故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

昔からこうだった

2017-05-26 04:50:39 | プロジェクトエンジニアー

青梅街道を西に向かって走っていました。
雷雲が、夕日にかぶりました。
なんでもない風景です。
でもきれいでした。



今日のタイトルは、「昔からこうだった」です。
私の好きな言葉の一つです。

プロジェクトエンジニアーをやっている頃、
同じプロジェクト(新工場や改造工事)はなく、毎回違う食品工場を作ってきました。
ある時は、建築工事から中の機械工事まで全てを請け負いました。

特に改造工事は、気を使いました。
これまでの機能を殺さず、新技術を取り入れました。
能力は、後ろの行程になるほど少しずつ高いように設計しました。
再稼働した時の感じが、「昔からこうだった」と違和感がないことが大事なことでした。

改造工事は、「部分最適」になりがちでした。
それは、プロジェクトの精神から外れるものでした。
改造工事後も、常にバランスのとれた「全体最適」でなくてはならない。
改造工事が部分最適になった場合、改造したプロセスの前後は、
仕掛品の在庫ばかりが増えてしまいます。
そのためのストックヤードが必要になり、
全ての動線(人、物)を分断することになります。

地域おこしも同様です。
箱モノの何かを創ると、そこだけに注目が集まり、
ドーナツ化現象とシャッター街を新たに作ることになります。
道の駅などが良い例です。スーパーマーケットもそうです。
これまで、B級品も一様に売れていたのが売れなくなります。
流通サイドの理由がまかり通ることになるからです。
納期短縮で納入業者のトラックが列をなし、
消費期限の延長で、保存料が使用され物本来の味が殺されて行きます。
シャッター街の看板が、放置されたままさらに憂鬱さを助長します。
これは、地域おこしにおける「部分最適」の一つの例です。
静かな改良は、地域においては「再生」と言って、
立て直しやリニューアルで、バランスが崩れない「全体最適」でした。

空き家が増えるのは、建売業者とてっとり早く結果を出したい行政が作り出すものです。
新興団地が、街にとけ込めるためには時間がかかります。
建て替えではないため、空き家が増えることになり、放置されて行くことになります。
これも「部分最適」の例です。

地域おこしで必要な考え方が、「昔からこうだった」です。
部分最適の地域おこしでは、「昔はこうだった」となります。
「昔からこうだった」は、全体最適に近い考えで、
緩やかな改善の積み重ねとなります。
人口の増減によって、コンパクトシティー構想が現実化するものです。
地域の成り立ちは、地域内でサービスと資金が流動していたからです。
大手業者が、サービスを引き受けることで、
地域に分散していたサービス網が寸断されます。
資金の一方的な流れで、地域は疲弊していきます。

これに対抗する考え方として、ニッチに特化するサービスです。
小さな便利屋が地域のために存在する。
地域の仕事を優先する。
強い部分を売りにし、弱い部分は仲間内で回すようなサービスです。
大工の棟梁がそうでした。
今は大手ゼネコンに時間売りをするようになりました。

手間暇かけてが実情です。
安直に一発で解決する手段などないのです。
イベントもお祭り騒ぎとなり、いつしか飽きられていきます。
六次産業化の本髄を見極めなければなりません。
加工する業者、販売する業者だけが有利になりやすいからです。
強いものを作る人にも恩恵がある六次産業化が求められます。
強い物とは、その地域での特産品です。
長い時間かけて作りだした先人の知恵の結集です。
B級品の責任だけを取らされることになります。

「昔からこうだった」は、次回さらに考えを進めることにします。

2017年5月26日

草が消え 通りにぎわい 笑顔増え
コメント
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