僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

行場「不動乃滝(三雲大日大聖不動明王)」~湖南市三雲~

2023-04-30 08:08:08 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 甲賀市から湖南市三雲へ向かう道中に「行場不動乃滝(三雲大日大聖不動明王)」という滝があり、道路脇には「不動之瀧」の石碑が目印として建っています。
不動之滝には以前にも立ち寄ったことがあったものの、霊的な印象の濃い滝を目の前にして通り過ぎてしまうのも勿体なく思い、立ち寄ることにしました。

滝と不動明王が組み合わされて信仰されていることは修行の滝などで見かけることが多い。
これは密教の最高仏である大日如来の化身とされる不動明王に見守られ滝行を行うことにより、迷いの世界から煩悩を断ち切るよう導いて頂くという意味かと思います。



1983年まではアセボ峠を越えるこの道は整備されていなかったといいますので、滝行に訪れるのも一苦労だったと思われ、かつては滝に辿り着くのも修行だったのかと思います。
石段の途中には盛り塩が左右にあることから、それより先は穢れを祓い清めなければ入れない聖域を示す結界になっているようです。



滝はゴツゴツとした巨石の間を流れ落ち、川には大きな岩がゴロゴロと転がっています。
滝の上には注連縄が張られ、手前には不動明王を祀る祠が祀られて整備が行き届いていることから、今もお参りにこられたり、滝行をされる人がおられるようです。



滝は落差5mほどですが、水量は多く二筋になって落ちています。
滝はさらに上部にももう一段あるようですが、下からでは見える範囲は限られており、確認は出来ない。



滝をやや横から見てみると、巨石の間から流れ落ちる滝や滝壺の水流も美しく、さほど大きな滝ではないにも関わらず迫力を感じます。
不動の滝の近くには不動の泉「金命水」という湧き水があり、この一帯の水の豊富さを感じることが出来ます。



祠の中には不動明王の石像が祀られ、榊の鮮度も良く水や御神酒が供えられています。
お守りされている方が日々丁寧にお祀りされていることが伺われます。



清流の向こう側の岩にはシンプルながら火焔に包まれて立つ不動明王の姿が刻まれています。
滝行の方が彫られたのでしょうか。滝の前の道からよく見えます。



三雲大日大聖不動明王は、滝や祠や周辺が放置されることなくお世話されている方がおられるようです。
神秘的な場所であり、神聖な場所でもある不動之瀧は非常に気持ちが良く、身が引き締まる聖域です。


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「飯道山」を登る!2~修験道 忍の道「行場巡り」~

2023-04-26 19:08:38 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 飯道山は巨石・奇石が多く、古くからの山岳信仰に加えて山伏の山中修行の修験行場となり、修験者の一部が甲賀忍者の始まりとなったともされています。
山頂近くには熊野修験より勧請された「飯道神社」が祀られており、周囲には最盛期に20坊あったとされる寺院跡が点在して「甲賀三霊山」と称される信仰の山となっています。

この日は宮町登山口から「飯道神社」まで登って参拝し、次に「杖の権現」から飯道山の山頂まで登り、「木食応基上人入定窟」を経由して飯道神社まで戻って修験道 忍の道「行場巡り」をして下山しました。
忍の道「行場巡り」は山伏の修行場であるとともに、忍者の修行のようなスリリングなコースで、鎖とロープを頼りに進むしかない難路でした。



「行場巡り」は飯道神社への石段の横から入って行くことになり、「天狗の岩」「不動の押し分け岩」「平等岩」「蟻の塔渡り」「胎内くぐり」「岩上」と続きます。
途中の道も崖の横の細くて陥落しそうな道だったり、鎖やロープで岩場を登り降りする場所が続くので、気の抜けない難所が続き、途中からは引き返すことが出来なくなります。



ます最初に現れるのは「天狗の岩」という大岩です。
祠が祀られた大きな岩ですが、斜めになっても安定しているのは、岩の部分が見えない土の中にまで大岩はあるということでしょう。



天狗の岩はかなりの巨石なんですが、飯道山には巨石が幾つもあるので巨石に対する感覚がどんどん麻痺していきます。
天狗の岩には祠が祀られており、登ることは出来ませんので、無事走破と道中安全を祈って先を目指します。



道中には何ヶ所も鎖やロープが吊るされている場所がありますので、鎖やロープを頼りに登り降りすることになります。
まずは最初の岩下り。激坂ではありませんが、やはり鎖はもし滑った時の頼りになります。



岩の苔や落ち葉で滑りやすそうな坂ですが、ロープを頼りに下る。
ただしロープがしっかり結ばれているか確認してからです。
下りてからの道も崩落しそうな細い道ですので、下りたから安心とはいえないのが忍の道ということになります。



次の行場は「不動の押し分け岩」となり、巨石群の真ん中辺りまで登って、極細の入り組んだ岩の間をすり抜ける修行です。
荷物を出口近くに置いてから岩穴まで登って中に入りますが、ここには迂回コースもあります。



岩穴の内部は小柄でスリムな人なら通り抜けられそうですが、そこそこ体の大きい当方には通れそうにないので途中で引き返します。
曲がりくねった岩穴の向こうに光が見える角度がありましたが、奥まで行くと狭い岩の間に挟まって身動きできなくなりそうです。
ここに来る人は稀なようでしたので、ずっと挟まったまま放置状態になってしまったらと想像すると怖ろしくなってくる。



迂回して出口側から穴を見ると出口付近はますますの極細の道。
ほとんど洞窟探検隊みたいな空間ですので、どう考えても当方には通り抜けられそうにありませんでした。



「不動の押し分け岩」の次は「平等岩」登りの修行です。
本来は鎖とロープの下に足を掛ける用のブランコのようなものがあるのですが、既に破損していて足の掛けどころがない。
足の掛け代となる凹凸が少ないとはいえ、鎖を頼りに登れば何とかなりそうですが、下りてくる時に落下してしまいそうですので途中まで登って断念する。



修験者の方は、平等岩の上まで登り、岩に巻かれた鉄輪を持って一周されるのだそうですけど、それは修験者や忍者でなければ危険すぎて難易度が高すぎるとしか言い様がありません。
忍者や山伏を目指すには心・技・体の全てが不足しているのを実感して、迂回路から先へ進みます。



「平等岩」の次は難所「蟻の塔渡り」。「蟻の塔渡り」の前には安全に飯道神社に戻れる抜け道があるとのことで、体力や技術に不安を感じられた方は引き返して下さいとある。
ここまで来て戻る気持ちも抜け道を通る気持ちもさらさらないが、「蟻の塔渡り」を越えてしまえば、もう戻ることは出来ず、最後まで修行巡りをする覚悟が必要です。



蟻の塔渡りは岸壁の両方に張られたロープを頼りに、岩の間にあるギザギザと切り立った岩を渡っていく修行で、かなり緊張しながら歩を進めることになります。
両手でロープを握ってはいるが、とにかく安定した位置に足を置く事を確認しながら塔渡りをします。



渡り切って振り返って見た蟻の塔渡り。
難所を越えたのが分かった時に急に緊張が解けて、ずるっと滑って尻餅をついてしまったのがこの日唯一の失敗でした。
さぁこれでもう戻ることは出来なくなりました。次の修行場へ進みます。



次の修行は「胎内くぐり」となり、岩の隙間から岩穴へ下りていきます。
迂回路がないのでリュックを背負ったまま鎖を握って下りていくことになりますが、外から見ると内側は真っ暗なので少し不安になります。



「胎内くぐり」は、「不動の押し分け岩」のような極細の岩間を這いずり回るようなことはなく、狭い部分でリュックが岩で擦れる程度で通り抜けられる。
内部には広くなっている場所があり、後は鎖を掴んで下りていくだけです。



振り返って眺める胎内くぐりの大岩。
飯道山には巨石が多いので、巨石を見ても驚きの気持ちが麻痺してしまいますが、さきまでこの巨石群の内部にいたのかと思うと感慨深いものがある。



最後の難所は「岩上」で鎖を掴んで登りますが、既に忍びの道を一巡りしてきているので難なく登れます。
この先を進むと本殿の裏に出られるのですが、道がはっきりしておらず木に巻かれたテープを探しながら進むことになります。



本殿裏に着くまでにあるのは「東ののぞき」の巨石があり、天正9年に織田信長がここで国見をしたと伝えられています。
当時の信長は近江を平定して安土城を建築し、京に入って天下布武を成し遂げようとしていた頃で、翌年に本能寺の変で自害することになるとは露知らずだったことでしょう。



本殿が近づいてくると、地元の方が掃除されている声や草刈りをされる音が聞こえてきて、忍の道「行場巡り」が終わったことが分かります。
本殿裏にも巨石群があり、最後の最後まで巨石に囲まれた山登りだったことを実感します。





甲賀を含む湖南地方は山が多く、奈良から南山城を経由して湖南から甲賀まで至る道は、石の文化の道でもあります。
滋賀県は山を中心とする信仰が根付いていったと思われる節があり、山系によってそれぞれの信仰があったように感じられます。




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「飯道山」を登る!1~飯道神社から山頂へ~

2023-04-23 16:32:22 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県の甲賀市には「甲賀三霊山」と呼ばれる3つの山があり、それぞれ山岳信仰や山伏による修験道が盛んだった地とされており、巨石群や磐座信仰が残ります。
三霊山とは「飯道山」「庚申山」「岩尾山」の三山のことを指し、これまで「庚申山」と「岩尾山」には訪れておりましたので、最後となる「飯道山」へ登ることとしました。

飯道山は山中に巨岩・奇石が聳え立つ古来より山伏たちの山中修行の修験行場だったといい、役小角を始祖とする修験道が栄えて飯道山の修験者は忍者の元になったと考えられているという。
甲賀忍者は時代劇や時代小説に度々登場しますが、実際に佐々木六角氏や織田信長・徳川家康の伊賀越えでの暗躍、羽柴秀吉によって改易されるものの現在までその名を留めています。



飯道山は山岳信仰から修験の山となりましたが、平安期には天台宗と浄土宗の影響を受け神仏習合の山となり、最盛期には20カ所あまりの坊院が立ち並んでいたという。
飯道神社は原始山岳信仰として飯道神を祀っていたが、熊野本宮から分霊して現在に至るとされており、そこには熊野修験や大峰山の修験道が大きく影響しているようです。

まずは宮町登山口まで林道を進んで二之鳥居から登山開始です。
二之鳥居という呼び方はされていませんが、林道の入口にあったのが一之鳥居とすれば、これは二之鳥居になります。



鳥居を抜けて石段を登って行くことになり、石段の参道が続くのかと思いきや、石段はすぐに終わり石段の後は短い参道です。
スギの植林の間を進みますが、最初から巨石が多いのでこの先に出会う巨石の数々が楽しみになってきます。



すぐに舗装された道は終わりとなり、まずは果てしなく感じるような木段登りの開始です。
ちょうど太陽が正面に来る時間帯でしたので、太陽に向かって天国への階段を登る心境です。
...と綺麗に書いていますが、実際は息は切れて我慢我慢の木段登りです。



湖南の山は笹が多いのか、笹が道を覆ってきている場所もある。
当日は山麓付近で地元の方々が笹や樹木の整備で伐採されており、上の登山道にも笹の伐採跡がありました。
地元の方々が何日もかけて整備して頂いているようであり、登る方としては非常に助かりました。



5丁目を越えた辺りだったでしょうか、地蔵宿という名の石仏が祀られているのを見つける。
由来は分からないものの、参拝で登って来られる人がちょうど疲れてきたところで、もう少しだからガンバレ、見守っているよとでも聞こえてくるような安堵感があります。



さぁもうすぐ飯道神社かと思うようになってくると、石垣と苔むして不揃いの石段の参道に到着する。
前日の雨やこの場所の湿気の多さで滑らないように注意しながら登っていきます。



石段と石垣の道を越えると3つ目の鳥居が見えてきて、飯道神社の境内に入ります。
鳥居の奥には鳥居護法石の「熊野岩」。

熊野修験との関係と思われ、滋賀の山麓などでは時々熊野神社が祀られているのを見かけます。
これは山岳信仰と熊野修験の結びつきが影響しているのでしょうか。



境内を進むとフレームには入りきらない巨大さの「鏡の大岩」に圧倒されます。
この大岩の正面からは下界が見渡せるほど見晴らしがよくなっており、おそらくは麓からもこの巨石が見えるのではないでしょうか。



山の頂上近くにある神社には下界からも見える巨石が祀られていることが多々ありますが、それは山の頂を見て神として意識しやすいこともあるのでしょう。
面によっては平坦な鏡のような面があり、光によっては麓や別の山から神々しく輝く大岩に神を見るという行為も信仰につながったのかもしれません。



飯道神社の本殿は1649年の再建で、鮮やかな極彩色の色合いをしており、重要文化財に指定されている。
御祭神に伊弉冉尊・速玉之男神・事解男神を祀り、熊野権現と深く共通している。





本殿にお参りを済ませましたので次は飯道山の山頂を目指して歩き出します。
山頂は飯道神社とは1㌔以上離れたところにあり、周回出来そうでしたので「杖の権現」から山頂を目指し、「木食応基上人入定窟」と経由して神社へ戻るコースとしました。



分岐のある林道を約700mほど歩くと「杖の権現」の祠と休憩所に到着します。
かつての飯道山は「杖の権現」より山頂側は神の山として立ち入りが禁止されており、飯道山へ登ってきた人はここから山頂を拝んでいたといいます。



山頂までの500mほどの道を登っていると岩の山門のような場所を通ることになる。
山の上の磐座や奥宮があるような道にはかなりの確率で岩の山門のようなあり、御本体との結界といつも感じてしまいます。



そして飯道山の山頂へ到着。
テーブルと椅子があるのは知っていましたので山頂についたら休憩と思っていましたが、先客がおられ食事中でしたので写真だけ撮って、別ルートで下山します。



甲賀市から琵琶湖は遠いように思いますが、ここからは近江富士こと三上山とその向こうに琵琶湖を眺めることが出来ます。
琵琶湖のさらに向こうには比良山系の山々が連なる。





「木食応基上人入定窟」として祀られる木食応基上人は、近江の国に生まれた六角氏に仕えたものの織田信長との戦に敗れ、その後に高野山に登って出家された方とされる。
豊臣秀吉の高野山を攻めの折には和議を結んで中止させたとされ、高野山の復興や寺社の勧進に勤めたとされます。
関ヶ原の戦い後は飯道寺に隠棲して、死期が近くなると入定窟で遷化されたといいます。



飯道神社まで戻った後、山伏修行の「行場巡り」をしましたが、それは続編とさせてもらいます。
飯道山の表参道を下山して登山口の入口近くに祀られた「白髭神社」に参拝してホッと一息。



何でホッと一息なのかというと、それだけ「行場巡り」の山伏修行がハードで怖かったからです。
巨石が連続する嬉しさの反面、難所が多くて危険を感じて緊張感の高い修行道でした。

下山後に振り返って眺めた飯道山。
山伏修行の「行者巡り」へと続く...。




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青龍山の巨石信仰の磐座と山頂登山~多賀町「胡宮神社」~

2023-04-19 06:22:22 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 山登りを始めたのは昨年からですが、それまでは登山目的以外で山に登ることがあり、それは野鳥であったり、奥宮や奥之院、磐座や巨樹や古墳や滝と目的は様々でした。
従って山頂近くまでは登っているけど山頂標識や三角点のある場所には行っていない山が多々あり、山登りで山頂まで行くことが増えてきています。

滋賀の低山をメインに登っていますのでピークハントといえるレベルではないのかもしれませんが、せっかく登ったのに山頂を知らないというのは何となく手落ち感があります。
山頂近くの磐座まで行きながら山頂へ行っていない山のひとつに多賀町の青龍山があり、胡宮神社への参拝ともう一度磐座を見たいということで、まず胡宮神社へと向かいました。



胡宮神社は青龍山の磐座信仰が起源とされており、敏達天皇の勅願ともされる神社で、御祭神は近くにある多賀大社と同じ伊邪那岐命と伊邪那美命をお祀りしています。
鎌倉時代には天台宗敏満寺の鎮守社として祀られていたものの、戦国時代に織田信長の焼き討ちにより衰退してしまい、1638年に徳川家光により造営され復興を遂げたといいます。
尚、胡宮神社の正式な住所は多賀町敏満寺ですから、地名にその歴史を留めています。



敏満寺は聖徳太子が開基したとされ、湖東三山と並ぶほど繁栄した寺院とされておりますので失われた仏像や建築物は多かったことでしょう。
滋賀県の山麓の寺院にはかつて天台宗寺院だったが信長の時代に消滅または衰退した寺院が多くあります。
一般的には「比叡山焼き打ち」だけが有名ですが、焼かれてしまって今では名も知られていない寺院や廃寺が幾つもあります。



拝殿から参拝した後、敏満寺の名残りともいえる大日堂や観音堂のエリアへ行くと、無数の石仏が祀られている場所がある。
境内の奥には「敏満寺石仏谷墓跡」があり、12~16世紀の石仏や五輪塔・骨蔵器などが1000点以上発掘されているというが、復元工事等で立入出来ない場所があり諦めました。



裏参道の鳥居の先から熊野神社を通り過ぎて山の方に進むと青龍山登山口があり、獣除けの鉄柵を開いて誰もいない山に入ります。
これでまた山の中の檻の中に一人だけ状態が始まります。最初は木段が続きますのでひたすら木段を登っていきます。



登山道から少し道を外れたところに「御池」があり、寄り道して道を下ります。
御池は、磐座を御神体として祀った山岳信仰の時代に身体や供物を潔斉し、日照りの時には雨乞いをした池だという。
御池には水はあったものの水量はわずかで、むしろ後方に拡がるシダの群生の鮮やかな緑に目がいってしまいます。



登山道まで登り返してくると、そこから先は道の両端にシダが生えており、御池の上部に広がっていたシダの道を歩くことになる。
あまりシダの群生の横を歩くのは好きではないので自然に足は速くなり、とにかくシダの道から抜けることだけを考える。



道の先には山頂への道と磐座への道の分岐があり、先に山頂方向へ歩を進める。
次の分岐にあった看板には“史跡の森 ここから たにのみち”と書かれていましたが、“たにのみち”は荒れているような感じで、あまり人の通らない道なのかと思います。



山頂方向への道を進むと青龍山の山頂らしきが見えてきて山頂近しを実感します。
歩く途中ではコゲラの声や姿をよく見聞きし、ウグイスのまだヘタな囀りも聞こえてきて低山登山の気持ちの良い道が続きます。



最後の急な木段を登りきると山頂表示と三角点がある山頂部に到着です。
標高333mですので30分足らずで登れる山とはいえ、到達感が感じられます。
取り合えずリュックを降ろして上着を脱いで少し風に当たって一息入れます。





三等三角点がある山頂の標高は、333mで3ばかりが並ぶ山なのもちょっと面白く、来てみて良かったと思えた山でした。



山頂エリアはそこそこ広いので東側へ回り込んでみましたが、木が邪魔でよくは見えない。しかし西側は琵琶湖までの景色が一望できます。
目の前にあるのは大門池、田園部には犬上川が龍のように流れ、奥に見えるは荒神山でしょうか。残念ながら琵琶湖はガスっていてよく見えません。



山頂から下って最初の分岐まで戻ると、“神の森 ここから いわくらの道”とある。
この道は一度通った道ですので安心して歩いて行くと、突然のように磐座と祠の祀られた場所に出ます。



前回はこの磐座が骸骨のような顔に見えて仕方なかったのですが、今回はそうは見えなかった。
磐座が変形することはありませんから、見るこちらの感性が変わったということなのかと思います。



下山してから胡宮神社の境内を散策し、メジロの登場を期待して満開の梅を見ていましたが、気配すらなし。
登山道ではネットを被せた木を何回もみましたが、ササユリを育てているようでもありましたので花期に訪れるのもいいかもしれません。




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荒神山の季節の花と千手寺「地蔵摩崖仏」

2023-04-13 05:38:24 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 彦根市の中西部に荒神山という独立峰があり、山頂には「荒神山神社」が祀られ、尾根には4世紀末頃の築造と推定される「荒神山古墳」があります。
荒神山は古くは「平流山」と呼ばれていたといい、奈良時代に行基が山頂に「奥山寺」を開山した際、三宝大荒神の像を祀ったことから「荒神山」と呼ばれるようになったという。

山麓には「唐崎神社」「千十寺」「天満天神社」「稲村神社」が祀られていることから古よりの信仰があったと思われ、山中には「蛇石」という蛇の頭のような巨石があります。
荒神山は桜の名所でもあるとともに、季節の花が多く見られる山とのことで、イワカガミを探しに荒神山へ登りに行きました。



荒神山の山頂へのルートは林道・山道と幾つかルートがありますが、今回は「唐崎神社(トウザキ)」の本殿横から登ることにします。
「唐崎神社」は主神が7神、配祀神も7神が祀られており、聖武天皇の時代に行基が山頂に「奥山寺」を創建するに当って社殿を現在地に移したと伝わります。
主神・配祀神の数が多いのは、当地の周辺に祀られていた神々が合祀された歴史があるのかもしれません。



まずは唐崎神社の拝殿で本日登らせていただく御挨拶と安全をお祈りしてから山へ入ります。
拝殿は周辺の整備が行き届いていて、ガラス障子に囲まれていて独特の印象を受けますが、なんかさっぱりとした雰囲気の建物です。



境内横からコースに入るといきなり磐座のような巨石に遭遇します。
磐座かどうかはともかくとして、同じ荒神山の中腹にある「稲村神社」にも巨石がたくさんあります。
山中には「蛇石」という奇石があり、山の一部の場所に大きな岩や奇石が集まっているように感じます。



崖側にも岩があり、これを何かの後ろ頭と背中と見立てると顔は琵琶湖の方角を眺めているかのようです。
大きな岩が集まっているところは、かつて祭場か何かに使われていたのかもしれません。



山道は当初は緩やかなアップダウンのある歩きやすい道でしたが、途中から結構な傾斜のある箇所が続くようになります。
滑りやすい急登にはロープが張られており、林道を横切る交差地点までこの急登が続きますが、少し息が切れてきたのが逆に嬉しくなってきます。





林道を横切った後の登りは木段に変わりますが、さほど急な箇所はなく歩きやすい。



少し登ると小さな展望台がありましたので、突き出た台の上から景色を眺める。
曽根沼・宇曽川と琵琶湖に挟まれた田園地帯の向こうには琵琶湖と対岸の高島や比良山地が見えるはずだが対岸がガスってしまっている。
琵琶湖に浮かぶ多景島は確認出来るものの、竹生島や沖の白石もこの日は残念ながら見えませんでした。



この辺りからはミツバツツジが群生となって咲いており、小さな花を咲かしているスミレやスズラン。
場所によってはスイセンやシャガが咲いていたりしていて、自生野生問わず花の多い山です。
この山でもショウジョウバカマの花は何ヶ所かで見かけました。日当りの良い場所では花期は少し過ぎていたかな。



イワカガミはどこに咲いているのだろう?と歩いていた時、数は多くはないがイワカガミが数株咲いているのを発見。
昨年初めてイワカガミを見つけた時はやたらと感動したものでしたが、イワカガミが咲いている場所って実は少なくはないのも今となっては分かります。





荒神山のピークは2カ所あって、ひとつは東屋や三角点のある「日夏山(標高261.5m)」で、もうひとつは「荒神山(284m)」になります。
三等三角点のある「日夏山」の山頂近くにはシャクナゲが何株か花を咲かせており、大輪のピンク~赤の美しい花が見られます。



荒神山 山頂の東屋と呼ばれる八角形の東屋に以前は「日夏山」の山頂標識がありましたが、今は見当たらない。
三角点は荒神山の山頂から300m離れた所にあります。



三角点からは東方向の景色を眺めることができ、ここからは霞んではいるが伊吹山と霊仙山の両方が確認出来る。
そろそろ水を張った田圃が増えてきており、ここから眺める景色は季節ごとに様変わりしていくことでしょう。



「日夏山」の山頂で折り返して戻ってくると「荒神山古墳」の周囲を歩くことになります。
「荒神山古墳」は滋賀県では第2位の規模の古墳とされ、荒神山にはこの古墳の他にも古墳10数基の古墳が確認されているといいます。



荒神山の山道の最終地点まで来ると、見落としそうな場所に「荒神山」山頂標識がある。
ここが荒神山の最高地点なんですが、あっさりと看板1枚だけというのは少し寂しい感じがしますね。



ここから西の方向を眺めると、曽根沼と琵琶湖が見える。
琵琶湖と荒神山はこうして眺めるとかなり近く感じますね。



「荒神山神社」はもともとは奈良時代に行基によって創建された奥山寺だったとされ、後に天台宗寺院となった奥山寺は織田信長によって焼き払われる。
江戸時代には彦根井伊藩の崇敬や寄進を受けて保護されるも、明治の神仏分離によって奥山寺は廃寺となり、荒神山神社だけが残ったようです。



荒神山はいくつものコースを歩くことが出来ますので、帰り道は「千手寺」に参拝して下山することにします。
千手寺の参道の石段には「地蔵摩崖仏」と「六体地蔵笠板碑」」や石仏が祀られており、独特の雰囲気があります。



地蔵摩崖仏は左手から腰にかけて割れ目が走り、見るからに痛々しい。
しかし周辺は綺麗に整えられて丁寧にお祀りされていて、山歩きの方が手を合わせてから登って行かれる姿もありました。

「六体地蔵笠板碑」が横に祀られていますが、板碑は滋賀では見られる場所が限られており、珍しい感じがします。
当初からこの形で積まれていたのか、後の世にこの形になったのかは分かりませんが、地蔵さんはかなり劣化が見られ、一説には室町期のものともいわれます。



石段を下り終えると山門から出ることになり、本日の山登りは終了で後は駐車場までのロード歩きだけです。
山の中では休日ということもあって大勢の方とすれ違いましたが、日課のようにして登っている地元の方とおぼしき方も多かったように思います。
当方は近所にすぐに登れる山はありませんので、ウォーキングがてら登れる山が身近な所にある方を羨ましく感じます。




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近江富士・三上山と女山~表登山道・裏登山道周回コース~

2023-04-07 05:55:55 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 野洲市にある三上山は、湖東平野にそびえ周囲に高い山がなくよく目立つことから、県内のあちこちから姿を見ることができ、今自分が居る場所を知るのに役立つ山です。
標高は432mの低山ですが、富士山のように綺麗な形をしていることから「近江富士」の名で呼ばれ、ハイカーが多く登りにやって来る山でもあります。

昨年に表登山道で登り、裏登山道で下るという周回コースで巡ってとても印象の良かった山でしたので、リピート登山で同じコースを巡り、もう一つのピークである「女山」へも行ってみることにしました。
三上山はお椀を逆さにしたような円錐形の形が特徴的ですが、実は双耳峰になっており、御上神社から眺めるとお椀型の山の手前にもうひとつの山「女山」が連なります。



山麓に鎮座する御上神社は孝霊天皇(第7代天皇)の時代、御祭神・天之御影命が三上山の山頂に御降臨され、神体山(神奈備)として祀ったのを始まりとされます。
天之御影命(アメノミカゲ)は刀鍛冶の神とされており、渡来人の多く居住していたとされる近江の地にあって、鍛冶技術を持った渡来人集団との関わりが伺われます。



表登山道は最初は石段の坂が続きますが、運動不足気味ということもあって体が重く感じ、足が地に付いていない感じで登っていきます。
地元の方と思われるそこそこ年を取られている方にあっさり抜かれてしまいましたが、低山を日課のように登る方々の鍛錬された健脚ぶりに感心してしまいます。



200mほどの石段を登りきると妙見堂跡に到着するが、石灯籠と堂跡だけが残っている。
この地域一帯は江戸時代に遠藤氏が「三上藩」として治めていた地で、遠藤氏は移封前は常陸・下野の藩主だったことから関東で盛んだった妙見菩薩信仰が勧請されたとの説があります。



さて、表登山道での最大の見所は「割岩」という巨石群によじ登って狭い隙間を通り抜けることが出来るプチ・アドベンチャールートです。
三上山は低山ではありますが、表登山道では先の妙見堂跡から山頂までは露出した岩を登るコースとなっていて、約1時間で登れるとはいえ、登りごたえがあります。



巨石群を少し登ると割岩が見えてきて、ここからは鎖と岩を掴みながら狭い割岩の隙間を目指します。
「肥満度確認可能」と表示されていますが、すり抜けるようにして岩の間を歩いていかないととてもじゃないけどすり抜けられないのが、阿賀神社(太郎坊宮)の夫婦岩とは違うところです。



写真ではうまく写っていませんが、岩の割れ間の向こうに太陽がありましたので、何とも神々しい気持ちとなる。
昔はここで穢れを浄化してから奥宮へ向かうという意味合いがあったのではないでしょうか。



登山道はほとんど岩の上を登っていくことになり、足の置き場を選んで登らないと落ちそうになりそうですが、足場は確保されています。
危険個所では鎖やロープや手すりがありますので、登りやすいけど段々と汗が出てきて体の動きが良くなってきます。



局所的にルートが2コースに分かれている場所があり、前回通らなかったルートを行くと、ルート上に巨石が積みあがった場所がありました。
岩の間をすり抜けて反対側へ出ることが出来そうで、景色が良さそうだと思い岩の間へ入ろうとするが、岩の向こうの狭そうなスペースにカバンが置いてある。
誰かが岩の向こう側で休憩されているようでしたのでくぐるのを見送ります。



道中には岩の上に根が張り出した場所があって生命感の強さと自然の造形の姿に見惚れてしまう。
根のルートから登ることも可能ですが、踏みつけて根を痛めるのもなんですので迂回ルートを取ります。



三上山の表登山道の魅力は巨石の上を登っていくこととはいえ、妙見堂跡以降の岩ルートにはさすがに疲れが出てくる。
座って休める場所はありませんので、とにかく展望台まで行って一息つこうと、ゆっくりでも足を止めないようにして岩場を進みます。



空に光が差し込み山頂近しと感じ始めた頃、ルート上に岩の山門のような場所を抜けていくことになります。
個人的な感想かもしれませんが、信仰の山へ登り、山頂が近くなってくると岩の門のように思える場所があることが多いように思います。
自然のものか人の手によるものかは分からないものの、岩門を“ここからが聖域”と感じながら通っています。



やっと展望台へと到着しましたので、ここでリュックを下ろして一休みです。
先に到着して休まれていた方が“景色が白いですね”とおっしゃっておられクリアーな景色ではないなぁとは思いましたが、逆に雰囲気のある光景でもありました。



三上山は遠くからでのその姿を望める山とあって、三上山からも湖東・湖南の景色が一望できます。
その標高以上にひときわ高く感じたのは比叡山で、その奥に微かに見えるのは愛宕山でしょうか。





奥宮と磐座は、展望第から少しだけ登った場所にあり、大きな一枚岩の上に祀られる磐座が御上神社の御神体であり、天之御影大神が降臨したとされる場所です。
山麓の御上神社は718年に藤原不比等が勅命を拝し、現在地に造営してご遷祀させた里宮ということになります。



磐座の奥には鳥居が建ち、その奥に奥宮が祀られており、聖域であるとともに燦燦とした陽射しと向き合う気持ちの良い場所です。
三上山にこれまで登った2回ともここから裏登山道を下っていったのですが、ほんとうの山頂は奥宮の裏側にあるそうです。
山頂に景観はないそうですが、立ち寄っていないのも癪なので、次は登ったことのない「近江富士花緑公園側登山道」から登ってみよう。



奥宮を後にして裏登山道に入りますが、奥宮には表登山道の鳥居と裏登山道の鳥居が近い位置にあり、それだけ奥宮に対する信仰の篤さを感じます。
裏登山道を下る間に何人もの人が登って来られるのにすれ違い、みなさん挨拶や少々の会話を交わしてすれ違うこととなり、三上山を登られる人は爽やかな人が多いと感じる。



前回は天保一揆の時に役人が逃げ隠れたとも、平安期に俵藤太こと藤原秀郷の「むかで退治伝説」にちなんだ「むかでの穴」のある「姥の懐」へ立ち寄りましたが今回は素通りです。
裏登山道の途中にはもうひとつの宮「東竜王の祠」があり、雌山のピークだと書かれているものもある。

「東竜王の祠」は竜王と名が付くことからかつては雨乞いや野洲川の氾濫を抑える場所かと思いましたが、分からないのは三上山には「雄山」「雌山」「女山」とピークの名称が複数あることです。
三上山の山頂が雄山でもう一つ雌山があるのは理解できますが、「雌山」はここのことなのか?では「女山」と呼ばれる山は何なのか?これは疑問です。



祠の横には石仏のようなものがお祀りされており、赤子を抱いた母親のように見える。
元々祀られていたのか、誰かが頭部や懐に石を積んでこういう形になったのかは不明なものの、ドキリとさせられる石積みです。



「女山」は地図にパークはあるものの、標識等はないため知らないと分岐が分からないため、奥宮で話をした方に聞いてみると“途中に鞍部があるので登山道と直角に曲がれば行ける。行く人多いですよ。”と教えてもらう。
鞍部はひとつではなく、ここか?と思いつつもまだ標高が高いと思い下っていくと、おそらくここが分岐という場所に出た。
そこで休憩していた人に聞いてみると、ヤマップの地図を見て“多分あの道だと思いますが、登山道ではないので気を付けてください”と教えて頂き、道を登ることにする。



ほどなく山頂標識のある場所に到着したが、聞いていた通り眺望はありません。
ここでも不思議なのは山頂標識が「雌山」だったこと。「雌山」?「女山」?なんかややこしくなっています。



山頂を確認できましたので再び山を下りて登山道との分岐がある鞍部へと戻ります。
三上山では表登山道は中級者向けで、裏登山道は初級者向けとなっていますが、裏登山道も決して楽な道ではなく、ゼイゼイと息を切らして登ってこられる方々とすれ違います。
道幅が狭い所で登りの方に道を譲ろうとしたら、バテてきたので先に下りて下さいとのこと。“高い山ではないけどこの山って中々しんどいですね。”と言葉を交わしてすれ違う。



本来なら登山前に参拝すべきでしたが、下山した後に御上神社に参拝する。
まぁ歴史的には天之御影命が降臨したという奥宮が最初なので、奥宮に参拝して里宮に参拝するのは間違いでもないとしておきます。


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交野山の観音岩と三宝荒神~山頂の巨石と絶景ビュー~

2023-04-01 17:30:30 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 大阪府交野市は府の北東部にある京都府や奈良県に隣接する市で、かつては修験場の行場であり、市の面積の半分を森林が占める自然の多い場所です。
用事があって大阪へ行く途中2~3時間くらい時間が作れそうでしたので、交野山に登って山頂の観音岩から景色を眺めてみようと登ってみることにしました。



交野山(こうのさん)に登るルートは幾つかあるようですが、時間と駐車可能な場所を考えて「交野いきものふれあい里駐車場」まで林道を進みます。
ブドウ園を抜けて林道へ入ると、途中道が細くなっていて車1台しか通れない場所があったり、そもそもこの道が正しいのかの確証もなく不安な道中だったものの、登山口と駐車場が見えてきて安堵します。



道は最初はひたすらプラ階段を登ることになりますが、都市部の市民の山ということもあってか綺麗に整備されています。
段差が大きくなっている場所もあったため、登りにくい場所がありましたが、しばらく体を動かしていなかったので何とも心地よくスッキリとした気分になってくる。



登り切って平坦な道をしばらく歩くと、今度は下り道に入り、ピストンで登り返しになるなと思いながらも下っていく。
当日はジャンバーを羽織っていましたので段々と汗ばんできます。



下り道の途中に山頂らしき山の頂きが見えてきます。目的地はあそこだ。
山頂は“遠くに見えても近いもの”と気持ちを切り替えて、今度は山頂を目指して登っていきます。



別ルートとの合流地点から「三宝荒神」の一之鳥居の辺りまで登ると、一気に登山者が増えて登山ツアーでも来たのか?と勘違いしてしまうくらい多くの登山者に出会います。
なるべく人が写らないように待ちますが、なかなか人が途切れないまま、タイミングを見計らって写真を撮ることになります。



一之鳥居を抜けると次は二之鳥居。
元々、山に登るのは奥宮や磐座・巨樹などの信仰の山を登ることが目的でしたので、こういう信仰の山へ登ると興味津々になってきます。



三之鳥居は巨石の横にあり、ここからが神域になるんだと信じ込んでしまうような大きな岩が積みあがっています。
交野山の周辺には巨石が多く、修験道にまつわる信仰があったとされる歴史深い地とされている。
歴史としては旧石器時代から縄文時代、古墳時代から飛鳥・奈良時代、平安・鎌倉時代やそれ以降の遺跡や伝承が残るといいます。





かつての修験者はこの岩場を登っていったのかと思いますが、今は巨石を回り込むように道が作られています。
段差のある所にはコンクリートの梯子が架けられ、立派な手すりまで設置されています。



やや急な岩場には鎖が垂らされていて至れり尽くせりです。
急峻な岩場の登山道はここだけでしたが、なかなか楽しませてくれる山です。



登山道を少し外れた場所には「三宝荒神」の社跡があり、最後の鳥居の中に祠があります。
「三宝荒神」は仏・法・僧の三宝を守護して悪人を罰する神とされ、神道・密教・山岳信仰が混交した日本独自に信仰された神とされています。
一般的には「竈の神」として信仰され、荒神様として馴染みのある方もおられるかもしれません。



巨石の前にある祠はステンレス製でやや味気ないが、奥に祀られた磐座は見応えがあります。
登山道にあった鳥居は「三宝荒神」に通じていたことになり、ここから交野の町の荒神さまとしてお守りされているのかと思います。



交野山の珍しい所は、山頂が巨石群の磐座となっていることでしょうか。
予備知識があまりないままに登ってしまいましたので、この山頂磐座群には度肝を抜かれました。



磐座群の前には「交野山古代岩座址」の石碑が立ち、磐座の上には入れ代わり立ち代わり人が登られています。
交野山には鎌倉から室町期に岩倉開元寺という寺院があったと伝わり、巨石は「観音岩」の名が付けられています。
今回は訪れることは出来ませんでしたが、山中には鎌倉期や室町期の石仏や摩崖仏が点在しているといい、次に訪れる機会があれば別コースで周回したい山です。



「観音岩」は斜面がゆるやかになっており、上面が広いことがあって登ってもさほど怖さはなく、何と言っても360°の眺望が素晴らしい場所です。
カメラを片手に最先端まで行くことが出来ますので登られた方は口々に“こんな場所があったなんて!”“眺望が凄い!”などの感嘆の声が聞こえてきます。



さぁではみなさんに続いて当方も登ってみることにします。
岩の向こうは断崖絶壁ながら急激な断崖ではないので端っこまで行っても大丈夫そうです。



磐座の先端部まで行くと遮るものは何もない絶景が広がります。
先客さんが下りたら当方も先端部まで行って景色を見降ろすことにします。



見おろす光景は枚方市や八幡市の町並み。
山田池公園や石清水八幡宮が見えるが、後方の山は霞んでいます。
空気が澄んでいる日だと六甲山や愛宕山、比叡山まで見渡せるといいますから、人気の絶景ポイントになるのも納得です。



大阪市街の高層ビル群が遠くに見えて、左端には「あべのハルカス」までもが見えます。
サクッと登れて磐座群とこの眺望。近所なら何度でも登りたい山ですね。



交野山では季節を通じて見られる野鳥や季節の野鳥、蝶や昆虫・季節の花々など自然が多く残る山だといいます。
野鳥との出会いも期待しての登山でしたが、めぼしい野鳥に会えず仕舞いで、これはちょっと欲張りすぎでしたね。




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