ここ数年の間、寺院や神社へ参拝することが増えていて、その中で「仏像・建造物・庭・石仏・摩崖仏・磐座・遺跡」など関心事は広がるばかり。
神社仏閣を参拝した時などに巨樹に出会うことが多々あり、その姿にも魅力を感じ、関心をひかれます。
巨樹の一つの魅力は人工物ではなく、あくまで自然のなしうる姿であり、その迫力や生命感にひかれるとともに、創作では真似できない造形の美しさと神々しさには信仰に近いものまで感じてしまいます。
長浜市木之本町の大音にある「伊香具神社」の数百m先の「一ノ宮神社」に「野大神」こと「一ノ宮の白樫」という巨樹があると聞き、立ち寄りました。
「一ノ宮神社」は、元は伊香具神社の一ノ宮であったといい、御祭神に天之押雲命を祀る神社として独立しています。
神社は「鞘堂」があるのみですが、この鞘堂は戦前に伊香具小学校にあった「奉安殿(御真影や教育勅語などを収めていた建物)」を昭和20年に移したものだといいます。
「奉安殿」は、敗戦の年にGHQによって廃止されたそうですが、今も神社として残されているのは不思議な感じがするとともに、戦時を伝える資料なのかと思います。
「野大神」の石碑の奥にある白樫は、樹冠がこんもりと茂り、樹冠は周辺の杉との境目が遠目では分からないほど茂っている。
枝の下に入って幹を見ると、大きな空洞があるものの樹冠の茂り方からすると樹勢は良いのでしょう。
まじかに見ると根が数本に分かれていて、さながら恐竜が立ち上がったような姿をしており、上へと延びる幹が首のようにも見える。
この部分だけを何かに見立てると“麒麟”のような姿です。
「一ノ宮の白樫」を裏から見ると2幹に分かれているが、元は1本の樹であったとされています。
推定樹齢400年、注連縄の巻かれている幹は10m近くはありそうで、樹高は20mとされる。
山側の幹は苔むしており、周辺に草があまり生えていないのは地元の人が手を入れて野神さんとして守られているからなのでしょう。
<西物部の野大神>
「伊香具神社」の御祭神「伊香津臣命」を祖とする伊香氏には、「物部氏」の近縁であるという説や「中臣氏(藤原氏)」の祖であるという説がありますが、高月町には物部という集落が存在します。
湖北には物部氏とつながる伝承が幾つかあるとはいえ、氏名そのものの“物部”を名乗る村があるというのも興味深い話です。
しかも物部集落には「西物部の野大神」と呼ばれるケヤキの巨樹があると知り、高月町西物部へと向かいます。
同じ高月町の柏原集落の「八幡神社(阿弥陀堂来光寺)」にもケヤキの巨樹(幹8.4m・樹高22m・樹齢300年)がありますが、西物部の野大神も負けず劣らずの巨樹です。
「柏原の野大神」は幹が太くゴツゴツとしたケヤキの印象が強く、「西物部の野大神」は拡がるように伸びた枝が猛々しい印象を受ける
「西物部のケヤキ」は、幹周5.7m・樹高23mで推定樹齢が300年とされており、古木ゆえに枝が折れたり補修された跡がみられる。
野大神のある場所は小山のようになっているが、周辺の草は刈り取られていて、地元の人がこの樹を大事に守られていることが伺われます。
この西物部の近くの唐川という集落には「唐川の野大神」と呼ばれる推定400年の杉があったようですが、2018年の台風21号で残念ながら倒壊してしまったそうです。
2018年の台風はあちこちで大きな被害を与え、当時は倒壊した樹木と荒れた山を各所で見た記憶があり、自然災害の怖ろしさを痛感したものでした。
巨樹のある小山の横に独特の形・色をした岩がありました。何か謂れや由来のある岩なのかもしれません。
ところで、「西物部のケヤキ」から西の方向を見ると、樹勢の良さそうなスギの大木がある神社が見えます。
神社は「八幡神社」といい、聳え立つように真っすぐに伸びたスギは名木にはカウントされてはいませんが、中々の巨樹です。
この日、樹木伐採の業者の方が境内の樹を伐採されており、クレーンも来ていましたので切られてしまうのかと思い、写真を残させていただきました。
自然災害等で倒壊すれば神社は元より、周辺の家にも被害が出ますから伐られるのもやむを得ないことだと思います。
後日、どうなったか確認に訪れると、上の方の枝が何本かは枝打ちされていたものの、主幹はしっかり残されて健在でした。
「野大神」は、「御霊木」として祀られたり、集落の入口で結界の役割を果たしたりしますが、湖北では豊作祈願として野の神を祀る風習があるといいます。
巨樹を見て神々しさを感じるのは、人の手では成せない自然の力(神の力)を感じてしまうからともいえます。
神社仏閣を参拝した時などに巨樹に出会うことが多々あり、その姿にも魅力を感じ、関心をひかれます。
巨樹の一つの魅力は人工物ではなく、あくまで自然のなしうる姿であり、その迫力や生命感にひかれるとともに、創作では真似できない造形の美しさと神々しさには信仰に近いものまで感じてしまいます。
長浜市木之本町の大音にある「伊香具神社」の数百m先の「一ノ宮神社」に「野大神」こと「一ノ宮の白樫」という巨樹があると聞き、立ち寄りました。
「一ノ宮神社」は、元は伊香具神社の一ノ宮であったといい、御祭神に天之押雲命を祀る神社として独立しています。
神社は「鞘堂」があるのみですが、この鞘堂は戦前に伊香具小学校にあった「奉安殿(御真影や教育勅語などを収めていた建物)」を昭和20年に移したものだといいます。
「奉安殿」は、敗戦の年にGHQによって廃止されたそうですが、今も神社として残されているのは不思議な感じがするとともに、戦時を伝える資料なのかと思います。
「野大神」の石碑の奥にある白樫は、樹冠がこんもりと茂り、樹冠は周辺の杉との境目が遠目では分からないほど茂っている。
枝の下に入って幹を見ると、大きな空洞があるものの樹冠の茂り方からすると樹勢は良いのでしょう。
まじかに見ると根が数本に分かれていて、さながら恐竜が立ち上がったような姿をしており、上へと延びる幹が首のようにも見える。
この部分だけを何かに見立てると“麒麟”のような姿です。
「一ノ宮の白樫」を裏から見ると2幹に分かれているが、元は1本の樹であったとされています。
推定樹齢400年、注連縄の巻かれている幹は10m近くはありそうで、樹高は20mとされる。
山側の幹は苔むしており、周辺に草があまり生えていないのは地元の人が手を入れて野神さんとして守られているからなのでしょう。
<西物部の野大神>
「伊香具神社」の御祭神「伊香津臣命」を祖とする伊香氏には、「物部氏」の近縁であるという説や「中臣氏(藤原氏)」の祖であるという説がありますが、高月町には物部という集落が存在します。
湖北には物部氏とつながる伝承が幾つかあるとはいえ、氏名そのものの“物部”を名乗る村があるというのも興味深い話です。
しかも物部集落には「西物部の野大神」と呼ばれるケヤキの巨樹があると知り、高月町西物部へと向かいます。
同じ高月町の柏原集落の「八幡神社(阿弥陀堂来光寺)」にもケヤキの巨樹(幹8.4m・樹高22m・樹齢300年)がありますが、西物部の野大神も負けず劣らずの巨樹です。
「柏原の野大神」は幹が太くゴツゴツとしたケヤキの印象が強く、「西物部の野大神」は拡がるように伸びた枝が猛々しい印象を受ける
「西物部のケヤキ」は、幹周5.7m・樹高23mで推定樹齢が300年とされており、古木ゆえに枝が折れたり補修された跡がみられる。
野大神のある場所は小山のようになっているが、周辺の草は刈り取られていて、地元の人がこの樹を大事に守られていることが伺われます。
この西物部の近くの唐川という集落には「唐川の野大神」と呼ばれる推定400年の杉があったようですが、2018年の台風21号で残念ながら倒壊してしまったそうです。
2018年の台風はあちこちで大きな被害を与え、当時は倒壊した樹木と荒れた山を各所で見た記憶があり、自然災害の怖ろしさを痛感したものでした。
巨樹のある小山の横に独特の形・色をした岩がありました。何か謂れや由来のある岩なのかもしれません。
ところで、「西物部のケヤキ」から西の方向を見ると、樹勢の良さそうなスギの大木がある神社が見えます。
神社は「八幡神社」といい、聳え立つように真っすぐに伸びたスギは名木にはカウントされてはいませんが、中々の巨樹です。
この日、樹木伐採の業者の方が境内の樹を伐採されており、クレーンも来ていましたので切られてしまうのかと思い、写真を残させていただきました。
自然災害等で倒壊すれば神社は元より、周辺の家にも被害が出ますから伐られるのもやむを得ないことだと思います。
後日、どうなったか確認に訪れると、上の方の枝が何本かは枝打ちされていたものの、主幹はしっかり残されて健在でした。
「野大神」は、「御霊木」として祀られたり、集落の入口で結界の役割を果たしたりしますが、湖北では豊作祈願として野の神を祀る風習があるといいます。
巨樹を見て神々しさを感じるのは、人の手では成せない自然の力(神の力)を感じてしまうからともいえます。