たむたむの独り言

写真を中心にした情報です。

猿の群れに威嚇される

2009-09-11 06:54:40 | Weblog

92009年月10日(木)、新潟を出発するときは晴れていたが、高根の調査地に近づくにつれてだんだん本格的な雨降りになってきた。予報では良くなるということなのでとにかく鳴海金山奥の現地に向かう。このあたりではブナはもう紅葉を始めている。車の中でお昼を食べている時、何かいる気配を感じて外に出てみると、猿が車の脇の木の上から枝をゆすって我々を威嚇している。子猿を含めた10匹近くの群れが車の周りの木に群がっていた。




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NPO法人新潟県対外科学技術交流協会設立20周年

2009-09-09 21:59:45 | Weblog

2009年9月8日(火)[2]、このNPO法人の前身の協会設立からかかわって20年が経ち、現在は副理事長などをさせられている。その間中国東北部の黒竜江省を中心に技術交流を続けてきた。おかげでこれまで20回ほど中国に出かけた。その間の中国の変化は全く予測できないスピードで進展してきた。当時はほとんどの人たちがヨレヨレの人民服を着ていて、お土産にはボールペン1本でも喜ばれた時代であった。その後カード型電卓などを持って行ったりしたが、最近ではそれらの品物はほとんどメイドイン・チャイナで埋め尽くされている感がある。極東ロシアとの技術交流の時も、ロシアが最も困窮した時期で店には品物がなく、食料品を買うにも長い行列ができる時代であった。この20年間で中国の都市部ではどっちが豊かな国か分からないくらいに発展し、日本人よりも大金持ちが増えている。あまりにも早すぎる変化はどこかでひずみを生むのではないかと心配になる。今日は15年ほど前に留学中に1年間当社でアルバイトをしていた中国人留学生が中国大使館の1等書記官として日本に赴任中であり、今日は参加予定だったので久しぶりに会えるのを楽しみにしていた。しかし残念ながら仕事の都合で欠席になていた。彼が大使館に在任中に改めて機会をつくるようにしたい。

〈県国際交流協会の理事長やモンゴル国名誉領事も務める中山理事長のあいさつで始まる〉v

〈大矢理事が自ら作詞した対外協節を最後に披露して閉幕〉

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信濃川と朱鷺メッセ

2009-09-09 21:44:29 | Weblog

2009年9月8日(火)[1]、今日はNPO法人新潟県対外科学技術交流協会の20周年記念式典がホテル日航新潟で開かれた。天気が良かったので信濃川左岸から柳都大橋を歩いて渡ってホテルに向かった。橋の上は風が心地よく9月上旬の昼下がりとは思えないほど涼しい。
 この信濃川の右岸と左岸の緑地は当社が設計を担当したが、両方を歩いて通るのは久しぶりだ。


〈信濃川左岸緑地から柳都大橋〉

〈柳都大橋への階段踊り場から朱鷺メッセとホテル日航新潟〉

〈信濃川右岸緑地の芝生広場のモニュメント〉

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水と土の芸術祭作品№30「海抜ゼロ」

2009-09-06 19:31:57 | Weblog

2009年9月6日(日)[2]、これが水と土の芸術祭の作品である。鉄製の通路が水辺に向かってゆるく傾斜、床も鉄製のメッシュになっている。水面になると水がメッシュの上になってくる。これは水面と同じレベルにしたつもりが、人の歩く重みでメッシュが下がり、水面より低くなってしまったのではないか?
 いずれにしても自然景観が広がる湿地の水辺にこのような鉄製の作品を設置するのはどうかと思う。とくに水面と陸地の間は最も生き物の多様性が高い空間である。そのもっとも重要な場所に鉄の構造物が突っ込まれている。
 この芸術祭の作品は水と土で代表される新潟の風土と調和できることが前提でなければならないと思う。
 その意味で今回の稲わらのオブジェは、この№30の作品と対照的な土と水の産物である稲を材料にしている。協賛というより対比としての展示のようにも思える理由である。


〈上堰潟公園にある水と土の芸術祭の作品は直線のスチール製通路のようなものだ。〉

〈人が歩く重みで海抜ゼロより床が下がってしまったように思える。〉

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稲わらの巨大オブジェ

2009-09-06 19:07:17 | Weblog

2009年9月6日(日)[1]、今は新潟市西蒲区となった角田山麓の上堰潟公園に、武蔵野美術大学の学生たちが中心になって製作した巨大な稲わらのオブジェが展示されている。武蔵美の学生たちは数年前から旧岩室村のまちづくりにかかわっており、これまでに当社も公園設計や地域おこしなどに協力したことがあった。この稲わらのオブジェは「マンモス」、「ネッシー」、「カメ」そして「わらの家」である。今日の地方紙の朝刊1面に写真入りで紹介されたため、きっと来園者が多いだろうとは思ったが、10時前でやっと臨時駐車場に止めることができたが、10分もしないうちに大渋滞になってきた。
  昨夜のニュースでは子供たちが作品に触っている様子が映されていたが、今日は作品の周りに柵が設けられていて触れることはできなくなっていた。触れられなくなったのは残念だが、同じ公園内の水辺にある水と土の芸術祭の鉄製作品より、この稲わらのオブジェの方がそのテーマに合致している。見物人も圧倒的に稲わらのオブジェに集まっていた。
 産直のテントにいた地元の観光協会の人に聞いてみたが、水と土の芸術祭とタイアップしてやっているという話だったが、どちらかというと逆の意味に取れるイベントである。
真実はどうなのかはわからないが…。


<稲わらで作られた巨大マンモス〉


〈これはネッシー、首の部分を何で支えているのだろうか?〉

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最長老として乾杯を指名される

2009-09-04 19:01:43 | Weblog

2009年9月4日(金)、昨日から群馬県川場村の世田谷区民健康の森に毎年この時期3泊4日の日程行われる植生セミナーの講師として来ている。私は最終日の担当なので3日目の夕方合流した。昨日は講師陣と受講者のバーベキュー大会があり、屋外のバーベキュー施設で交流会が開かれた。
 乾杯の音頭を講師の中から一番長老にお願いするという話になり、私は人ごとと思って聞き流していたら、何とその長老が私だったのである。今まで役職での挨拶や乾杯は何度もさせられているが、最長老として指名されたのは初めての経験であった。ついにそんな年になってしまったのかとさすがに少々ショックだった。
 夕方6時半から始まった宴会は部屋にもどってからも延々と続き、我々の宿泊している森のむらでは何人かは午前2時半まで飲んでいたらしい。
 私の講義時間にはほとんどが居眠りをするのではないかと思ったが、まじめな受講生が多く、ほとんど寝ている人はなかった。さすが意欲ある社会人たちである。
 このセミナーは、つい最近環境省の認定講座として書類が受理されたという。しかし、3年間受講しなければ修了証をもらえないというなかなか厳しい研修である。


〈今年の受講生約40人、講師6人、事務局とスタッフ10名が全員集合して開催されたバーベキュー大会。外は9月のはじめだというのに長袖でも寒い。〉


〈我々が宿泊した森に囲まれた自然学校の体験施設「森のむら」〉

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