故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

60過ぎ、再婚の是非

2015-02-03 02:11:03 | よもやま話

夜中に起きだすのに、小一時間を要しました。寒いのです。

毛糸の帽子に、カシミヤのマフラーも付けてもう大丈夫です。
ご飯をしかけて、コーヒーを淹れる間に、今日の話題を考えます。

60歳を過ぎて、掛けていた保険を一つにしました。
かみさんが亡くなった時の保障の少なさにがっかりしました。
残したのは、葬式代が出るようにと入院保障付きの掛け捨てにしました。

私は、60歳で再婚しました。
妻は、保険に入ってとは言いませんでした。
妻と同窓会で再会したのち、
約一年間、広島に月に一回のペースで会いに行きました。
メール、電話や書簡では、コミュニケーションが十分にとれませんでした。
行間が埋まらないとでも言いましょうか、
ト書きのような雰囲気がつかめませんでした。
コミュニケーションを取るには、相手の表情が一番大切だと気づきました。

60歳を越えると、付き合いが狭くなります。
親とかの役目も終わり、会社でも責任ある仕事から外れます。
積極的に出るようにしないと、一日中話さない日も出来てしまいます。
テレビで情報を取ると言っても、洪水のように一方的な流れです。

さて、問題は「60歳過ぎて、再婚の是非」です。
60年間の流れるような時間は、あっという間ですが、
個人の習慣を考えると、とても大きいのです。
人には、生きていくうえで譲れないものがあります。
お互いに大事にしているものがあります。
これを捨てても踏み切る勇気があるかです。

若い時より、人生経験も情報も十分です。
よもや見誤ることもあるまいと過信していました。
どんな素晴らしい人にも、欠点があります。
素晴らしいということも、窮屈さから言うと欠点になります。

学生の頃、一年間退学も視野に入れて休学したことがありました。
一人で住むアパートで、孤独を癒すために、
自らの声を吹き込んだテープを流し乍ら、独りで喋っていました。
残念ながら、人は孤独では生きられないように思いました。
かみさんを亡くした時、時間がとても長く感じました。
かみさんが仲介した家族間のコミュニケーションは、
子供達との間で不自由になりました。
お父さんにどう話したら良いのか困ったと末娘に言われました。

アルツハイマーは何かの分泌量が少なくなり次第に病気になっていくとか。
家族と暮らせるなら、一人でも良いと考えます。
親と一緒であれば、順番から言って先に亡くなるでしょう。
子供達は、今は一緒でもやがて他人と家族を持つでしょう。
自分にとって、コミュニケーションを持つことが重要なのです。

もし、あなたが悩んでいるなら、再婚を勧めます。
しかし、努力は欠かせません。
どんなに好きであっても、判じ物のような保証はありません。
家事一般、何でも楽しんでやることです。
できたら外界とパイプを持つことです。

きままな一人生活が良いですか。
それも憧れです。
てんで頼りにならなかった男性機能が、
再婚を機に復活するとしたらどうしますか。
これは用済みですから、どちらでも良いのでした。

私達の再婚について、どちらの家族とも反対でした。
理由は、立場の問題でした。
財産の相続だけではありませんでした。
新しく、家族関係を持つことが嫌だったのです。
断固反対の空気も、時間とともに薄れていきます。
お父さんが幸せそうにやっているならいいか。てなもんです。

やはり、どちらとも言えないのでしょうか。
誰かと一緒に暮らすのはエネルギーが必要です。
はたと困りました。再婚の是非は、永遠に謎なのです。
良く考えると、決まり手はありません。
その人の好みです。

私は、再婚を選びました。
今も幸せですし、これからも努力すれば続くと考えます。
長年連れ添った空気のような存在ではありません。
暮らしは静かですが、ごつごつとした面はあります。

先輩の趣味はと聞いたとき、
「奥さんに興味がある。」と答えられました。
素晴らしい言葉です。ぬけぬけと良く言うわいとも思いました。

2015年2月3日
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