2009年9月8日(火)[2]、このNPO法人の前身の協会設立からかかわって20年が経ち、現在は副理事長などをさせられている。その間中国東北部の黒竜江省を中心に技術交流を続けてきた。おかげでこれまで20回ほど中国に出かけた。その間の中国の変化は全く予測できないスピードで進展してきた。当時はほとんどの人たちがヨレヨレの人民服を着ていて、お土産にはボールペン1本でも喜ばれた時代であった。その後カード型電卓などを持って行ったりしたが、最近ではそれらの品物はほとんどメイドイン・チャイナで埋め尽くされている感がある。極東ロシアとの技術交流の時も、ロシアが最も困窮した時期で店には品物がなく、食料品を買うにも長い行列ができる時代であった。この20年間で中国の都市部ではどっちが豊かな国か分からないくらいに発展し、日本人よりも大金持ちが増えている。あまりにも早すぎる変化はどこかでひずみを生むのではないかと心配になる。今日は15年ほど前に留学中に1年間当社でアルバイトをしていた中国人留学生が中国大使館の1等書記官として日本に赴任中であり、今日は参加予定だったので久しぶりに会えるのを楽しみにしていた。しかし残念ながら仕事の都合で欠席になていた。彼が大使館に在任中に改めて機会をつくるようにしたい。
〈県国際交流協会の理事長やモンゴル国名誉領事も務める中山理事長のあいさつで始まる〉v
〈大矢理事が自ら作詞した対外協節を最後に披露して閉幕〉
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