お寺さんぽ Ver.03

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圓光寺 (京都・瑞巌山)

2006年05月28日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都洛北瑞巌山は「圓光寺」です。

さて、いきなり見かけない漢字が出てきました。
当然一発変換できません。
嫌ですねー。
えっと、これで「えんこうじ」と読んで下さい。


さて、ここはひでるさんの敵「徳川家康」によって建立されました。
(注:このブログでは何度か書いていますが、ひでるさんは家康が大嫌いです)
慶長六年(1601)
…というから、「関ヶ原合戦」の次の年です。
戦に勝ってうかれ気分な時期ですよ、きっと。

中世の高等教育機関「足利学校(※)」の第九代学頭「三要元佶(さんようげんきつ)」禅師は家康の要請で伏見へ赴き、圓光寺を建立して学校としました。

なんで学校??
国内教学の発展を図るため、とパンフにはありましたが…。
ちなみに、教学ってーのはここで「宗教」と「学問」を指すようです。
果たして家康にどんな思惑があるんでしょう?なにか胡散臭いです。
まぁ、いいか。
次ねー。

圓光寺学校(略して圓学ですかね?)は僧・俗問わず入学を許し、また「孔子家語(こうしけご)」「貞観政要(じょうがんせいよう)」などなど、多くの出版活動もしたようです。
これら書籍は伏見版、または圓光寺版と呼ばれているそうです。
そんな訳でこのお寺には重文指定された、現存する活字では日本最古(らしい)の木活字が残っています。
文字好きな方(いねーよ)はぜひ行ってみて下さい。
↑ちなみに、なんだかタイプライター分解したみたいなんです。

さて、ここで騙されてはいけない点が一つ。
”僧・俗問わず入学を許し”
なーんてパンフにはさらっと、いいように書いていますが、当然有料だったと思います。そりゃ、一般人はお呼びでない筈ですわ。
金持ち相手の施設ですよ、きっと。いやあねぇ。
(※ひでる説・ちょっとした冗談なので本気にしないで下さいね)

その後色々あって相国寺へ移り、更に寛文七年(1667)というから…開山して六十六年後には、またなんだかの理由で移転。
そこでようやく現在の位置(下住所参照)に来たという訳です。

明治以降は臨済宗の尼寺であったという、この圓光寺。
堂内にはぽつんと東照宮があったり、以前紹介した「水琴窟」もありますよ!


(※)足利学校
下野国…は今の栃木県ですね。
儒学や易学、兵学、医学などを教える高等教育機関だったようです。
ちなみに、学頭は現在の学長に相当する…と思うけど違うかな?
「あっしか・が、学校へ♪」

 ちなみに写真は東照宮。日光のでかーいのとは大違いですね。

[住所] 圓光寺 京都市左京区一乗寺小谷町13

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