故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

Nさんのこと

2015-01-14 07:10:15 | 思い出話
 背中に彼女をしょって

新横浜プリンスホテルに、成田から到着した外人のエキスパートを迎えに行きました。

探している者もどうやら私一人、人待ち顔の男も独り。
彼は、貴方の探している人は、私ですよと笑顔でサインを送りました。

私は、その人に声をかけにくかったのです。
半そでシャツの二の腕から、くりからもんもんが見えたのです。
こいつじゃないよな。笑った舌にはピアスが通してありました。

N(親しみを込めてこう呼びます)は,酒を飲みませんでした。
腕の良い日本人の同僚とそりが合いませんでした。
私も、ビールの担当になったばかりで様子が解りませんでした。
ミッションは、ビール用麦芽の粉砕機をスタートアップすることでした。

日本人の同僚は、1年後に、16年間勤めた会社を去りました。
Nは最愛の奥さんと別れたばかりでした。三者三様の事情を抱えていたのでした。
後から分かったことでした。

だらだら進むスタートアップの合間に、他のビール工場の機械を点検に行きました。
実に手際よく、点検していきました。
ありゃりゃ、殻と粉に分ける粉砕麦芽のシーブボックスにクラックが見つかりました。
近い将来、運転不能になる重故障でした。

さっそく、会議が持たれました。昼食返上で工場長も出てこられました。
「お前たちは、この事実を知っていて来たんだろう。こりゃ、リコールだ。」と
風向きはアゲインストでした。
「試しに聞くが、これまでこんなことは同じ機種であったのか。」の質問に、
しばし黙考し、
「20年間、この会社に入って世界中で機械を立ち上げて来たが、このようなことは2例目です。」と
彼は答えました。おきの毒ですというジェスチャーも交えていました。
出来た外人は、「今まであったことがない。」と決して言わないのです。
あろうが、なかろうが2回目だと答えます。
相手をリスペクトしている結果そうなるのです。
結局、この会社のエンジニアリング部長と交渉すること1年。
わが社に非が無いことを解っていただきました。

その日、二人で酒場に出かけていきました。
Nは躊躇なく、美味しそうにビールを飲み始めました。
背中の彼女も見せてくれました。別れた事情も。
荒れたそうです。年間、10ケ月の海外出張です。孤閨を守るのも大変です。

くすんだ色合いのそれは、正直今一つでした。
店の親父が、「なんじゃそれは、大したことはないのう。」と
「日本のが、よっぽど良かばい。」
こちらも、板子一枚、落ちれば地獄の海を生きて来た、今は気の優しい譲二さん。
その年、二度目の来日の時、Nは残っていた二の腕に日本のカラフルなもんもんを入れました。

「今日も、しょんべんをかけておいた。」と私に報告しました。
日本人の同僚と古い機械の点検に行ってきたのでした。
私の営業成績が上がるよう、彼は努力してくれるのでした。
続きは、今度にします。

今日も頑張って、働いてきます。

2015年1月14日
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