西国三十三所巡礼には「番外札所」と呼ばれる寺院が3寺あり、一般的には兵庫県三田市の「東光山・花山院菩提寺」、京都市山科区の「華頂山・元慶寺 」、奈良県桜井市の「豊山・法起院」になります。
そもそも番外札所とは何なのか?というと、ある考え方には西国三十三所観音霊場を満願出来たことへのお礼参りに行く寺院といわれています。
長谷寺へ参拝した帰り道、門前町を車で移動して名物の“くさ福餅”を買おうかと思っている時にふと目に入ってきたのが「法起院」へと通じる細い参道でした。
法起院の専用駐車場がすぐ近くにありましたので、車を停めて寺院へと向かいます。
法起院は長谷寺の塔頭寺院で、総本山である長谷寺と同じく真言宗豊山派の塔頭寺院です。
長谷寺を開き、西国三十三所の創始者とされる徳道上人が726年に創建し、晩年に隠棲の院としたと伝わります。
徳道上人は病に倒れた時、冥土で閻魔大王から“三十三所の観音霊場を巡れば滅罪の功徳があるので巡礼によって人々を救うように”と託宣を受けて現世へ戻され、観音巡礼を創始したとされます。
しかしながら徳道上人の時代には三十三所巡礼は広まらず、徳道上人の死後270年たってから花山天皇によって西国三十三所観音巡礼は民衆に定着したといいます。
参拝を予定していなければ見落としてしまうような細い参道の奥にあり、寺院に気付けたのは幸いでした。
参道と道をはさんだ向かいにある餅屋さんへ偶然立ち寄ったことで、寺院に気付けたのは導かれでもしたのか、これがホントのスイーツ巡礼なのか?。
寺院には時々人が参拝に来られていましたので、長谷寺を参拝した方が番外札所にもお参りに来られていたのかと思います。
にぎやかに賑わう門前町と細い参道の奥にある寺院の佇まいからは、京都の繁華街にある寺院のような雰囲気を醸し出しています。
本堂より先に「徳道上人御霊廟」に入ります。
中には十三重石塔を中心にして、西国霊場各寺院の御砂踏みが出来るようになっていました。
西国三十三所霊場のお砂踏みは1番札所の青岸渡寺から、まだ巡礼していない霊場を確認しながら第33番華厳寺までをひと周りします。
西国巡礼はまだ道半ばのため、ここでは仮の満願をさせていただきます。
御霊廟の中には「多羅葉樹」というハガキの語源となっている木があり、葉の裏に願い事を書くと書いた字が浮かび上がって願い事が叶うという木がありました。
木の枝の下に入って茂った葉っぱを見てみると、確かにほぼ全ての葉の裏に願い事が書かれています。
手が届く範囲には何も書いていない葉っぱはありませんでしたので、願掛けは無理そうだなと諦めて書かれた文字を見ていました。
本堂は735年創建で1695年に再建された建物ですが、補修されながら現在まで守られてきたのでしょう。
こじんまりとまとまった御堂になっている本堂横には世間話に興じる方もおられましたので、近所に住む人の憩いの場所にもなっているようです。
法起院は長谷寺の塔頭寺院ですから、長谷寺と同じ「長谷型燈籠」が吊るされています。
本堂の中には「徳道上人像」が祀られており、寺伝によると徳道上人本人による彫刻と伝わっているそうです。
境内には「庚申堂」「弁財天堂」「地蔵菩薩」などが配置され、コンパクトながらまとまりのある寺院になっています。
本堂にも書かれている御詠歌は「極楽はよそにはあらじわがこころ おなじ蓮(はちす)のへだてやはある」。
“極楽は我が心の中に求めるもの、この世の蓮もあの世の蓮も同じ蓮の花です。”という意味があるそうです。
参拝を終えて駐車場へ戻る前に名物の“くさ福餅”を買って、門前町を食べ歩きしながらのスイーツ巡礼で車に戻ります。
草餅は生地で手包みされたタイプと鉄板の上で焼いた“お焼き”があって、食べたのはお焼きの方でしたが、とても甘くて美味しい草餅でした。
スイーツ巡礼もたまにはいいものですね。
そもそも番外札所とは何なのか?というと、ある考え方には西国三十三所観音霊場を満願出来たことへのお礼参りに行く寺院といわれています。
長谷寺へ参拝した帰り道、門前町を車で移動して名物の“くさ福餅”を買おうかと思っている時にふと目に入ってきたのが「法起院」へと通じる細い参道でした。
法起院の専用駐車場がすぐ近くにありましたので、車を停めて寺院へと向かいます。
法起院は長谷寺の塔頭寺院で、総本山である長谷寺と同じく真言宗豊山派の塔頭寺院です。
長谷寺を開き、西国三十三所の創始者とされる徳道上人が726年に創建し、晩年に隠棲の院としたと伝わります。
徳道上人は病に倒れた時、冥土で閻魔大王から“三十三所の観音霊場を巡れば滅罪の功徳があるので巡礼によって人々を救うように”と託宣を受けて現世へ戻され、観音巡礼を創始したとされます。
しかしながら徳道上人の時代には三十三所巡礼は広まらず、徳道上人の死後270年たってから花山天皇によって西国三十三所観音巡礼は民衆に定着したといいます。
参拝を予定していなければ見落としてしまうような細い参道の奥にあり、寺院に気付けたのは幸いでした。
参道と道をはさんだ向かいにある餅屋さんへ偶然立ち寄ったことで、寺院に気付けたのは導かれでもしたのか、これがホントのスイーツ巡礼なのか?。
寺院には時々人が参拝に来られていましたので、長谷寺を参拝した方が番外札所にもお参りに来られていたのかと思います。
にぎやかに賑わう門前町と細い参道の奥にある寺院の佇まいからは、京都の繁華街にある寺院のような雰囲気を醸し出しています。
本堂より先に「徳道上人御霊廟」に入ります。
中には十三重石塔を中心にして、西国霊場各寺院の御砂踏みが出来るようになっていました。
西国三十三所霊場のお砂踏みは1番札所の青岸渡寺から、まだ巡礼していない霊場を確認しながら第33番華厳寺までをひと周りします。
西国巡礼はまだ道半ばのため、ここでは仮の満願をさせていただきます。
御霊廟の中には「多羅葉樹」というハガキの語源となっている木があり、葉の裏に願い事を書くと書いた字が浮かび上がって願い事が叶うという木がありました。
木の枝の下に入って茂った葉っぱを見てみると、確かにほぼ全ての葉の裏に願い事が書かれています。
手が届く範囲には何も書いていない葉っぱはありませんでしたので、願掛けは無理そうだなと諦めて書かれた文字を見ていました。
本堂は735年創建で1695年に再建された建物ですが、補修されながら現在まで守られてきたのでしょう。
こじんまりとまとまった御堂になっている本堂横には世間話に興じる方もおられましたので、近所に住む人の憩いの場所にもなっているようです。
法起院は長谷寺の塔頭寺院ですから、長谷寺と同じ「長谷型燈籠」が吊るされています。
本堂の中には「徳道上人像」が祀られており、寺伝によると徳道上人本人による彫刻と伝わっているそうです。
境内には「庚申堂」「弁財天堂」「地蔵菩薩」などが配置され、コンパクトながらまとまりのある寺院になっています。
本堂にも書かれている御詠歌は「極楽はよそにはあらじわがこころ おなじ蓮(はちす)のへだてやはある」。
“極楽は我が心の中に求めるもの、この世の蓮もあの世の蓮も同じ蓮の花です。”という意味があるそうです。
参拝を終えて駐車場へ戻る前に名物の“くさ福餅”を買って、門前町を食べ歩きしながらのスイーツ巡礼で車に戻ります。
草餅は生地で手包みされたタイプと鉄板の上で焼いた“お焼き”があって、食べたのはお焼きの方でしたが、とても甘くて美味しい草餅でした。
スイーツ巡礼もたまにはいいものですね。