天満宮や天神社と名の付く神社は全国に約1万2千社あると言われています。
地域によってバラツキがあるのかどうかは分かりませんが、滋賀県には何ヵ所か名前の付いた神社がありますし、神社名は違っても菅原道真を祀る神社は非常に多いと思います。
菅原道真は簡単にいえば平安時代のエリート中のエリートで出世頭の方でしたが、讒訴(ざんそ:他人をおとしいれようとして、事実を曲げて言いつけること)されてしまい、太宰府に左遷。
失意の中で2年後に死亡した後は平安京の祟神(怨霊)と畏れられたことから、神として祀ることでその祟りを鎮めたとされています。
北野天満宮は当初は祟り封じの「天神様」信仰で始まったとされていますが、道真が優れた学才の人物だったことから現在では「学問の神様」として信仰を集めています。
「北野天満宮」は天神様の総本山で合格祈願で参拝する受験生も多く、当方も「十三詣り」で参拝した記憶がありますが、学業開眼とはいかず...でした。
参拝したのは「終い天神 (しまいてんじん)」の日でした。
北野天満宮では毎月25日を縁日としていますが、12月の縁日は最大の恒例神事になるそうで、一の門の前から凄い人の数です。
午後4時に到着したにも関わらず、参道には溢れんばかりの人でしたから午前中は更に凄かったことでしょう。
当日はクリスマスの日でしたが、神社に大勢の方が参拝するのは日本の文化やなぁと思いながら歩いていくと、外国人の方が多く見受けられたりもするのが面白い。
“師走の終わりに自分にお疲れ様!”、“来年もヨロシク!”とでもいうような人々の熱気・活気の盛り上がりにワクワクして活力が湧いてくる思いがします。
楼門までの参道には露天が続いますが、縁日の定番の“たこ焼き・広島焼き・土手焼き・りんご飴”等と並んで“古着物や骨董・園芸品”などがあり、懐かしいスマートボールに興じる方もおられます。
生鮮の新巻鮭まで売っている店まであるのは師走ならではの風景ですね。
楼門好きの当方は参道の先に楼門が見えてくると嬉しくなってしまうのですが、楼門には来年の干支の酉のジャンボ絵馬がかかっており、晴れやかな正月が待ち遠しくなってきます。
本殿前には重要文化財になっている三光門があり、左右には本殿まで長い回廊が続いています。
三光門は豊臣秀頼が1607年に造営されたとされますが、「三光門」とは本来は「日・月・星」の彫刻があるはずにも関わらず、「星」だけがないために「星欠けの三光門」と呼ばれ天神さんの七不思議になっているようです。
残念ながら人の波に押されてしまい、七不思議をじっくり見ることは出来なかったのですけどね。
本殿(社殿)は本殿・拝殿・石の間がつながった権現造の建物で、日本最古の権現造りの建築物として国宝に指定されています。
創建以来何度か火災にあったそうで、現在の建物は1607年に豊臣秀頼が造営したものということです。
本殿の裏側には「裏の社(うらのやしろ)」があり、そちらからも拝めるようになっていました、ここには道真の先祖・祖父・父の三柱の神様が祀られているそうです。
この角度からでは分かりにくいですが、言われてみれば権現造りの様式にも見えます。
境内には50以上の摂社があり、道真ゆかりの梅の木も多く見られました。
全部で約1500本の梅があるそうですので春には圧巻の風景になるのかと思われます。
「地主社」という摂社の横には季節外れの梅の花まで咲いていましたから、暖冬で梅も目が覚めてしまったのかもしれませんね。
御朱印は1枚目と2枚目が北野天満宮の朱印で、2枚目の「和魂漢才」は道真の精神である“自国の歴史と文化にしっかりとした誇りを持ち、他国の文化も受け入れる寛容さ”という意味だそうです。
3枚目は境内にある「東向観音寺」の御朱印で、元は北野天満宮の神社寺だったそうですが、現在は真言宗泉湧寺派の寺院になっています。
にぎやかな境内に戻ると、猿回しの大道芸の真っ最中で愛嬌抜群です。
見物客の顔を出してしまいましたが、みんな微笑んでいる和みのひとときです。
歩き回って少し疲れたので茶屋で一服。
この「長五郎餅」は秀吉の時代に創業の起源に持つお店で、北野天満宮には毎月25日の縁日の日だけ出店しているそうです。
それでは皆様、どうぞよいお年を!
地域によってバラツキがあるのかどうかは分かりませんが、滋賀県には何ヵ所か名前の付いた神社がありますし、神社名は違っても菅原道真を祀る神社は非常に多いと思います。
菅原道真は簡単にいえば平安時代のエリート中のエリートで出世頭の方でしたが、讒訴(ざんそ:他人をおとしいれようとして、事実を曲げて言いつけること)されてしまい、太宰府に左遷。
失意の中で2年後に死亡した後は平安京の祟神(怨霊)と畏れられたことから、神として祀ることでその祟りを鎮めたとされています。
北野天満宮は当初は祟り封じの「天神様」信仰で始まったとされていますが、道真が優れた学才の人物だったことから現在では「学問の神様」として信仰を集めています。
「北野天満宮」は天神様の総本山で合格祈願で参拝する受験生も多く、当方も「十三詣り」で参拝した記憶がありますが、学業開眼とはいかず...でした。
参拝したのは「終い天神 (しまいてんじん)」の日でした。
北野天満宮では毎月25日を縁日としていますが、12月の縁日は最大の恒例神事になるそうで、一の門の前から凄い人の数です。
午後4時に到着したにも関わらず、参道には溢れんばかりの人でしたから午前中は更に凄かったことでしょう。
当日はクリスマスの日でしたが、神社に大勢の方が参拝するのは日本の文化やなぁと思いながら歩いていくと、外国人の方が多く見受けられたりもするのが面白い。
“師走の終わりに自分にお疲れ様!”、“来年もヨロシク!”とでもいうような人々の熱気・活気の盛り上がりにワクワクして活力が湧いてくる思いがします。
楼門までの参道には露天が続いますが、縁日の定番の“たこ焼き・広島焼き・土手焼き・りんご飴”等と並んで“古着物や骨董・園芸品”などがあり、懐かしいスマートボールに興じる方もおられます。
生鮮の新巻鮭まで売っている店まであるのは師走ならではの風景ですね。
楼門好きの当方は参道の先に楼門が見えてくると嬉しくなってしまうのですが、楼門には来年の干支の酉のジャンボ絵馬がかかっており、晴れやかな正月が待ち遠しくなってきます。
本殿前には重要文化財になっている三光門があり、左右には本殿まで長い回廊が続いています。
三光門は豊臣秀頼が1607年に造営されたとされますが、「三光門」とは本来は「日・月・星」の彫刻があるはずにも関わらず、「星」だけがないために「星欠けの三光門」と呼ばれ天神さんの七不思議になっているようです。
残念ながら人の波に押されてしまい、七不思議をじっくり見ることは出来なかったのですけどね。
本殿(社殿)は本殿・拝殿・石の間がつながった権現造の建物で、日本最古の権現造りの建築物として国宝に指定されています。
創建以来何度か火災にあったそうで、現在の建物は1607年に豊臣秀頼が造営したものということです。
本殿の裏側には「裏の社(うらのやしろ)」があり、そちらからも拝めるようになっていました、ここには道真の先祖・祖父・父の三柱の神様が祀られているそうです。
この角度からでは分かりにくいですが、言われてみれば権現造りの様式にも見えます。
境内には50以上の摂社があり、道真ゆかりの梅の木も多く見られました。
全部で約1500本の梅があるそうですので春には圧巻の風景になるのかと思われます。
「地主社」という摂社の横には季節外れの梅の花まで咲いていましたから、暖冬で梅も目が覚めてしまったのかもしれませんね。
御朱印は1枚目と2枚目が北野天満宮の朱印で、2枚目の「和魂漢才」は道真の精神である“自国の歴史と文化にしっかりとした誇りを持ち、他国の文化も受け入れる寛容さ”という意味だそうです。
3枚目は境内にある「東向観音寺」の御朱印で、元は北野天満宮の神社寺だったそうですが、現在は真言宗泉湧寺派の寺院になっています。
にぎやかな境内に戻ると、猿回しの大道芸の真っ最中で愛嬌抜群です。
見物客の顔を出してしまいましたが、みんな微笑んでいる和みのひとときです。
歩き回って少し疲れたので茶屋で一服。
この「長五郎餅」は秀吉の時代に創業の起源に持つお店で、北野天満宮には毎月25日の縁日の日だけ出店しているそうです。
それでは皆様、どうぞよいお年を!