夜中に起きだすのに、小一時間を要しました。寒いのです。
毛糸の帽子に、カシミヤのマフラーも付けてもう大丈夫です。
ご飯をしかけて、コーヒーを淹れる間に、今日の話題を考えます。
60歳を過ぎて、掛けていた保険を一つにしました。
かみさんが亡くなった時の保障の少なさにがっかりしました。
残したのは、葬式代が出るようにと入院保障付きの掛け捨てにしました。
私は、60歳で再婚しました。
妻は、保険に入ってとは言いませんでした。
妻と同窓会で再会したのち、
約一年間、広島に月に一回のペースで会いに行きました。
メール、電話や書簡では、コミュニケーションが十分にとれませんでした。
行間が埋まらないとでも言いましょうか、
ト書きのような雰囲気がつかめませんでした。
コミュニケーションを取るには、相手の表情が一番大切だと気づきました。
60歳を越えると、付き合いが狭くなります。
親とかの役目も終わり、会社でも責任ある仕事から外れます。
積極的に出るようにしないと、一日中話さない日も出来てしまいます。
テレビで情報を取ると言っても、洪水のように一方的な流れです。
さて、問題は「60歳過ぎて、再婚の是非」です。
60年間の流れるような時間は、あっという間ですが、
個人の習慣を考えると、とても大きいのです。
人には、生きていくうえで譲れないものがあります。
お互いに大事にしているものがあります。
これを捨てても踏み切る勇気があるかです。
若い時より、人生経験も情報も十分です。
よもや見誤ることもあるまいと過信していました。
どんな素晴らしい人にも、欠点があります。
素晴らしいということも、窮屈さから言うと欠点になります。
学生の頃、一年間退学も視野に入れて休学したことがありました。
一人で住むアパートで、孤独を癒すために、
自らの声を吹き込んだテープを流し乍ら、独りで喋っていました。
残念ながら、人は孤独では生きられないように思いました。
かみさんを亡くした時、時間がとても長く感じました。
かみさんが仲介した家族間のコミュニケーションは、
子供達との間で不自由になりました。
お父さんにどう話したら良いのか困ったと末娘に言われました。
アルツハイマーは何かの分泌量が少なくなり次第に病気になっていくとか。
家族と暮らせるなら、一人でも良いと考えます。
親と一緒であれば、順番から言って先に亡くなるでしょう。
子供達は、今は一緒でもやがて他人と家族を持つでしょう。
自分にとって、コミュニケーションを持つことが重要なのです。
もし、あなたが悩んでいるなら、再婚を勧めます。
しかし、努力は欠かせません。
どんなに好きであっても、判じ物のような保証はありません。
家事一般、何でも楽しんでやることです。
できたら外界とパイプを持つことです。
きままな一人生活が良いですか。
それも憧れです。
てんで頼りにならなかった男性機能が、
再婚を機に復活するとしたらどうしますか。
これは用済みですから、どちらでも良いのでした。
私達の再婚について、どちらの家族とも反対でした。
理由は、立場の問題でした。
財産の相続だけではありませんでした。
新しく、家族関係を持つことが嫌だったのです。
断固反対の空気も、時間とともに薄れていきます。
お父さんが幸せそうにやっているならいいか。てなもんです。
やはり、どちらとも言えないのでしょうか。
誰かと一緒に暮らすのはエネルギーが必要です。
はたと困りました。再婚の是非は、永遠に謎なのです。
良く考えると、決まり手はありません。
その人の好みです。
私は、再婚を選びました。
今も幸せですし、これからも努力すれば続くと考えます。
長年連れ添った空気のような存在ではありません。
暮らしは静かですが、ごつごつとした面はあります。
先輩の趣味はと聞いたとき、
「奥さんに興味がある。」と答えられました。
素晴らしい言葉です。ぬけぬけと良く言うわいとも思いました。
2015年2月3日
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