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“男のためのガーデニング”改め

「荒神山神社」と「荒神山古墳」~滋賀県彦根市~

2020-05-17 17:39:39 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県彦根市にある荒神山は、琵琶湖の湖岸近くにある標高284mの独立峰で、少し離れた高台から見ると平野部にぽつんとある山になります。
麓には一級河川・宇曽川が流れ、かつて琵琶湖の内湖だったという曽根沼や野田沼がある風光明媚な地域といえます。

荒神山の山頂には奈良時代の僧・行基に由来を持つ「荒神山神社」が現在も崇敬されています。
荒神山神社は天智天皇の時代から近江国の祓殿として祀られていたといい、聖武天皇の時代に行基によって三宝大荒神(大日・不動・文殊の三体)を祀り、「奥山寺」として開山されたといいます。



奥山寺は天台宗寺院となったため、戦国時代には織田信長の兵によって焼失してしまうも、彦根藩・井伊家の莫大な寄進や建物修築等によって保護されてきたといいます。
しかし明治の時代、神仏分離により奥山寺は廃寺となり、神仏分離後は荒神山神社として主座に「火産霊神」「奥津日子神」「奥津比売神」の火とかまどの三柱を祀り、相殿には祓戸大神(四柱)を祀ります。



神社へは旧参道の石段からも登れるようですが、今回は林道を歩いて参拝したため、石段はわずかに登ったのみ。
まるで山城のような石垣の中に荒神山神社はあり、井伊直弼が彦根に築城の折の候補地のひとつだったともされます。
琵琶湖に近く、内湖があるため湖上水運の利便性と山城の防御のしやすさを考えると、居城としての機能を満たした場所だったのでしょう。



石段の最終地点には一際目を引く御神木「璞(だま)の木」がある。
璞の木はモクレン科の小賀玉の木であり、行基菩薩が伊勢の神宮から苗を授かってこられ植えられたとの伝承が残る。

この御神木は、苔に覆われた幹もさることながら痛みで空洞になった幹から別の木が芽生えている不思議な木となっている。
1本の木に桜やヒノキなど5種類程度の木が宿っている姿は、生命感を感じると共に神々しさを感じてしまう。



荒神山は墓所の多い山に思えたが、本殿のエリアには明るい気が満ちているような印象を受けた。
「拝殿」と「本殿」は、神仏分離後に神社となったことから明治期の建造物であり、「渡殿」でつながっているようです。





拝殿には「三宝大荒神」の扁額があり、遠く奈良時代からのこの山の信仰が感じられる。
建造物には過剰な装飾はなくいたってシンプルな造りとなっており、本殿の脇には「神饌所」、境内には「神楽殿 」と並んでいる。



境内には「神牛」が祀られていて天神さんでもないのに何で祀られているのか不思議に思ったが、“神牛の由来”の説明板を読んで納得。
“農耕を手作業で行っていた頃、牛は農家にとって大変貴重な存在でした。牛に三度々々の餌(藁)を与えるのに大きな釜で一度煮ていた。そのような関係で牛に「かまど」は付き物であった。”
“それ故に牛は「かまど」の神である荒神さんのお使いになった。”というのが神牛の由来だといいます。



荒神山神社の裏てには苔の綺麗な庭園があり、石灯籠や変わった形の石材が置かれています。
後で分かったのですが、下の写真の一番右にかろうじて写っている石灯籠は秀吉が寄進したと伝わる灯籠で火口に「天正一二年二月吉日」の銘が彫られているといいます。
手前にあった梵字が刻まれた塔に目がいってしまっての見落としでした。



庭園にはキノコのような変わった形の石や祠もあり庭園内を歩いていると、木陰からシロハラが飛び出す姿も見える。
さほど広くはない庭園とはいえ、山の中にあって情緒豊かな庭園だったといえます。



荒神山の山頂付近を散策していると「荒神山古墳」への案内板を見つけた。
荒神山古墳は古墳時代前期末(4世紀末)に築造された「前方後円墳」だといい、全長124mの大きな古墳は滋賀県で第2位の規模だとされます。

荒神山ではこの古墳以外にも10数基の古墳の築造が確認されているらしく、4世紀頃にはこの地に有力な方が被葬されていたのかと考えられているようです。
琵琶湖に面して湖上交通に恵まれたこの被葬者は、ヤマト政権・日本海・東海の要所として重要な古墳として位置付けられているようです。



距離的には古墳に辿り着いていると思いながらも、古墳が見当たらない。
看板があったので見てみると“前の小山が荒神山古墳です。”とある。
石室が見える古墳へ行くことが多いので、墳丘に覆われた古墳をまじかに見ても小山にしか見えなかったのです。



それでも一応、古墳の周囲を一回りして何かないか探してみるが、墓地があったのみで前方後円墳のどの位置にいるのか分からない。
古墳からは埴輪(円筒埴輪・壺形埴輪・形象埴輪)が出土しているといい、墳丘の1段目・2段目・墳頂部に埴輪が多量配列されていたといいます。





古墳の周囲を歩いていた時に見つけたのは“板碑”らしき石仏でした。
頭部は布が掛けられていて見えないが、二条線と思わしきものが彫られている。
滋賀県で板碑は珍しく、荒神山の中腹にある千手寺にも板碑があったことから、この地域には板碑の文化が伝わっていたのかと思います。



これで折り返そうとすると“三角点”への案内板を見つけてしまう。
せっかくなので三角点のある場所まで歩いていくと八角形の東屋があり、その前に三角点があった。
三角点は標高261.5mの位置にあり、点名は「日夏山」というようです。



荒神山からの眺望は素晴らしく、すぐ前に曽根沼を挟んで琵琶湖が見えます。
琵琶湖にポツンと浮かんでいるような島は“多景島”でしょうか。
天気が悪いながらも絶景です。



別の方向を見ると田園地帯と工場や住宅があり、霞んでしまってよく分からないものの、甲良とかの方角になるのだろうか。
田圃に水を張って田植えの準備をする頃になれば鏡のような田園風景が望めることでしょう。



山を下りて琵琶湖方面へと向かう道すがら荒神山を眺める。
荒神山には林道・登山道が幾つかあり、好きなコースを歩くことが出来るが、注意点に“スズメバチ・マムシ・イノシシなどと出くわしたらそっと離れましょう。”と書かれている。
独立峰であってもイノシシが生息しているのは驚く。いずれにしても出会いたくはない連中です。





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