故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

墓地の小堂です。
タイトルは、「やることがいっぱい」
また、帰されちゃいました。
日々の生活に変化がない。
良いことを(例えば、草取りやゴミ拾い)をしても、誰もほめてくれない。
悪いことを(パワハラ、モラハラ、戦争)をしても、誰もとがめてくれない。
誰かの反応を求めてやまない。
気分を変えるために、髪を切りました。冒険は出来ないので、3cmだけ短くしました。
夫も職場の誰も気づいてくれません。
用務員のお爺さんが「きれいになったね」と言ってくれました。
それじゃあ、つまんない。
今日のタイトルは、「変化はつくるもの」です。
ルーチンワーク(炊事、洗濯、掃除、お使い)や畑仕事をしても、さしたる変化は発見できません。
考えてみてください。もしやらなかったら、どうなりますか。
ご飯は食べられない。どこか(コンビニ、朝喫茶でモーニングサービス)でお金を払って求める。
洗濯物は、山となる。週末は、洗濯機を三回まわし、一日の半分が終わる。
ゴミ箱から溢れて、こぼれています。そのまま誰もしてくれません。ゴミ箱をもう一つ買ってくる。
畑は草だらけになります。何かを植えようにも草刈から始めるのが億劫になる。耕作放棄地の仲間入り。
日々の生活こそ、変化を作っています。
こうして、毎日のようにブログを書く。読者数に変化はありません。
書かなかった場合を考える。キーワード(タイトル)は、眠ったままで昇華(消化とも)できません。
友人と飲み会をする。妻と話をする。地域の若者の会議に参加する。
普段考え、書き留めたことが、頭の整理箱から出てきます。
あっちに振ったり、こっちに戻ったり、視点を変化させて話を進めます。
私がしゃべりだしたら、止まらない。整理箱からばね仕掛けのように溢れ出してくる。
「じゃあ、帰ろうか」
飲み会終了の合図となります。ええっ、帰っちゃうの。
変化を求めて移住しました。
残念ながら、誰も私に期待してくれません。
よそ者は旅のもの。この地じゃ、毒にも薬にもならない。
会社で、家庭で重きをおいてくれたのに、なーんも起こりません。
変化は、誰かがお膳立てをしてくれるもの。これに慣れちゃった。
気づきました。「変化はつくるもの」でした。
私の中では、コペルニクス的大発見だったのですが、誰も感動はしてくれません。
大いに結構。「何をやってもよいんだ」と気づくまで一年かかりました。
悩むことはありません。
変化(行動)を起こすのです。
嫌なことは嫌。
自ら、発信することです。
恋の扉は、閉じることはできません。
自ら閉じる迄、「こうだったら、よいな」と悩みましょう。
りんごちゃん 誰かがかじる 赤ほっぺ
2020年11月13日

我カフェの料理番長です。
タイトルは、「ひたすら喜ぶ顔が見たいから」です。
ああ、今日もサービスし過ぎました。
今日のタイトルは、「分ける」です。
美味しいものを家族で分け合って食べる。
我が家では、末っ子がいつも、「一人何個」と決めていました。
お姉ちゃんたちに、先に越されないように防御線を張った。
職場でいただき物を分ける。
いつも決まって、姉御肌が新人に指示して行われていました。
儀式のように厳(おごそ)かに、平等に配布されました。クッキーの一個まで。
地域おこしの達人が言われていました。「巻き込むではない、分けるのよ」と。
自分が住むマンションの祭りを挙行した。マンションの住民の有志が盛り上げてくれた。
今度は、町全体の祭りを企画した。マンションの有志の内、賛同してくれた方はわずかだった。
新たに、ボランティアを募り、なんとかできた。
ヒマラヤ登山で、ごみが散乱しているのを見て、日本人登山客が嘆いた。
ノーノー、富士山回りがもっとひどいよ。外国人登山客が言った。
彼は、富士山回りのゴミの掘り起こしをしようと提案した。
マンションの祭り、町の祭りを手伝ってくれた人たちに呼びかけたが、誰からも色よい返事はなかった。
考えられることとして、企画者は「巻き込む」では続かないと気づいた。
新たに、「分ける」ことを提唱した。
こんな楽しいこと、一人でやりたいが、皆さんいかがです。
企画に応じて、興味がある人が変遷する。
思いついたことを分ける。横浜の方だった。
住民を巻き込んで、市役所を巻き込んで、都会の人を巻き込んでと続く。
巻き込むは、「やらされ感」が芽生えてくる。ここで、想いはとん挫する。
この景色、この空気、人々の一生懸命をインスタグラムで伝えたい。
皆さんが、やっている。
この景色を作る人は、誰とは知らぬが楽しみにしている人に、「分けたい」と念ずる。
人々が、一生懸命になるのは理由がある。
私が好きなこの村を存続させたい。かなわぬことだけど、一人でも頑張るか。
頑張る人を応援する人が出てくる。
雪の日も届けてくれる郵便やさんであったり、近くに来たから寄ったよと保健婦さん、
昔やんちゃで、いろいろ面倒を起こしたが、村全体で支えていただいた人などである。
さて、分けるもの。
何処の家でも、一番良いものを分けます。B級品は、自分の家で食べます。
何故でしょう。
もらってくれる人に喜んでもらいたいから。これは、世界共通の願いです。
分けるは、清々しい。
無償のものに、一級品を提供する。
ブログを書く人も同様でしょう。俺はこんなに凄いんだと言う人はいない。
こんなの見つけたよ、思いついたよ。私は嬉しかった、哀しかった。
どうですかと謙虚です。
私は、毎日耕作放棄地の篠竹を伐り続けた。
お金をいただきながら(地域おこし協力隊として)、こんな楽しいことを続けていられる。
ずーっと一人でやっていたかった。こんなに、あるんだもの一年や二年では終わらない。
ばれちゃった。なんだか楽しそうだな。俺にも手伝わせろという人が出てきた。
では、手伝わせてやるかとお願いした。
「分ける」構造や仕組みを作るのが、企画者です。
参加する人は、役目をいただき終わったら、「今度は何を手伝いましょう」と自ら名乗り出る。
これが、祭りの基本です。やって当然、やらせていただいて嬉しい。来年もと続きます。
プロジェクトマネージャーは、手柄を独り占めにしない。
だから、人が変わっても仕事が変わっても、「あの人なら」とついてくる。
逆の人がいます。人の手柄を横取りする人のことです。
巻き込んで知らぬ顔をする人のことです。
手柄盗り どろんを決める きつねどん
(ごめんね、きつねさん。あなたも一生懸命でした)
2020年11月6日

昭和記念公園の小川に一羽の野鳩がやってきました。
水を一口飲んで、私に気づきました。
タイトル、「あんた誰、私ね」となりました。
今日のタイトルは、「オアシス」です。
オアシス(oasis)とは、
砂漠中で水がわき、樹木の繁茂している沃地(よくち)。
生物群集が形成され、集落や都市が立地し、隊商の休息などに役立つ。
慰安となる場所。いこいの場。
なぜ、オアシスなのか。
不登校の子供たちにとって、不安なことは「この先、自分はどうなるのだろう」かもしれない。
今の自分は、求めていない自分であると、信じたい。
私は、ちょっぴり長く生きました。
家族のため、会社のため、そして自分のためだけに生きてきました。
借金返済は、まだ続いています。自分が死んだら、共に支払い続けている保険で「ちゃら」になる。
それでも、死ぬつもりは毛頭ありません。
答えがない、正解もない暮らしです。
まだまだ、探し続けています。
オアシスがあったら、どんなにか慰められたでしょう。
本当の気持ちが言えたら、どんなによかったでしょう。
私の子供は、4人います。
長女がやり、次女もやり、長男、三女と続けてくれました。
私は、仕事さえしていればよかった。
かみさんが、それぞれの不登校に向き合ってくれました。
親も段々と不登校に慣れてきました。それでも生きているじゃん。
子供たちは、なんか楽しいことを探そうとしていました。
三女は、目指す高校に入りたいと言ってきました。公立高校です。
私は、毎日課題を作り添削しました。数学は、割り算、分数で行き詰っていました。
どうして、それが苦手なのか分かっていました。引き算から始めました。
案外できる子でした。自信が湧いた頃、自宅授業は終わりました。
不登校が、財産になる。
逆説的な言い方ですが、悩みが深いほど強くなれるし、人に優しくなれます。
無理難題が、人を育てます。
だけど、折れないことです。
喉が乾ききっている時に、水をくれる場所がオアシスです。
ほんの一滴の水が、これからも生きていけるに繋がります。
借金返済に困ることは何もない。貸してる側も借り手の破産は困るのです。
稼げる範囲で、払える範囲で返すことになる。生きてる限り、借金を返す。
もし払い終えれば、それからは儲けの人生です。
私のブログのオアシスは、読者数です。
200人近くのこともあれば、50人の日もあります。
忙しい中、50人もの人が毎日読んでくれている。
書いていていいんだよ。慰めていただいています。
有難う。(樹木希林さんは、難が有るから、「ありがたい」と思われた。)
不登校の皆さん、大人も捨てたもんじゃありませんよ。
すべての人が、大なり小なり悩んできました。
今も悩んでいます。先のことは誰にも分からないからです。
あなたのSOSを受け止めてくれる大人がきっといます。
あなたの「難」は財産です。
今は、死ぬほど辛いでしょう。でも、生き抜くことです。
あなたにしかできないことがあります。きっと、あります。
ピンチがチャンスです。
あなたの周りのちっちゃなオアシスで、一滴を飲むことを勧めます。
そんなオアシス知らない。
そうです。困ったときにあきらめないで探すことです。
それが、チャンス。
コジュケイが 私はだーれ 癒された
2020年11月4日

絵のタイトルは、「博多男のこころいき」です。
祭りに夢中になる旦那衆。留守を預かるおかみさん。
板子一枚地獄海を生き抜く男たちの壮大な祭りです。
櫛田神社に奉納されている山車から想像しました。
今年の蜂谷柿は豊作である。
我が家でも10個ばかりを吊るすことにした。
この時期は湿気が強く、外干しでは間違いなくかびることだろうと、熱湯をくぐらせて室内に干した。
(10月18日時点)
ほとんどの蜂谷柿が色づいた。カフェの大家さんの柿を収穫した。
腕が数段階伸縮して、柿がついている枝を切断し、しかもその枝をホールディングできる器具がある。
妻と二人で、200個近く収穫した。
柿30-40個と野菜(大根、インゲン豆、ピーナッツ(大まさり)ネギ、里芋、鷹の爪)を
都会の友人3人に送った。都会では、柿を吊るす場所に苦労する。このくらいの数が手ごろだろう。
送料を節約するために、総長120cmのダンボール箱(10Kg入り)に梱包した。
(11月3日に追加記述)
今日のタイトルは、「荒唐無稽」です。
荒唐無稽とは、
言説や考えが、とりとめなく根拠のないこと。でたらめ。
(広辞苑より)
毎日のように、ブログをアップしている。
荒唐無稽にならぬよう気を付けてはいるが、独りよがりの記事や考えに陥ることも多い。
普遍的なことは書けぬまでも、少しだけ爪痕を残したいと考えている。
私の爪痕とはなにか。
生きる証とでもいうのだろうか、日々感じることを深くしたいと書き留めている。
明日思い出そうとしても、このような考えに至らないと何度も経験した。
しかし、荒唐無稽では伝わらない。
地域おこしの仕事に、広報活動が含まれることが多い。
それが、地方創成につながると考えられている。
こんな素晴らしい景色がある。一生懸命生きている人がいる。
これだけでは、読者に判断をゆだねることになる。
どうして花を植え熊を駆除するのか、根拠が分からない。
生活のなかで、私はこうしたい、こうだったら良いな。
その具現化の努力も伝えなくてはならない。
なにしろ、書き手の力量が試される。
アナウンサーであれば、いつもより口を大きく開けてゆっくりと話す。
作詞家であれば、詩の情景を物語に変える。
受け手が、詩から自分の中にある情景に想いを馳せる。
(ここまで、10月18日に下書きとして残っていた。最後まで書くことにする。)
常々、リスクを伴わない活動は、迫力に欠けると考えている。
読み手の生活に影響を与える記事を書きたい。
里の生活が、のどかで美しく報道される。
緑を保ち、自然に寄り添うような生活を、読者に伝わるよう表現するのは容易ではない。
私のリスクの取り方は、里の村人と同じように暮らすことに始まる。
筍が猪に掘られ、収穫時には何も残っていない。人々は、電気柵の中で野菜を作る。
いつしか、筍が電気柵の中ににょきにょきと生えてくる。筍が収穫できた。
喜ばしいが、今度は竹害が心配だ。
竹の地下茎(地下30cmを這っている)を退治しようと掘り続けた。
掘った総長が60mでは、笑えない。
梅が収穫できるのは喜ばしいこと。桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿。
梅だけでなく、果物の枝は天に向かって伸びていく。
手が届く範囲に枝を管理するのは容易ではない。
脚立の上り下りができなくなったら、果樹農家を引退しなければならない。
それが、大変なのである。
収穫シーンを伝えるだけでは、片手不足と考える。
他人の苦労を実感する。なんでも苦労があるから、仕事を達成した時の喜びが生まれる。
すべての人が、なんでこんな苦労をするのか毎日自問自答する。
今年も、実りを迎えられ、皆で祝おうかと祭りが神事になる。
感動を写真で伝えたい。
一枚の写真を撮るために、奥山に入り、一瞬を逃さぬために何時間もかかり何百枚も撮った。
それが、伝わる写真に感動する。コメントが少し添付されてれば、尚伝わりやすい。
私は、感動を切り取りたいと絵手紙にする。感動に2時間の葛藤を付け加える。
似ている似ていないでは済まさない。この人の良さを表現したい。
若くなくても美人です。生きてきてよかった。こんな想いを切り取りたい。
荒唐無稽の言葉が続く。ラジオのパーソナリティーも色々です。
有名人を起用するのも、皆が知ってるこの人はどう表現するのと、素人より一枚上から始まる。
短い言葉で、食レポや情景描写をする。
常日頃、優れた日本語を読み、暮らしの中で話す練習を積み重ねている。
聞いていて心地よい。沁みるように、言葉が落ちていく。
自分の言葉に責任を持つ。
私は、呆けぬよう練習を続けている。
奥山で 姿見えぬが ほーほけきょ
2020年11月3日

御年、80オーバーの豪傑ばあさんです。
タイトルは、「ますます元気」です。
似顔絵を渡したら、しわが多いと叱られました。
二三本は削って、サービスしたのにな。
やっと、日常を取り戻しました。
会津から「お好み焼き」の師匠(40歳)が来た。ゴルフをやる為です。
地域の友人と妻と一緒に1.5ラウンドした。そのあと、反省会と言って飲んだ。
客人を迎えるわけですから、破れた障子を張り替え、寝具を干して、
土産にしていただこうと野菜を取り入れた。
昨日は、木枯らしの前兆の風が吹いた。気にかかっていたおばあちゃんの草だらけの畑を鋤いた。
毎日、スケジュールをこさえ、追っかける。
今日のタイトルは、「今、何やってるの」です。
常々思います。人々は、過去の栄光について語りがります。
こんなことをした。かつては、スタイルが良くて「なんとか小町」だったと話される。
一枚ずつ、良いことをしたと綴ります。一分ごとのきざみのような羅列です。
私にとっては、「そうですか」で終わりです。
じゃ、「今、何やってるの」と聞き返したい。
毎日が、博打と酒に浸っています。恋に破れ、リストカットを繰り返しています。
そんなに大げさなものでなくても、日々駄々洩れの贅沢三昧と怠惰な暮らしです。
体重が増え、膝関節がきしむ。通販でコラーゲンを買い摂取するも、一向に改善しない。
世間や薬のせいにする。あんたが悪い、私やちっとも悪くない。
そうですか。
歳を重ねるごとに、「若かった頃」が懐かしい。
それは、誰も浸りたい。ところが、経験者であっても毎日が初舞台の現実が待っている。
こんなはずじゃなかった。政府が言うように、2000万円用意した。
これで、老後は安泰と思っていた。
ところがどっこい、お金は湯水のごとく流れていく。
借金こそないが、貯金が半分になった。
増やそうと思うなよ。助けようと思うなよ。経験値が語りかける。
孫の声に泣きすがれて、甘い話に耳を傾ける。気づいてみれば、無一文。
過去の栄光は、誰も信じてくれないし、厳しい現実ばかりがのしかかる。
そうですね。
稼ぎなはれ。月4万円でよいから働きましょう。
主婦業は、月給にして17万円と聞いた。
四国のばあちゃんは、葉っぱを集めて農協に出す。
100万円は軽く稼がれる。月収か年収か知りません。
どこのばあちゃんも、Faxを入れ、機械の前で待っている。
情報入手と同時に、担当者に電話を入れる。
常日頃、どこの山にその葉っぱがあるか熟知している。
ぱっぱっぱと葉を集め、ちゃっちゃっちゃと昼前に手を叩く。
ここでも、産直で年収300万円の豪傑ばばあがいると聞く。
孫に、「このグローブ7万円」と鼻を膨らませる。
孫は、グローブに油をくれながら、ばあちゃんのいうことは何でも聞く。
ばあちゃんの肌つやの良いこと。
どうですか。
若者で、「過去の栄光、実績」を語るものは相手にしない。
語る暇があったら、リスクをとって働けと言いたい。
リスクは親で、恩恵ばかりを欲しがる。こんな子に育てのは私です。
いいや、待ちなさい。あなたの背中を子供は見ています。
歳を重ねて、あんな背中を我が子に見せられるか不安です。
どうするかは、子どもにまかせましょう。
これで、よいのかな。
今が、大切です。
病気で明日をも分からない命です。
消え入る前にパッと弾ける。
和ろうそくのように生きたい。
川に鮭 朽ちて苔むし 子の餌に
2020年10月30日