僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

湖北の巨樹を巡る7~「上許曽神社のスギ」「田川薬師如来堂のスギ」~

2020-08-27 08:20:20 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 伊吹山地に属する「金糞岳(1317m)」は、伊吹山(1377m)に続く県内2番目の高さを誇る山であり、「竹生島」にまつわる伝承がある山です。
伊吹山の神(多多美比古命)が金糞岳の神(浅井姫命)と高さを競い、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を切り落とした。
それによって伊吹山は最高峰となり、一方で切り落とされた金糞岳の首は琵琶湖に落ちて竹生島になったという伝承です。

<上許曽神社の杉>

金糞岳の林道の入口となる高山キャンプ場から草野川に沿って下ったところに「上許曽神社」があり、スギの巨樹があるといいます。
草野川流域から小谷山にかけての一帯は、巨樹のある神社が多いところで、上許曽神社にも樹齢300年以上の巨樹や幹周6m相当のスギが何本か守り続けられている。



「上許曽神社」は、桓武天皇の時代789年に「草野姫命」を主祭神として祀り、治承年間(1177~1181年)には配祀神として「大己貴命」「事代主命」「住吉大神」「埴山大神」を祀ったとされます。
「草野姫命」は、伊邪那岐命・伊邪那美命の子とされており、別名である「野椎神(のづちのかみ)」には「野の神」の意味があるといいます。



「上許曽神社のスギ」は、拝殿の両端を守るが如く聳え立ち、境内にはこの2本以外にもスギの大木が何本か見られる。
環境省のデータベースでは、幹周が610mで樹高は38m(もしくは41m)とあり、推定樹齢は300年以上とされている。



拝殿の右側で山側にあるスギが一番太そうではあったが、左側のスギも遜色のないサイズで、兄弟杉といった感がある。
このスギは正面から見るよりも、横から見た方が太さが実感でき、神奈備の山を背に社を構える本殿の前に立つ姿は、神の依り代とでもいったらよいのだろうか。



木の幹はかなり高い位置まで枝打ちされているが、上部は枝が何本にも分岐して、葉の勢いも良さそうに見えます。
単純にビル10階相当の高さかと思われますので、この高さの木を支えている根は、見た目以上に力強く根を張っているのだと思います。



拝殿の左側のスギもほぼ同サイズで、こちらも随分と背が高い。
本殿脇にもう1本スギがあるが、そちらのスギもか細いスギではなく、樹齢はそこそこのあると思われます。



スギの上部に枝打ちされた跡はこちらの方が荒く残っているが、樹勢は何本かに分岐した枝が少し垂れるようにして伸びている。



手水舎の横にはかつて巨樹であったろうと思われるケヤキが下部だけ残っていました。
幹に瘤があり、老木だったと思われますが、折れたと思われる部分だけが生々しいのは、折れてからの年数が短いのか。



獣除けのネットが張られた山側にも大きなスギがあり、後方には石の祠が2つある。
祠の中に石仏が彫られていたため、これは山の神を祀っているのだろうと思って近寄ってみる。



ちょうど地元のお爺さんが境内に掃除に来られたので聞いてみると、“あれは地蔵さんで、わしらが子供の頃からあったよ。”とのこと。
地蔵さんということは村の外からやってくる疫病を防ぐ道祖神で、祀られた場所から山の神といえるのではないでしょうか。





<薬師如来堂のスギ>

草野川流域から林道を通って小谷山へ向かうと、須賀谷温泉の手前の田川集落に「薬師如来堂」がある。
田川の「薬師如来堂」にどんな薬師さんが安置されているのかは知らないが、湖北には高月の観音さんのように認知されている仏像以外にも、知る機会のない仏像が数多く眠っているようである。



田川町は、小谷山の南の裾野から田園地帯へとつながる位置にあり、小谷山の山麓には小さな神社と薬師如来堂があって、集落の守り神となっているように思える。
薬師堂の境内に入ると、小ぶりな御堂の前に斜めに傾いたスギの巨木があり、注連縄が巻かれている。



御堂の前で向き合うようにもう1本注連縄を巻かれたヒノキがあり、2本で対になっている御神木のようです。
2本の御神木の他にもスギが何本か生えていて、御堂の周囲はちょっとした森のようになっている。



斜めに傾いているスギは幹周約5m、樹高は25mほどあるというが、この傾いた姿勢でも倒れないのは根っこの強さなのでしょう。
実際に根は地面から浮き出し、広い範囲まで伸びようとしている姿が伺えます。





根は地中から剥き出しになって這いまわっていますが、幹から離れた部分はもう枯れています。
傾きつつもしっかりと根を張って生きる姿は、荒々しくも力強い。



当方は元々神社仏閣が好きで、特に仏像を拝観するのがこの上なく好きでしたが、振り返るとそこにある巨樹にも興味を感じていたと思います。
その集落ごとでお祀りする姿はそれぞれ違い、独特のお祭りや信仰形態がありますが、根底に流れているものは神仏や自然に対する畏怖する心なのかもしれません。


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湖東の巨樹を巡る1~「多賀大社の飯盛木」「菩提寺の美し松」~

2020-08-22 13:55:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 多賀大社というと、すぐに「糸切り餅」が思い浮かんでしまうのですが、「糸切り餅」の老舗の店舗に看板として使われているのは大きな杓子です。
杓子は「お多賀杓子」といい、奈良時代の元正天皇(第44代の女性天皇)の病に際し、多賀大社の神主が強飯を炊き、飯を盛る杓子を献上すると、天皇がたちまち治癒されたとの伝承があります。

多賀町には、杓子に使った残り枝を地に挿したものが大木になったと伝承される2本の木が「多賀大社のケヤキ」として今も残ります。
まずは多賀大社に参拝してから飯盛木を探すことになりますが、早朝の神社は参拝者はほとんどおられず、とても気持ちが良く参拝出来る。



多賀大社の鳥居から表参道絵馬通りを進み、住宅街の街並みが切れ、田園地帯に入ると飯盛木は容易に見えてくる。
飯盛木は、「男飯盛木」と「女飯盛木」の2本が対をなして200mほど離れた位置に立っており、西に工場が見えるものの、見渡す限りの田園地帯を歩くのは爽快な気分です。



男飯盛木は、幹周6.32mで樹高は15m。樹齢は推定で300年以上だといい、滋賀県の指定自然記念物となっています。
幹は随分と傾いてはいるものの、樹冠はこんもりと茂り、老木とはいえまだまだ健在な姿を見せてくれます。



風を遮るものが何もない田園地帯ですから、このように傾いてしまったのかもしれませんが、支えがしっかりと設置されていて、枝は上方に向かって伸びています。
かつてはもう1本大きな枝があったようではあるが、その枝は分岐のところで折れてしまったようで、少し痛々しい。





「女飯盛木」は、キリンビール滋賀工場の方向に探すまでもなく見えており、移動すると駐車できそうなスペースがあった。
農繁期ではなかった時期だったから良かったものの、農繁期だと狭い農道に入るのは迷惑になってしまうので、とてもじゃないけど入れない。



女飯盛木の方も主幹が傾いていて、先端部は折れているが、バランスを取るように主幹とは反対方向に分かれた枝には葉が茂る。
女飯盛木の幹周は9.75mと男飯盛木よりかなり太くなっており、樹高は15mとほぼ同じで、樹齢300年以上というのも同じ表記になっていた。



主幹の中央辺りにある枝の折れた跡と瘤が特徴的で、何か生命を宿した生き物のようにも見えてしまう。
「お多賀杓子」は、無病長寿の杓子のお守りとして親しまれており、多賀大社では絵馬ではなく杓子に願い事を書いて祈願します。
元正天皇の病気治癒の伝承も、この2本のケヤキを見ると後に作られた話というよりも、元々ケヤキが多い土地柄だったところに祈願とケヤキが結びついていったのかもしれません。





さて、このようにケヤキが多賀大社の縁起に結びついていると、多賀大社の御神木のように受け取ってしまいそうですが、多賀大社の御神木は大社から6キロ離れた杉坂峠に祀られています。
御神木である「杉坂峠の三本杉」には、伊邪那岐大神が高天の原から天降られた時に、土地の老人が粟の飯を献上し、大神が食後にその杉箸を地面に刺したところ、根付いて大木になったという伝承があります。

飯盛木といい、三本杉といい飯(米)に由来する伝承があるのは、神道での稲作に対する霊的な信仰につながっているとも言えそうです。
「杉坂峠の三本杉」は、車がすれ違うことの出来ないような細い林道を登った先にあり、数年前に訪れた時には濃霧で数m程度の視界しかない中での走行でした。
やっとたどり着いた霧の中に、3本杉が立っている姿を見た時には、あまりの神々しさに震えが止まらなかった記憶があります。



<名神高速 菩提寺PAの「美し松」>

随分と久しぶりに高速道路で外出する用事があり、休憩で菩提寺パーキングに立ち寄ったところ、見応えのある松があるのが目に入ってきた。
信楽焼のタヌキさんの後方にあったのは、枝分かれの多いアカマツかと思ってみていると、「美し松(ウツクシマツ)」というアカマツの変種で、菩提寺PAのある湖南市平松に自生する特殊なスギだという。



湖南市平松には「平松のウツクシマツ自生地」があり、国の天然記念物に指定されており、このような変種がまとまって自生しているのは劣性遺伝での交配を繰り返した結果であるとされています。
平松の自生地は美松山(227m)の南東の斜面にあるといい、実際に訪れたことはありませんが、約200本ほどのウツクシマツが群生しているといいます。



菩提寺PAの「美し松」は、名神高速建設時にウツクシマツと思わしき若木を3本移植し、枯れなかった2本のうちの1本が本物のウツクシマツだったといいます。
ウツクシマツには大きくなる性質があり、主幹が真っすぐに伸びずに多くの枝に分かれるといいます。
この菩提寺のウツクシマツも確かに多くの枝に分かれて、背が高く伸びています。



平松のウツクシマツには、平安時代に欝々とした生活を送っていた藤原頼平という青年が、平松を訪れた時に突然娘が現れて“松尾明神から頼平のお供を命じられた”と言ったとされます。
頼平が辺りの山を見渡すと、周囲の雑木林がたちまち美しい松に変わったという伝承があるといいます。

頼平は、京都・松尾大社から分霊を頂いて、平松に松尾神社を創建したといい、平松のウツクシマツは松尾神社の御神木となったと伝わります。
また、歌川広重は「東海道五十三次」の水口宿の浮世絵に「平松山美松」を描いており、古くからこのウツクシマツが親しまれていたことが分かります。



高速道路のパーキングで名木に出会ったのも何かの縁。
いつになるか分かりませんが、機会を見つけて「平松のウツクシマツ自生地」を訪れてみたいものです。


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『Co-LAB#1,2,3 #3 大井康弘✖桝本佳子』~ボーダレス・アートミュージアムNO-MA~

2020-08-16 17:50:50 | アート・ライブ・読書
 ボーダレス・アートミュージアムNO-MAで開催されている『Co-LAB#1,2,3』は、2人の作家によるコラボ展を3期に分けて開催された展覧会です。
3期のテーマはそれぞれ「#1 Symbol(象徴)」、「#2 Drawing(描くこと)」、「#3 Image(像)」と企画されており、第3期の「#3 Image(像)」へ出向きました。
造形が好きな事もありましたが、NO-MA美術館のHPを見ていて気になった桝本佳子さんの作品を見たかったことが「#3 Image(像)」を選んだ動機です。

NO-MA美術館は、ボーダレス・アートミュージアムを名乗るだけあって、紹介される作家はアールブリュットの領域にとどまらず、あくまでもボーダレスに企画されます。
そこで紹介される作家の方々は、多種多様で個性豊かな作品を造られる方が揃い、今回の二人展でも全く違った表現方法の作家さんの作品を一つのテーマの下で味わえました。



今回の二人展は、粘土作品と平面作品の大井康弘さんと、伝統的な陶磁器の技術で斬新な器を造形される桝本佳子の2人が紹介され、度肝を抜かれる作品が多かったと思います。
会場へ入った瞬間に圧倒されるのは、焼き物の壺から飛び出し、あるいは顔を突っ込んでいるマガンの大きな壺でした。
おまけに会場には数羽のマガン(焼き物)が飛んでいる。



1階のフロアーの空間は雁行のインスタレーションとなっており、2面の壁にはコラージュされた平面図。
最初に、焼き物の迫力というか、ありえない意外性に目が行ってしまうのは誰もが同じだと思います。


「雁行/壷」 桝本佳子 2012

桝本さんは、京都市立芸術大学大学院修士課程陶磁器専攻修了後、フィラデルフィア芸術大学のゲストアーティスト、神戸芸術工科大学 陶芸コース実習助手。
2013年には、英国ヴィクトリア&アルバート博物館のレジデンスプログラムアーティストをされ、現在は滋賀県信楽にて制作活動をされておられるそうです。
個展やグループ展も定期的に開催されているようであり、いくつかの賞を受賞されているようです。


「雁行/壷」 桝本佳子 2012

専門的なキャリアを積んでおられる方ですから、壷だけを見ても焼き物としてプロの陶芸家の作品となっており、精巧に造られたマガンも見事なものです。
その2つが合体してしまうのですから、見ている方はあっけにとられるような作品としか言い様がなく、その発想と技巧に感心するほかありません。
面白いのは作品群が、単なるオブジェにはなっておらず、あくまでも壺としての機能を備えていることではないでしょうか。


「雁行/壷」 桝本佳子 2012

NO-MA美術館で配布されている作者紹介文によると、桝本さん自身の政策テーマは「用途のない、飾られるためだけに作られた器」だと述べられているといいます。
壷や絵皿は、本来は花を生けたり料理を盛りつけたりするものでありながら、鑑賞するための美術品という側面がありますが、作品群は本来の機能から離れて装飾品の要素が色濃くなっています。



桝本さんと同い年の大井康弘さんの作品は、コラージュされた平面作品とヒンドゥー教の神・ガネーシャや動物を模した粘土作品となっています。
平面作品の絵のモチーフとなるのは“骸骨”“人体”“動物”などが多く、着想源としてはマンガやアニメからではないかと考えられているといいます。
また、幼少期をアメリカで過ごした大井さんが、当時目にしたキャラクターが表現の素材になっているのでは?ともキャプションに書かれてありました。


「骸骨」 大井康弘

骸骨をモチーフにしたコラージュ作品は、大井さんがプライベートな時間に作りためている作品シリーズだといいます。
大井さんは、これらの作品をトートバッグにぱんぱんに詰めてどこに行くにも持ち歩いているといいますから、作品は自身の体の一部か、分身のようなものなのかもしれません。


「骸骨」 大井康弘

日めくりカレンダーの裏にコラージュされた作品は、「からだ」という作品。
からだがバラバラとなっているが、作品には正円を中心にしたものが見られ、なぜかパンツにもこだわりがあるようです。
また、大井さんは自作のイラストやコラージュをコピー機にかけて、複写した紙の方に価値を感じているのだという。


「からだ」 大井康弘

NO-MA美術館には1階および2階の展示室と、中庭・蔵での展示があり、古民家と作品が一体化しています。
中庭には大井さんの造形作品が配置されてあり、それらは“ゾウ・へび・たこ・たつ・うし・さる”などの動物の粘土作品です。
9点の作品が中庭に展示されていましたが、「たこ」を題材にした作品は桝本さんも作られており、2人の作品の対比が面白い。


「たこ」 大井康弘

「蔵」の中には2つの壺につながるように造形された桝本さんの「竹田城址」が置かれてありました。
加湿器の蒸気は、雲海の広がる「天空の城・竹田城址」をジオラマのように演出されているのでしょう。
桝本さんの作品は生き物が中心かと思いきや、歴史的な建築・建造物をモチーフにされることも多いようです。


「竹田城址/壷」 桝本佳子 2015

2階の床の間に置かれていた「カジキ釣り」は、花瓶と融合した漁船から延ばされた竿が、もう一つの壺と融合したカジキを釣り上げている圧巻の作品です。
作品は、意外性とアイデアの面白さに驚くと共に、確かな技巧と陶磁器作家としての力量の凄さに感嘆してしまいます。


「カジキ釣り/壷」 桝本佳子 2014

「アリゲーターガー」という作品は、本来は鉢のはずが、アリゲーターガーが完全に主題となっています。
鉢とアリゲーターガーのような異質な物どうしの出会いは、まず驚き、次にある種の笑いやユーモアのようなものが感じられます。


「アリゲーターガー/鉢」 桝本佳子 2020

次の「毛蟹」も、毛蟹の技巧の凄さと赤絵壺の見事さを感じられる作品です。
近代の陶芸の世界に宮川香山さんの「高浮彫」という技法があるようで、宮川香山の作品にも花瓶と蟹をモチーフにした作品があります。
桝本さんの作品の場合は、より分かりやすいゆえのインパクトがあり、どこか愛嬌のある作品が多いように感じます。


「毛蟹/赤絵壺」 桝本佳子 2017

面白いというか感心したのは「猿」という作品で、前から見ると餌をねだる子猿と何か食べている母猿の壷ですが、後ろから見ると山水画の壺となっていること。
改めてこの方の陶磁器作家としての実力の高さが伺えます。




「壷/猿」 桝本佳子 2008

対する大井さんの粘土作品は、自身の分身を作り出すかの如く、自分の体毛や木の実などをティッシュ・新聞紙・ガムテープで作った芯材の上に粘土を重ねていくといいます。
粘土を重ねて覆うことで、元が何だったのか分からなくなる作品があるといい、それが逆に見る者にとっては、その独特の感性に驚かされることになります。


「ガネーシャ」 大井康弘

同じガネーシャと名が付いていても、会場に展示されている3種類のガネーシャは姿が大きく異なります。
もっともガネーシャ神らしいのは下の像になり、象のような顔・長い鼻・四臂があり、股間からは蛇が顔を出している。

蛇は想像の産物か、そんな絵や像を観られたのかは不明ですが、何かガネーシャ神に心を動かされるものがあったのかもしれません。
尚、ガネーシャ神は、あらゆる障害を除去して成功に導く神として信仰され、日本では「大聖歓喜天」として祀られる天部とされます。


「ガネーシャ」 大井康弘

最後に桝本佳子さんのもはや実用性を失って装飾品となっている皿を2枚。
「竹燕/皿」は、絵皿に描かれた燕と、皿から飛び出した燕が見つめあって求愛でもしているかのよう。
竹も皿と一体化していて、実に風情のある作品だと思います。


「竹燕/皿」 桝本佳子 2008

「朝顔/皿」も、日よけのすだれのこちら側に咲く朝顔の絵と、立体の朝顔が調和して涼し気な風景を眺めているかのような気持ちになります。


「朝顔/皿」 桝本佳子 2020

大井康弘さんの作品は同じNO-MA美術館で開催された「HELLO 開眼」以来で、桝本佳子さんはこの展覧会で初めて知った作家さんです。
2人の誰にも真似のできない作品に堪能して美術館を後にしますが、NO-MA美術館はいつ訪れても刺戟的な美術館だと思います。
例年、NO-MA美術館の秋の展覧会は企画盛沢山の展覧会が開催されていますので、次回の展覧会が楽しみになります。


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『早川鉄平-切り絵の世界✖慶雲館』と長浜鉄道スクエア『清水薫 追悼写真展』

2020-08-11 18:01:15 | アート・ライブ・読書
 アート作品と歴史的な建築物とのコラボレーションが実現したのが、長浜「慶雲館」で開催された早川鉄平さんの「切り絵の世界✖慶雲館」でした。
早川さんは、これまでにも寺院の障子画を描かれたり、大自然の中でのインスタレーションでの展示を実現されてこられた方で、自分の世界観を見事に表現されている方だと思います。

フリーカメラマンだった早川鉄平さんは、撮影アシスタントとして撮影に訪れた冬の米原に感銘を受け、募集されていた米原市の「地域おこし協力隊」に応募して、奥伊吹に移住されたといいます。
自然や動物や伊吹山のまつわる伝説をテーマにされることが多く、自然に恵まれた奥伊吹での生活の中で出逢う自然や動物の生き生きとして生きる姿が、作品に映し出されているのが伝わります。



何かのインタビューで早川さんの奥さんが移住される前に“奥伊吹では「信号機まで車で15分かかる」と聞かされた。”という記事がありました。
実際にその通りの地域で信号機よりも道祖神の方が多く、冬の雪道は雪深い地域ということもあって、慣れていないとかなり怖い。

早川さんが移住されたという集落に、別の目的で訪れたことがありますが、自然が多いのはもちろんのこと土地の伝統や文化が特徴的な集落だったことを記憶しています。
また、道を聞いた地元の方には丁寧に道を教えて頂いた上に、車では入れないからうちの家に車を停めておくといい、と親切な対応をして頂いたことが記憶にあり、いい印象を感じた集落でした。



会場となっている「慶雲館」は、1887年(明治20年)に明治天皇の行幸のために建てられた迎賓館で、毎年「長浜盆梅展」が開催されることで有名な建築物です。
前庭・玄関前庭・池泉回遊式の本庭と前後を庭に挟まれ、大灯籠や手水や石塔など配置された石は全てが大きい。
表門から入った瞬間から展示は始まり、前庭にはオブジェの動物たちがすっかりと融け込んでいます。



前庭にある木の横で立ち上がっているのはツキノワグマ。
中門の前を横切るのはホンドキツネでしょうか。道を進むのが楽しみになりますね。





慶雲館の本館に入ると、盆梅展の時とは室内の雰囲気が随分と違うのに驚きます。
盆梅展では室内の老木を鑑賞しますが、今回は本庭を望む縁側の長押(なげし)の横木にずらりと切り絵作品の原画が並んでいます。

熊を中心にして、亀・ペリカンのような鳥・虎・尾びれのあるのは鯨?
伊吹山の風景というよりも南国的な印象を受ける作品です。



同じく摺りガラスに挟まれているのは「牛」と「虎」。
体の部分に鳥や猿や鹿の姿が見えますね。





空を飛んでいるのはカモの姿。
マガモ?カルガモ?繊細で綺麗な作品ばかりで、どの切り絵にも魅入ってしまいます。



エンブレムのようなデザインの雄鹿の切り絵の後方には、本庭をうろつく動物たちの姿も見えます。
お盆の期間3日間だけ、夜間入館が行われますが、夜の本庭はどんなライトアップとなるのでしょう。



大広間の最奥の「床の間」には、床の間に納まりきらないビッグイサイズの熊がこちらを見つめています。
新館にはさらに巨大な象の切り絵もあり、繊細な作品と大きな作品の対比も面白い。



近代日本庭園の先駆者とされる7代目小川治兵衛の作庭による池泉回遊式庭園の本庭は回遊可能なので、酷暑の中だが歩いてみる。
本庭を歩くと、あちこちに動物たちの姿が見えてきて、伝統的な日本庭園と切り絵の動物たちのオブジェとの違和感にワクワクとした気分になる。





猿に関してはリアリティがあって、山の麓の集落などでは、こんな姿を見かけることが多い。
湖北に住む動物たちの主な連中には、ほぼ出会っていることもあって、初めて出会った時の感動を思い出しながら庭園を歩きます。



慶雲館には明治の雰囲気が色濃い本館と、長浜盆梅展などでも使われる新館があり、照明の調整の出来る新館では、光に映し出された幻想的な切り絵の世界が広がります。
日本庭園に置かれた切り絵の動物たちのオブジェ・明治の迎賓館の客間に吊り下げられた切り絵・ライトアップされた「行燈」の美しい光景。
いろいろな世界観が一同に会して見られる工夫が凝らしてあります。



屏風の虎は、客間に吊られていた原画を大きくしたものでしょうか。
原画で見るのと、ライトアップされたものを見るのでは印象が随分と変わります。
ツキノワグマの行燈も、出逢うと怖い熊ながら、愛嬌が感じられる表情が愛らしい。





ところで、慶雲館の正門を出て道を挟んで建つのは「旧長浜駅舎」のレトロな洋館の旧長浜駅舎。
旧長浜駅舎は、北陸線の始発駅として1882年に福井県敦賀駅までの区間が開通され、1883年には長浜~関ケ原間が開通したとされます。
当時の運賃はかなり高かった(一升瓶の日本酒5本分に相当)にも関わらず、陸蒸気に乗りたい人などが大勢訪れ、駅前は旅人宿やカフェ・料理屋など活気にあふれていたようです。

1889年の東海道線の開通によって米原駅が建設されてからは、米原駅が東・南・北を結ぶキーステーションとなり、長浜駅は北陸線のローカル駅となりました。
北陸線の直流化によって新快速電車が乗り入れを開始し、長浜駅が琵琶湖線に加えられたのは1991年のこと。
衰退していっていた長浜が、その頃から観光地化していき、町に活気が戻ってきたという言い方も出来ます。



駅舎に入ると目に飛び込んでくるのが親子の蝋人形。
三等車の乗客らしい親子と、ビロード張りの長椅子に座る一等車の乗客とは随分と身なりが違います。

尻っぱしょりに脚絆姿の親子は、敦賀から来た、あるいは敦賀へ行く行商人でしょうか。
スーツに紳士帽の家族は、上流家庭の方でしょうね。





「旧長浜駅舎」が「長浜鉄道スクエア」へと呼び名が変わったのは、2000年に「長浜鉄道文化館」が開館し、2003年に「北陸線電化記念館」が開館した時に、3施設の総称となってからだそうです。
令和2年6月には、長浜市・敦賀市・南越前町と連携した「海を越えた鉄道 ~世界へつながる 鉄路のキセキ~」が日本遺産に認定されています。
「長浜鉄道スクエア」では日本遺産の認定を記念してミニタオルとポニーのクリアファイルの配布があり、入館料が割引だったのも嬉しい。

また、「長浜鉄道文化館」では早世された鉄道写真家・清水薫さんの追悼写真展「滋賀・琵琶湖を巡る鉄道風景」が開催されていました。
キャプションには“○○駅~○○駅”といった具合に場所が書かれてありましたが、そんな場所があるのか?と思うほど自然物や人工物をうまく取り入れた絶妙な鉄道写真ばかりでした。

 

清水薫さんは、大学卒業後に大手電機メーカーの技術者をされていたものの、鉄道写真への思いが立ち切れず、31歳の時に退職して鉄道カメラマンとしてのキャリアをスタートされたようです。
生計が立てられなかった時期もあったようですが、2001年以降は高い評価とともに仕事が増えていったといいます。

鉄道写真ってあるレベルの人が撮ったら同じになりそうなのですが、そうはならず撮る人の個性や想いが強く出るように思います。
場所・季節・光・人などの全ての条件が揃った一瞬の時を切り取られる鉄道カメラマンの方々は凄い人達だと改めて思い知らされました。



「長浜鉄道文化館」でD51を眺めていた時、踏み切りの警報が鳴りだしたのに気付く。
せっかくなのであたふたと展望台に登って、特急しらさぎを撮ってみましたが、情けなくもしょぼい写真にしかなりませんでした。
まぁ素人なんでこんなもんだわと思うしかありませんね。



追記:8月11日の朝日新聞に早川鉄平さんの切り絵展のことが紹介されており、年明けの「長浜盆梅展」でのコラボレーションがすでに決まっているとのこと。
今回はプレイベントということで、盆梅展がどんなコラボになるのか全く予想ができませんが、興味深い企画展になりそうです。


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「湖北のアールブリュット展2020」~十里街道生活工芸館テオリア~

2020-08-06 19:46:15 | アート・ライブ・読書
 長浜市では例年、秋のイベント「アート・イン・ナガハマ」と歩調を合わせるように「湖北のアールブリュット展」が開催されてきました。
「アート・イン・ナガハマ」は、新型コロナウイルスによる感染が終息していないため、何らかの形での開催を目指されていますが、作家さんのブース展示は正式に中止が決定。
毎年楽しみにしている作家さんたちの作品に出会うことが出来なくなり、残念この上ない中、「湖北のアールブリュット展2020」は開始時期を変更しての開催となりました。

会場となったのは「十里街道生活工芸館テオリア」という工芸作家の展示や、創作工房として教室なども開かれている店で、カフェ&レストランも併設。
大通寺の境内にある蓮池の横から出たほぼ正面にテオリアがあり、入口で検温と消毒・連絡先の記入をした後、2階にある会場へと向かいます。



会場内には所狭しと絵画や粘土作品が並び、多様な作品に目移りしながらも一つ一つの作品を見ていく。
何度も見た作家の作品や、初めて見る作家の作品など多様な作品からは、湖北には優れた作家が何人もいることに改めて驚きを感じてしまいます。



「無題」と名付けられている鈴木彩華さんの作品は、手に絵の具をつけて勢いよく布を引っ張り、創作されたものだという。
鈴木さんの作品作りは、モノを掴んだり、握って引っ張ったりする彼女が持つ手の動きを活かそうとして、作品作りが始まったとありました。


「無題」...鈴木彩華

武友義樹さんと三橋真巳さんコラボレーションは、何度か見た作品ですが、今回は畳の上に展示です。
武友さんは、紐状の粘土を巻き上げながら大きな「つぼ」を作られます。
信楽焼でいう「ひねり」という作り方かと思いますが、積み上げて固定する時の指の跡が印象的です。


「つぼ」...武友義樹

「つぼ」の周りを取り囲んでいるのは、三橋真巳が作った丸めたクラフトテープ。
テープの粘着が指にくっつく感覚が面白いようで、ベッドに横になってテレビを見ながら、丸めたクラフトテープを積み上げていくそうです。


「無題」...三橋真巳

湖北のアールブリュット展で毎回思わず吹き出してしまうような楽しい作品は吉居裕介さんのカッパシリーズでしょうか。
新型コロナ感染症でみんながマスクをしていますが、この「マスクカッパ」でもマスクをしたカッパが勢ぞろいしています。


「マスクカッパ」...吉居裕介

「令和カッパ」と名付けられた作品は、どこが令和かと思いきや、カッパが並んで一文字ならぬカッパ文字を表しています。
吉居さんのカッパシリーズのコーナーにいると、ユーモラスなカッパの姿に心が安らぎます。


「令和カッパ」

破天荒で面白いのが、背中にギョウザを乗せている不思議な集団の「ギョウザカッパ」です。
なんでカッパがギョウザを乗せて勢揃いしているのか、全く分かりませんが、この面白さはたまらない。


「ギョウザカッパ」

「おじぞうさん」を作られる片山みづほさんも湖北のアールブリュットの常連作家です。
片山さんの「おじぞうさん」は、あちこちの美術展で何度も見ましたが、素朴でありながらもやさしさに満ちた作品だと思います。


「おじぞうさん」...片山みづほ

教野雄樹さんは、鳥や昆虫・恐竜など色々な物を作っておられるそうで、今回は得意にしておられる恐竜の作品で登場です。
恐竜たちが一同に並ぶ姿には独特の味わいがあり、恐竜を模写したというより、想像を膨らませて作られた作品なのだと思います。


「恐竜」...教野雄樹

今回の「湖北のアールブリュット2020-地域と共に育ち、生きる-」のポストカードにも掲載されている不思議な作品は、梅村文也さんの「無題」です。
見様によって貝殻にも見えますし、クラゲの一種にも見える。あるいは臓器を連想してしまうこともあるかもしれません。


「無題」...梅村文也

スケッチブックの紙を3枚つなげて描いているのは、清水希さんの作品で、絵は季節の花や思い出の風景から選ばれているそうです。
キャプションには“気持ちを全身で表現されるため、腕のコントロールが難しい希さんですが、キャンパスに向かう姿からは「描きたい」という情熱が伝わってくる”とあります。


「無題」...清水希

林風香さんは、絵の具を付けた指先でキャンパスにタッチして1つ1つ色を付け、重ねられていくそうです。
時にはキャンパスを掴んだり、投げたり、顔や床にまで絵の具を広げながら大胆に作り上げていかれるといいます。
力のこもった部分と淡さのバランスが面白い作品だと思います。


「無題」...林風香

湖北のアールブリュット展では「近江学園」の作品コーナーが設けられており、数点の作品が展示されていました。
近江学園は1946年に設立され、「この子らを世の光に」という考えの元、人は主体的で社会的存在であることを目的に事業を行われてきたといいます。

近江学園の作品の1つに魚のような、船のような、あるいは島のようなものに神社が建てられている作品がありました。
この不思議な作品を見て、竹生島神社のかわらけ投げを思い起こしてしまったのは、拝殿から見下ろしてかわらけを投げる鳥居を連想したからでしょう。



「十里街道生活工芸館テオリア」を出て振り返ってみると、お城の天守閣のような建物だったことに気付く。
こんなギャラリー&カフェがあったことを初めて知りましたが、こういう空間が長浜にあったのですね。




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