楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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象潟(2)ー西施とねぶの花(芭蕉の道を歩く 17)

2012年10月02日 09時44分57秒 | つれづれなるままに考えること
芭蕉が歩いた道をたどって、訪ねる事を始めたボクは、
秋田県にかほ市象潟を訪ねた。

松尾芭蕉が奥の細道で、

本州の日本海側最北端、象潟へ行ったのは良く知られている。

(象潟の芭蕉像)


そこで詠んだ俳句、

「象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花」

も有名であるが、西施とねぶの花については、

いずれも名前は知っていても、
さて、どんな人、どんな花と聞かれると、
説明が出来ない。

「西施(せいし)」について、
絶世の美女と言われるが、世界三大美女の中には入っていない。
入っているのは「楊貴妃、クレオパトラ、小野小町」となっている。

美女というと、その容姿は時代によって左右されるから、
何とも言えないが、
切れ長の目でうりざね顔の柳腰が美女の時代、
おたふくで代表される美女の時代もあったに違いない。
今はAKB48に代表される美女群がちやほやされる時代である。

「楊貴妃」もその時代の肖像では、
でっぷり太ったふくよかな女性というから、
美人の定義も今とは違っている。

さて、その「西施」であるが、
これもその時代の美女であったことには、
間違い無さそうである。

「呉越同舟」で表現される、
「呉」と「越」の国が争っている時代の事である。
(大まかなあらすじを以下にのべる。詳しくは「中国五千年の歴史」を参照)

 (西施像)

                   

越王 勾践が、呉王 夫差に、復讐のための策謀として献上した美女、
西施と言う名の美女がいた。
貧しい薪売りの娘として産まれた西施は、
谷川で洗濯をしている姿を見出されたといわれている。
呉の国に送り込まれた西施に、呉の国王夫差は夢中になり、
呉の国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。
中国では美女の事を「傾城(けいせい)」ともよぶ。
(傾城=美女にかまけて国の運営をないがしろにし、城を傾けるから。)
西施は胸の病があったらしく、
彼女が胸元を押さえ、眉間にしわを寄せ悩む姿にはなんともなまめかしく、
か弱い女性の美しさがにじみ出ていたという。

西施にも弱点があったとされる。
それは大根足であったとされ、
常にすその長い衣が欠かせなかったといわれている。
しかし、この当時は大根足が美女の条件であったかもしれない。

西施を知らなければ、芭蕉の句を理解できない。

「象潟や 雨に西施が ねぶの花」

「奥の細道」の原文に、芭蕉は、

「面影松島にかよひて、又異なり。
松島は笑うが如く、象潟はうらむがごとし」


と言っているが、
美女西施の悩める姿と合歓の花を混ぜ合わせて、
雨にけむる象潟を表現したかったものと思われる。

岩波文庫「おくのほそ道」の注記によれば、
芭蕉のこの俳句の意を次のように解説している。

(雨にけぶる象潟は、
 悩める美女西施を思わせる、
 合歓の花の風情と通い合い、
 美しくもさびしさを深めている。)

そして次が「ねぶの花」である。
「ねぶの花」は「合歓の花」のことであるが、
合歓の木は、夕方から夜の間は葉が閉じることから、
ねむる木と言われ、それが「ねむの木」と呼ぶ事になったという。

この木を実際には見たこともなく、
象潟の西施像の前にあった合歓の木でしか知らない。
まして花はどんな花かボクは知らない。

(ねぶの木)


(つづく)
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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (ytakei4)
2012-10-03 17:21:14
いつの世も男は美人に弱いですね。
西施、想像力をかきたてられますね~
どのような美女だったのでしょうか?
返信する
味わい深い (conparu2)
2012-10-03 22:13:06
解説を読むと、句の奥行きが違いますね。
もやーっとした、雨の象潟から
小野小町でなく
古代中国の美女を結びつけるとは。

合歓の花?
電子辞書で調べて思い出しました。
細い放射状の塊の花で
先端部がピンクでした。
小さい頃、開いたり閉じたりする葉と
遊んだ記憶があります。
返信する
いつの時代でも (abms4144)
2012-10-04 07:55:23
美女のこと「傾城」‥何時の時代でも美女には注意
今でも美女に心を奪われ「傾家」「傾社」知らずとも意外と多いですね。
知られた人出も「名を汚す」絶えず。昔から男の病気?

大根足はよく食べ、よく働くの健康美。健康美を美しくと思いたい。
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ytakei4さん コメント有難うございます。 (hide-san)
2012-10-04 16:14:36
どうも美女は選択をしている姿から発見されるようです。
日本でも西行法師が見とれた女も洗濯していた女性です。
女性の美しい姿を見かけるのは昔から洗濯をしている女性なのでしょうか?
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conparu2さん コメント有難うございます。 (hide-san)
2012-10-04 16:20:45
芭蕉では題材が少し小難しく感じましたでしょうか?
これから奥の細道を訪ねて手歩く予定にしています。
返信する
abms4144さん コメント有難うございます。 (hide-san)
2012-10-04 16:48:19
高校生の頃、漢文の授業で「漢の皇室傾城を重んじ・・・」で始まる白居易の漢詩「長恨歌」を学んで「傾城」を覚えました。

江戸時代には吉原のおいらんの事を言ったようで、
おいらんに入れ込んで、家業おろそかにした歌舞伎などが流行ったようです。
返信する
無事に北の大地から戻ってきました~♪ (鉄ちゃん爺や)
2012-10-04 20:17:07
ここ象潟でしたかな、芭蕉が訪れた時は松島のような風景が
後の地震で隆起して平地になってしまったんでしたよね。

私の方は台風17号に追っかけられるような旅行でしたよ。

網走の海鮮市場で追いつかれました、側のオホーツク海は大荒れでしたね。

でも1日早ければ新千歳空港で足止めをくらったようですし
1日スタートが遅ければ関西空港から飛べなかったような感じですな。

雨の旅行でしたが、それはそれで良かったと考えるべきでしょうな。

紅葉は北海道も2週間ぐらいの遅れで1000mを超える
山間部だけで紅葉が始まってましたよ。

順次ブログに掲載しますので覗きにお越しくださいね。


返信する
鉄ちゃん爺やさん コメント有難うございました。 (hide-san)
2012-10-05 21:02:59
北の大地は楽しかったようですね。
楽しみにしています。
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Unknown (象潟出身者)
2019-08-24 15:50:45
残念、象潟は秋田県ですね、いい所です❗
返信する
象潟出身者さん ご指摘ありがとうございました。 (hide-san)
2019-08-24 20:57:53
ご指摘ありがとうございました。

早速訂正しました。
他にも違いがあればご指摘を!

本当にありがとうございました。
返信する

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