たむたむの独り言

写真を中心にした情報です。

植物の温度センサーは正確だ!

2024-03-27 14:36:47 | Weblog
2024年3月27日(水) いよいよ3月も残すところあと数日となった。ここのところ年度末の納品のピークで、社内はさなから印刷製本屋のようだ。
今日は久しぶりの快晴となったので外の空気をすいに出た。 玄関脇のタムシバは、蕾は少し大きくなってきたが、まだ開花までには1週間くらいかかりそうだ。 桜(エドヒガン?)も蕾がやや膨らんだ程度であった。 ちなみに昨年の同じ日のブログを見たら、タムシバは開花直前、エドヒガンは、ほぼ満開になっていた。
昨年は異常に暖かかったことは確かである。 今年も2月までは暖冬で、昨年よりも開花が早まるのではないかとおもったくらいだったが、3月にはいって寒い日が続き、結局は平年並みくらいになりそうだ。
 桜は一日の最高気温が15℃くらいになると咲き始める。 確かに今はまだ10℃以下の日もあり、15℃には達していない。 植物の温度センサーの正確さには感心する。 今日の最高気温は10℃くらいだと思うので、もうしばらくはかかりそうだ。

〈タムシバの蕾、今年は多く咲きそうだ〉
〈昨年の今日は満開になっていたエドヒガンだが、今年はまだこの状態〉
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ひと風吹けば砂の山

2024-03-24 10:53:09 | Weblog
2024年3月24日(日) 昨日、出かける時に海岸道路を通ったら、数日前の暴風によって道路が飛砂に覆われていた。今日は天気が回復したので、散歩がてらに海岸に出てみた。 自宅に近い海岸線では、飛砂防備保安林は道路の内陸側にあり、道路の海側には飛砂防止柵があるだけで、波打ち際まで砂浜になっている。 つまり砂浜の中を道路が通っている状況である。 したがって、強風のたびに道路の除砂が必要になる。道路の海側に飛砂防止の林帯を造成すれば良いのだが、技術的、経済的課題より、道路を管理している市、保安林を管理している県、海岸を管理している国、複雑に入り組んでいる土地所有者などの連携協力に対する合意形成ができるかどうかが最大の壁になっていると思われる。 これらの壁を超えて対策を進める組織体制づくりを、だれがイニシアチブをとってやるのかが課題である。 ここは、新潟市が中心となってやるべきだろう。
 帰りはクロマツの保安林の中を通って来たら、今年初めてウグイスの鳴き声を聞いた。 いよいよ春が来た。


〈3mの飛砂防止柵を越えて道路に及ぶ飛砂〉
〈もうひと吹きすると通行止めだろう〉
〈道路の内陸側はクロマツの飛砂防備保安林、ウグイスが鳴いていた〉
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越前浜鳥の子神社の川津桜

2024-03-23 16:53:38 | Weblog
2024年3月23日(土) 新潟市西蒲区越前浜にある鳥の子神社は、もうすぐ時期になると参道や沿道にソメイヨシノが咲いて花見に訪れる人も多い。 しかし、この境内に川津桜があることを知る人は少ないだろう。 新潟市では、ソメイヨシノが満開になるには、まだ半月以上先と思われるが、さすが川津桜、今日は満開になっていた。 実は3週間以上前に様子を見に来たが、まだほとんど蕾状態だった。 そろそろ満開になっているだろうと、今日来てみたわけだ。
鳥の子神社には、ほかにも数種類の桜が植えられている。 この川津桜も含めて、日本さくらの会から7,8年前に寄贈されたものだ。 2月末ころ来た時には、四季咲きの十月桜が咲いていた。 昨年夏の猛暑と日照りで枯れてしまったのではないかと心配していたが、何とか無事に生き残っていた。 ほかにも2,3本花を付けている川津桜がある。 やがて、もっと大きくなって目立つようになると気づく人が増えてくるだろう。


〈人知れず満開になっていた川津桜〉

〈ソメイヨシノよりや紅色がかった花は美しい〉


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雪割草の花の彩

2024-03-17 16:45:18 | Weblog
2024年3月17日(日) 母の葬儀後の諸々の手続きなどがやっとひと段落したので、今日は気分転換に角田山か弥彦山に雪割草を見に行きたいと思っていた。
 しかし、疲れのせいか歳のせいかわからないが、夫婦して腰が痛くなってきたので山はあきらめた。 しかし、動けないほどではないので、家でゴロゴロしているのも嫌だったので、新潟市の「育とぴあ食花センター」に行ってみた。
 すると、偶然雪割草の展示がしてあった。 水鉢に雪割草の花を沢山浮かべた展示作品があり、一つ一つの花は小さいが多様な色や形のある雪割草の花の見せ方としては面白いと思った。
 しかし、雪割草は、やはり山の林床に咲いているのがいい。 腰が治れば来週にでも山に行ってみたい。

〈水鉢に浮かべられた雪割草の花〉
〈花の色も形も多種多様である〉

〈もう少し春らしく見ごたえのある花々が欲しかった〉
〈野外ではここくらいしか花は見られなかった〉
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50年ぶりの再会

2024-03-07 20:06:23 | Weblog
2024年3月6日(水) 昔、家が近かったので、良く行き来していた遠い親戚の娘(当時は中学生だった)が、岐阜からわざわざ母の仏前にお参りに来てくれた。 私が新潟に来てから60年近く経つが、その間に彼女は1回遊びに来たことはあるが、この50年ほどは、全く音信普通だった。 私は一人っ子だったので、岐阜にいた子供のころは妹のような存在だった。 なので、今でも私のことを「お兄ちゃん」と呼んでいる。 
私の記憶は、彼女が中学生の頃までしかない。 結婚して子供が生まれて、夫を早くに癌で亡くし、苦労して二人の子供を育て上げ、その子たちは結婚して孫が生まれ、今では上の孫が大学を卒業して去年から社会人になっているという。 結婚したこととご主人が亡くなったことは聞いていたが、ご主人には、一度も会ったことはなかった。 
 今日は新潟駅の改札まで出迎えに行ったが、中学生の女の子が、いきなり75歳のおばあちゃんになって再会したようなものだった。 改札口で「お兄ちゃん」と呼ばれて思わず出た言葉は「大変だったな」であった。
 今年の正月に能登半島地震が発生し、新潟市も特に西区は液状化被害で全国ニュースに度々放映された。 彼女はそれを見て私の家と母のことが気になり、突然母に会いたいので施設の連絡先を教えてほしいというハガキをよこした。 それが偶然母が新型コロナに感染して緊急入院した日だった。
 彼女には、これから来たとしても、もう間に合わないかも知れないと伝えた。 彼女もデイサービスの施設で働いていたので、結局母の葬儀には来れなかった。 ようやく休みが取れた今日、新幹線を乗り継いで来てくれた。
 60年の時間は簡単には埋められないが、しかし過ぎ去った時の速さを実感したひと時であった。
 彼女が山に登っていることは聞いていたが、高校時代に山岳部に入り、これまで槍ヶ岳に29回登ったということは初めて聞いた。
 ほとんどが単独行で、昔はテントを担いで登ったが、歳を取ってからは山小屋を利用しているという。あと1回で30回なので、もう一回どうしても槍に登りたいと言っている。
 私は即座に「それはやめた方がいい」と忠告した。 歳のこともあるが、コロナ禍で何年もブランクがある。 滑落して人に迷惑をかける可能性がある。 29回も登れば十分だろうと、半分はうらやましく思いながらも諌めた。 多分いうことは聞かないだろうが・・・。
  別れ際には、「もしかしたら我々も、お互いこれが最後になるかも知れないな」と顔を見合わせた。 



〈ゆっくり新潟を案内する時間的余裕もないため、ホテル日航新潟の展望フロアから市内と、遠くかすむ山々の説明をした〉


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