絵のタイトルは、「春うらら」です。
一時期、水や夕暮れに凝っていました。
どうしても、移り行く波を描きたくて挑戦しました。
ブログを書くのが、飛び飛びとなっている。
それでも、読者の方が読んでくださっている。
すべての記事は、私全部であり、その時々の想いです。
今しか書けないと毎日綴っています。
今日のタイトルは、「復興高速道路」です。
九州の東海岸、山陰、そして東北の東海岸で高速道路が造られています。
東北の東海岸の被災地を縦貫する高速道路は、90%が完成された。
大津波で被災された方々や、福島第一原発の放射能事故で住めなくなった方々の帰還を期待している。
復興高速道路の周辺地域では、人口減少が著しい。
それなのに、住めなくなった土地の地価が上がっている。
高速道路に経済的価値を認めた方々の投資熱によるものである。
現在、この地域に住んでいる人たちの多くが、日本全国から仕事に来ている人たちである。
税金を使い、帰宅困難者の不安を解消し帰りやすいように、地面を17m嵩上げした。
皮肉にも、元の住民ではなく新規参入者(仕事をする人、全国展開の企業)が多く入ってきている。
茨城県鹿島から群馬県前橋迄、栃木県を横切る国道を通るより、
いったん東京方面に南下し北上する方が時間がかからなかった。
東北道と常磐道をつなぐ高速道路が整備されてきた。
東京の交通渋滞緩和のためであり、地方経済活性化のためでもある。
新しい道ができるたびに、発展する場所と寂れる場所がでてくる。
人の流れと流通網が変わるからである。
永い歴史の中で、時間をかけて淘汰と収れんが繰り返される。
環状線として、国道7号でもない8号でもないと16号線(首都圏環状線)が造られた。
さらに外環道、圏央道と東京を取り巻く環状線が造られた。
16号線沿いには郊外型の大型店が並ぶ。今や畳む店も多い。
東京は、ドーナツ化からセンター化(千代田区、港区、品川区)に移行し、
かつての山の手(杉並区)や、川崎、横浜さえ、寂れているのである。
ましてやさらなる郊外は、電車の間引き運転となっている。
効率を重視したサプライチェーンが、全国の流通網の高速化に拍車をかけている。
自己完結型の都市構想は、今や江戸時代の藩制までさかのぼる。
時代の変化に対応し生き延びる。隣近所のよしみも崩壊しながら新しい血を吸収する。
コロナで人々の往来が少なくなり、経済的に打撃を受けている。
もろいけれども、私達は多くを学びながら対処する。
余談ながら、新潟の高速道路らしきものは無料である。
角栄さんの時代、アメリカに行って高速道路を学んだらしい。
地方にある多くのスーパーサブ的なバイパスも無料である。
そのうち、高速道路も料金所をやめ無料になるだろう。
駅の改札も廃止すればよい。だって、無人駅もあるではないか。
高速道路は防音壁とトンネルだらけで、景色も見えない。
中国は、インフラ整備(アナログ通信)ができないほど国土が大きすぎる。
デジタル化(無線を利用したインターネット通信)が進む大きな要因である。
目論見をはるかに超える、技術の変化が起きている。
知恵が追い付かない。
不便だからよい。
不自由こそ自由だ。
なかなか言えないご時世である。
分業が進み、かえって非効率になっていると誰か言って欲しい。
コピー機メーカーが、安い労働力の中国から日本へ生産拠点(組み立て)をもどした。
ベルトコンベア方式の生産より、個人が最期まで組み立てるほうが優れていたからである。
デルが、重要な部品を自社生産し、ニーズに併せた組み立てだけをOEMにした。
あとのクレーム対処に金をかけるより、信頼を勝ち取る道を選んだのである。
老人ホームだって、バリアフリーをやめて家庭で暮らすのと同じように障害物を作っている。
何が老人にとって真の助けになるか、皆で考えている。
かつて、この地に来て「何にもないのがよい」と思った。
行政の目論見で造った、また金儲けがしたい人たちの箱モノや残骸が見当たらなかった。
地道に働いて、家族が寄り添って生きている。
行政に変な力が無くてよかった。
ほったらかしてくれてよかった。
期待もされなくてよかった。
今も、「何にもないのがよい」と言える。
都会では見えなかったよいものを、いっぱい見たからだろうか。
この稿、長くなりました。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
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私の独断と偏見で綴っています。
無知の知は 謙虚な人の 言葉なり
2020年3月20日
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先輩が訪ねてくれて、地域の友人とゴルフです。
一向に上がらぬ腕前です。
よかったり、悪かったりを楽しんでいます。
私なりのインバウンド(地域活性化のため、地域外の方々と地域内の交流)です。