僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

揖斐川・坂内川の滝と渓流~岐阜県揖斐川町~

2021-08-29 14:10:10 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 水を蓄えている湖や流れのある清流や渓流、勢いよく流れ落ちる滝や湧き出る場所などに魅力を感じており、行く先々で水のある場所を探すことが多くなります。
水のある場所は、時には心地よく、時には厳粛な緊張感があり、時には怖く感じて逃げ出したくなるような不気味な場所があったりもします。

暑い日が続く中、涼を求めたい気持ちもあり、迫力のある水流を見たい気持ちもあり、ということで坂内川・揖斐川が流れる岐阜県揖斐町に訪れました。
山越えの国道や県道は、何ヶ所かで片道規制や通行禁止の道があり、岐阜県に入っても時間帯による全面通行禁止区間がある中、奥いび湖の横山ダムにまず到着。



横山ダムは、古来より氾濫を繰り返していた揖斐川の治水対策として建設されたダムで、1964年6月に完成したといいます。
建設にあたっては上流にある徳山ダムと同様、水没する藤橋村の住民の反対運動があったようで、ダム建設には村が消滅してしまう問題が伴うため、反対されるのは当然のことでしょう。



横山ダム湖から揖斐川に沿って「道の駅 星のふる里 ふじはし」まで来ると、まだ道の駅は開店していないにも関わらず、ツーリングの人などが大勢集まって休憩をしておられます。
国道303号線はカーブも多く、山と川の間を縫っていくような道ですのでツーリングはさぞや気持ちのよいことでしょうと思いつつ、国道からそれて林道へ入ってみる。

少し進むと緑に包まれた山肌の奥に黒々とした岩の上を落ちる滝に遭遇。
水量はあまり多くはないものの高さは10mほどあり、ひっそりとしながらも岩の黒さが印象に残る滝です。



この林道だけでなく、揖斐川沿いの一帯は水が豊富な場所ということもあって、湿度が高く感じます。
また、セミの声からは滋賀とは季節の進み方が違うような感じがして、ヒグラシの大合唱や滋賀では訪れた時期にはまだ鳴いていなかったツクツクボウシの声が盛んに聞こえる。
桜のシーズンなどでも岐阜と滋賀の開花時期はかなり違いますので、隣県にありながらもその土地による地域差があるようです。



滝の下部の方には大きな巨岩が落下しそうになりながらも留まっています。
この滝の個性を表すアクセントのような岩かと思います。



地図ではこの辺りに「白糸の滝」が表示されていましたので、周辺を探してみたらそれらしい滝があった。
「白糸の滝」は直瀑の滝で落差40mといいますので、この滝のことかと思います。



上部は人工的な感もありますが、糸のように一筋になって流れ落ちており、「白糸」の名称そのままの姿です。
滝の直下まで行けそうな道が見当たらないので、遠くから眺める。



この辺りには草木に覆われていたり、枯渇してしまっている滝などもありましたが、滝が幾つか点在している一帯です。
林道があったので入口まで行くと、ゴロゴロとした岩の間から流れ出る清流に出会う。



大きくは2筋の流れがあり、途中で合流しているが、水は透明感があって透き通るように美しい。
太陽を遮る樹木が少ないこともあって、木漏れ日に照らされた水流の白さに魅了される。





旧久瀬村界隈は、山に囲まれた谷あいの渓谷の続く場所ですから山から流れ落ちる滝や渓流が多い場所ですが、ここは見渡せる場所が広いこともあり、なかなかの隠れスポットかもしれません。
気ままに移動していると、名もない場所に癒されることがありますね。



こちらは人工のダムですが、ちょうど放流をしている最中で、もの凄い水流でした。
「久瀬ダム」という中部電力管理のダムで、電力会社の広報車が“ダムが放流中ですので水辺に居る人は水位の上昇に注意して下さい。”と放送しながら巡回していた。



轟音が響くようなこの勢いで放流したら、一気に水嵩が増して川遊びしている人はさぞや驚かれるのではないでしょうか。
さほど大きくはないサイズのダムとはいえ、この水量で放流されていると水流に圧倒されてしまいます。



少し高いところから揖斐川を見降ろしてみます。
この辺りの流れは緩やかですが、谷あいを流れる峡谷の美しい場所です。



同じ揖斐川でも流れの激しいところでは渦巻くような凄い流れの場所もあります。
この勢いで流されたら成すすべもないような激流です。



この先に行きたい場所があったのですが、土地勘が全くないのと進めども工事全面通行禁止に何度も出会い、行き着けず帰路につくことになりました。
国道303号線を八草峠に向かって進むと、三国岳を源流とする坂内川の渓流に沿った道となり、美しい渓流が続きます。



坂内川には岩がゴロゴロと転がっていて渓流の魚や小動物の多そうな川です。
渓流釣りの方もちらほらと見かけましたが、何が釣れるのでしょうか?
鮎とかイワナやアマゴ、ヤマメとか?釣りのことは素人ですのでよく分かりませんけど...。




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「不破の滝」は男滝、「養老の滝」は女滝~岐阜県不破郡垂井町~

2021-08-25 17:17:17 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 岐阜県は山岳県と呼ばれるほど山が多く、県内に3000mを越える山が9山もある山の国ということもあり、名瀑と呼ばれる滝が多いと聞きます。
岐阜県の滝では「根尾の滝」「平湯大滝」「養老の滝」「阿弥陀ヶ滝」が「日本の滝百選」に選ばれていますが、西濃の「養老の滝」を除くと、中濃・東濃・飛騨地区に有名な滝は集中しています。

「養老の滝」と垂井町にある「不破の滝」には昔話が伝わっており、“2つの滝を守護するお不動さんの仲が悪く、見かねた偉いお不動様が“不破の滝は滝の幅や水かさでは養老の滝よりまさっていて男らしく力強い”。
“養老の滝は高さや形では不破の滝よりまさっていて女のように美しい”と諭したことから、お互いに相手の良さを認め合って仲良くなり、不破の滝を「男滝」、養老の滝を「女滝」と呼ぶようになったという。



垂井町の市街地から「不破の滝」のある山麓へを目指して進んでいくと、「熊出没注意!」の看板が目に入ってくる。
当方が好んで行く場所ではしょっちゅう熊注意の看板を見かけます。慣れっこだとはいえ、実際に出会ってしまったこともありますので周囲を気に留めながら進む。



大滝川の渓流に沿って細い林道を進むことになるが、何ヶ所かにすれ違えるスペースがあるので難なく進んで行ける。
ただし、こういった林道は慣れてはいるものの、舐めていたら何が起こるか分かりませんので注意しながら進みます。



いよいよ林道の行き止まりに到着すると、駐車場兼Uターン場所に1台の車が停まっており、滝の方から一人降りてくる方がおられましたので一安心。
なぜなら人が歩いていた場所に熊が出てくることはないでしょうし、登山スタイルではない人が歩ける場所だと分かったからです。



滝に向かって登り道を歩いていくと「不破の大滝 不動尊堂」の建物が見えてくる。
滝に不動明王が祀られていることが多く、山岳信仰に密教の結びつきや修験道が混じり合って信仰されてきたことが伺われます。



伊吹山は修験道が盛んに信仰されていた霊山とされており、不破の滝のある山は伊吹山系の岐阜県側になることから考えても、修験道や密教の信仰が盛んだったのでしょう。
祠の中は常々参拝者が訪れておられるようで、中は綺麗に整えられて中央には不動明王像が祀られてありました。



不動尊堂にお参りした後、水音も激しい滝と向かい合います。
不破の滝のある場所は標高約250mの山中にあり、唯一出会った方はすでに帰られましたので一人っきりでの対面です。



岩肌の力強い迫力といい、多い茂った緑の美しさといい、素晴らしい光景ではありますが、滝の主流がこの位置からは見えにくい。
これ以上進んだらいけないのかもしれませんが、滝の主流や滝壺を見てみたい!



沢へ降りる道はすぐに見つかったのでとりあえず降りてみましたが、さてここからどうしましょう。
沢沿いに登っていくのはスリリングを越えて、危険そうなのでここで躊躇します。



沢からふと横を見ると登れそうな石垣があったので、手を使って四つ足状態で登ってみます。
どうやらこれで滝の直下や滝壺まで行くことが出来そうだ。



滝の前には巨岩と苔むした樹木があり、この美しい光景に見惚れてしまう。
辺り一面が水飛沫の冷気に包まれて、森林浴でもマイナスイオン浴でもあるヒーリング空間に身を置く。



不破の滝の落差は約15m、幅が約3mとされ、勢いのある主流と巨岩を伝いながら落ちる分岐滝がある。
この2本が絶妙な雰囲気を醸し出しており、想像以上だったこの滝の良さに感動してしまいました。



滝壺の手前まで来ると障害物がなくなり、滝と直接向かい合うことになる。
滝を見ることが好きなので当方でも行けるような滝を中心に巡っていますが、どの滝もそれぞれの個性と魅力に溢れていて毎回感動します。





滝の落ち口を見てみると、大きな岩を左右に分かれて落ちているのが分かります。
激しく落下する水流をものともせずに巨大な姿を見せている岸壁は力強くも美しい。



巨岩の横を落下する主流も魅力的でしたが、変わった文様をした岩の上を滴るように落ちる分岐滝の不思議な美しさもいいですね。
この岩は、大きな岩の中に別の種類の岩が混じって構成されるように見え、独特の文様は鉱物美と呼べるのではないでしょうか。
庇のように突き出していますので、岩の下部には苔が生えている場所もあります。



滝壺から流れ出る水流れは、渓流となって下流へと流れ出ています。
この水は垂井の田園地帯を潤しているのかと思われます。



見えた範囲ではここが滝からの傾斜を流れ落ちている流れの最終地点かと思われました。
この先、大滝川はゆるやかな清流となって林道の終わりと共に大滝川は見えなくなり、そこで不破の滝とはお別れになります。




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コウノトリ6羽をパチリ!

2021-08-22 14:30:30 | 野鳥
 長く続いた雨で屋外を出歩くことも出来ずという休日が続きましたが、久しぶりに雨の降らない日曜日となりました。
山や川へ行きたかったものの、長雨で水量が増えたり地盤が緩んでいるかもしれませんので、安全な平地の田園地帯を一回りです。

国道から脇道に入ってすぐに見えてきたのはコウノトリ!しかも数が多い。
さっそく確認してみると数は6羽です。6羽が並んで畦道で休憩中といった感じでしょうか。



コウノトリを最初に見たのは2012年の3月で、その頃から滋賀県でコウノトリが観察されることが多くなり、現在では身近に観察される野鳥になってきています。
湖北に飛来し始めた初期の頃には大勢のカメラマンが集まった時代もありましたが、今では田園風景に解け込むかのように姿を見る機会が多くなっています。



湖北ではコウノトリが集団で居る様子も何度か観察されており、当方は最大で8羽が居るのを見た事はあるものの、さらに多くのコウノトリが確認された事があるようです。
大げさに言うと、湖北では田圃を探せばコウノトリが居る。まるで冬の田圃のコハクチョウのようだなぁと感じてしまう始末。



足環のあるコウノトリとないコウノトリがいましたが、コウノトリ・ファンの方々が全て把握されているでしょうから、調べるのは止めておきます。
コウノトリの足環には生まれや性別、両親などの情報が確認できるようになっており、個別の愛称を持っているのもいるようです。



コウノトリは見ている間に畦道の右側と左側に、まず4羽と2羽に分かれました。
車の中から見ている限りは警戒心はあまりなく、通り過ぎる車のエンジン音にも無反応ですので、この地域が安全な場所だと分かっているのでしょう。





畔道の左側には2羽が寄り添うように立っています。
同じ姿にしか見えませんが、それぞれ愛称があって移動先まで網羅されているのは足環のおかげですね。





そうこうしている間に、左側は3羽になる。
集団が少しバラけてきたようです。



畔の右側の3羽はどうなったかというと、田圃に降りて稲穂を嘴で突きだしました。
コウノトリが米を食べるの?と不思議に思って見ていると、どうやら驚いて飛び出した昆虫を捕まえているようでした。
なかなか賢いやつだと感心しましたが、虫たちが生息しているのも農薬漬けの田圃ではない証なのでしょう。



久しぶりの田圃巡回で驚いたのは、稲の生育でした。
もうすっかり黄金に色づいてきており、月が明けたら稲刈りが始まり、稲刈り機の後を追うアマサギの姿を見ることが出来そうです。

それと、セミの種類も変わってきており、今聞こえてくるセミの声の大半はツクツクボウシに変わっています。
ツクツクボウシが鳴くようになると秋の始まり。ツクツクボウシの声が消えると秋の渡り鳥や冬の野鳥がどっと入ってくるかも?


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「金山神社」のヤッサ(千草盆)~甲良町金屋~

2021-08-17 06:12:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県の湖東・甲良町の金屋集落にある「金山神社」では、「ヤッサ(千草盆)」という独特の伝統祭事が行われるといいます。
「ヤッサ」とは金屋集落に生まれる男の子をお祝いするために、藁で作った芯に干草を巻いて野菜や花飾りで化粧したもののことをいい、「野幸(やさち)」や「家幸(やさち)」を意味するなのだといいう。

当屋や親戚・隣人などが総出で作る2体の「ヤッサ」は、大がかりで特異な姿をしており、神社の森の中に1年間吊るされるといいます。
五穀豊穣や疫病退散、子宝祈願や家内安全や繁栄を願うものでもあるようで、「オコナイ」や「野神祭り」や「勧請縄」などの滋賀県の地域独特の祭事の中でも特異なものかと思います。



「金山神社」の創祀年代は不詳とされており、御祭神には「金山彦命」を祀り境内社には大将軍神社の社がある。
農村によくある集落の中の細い道を進んで行くと鳥居があるところまで来ましたので、境内の駐車スペースに車を停めさせていただいて参拝します。



境内の広場には右に「地蔵堂」、左に「金山神社 境内未完成石塔群」を納めた収納庫があり、収納庫の内部には多数の未完成石塔群が保管されています。
案内文には“仏を造って祭ることは尊いことであったが、一般庶民には叶わぬ夢であった。しかし、室町時代になって安く手に入れることができる石で仏像がたくさん造られるようになった。”とある。



1987年に金山神社地蔵堂周辺で発見された小形板碑(石仏)・五輪塔・一石五輪塔など90体余りは、制作の段階で割れなどにより廃棄された未完成のものだったといいます。
多数の廃棄品が一カ所から発見されたことや、石材が近くの犬上川河原から得られたことから、金屋集落に石仏などの工房があったと考えられているそうです。



また、金屋には当時、鍛冶屋があって工具が生産されていたことも推測されるといい、調査によって石の形や質によって粗形取りが変わることや制作の順序・方法などが明らかになっているといいます。
金山神社の御祭神の「金山彦命」は一般的には「鉱物の神」でありますが、製鉄との関わりから「鍛冶の神」とされ信仰されていますから、かつて鍛冶の技術者が暮らしていた集落だったのでは?との想像が出来そうです。



境内を進むと自然石を利用した石灯籠があり、後方には拝殿がある。
狛犬や本殿の玉垣などは近年になって奉納されたものもあり、集落の方が鎮守の神社を大切にお守りされていることが伺われます。



本殿は丸みを帯びた石を積んだ石垣の上に、こじんまりとした造りで祀られています。
本殿の三方は三本筋塀で囲まれており、正面はくぐらないと頭が引っかかってしまう位置に注連縄が張られているので、本殿前まで行くのを躊躇しつつもお参りさせて頂く。



本殿の横には「道祖神 ヤッサの神」が祀られてあり、神の領域と村境の向こう側からくる悪いものを防ぐ道祖神の役割を果たしていると思われます。
本堂と並んで祀られているのは珍しいと思いますが、すぐ横には祭事を行う鎮守の森があるため、神域と森のはざまで結界を張る神でもあるのでしょうか。



その森の樹には奇抜と言ってもいいようなヤッサが2体吊るされており、プリミティブともいえる独特の姿にあっけに取られてしまいます。
実は昨年の同時期にも金山神社に参拝したのですが、その時はコロナ渦で祭事は中止ということでしたので、2年越しでやっとヤッサを見ることが出来ました。



「千草盆」の祭事は8月7日に一番近い土曜日に金山神社に奉納され、森の樹に吊るされるといいます。
藁で作られた芯は1.5mはあり、胴の部分に干草が巻かれ、上部にはスゲ縄。
下部には注連縄が巻かれて、横串のように1本の竹が通されています。



スゲ縄には鬼灯のようにホオズキの実とトラノオが飾り付けられており、胴の部分には色とりどりの季節の花が飾り付けられています。
ヤッサは、集落に産まれた男の子をお祝いする祭事であると共に、お盆に先祖の霊を迎え入れるための目印となっているのでしょう。





訪れた日は台風による強風が吹き荒れる直前の時間帯で、すでに風は強くなっており、ヤッサを吊るしたスギの樹の下には強風にあおられた花がかなり落ちていました。
これからの1年間、雨風や雪にさらされながらも、鎮守の森の奥で静かに集落を見守り続けるのかと思います。



ヤッサの胴体には、当屋(祭事の主宰者)が毎年決められたテーマに従い野菜などで作った飾りを付けるそうですが、神社に奉納されて森に吊るす際には取り外されるようです。
今年の顔だった飾り物が木の下に置かれていましたが、野菜で作られた人形はすでに解体されてはいたものの、本体部に「TOKYO 2020」と彫られているのは読み取れます。



神社の物置のような場所には2本の藁の芯があり、横には1年前に作ったと思われる藁の芯も残されていました。
これは余った藁を残しておかれるのかと思われます。



ヤッサを舟に例えることがあるそうですが、お盆に下界に帰ってきた先祖の霊を再び送り出す時に乗る舟を意味しているのでしょうか。
滋賀県には地域あるいは集落独特の伝統祭事が残っていて、それぞれ独特の祀り方をされています。
ヤッサ(千草盆)は、伝統祭事の中でも極めて特異的な祀り方になると思います。


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「不動之滝」と「金命水」「山の神」~滋賀県湖南市三雲~

2021-08-12 17:00:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 湖南市から甲賀市へ向かう道筋に「行場不動乃滝(三雲大日大聖不動明王)」、通称「不動の滝」という修験者の行場とされる滝があるといいます。
滋賀の湖南地方は修験道が盛んだったとされる地で、巨石が多く見られることから「石の文化」が根付いている地でもあります。

湖南地方には名瀑と呼べる滝が多くあり、深山に分け入らなくてもたどり着ける滝がいくつかあることから、何度も足を運んだ地です。
三雲から甲賀へ抜ける道は地元の人やゴルフ場へ行く人が使うような道ですが、信楽側にあるアセボ峠を車で越えるのが可能になったのは1983年のことだといいます。



道沿いに「不動之滝」の石標が建つ横には車を停められるスペースがあり、車を停めて滝への道を降りていく。
滝への道はよく整備されており、最後はコンクリートの階段を下ればすぐ滝に到着する。



階段の手前には「お滝の道(高野山真言宗 薬王院)」から奉納された石碑があります。
真言宗の滝行が行われていたのかとも推定されますが、やはり修験道と密教の修行には密接なつながりがあるということなのでしょう。



滝への道は間違いようもない道になっていますが、案内板がいくつかあります。
「行場」とはっきり書かれているので、今も滝修行される方がおられるのだと思います。



滝が見えてくるとピリピリとした緊張感が伝わってきます。
巨石に囲まれた奥に二筋の滝が落ち、上部には注連縄、手前には不動明王を祀った祠があります。
手前の道には盛り塩が両脇にあったことから、ここは穢れを祓い清めなければ入れない聖域とされていることが伺われます。



滝は2段2筋になって流れ落ち、落差は5mほどとはいえ水量が多いので迫力があり、何より場の空気感の迫力凄く、爽快感というより緊張感を強く感じます。
滝の前に祀られている不動明王は、密教では最高仏である大日如来の化身とされており、迷いの世界から煩悩を断ち切るよう導いてくれる仏とされる。
不動妙が滝の横に祀られていることは各所で見られ、滝修行される修行者が迷いを断ち切れるようにとの信仰に由来するのでしょう。





滝を角度を変えて見てみましたが、この時期の滝は水量が多いので見応えがあります。
巨岩と間を縫うように流れ落ちる二筋の滝、滝壺とのバランスも見事で、自然が造った美に神を感じる日本人的な感性はいつの時代も変わりがなかったのだと思う。



不動明王の祠の横から滝を眺めると、5mの落差とは思えない高さを感じますが、それは滝を挟んで外壁のように立つ巨岩の迫力によるものなのでしょう。
滝壺の水も落下する水の勢いで盛り上がったような形に見えるのも印象に残る。



正面から見ると上段からの二筋がよく見える。
水飛沫で濡れた岩が光って見えるのも魅かれる光景です。



滝から流れ出る川の向こう側の岩に古くはなさそうですが、摩崖仏があるのを発見。
倶利伽羅剣を持っているので不動明王かと思いますが、頭を丸めているので不動さんらしくはない。
これはどう解釈すればいいのか...。



滝の下流側は緩やかな流れにはなっており、川幅は広くはないが美しく感じる清流です。
この川は市街地で荒川と合流して、最後は野洲川へ流れ込むようです。



さて「不動之滝」から甲賀方面へ向かって進むと、道の横に“不動の泉「金命水」”という「三雲大日大聖不動明王」ゆかりの水場がありました。
湧き水というより沢の水のように見えますが、手前には小さな不動明王像を祀った祠があります。





大量のペットボトルを持ってきて水を入れている人がいたので話を聞かせてもらいました。
ここへは花にあげるための水をよく取りに来られるとのことです。でもこの水は沸かさないと飲めないよ。ともおっしゃっておられました。



水はパイプから勢いよく出てはいましたが、さすがに飲もうとは思えないので手を洗わせて頂くだけとする。
そのまま飲んでも大丈夫な湧き水の場所を教えては頂いたものの、ここからは結構距離があるということでしたので訪れることなく帰路につきます。



道中、「東山 山の神」の石標があったので立ち寄ってみます。
滋賀では山の麓で「山の神」に出会ったり、田園地帯では「野神さん」に会ったりと古代からの信仰が今も残る場所が多い。
柵で仕切られた杉林が山の神の祭場かと思われますが、中には入れない。



柵の横に細い道があったので奥まで行ってみたが、行き止まり。
杉林は下草があまり伸びてはいず整備された感がありますので、やはりここが祭場になるのかもしれません。
見えなかったけど林の裏側から水音が聞こえていましたから、奥には川が流れているようであり、どこからか聞こえてくるヒグラシの声がなんとも心地よい。




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「鳴谷渓谷・鳴谷の石床」と鏡山登山~蒲生郡竜王町~

2021-08-08 13:26:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 竜王町には「東の竜王山・雪野山」と「西の竜王山・鏡山」という「龍王」にまつわるとされる山が2座があるといいます。
西の竜王山とされる鏡山(標高384.6m)の山中には「鳴谷渓谷・鳴谷の石床」という迫力のある峡谷や「鳴谷池」という美しい池があるといい、ハイキングを兼ねて訪れてみました。

三井アウトレット滋賀竜王の駐車場に車が停められるとのことでしたが、なにせ集客量の多いモールですから広すぎてどこに停めれば登山口に近いのか分からない。
登り口もどこにあるのか分からなかったのですが、適当にあたりを付けて場所に車を停めて山方向へ歩いて行くと、運よく登り口はすぐに見つかりました。



登り口まで行くと、何ヶ所も「鏡山ハイキングコース」の看板があり、間違いようのない案内がされています。
コースに入ってもしばらくは歩きやすい道が続き、鳴谷渓谷の清流からの冷気でヒンヤリとして心地よく歩ける。



道の両脇のシダ植物が薄緑色の広がりを見せ、山に蓄えられた水を吸って、夏の強い日差しに照らされて大きく成長しているようです。
シダの隙間から鳴谷渓谷が時々垣間見える場所があるのも心地よい。



「鳴谷渓谷・鳴谷の石床」へは想像していたより早く到着でき、峡谷へ降りられる場所を探して岩場へと降りてみる。
岩の上は水飛沫で濡れてヌルヌルしていて足が滑りやすかったものの、峡谷が眺められる場所を探して岩の上を移動する。



石床は上部から何段かの石床を下りながら落ち着いた下流へとつながっています。
この場所は竜王町で選ばれた八つの景勝地「竜王八景」の一つとなっており、静かな山の中で水音だけが響いていました。



季節柄、水量の多い時期だったのが幸いして峡谷の迫力が充分に満喫できたのは、ここまで来た甲斐があったというもの。
日中は30℃超えの猛暑日にも関わらず、涼風と水飛沫が気持ちよく暑さは感じない。



ここからさらに登っていくと「鳴谷池」の畔に出る。
鳴谷池は水量が減ってしまう季節があるといいますが、この日は満々とした水を蓄えています。
鏡山の山中にある鏡のような池とでも呼べそうですね。



池に沿って歩いていくと木橋が架かり、そこから登山道へとつながっている。
今回見たかったのは「鳴谷渓谷・鳴谷の石床」と「鳴谷池」でしたが、まだ体は軽く疲労感は全くないので山道を登っていってみる。



ただ、この辺りから先は道は整備されてはいるものの、傾斜や木段が多くなり、鳴谷渓谷の清流からも離れてしまうため涼しい風は吹かず、汗が噴き出してくる。
看板の表示は所々で見かけるものの、距離が書いていないのでどこまで登ってきているのかが分からないのが難点です。



「石の広場」の看板があったので行ってみたが、幾つかの石が転がっているだけで特に見るべきものはないようです。
そのまま進んで元のルートに戻ろうとしたのですが、道は見えているもののシダが盛大に茂っていて横断できず、今歩いて来た道を戻る羽目になる。



「雲冠寺跡」の看板が見えてくると、看板の奥に石垣の跡がありました。
「雲冠’(観)寺」は、718年に弥勒像を本尊として開かれた寺、あるいは598年(600年に聖徳太子によりとの説もある)に創建されたとされます。
その後衰退したものの817年に最澄により再建され、1568年に廃絶したといくつかの説がある寺院です。

寺院跡には室町時代の地蔵三尊像の摩崖仏と浮彫された地蔵菩薩像があったようですが、分かれ道で真っすぐに登るルートを選んでしまったため見ることは叶わず。
結果的には「雲冠寺跡」のルートの方を選んだ方が良かったようでしたが、頂上を指す看板の誘惑に負けてしまった。





この岩がある所までくると、ほぼ頂上近くまで来ているのが実感できます。
「展望の広場」の看板がありましたので、山の上からの景観がいいだろうと思い看板の指す方向へ進んで行きます。



思わず目を疑ってしまいましたが、ここが「展望の広場」。
草木に覆われてしまい展望は全くありません。広場と名は付いていても草木に覆い尽くされて入ることすら出来ない。



もう少し進んでみようかとも思いましたが、ここで折り返して下山します。
頂上の看板も三角点もなかったなぁと不思議に思っていたら、実は展望台から少し行ったところにあったようなので惜しい事をしてしまいました。
下調べもせず気ままに山を登ったりすると、こういうことになるのでしょうね。

頂上近くに一カ所だけ眺望があるところがあったので下界を見下ろしてみます。
標高400m弱の山ですから高さは感じないものの、唯一景観の見渡せた場所です。



蒲生野の田園地帯の風景が目の前に広がり、流れる汗をぬぐいながらしばしの休憩をします。
とはいえ、時間の経過と共に気温が上がってきていましたので、早く水場まで降りて涼みたくなってくる。



ところで、山の中でノコギリクワガタを発見しましたよ。
自然の中でノコギリクワガタを見つけたのは、小学校以来でしょうか。



日本のクワガタだと「オオクワガタ」「ミヤマクワガタ」「ノコギリクワガタ」「コクワガタ」「ヒラタクワガタ」といったところが馴染みがあるかと思いますが、難易度の高いオオクワガタを除くと、ミヤマやノコギリは魅力的ですよね。
子供の頃には「蹴り採集(木の幹を蹴って落ちてきたクワガタを捕まえる)」でもクワガタが採集できたものですが、今もそんなことをして遊んでいる子供っているのでしょうかね。



さて、クワガタと遊んでいる間に増々太陽が照り付けてきましたので、下山して「鳴谷渓谷・鳴谷の石床」へ立ち寄って涼みます。
日当たりが良くなると峡谷はますます美しく見えます。自然の中ではわずか1~2時間で風景が一変しますね。



思わず水遊びしたくなるような誘惑がありつつも、大人気ないことは止めて下山します。
この日は帰り道の登り口近くでカメラ片手に登ってくる人に会ったのが唯一出会った人でしたので、鳴谷渓谷ルートを貸し切り状態で楽しませていただきましたよ。




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早川鉄平「本陣にまつわる動物たち」~史跡 草津宿本陣~

2021-08-04 06:22:22 | アート・ライブ・読書
 滋賀県米原市の切り絵作家早川鉄平さんの切り絵展「切り絵の世界×慶雲館」が、長浜市の「慶雲館」で開催され、純和風の建物と国指定名勝の庭園とのコラボレーションを楽しんできたばかりです。
ところが、ほぼ同時期に草津市の「史跡 草津宿本陣」でも早川鉄平さんの作品が展示されているといい、草津本陣での作品展は「本陣にまつわる動物たち」というテーマで開催されているとのこと。

慶雲館での作品展といい、草津宿本陣での作品展と歴史のある建造物での切り絵展を見ない手はないだろうということで、草津宿本陣へ足を運びます。
長浜慶雲館では切り絵絵本「白鳥になった王子」の原画や屏風、壁面作品がメインでしたが、草津本陣では将軍への献上品として長崎から江戸へ運ばれるラクダや象がテーマになっていて、行く前からワクワクする企画です。



草津宿は、東海道五三次と中山道六十九次の合流・分岐点となることから京都三条大橋から江戸に向かう場合、大津宿・草津宿までは東海道・中山道の両道で宿場町を共有していたという。
草津宿には本陣二軒、脇本陣二軒、旅籠七十余軒があったという大きな宿場で、身分の高い人が泊まった「本陣」はかつて2軒あり、そのうちの1軒が現存して「草津宿本陣」として国の史跡に指定されています。



江戸時代の東海道や中山道を、当時の人が見たこのないラクダや象が旅していくのですから、旅人や宿場町の人も大いに驚いたことでしょう。
草津本陣の建物の中では、台所土間でラクダを引くウサギや湯殿で水浴びする象、表板間で身構えるクマなどあっと驚くコラボレーションが実現しています。



台所土間でウサギに引かれるヒトコブラクダは、実際のサイズかと思えるような大きな作品で、本当にこの土間でラクダが休んだのかもと想像すると楽しい。
このラクダは、1821年に第十一代将軍・家斉への献上品としてオランダ船によってもたらされたものの、幕府が受け入れを拒否したことにより、大坂商人の手によって見世物興業をして周ったといいます。



ラクダは、砂漠地帯に住んでいて家畜化されて荷物を運ばされたり、砂漠で軍隊のラクダ部隊などで酷使される印象がありますが、遥々日本に来て見世物にされていたのは、物悲しさを感じます。
童謡「月の砂漠」を聞き覚えがある方は多いと思いますが、夜の砂漠をラクダに乗って旅していく王子様とお姫様が物悲しくも寂しいメロディにのって歌われていたのを思い起こします。



そんな感傷とは裏腹に作品には愛嬌があって、楽しい旅の途中のような印象を受けます。
ラクダを引くウサギの表情や右足のあげ方など、とてもユーモラスな姿に描かれていますね。



説明書きと一緒に展示されていたのは「箕掛駱駝大津ゑふし(豊橋市二川宿本陣資料館蔵)」。
日本的にデフォルメされて描かれていますが、実際に見世物小屋で見た人の衝撃は凄かったでことでしょう。
6代目笑福亭松鶴や桂米朝などが演じた落語の演目「らくだ」は見世物としてやってきたラクダに由来するらしく、ラクダを見た人が“図体の大きな人やのそのそした奴”をラクダに例えたのが始まりとか。



各間の中央にある畳廊下には、行燈が並べられており、鮎やニゴロブナを描いた行燈と動物たちの切り絵板が置かれています。
最奥には大名などが使う格式の高い「上段の間」が設けられており、建物全体が非常時に対しても防護出来るような造り方になっているようです。



行燈の光はどんどん変わっていきますので、一瞬にして雰囲気が変わります。
自然光に透過する切り絵も魅力的なら、こういった行燈のライトの変化も早川さんの作品の魅力的なところです。



さて、象さんはどこかなと思っていたら、なんと「湯殿」で水浴びをしている模様。
インパクトのある作品ですが、お守り役の猿があたふたと慌てている様子がリアルで面白いですね。
象さんも湯殿の天井に届きそうに大きい。



象さんの水浴びに慌ててあたふたしているお猿さん。
やめてくれよ!床が水浸しになってしまうとでも聞こえてきそうな姿です。



この象は1728年、中国の商人によって八代将軍・吉宗への献上品をしてベトナムから長崎に到着。
翌年、江戸に向けて東海道を旅していったとされます。
道中では庶民だけではなく、各地の大名や天皇・法王までもが象を見物したとされ、多くの人がこの象に驚嘆し、熱狂したとされます。


「象見世物興業案内(豊橋市二川宿本陣資料館蔵)」

表板間へ入ると大きなクマがこちらを睨みつけています。
この部屋は扉が閉じられていましたので光があまり差し込んでおらず、ライトに照らし出された切り絵がよく映えていました。



草津宿は東海道と中山道の合流点でもあり分岐点でもあり、大名や庶民などの旅人たちが行き交った宿場。
馬に乗って旅する人はいたでしょうけど、ラクダや象までが街道を旅していた江戸の風景に心惹かれます。
草津本陣でのラクダや象の切り絵展は、そんな江戸時代の驚きの光景が再現されています。


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