の方が圧倒的に楽である。落葉後なので見通しはいいし、一度積雪があったために背丈の高い草本類は倒れてしまって歩きやすいし、かついでいく水の量も少なくてすむからだ。
2008年12月10日、新大に行った帰りに行きつけのガソリンスタンドでオイル交換をしてもらうことにした。確かこの近くにブログで知った陶器のギャラリーがあるはずだ。 待っている間にこのあたりを歩いて探してみることにした。
前の事務所はこの近くだったので、いつもこの付近を車では通っていたが、こんなに住宅が貼り付いていたとは知らなかった。探していくうちにこのあたりの住宅地が全く無計画に造成されていることに驚かされた。とにかくほとんどの道が袋小路になっていて隣接する隣の街区にいくにも、一旦県道の大通りまで出ないと移動できない。古い町ならいざ知らず、全くの新興住宅地である。
大通りを出たり入ったりしながらやっと見つけたギャラリーはちょうど定休日だった。帰りは学生アパートや駐車場の敷地を通り抜けながら戻ったが、それでも何度か袋小路に入り込んで引き返さざるを得なかった。迷路の町として売り出せそうだ。しかし、火事になったら大変なところだ。
2008年12月4日、12月に入っても暖かい日が続き、珍しく晴れの日が多い。最近は日の出が遅くなったため、出勤してから朝日が昇るようになった。昨日も今日もきれいな朝日を見ることができた。多分これも今日までだろう。予報では明日から天気がくずれて新潟は土日が雪マークになっている。平野部でも積雪があるような「ことを言っているが、その通りになることはほとんどない。
明日はISOの継続審査の日となっており、朝から晩まで1日中缶詰となる。認証を取って7年目となるが、取得前の準備や取得後の維持にかけた費用と労力はばかにならないくらい大きいい。費用対効果を考えると果たして会社のためになっているのか?と疑問に思ってしまう。
ということは、この道具を十分使いこなせていないからなのだろう。明日は審査員にその効果的運用の極意を聞いてみたい。