僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

鶏足寺(旧飯福寺)・石道寺の紅葉~木之本町古橋~

2023-11-28 12:33:33 | 風景・イベント・グルメ
 紅葉は、色づき具合や日光の加減など“その年のその日の何時何分”にしか見られない光景があり、最高の瞬間は宝くじに当たるが如くと言われます。
「鶏足寺(旧飯福寺)・石道寺」はコロナ渦を経て、4年ぶりの受入再開となった鶏足寺の紅葉狩りに十数年ぶりに訪れてみました。

今年は紅葉の状態が悪いとあちこちで聞きますが、鶏足寺も例に洩れずレッドカーペットは見られず、本来なら参道に覆いかぶさっているはずの紅葉も少ない。
もっとも良かった年の鶏足寺と比較したらという話で、赤色を中心として美しく色づいたカエデは多く、観光客の方からは感嘆の声があがっていました。



駐車場から集落内を歩いていくと「亀山の茶畑」という茶畑があり、この茶畑は平安期に最澄が己高山鶏足寺を再興した際に茶の木を植えさせたことに始まるという。
古橋は三成の母の故郷とされ、三成が幼少の頃過ごした寺院があり、関ヶ原合戦に敗れた後に光成が隠れた「大蛇の洞穴」など三成にまつわる伝承の多い地です。
この「亀山の茶畑」で産出されたお茶は石田三成ゆかりの「三献茶」として販売されているそうです。



「鶏足寺(旧飯福寺)」の柱の後方の参道はレッドカーペットになるため通行禁止ですが、落葉した紅葉はすでに変色してしまっている。
もう少し早い時期にくれば良かったのかな?と世話役の方に聞いてみると、今年は落葉が始まったのが早く落葉も少なかったので少し残念な年になりましたとのこと。



紅葉は急な寒暖差がある日が続くことや、日中に秋晴れが続きながらも適度な降水量があって乾燥しないことが条件だといいます。
観光情報では鶏足寺の紅葉は今が見頃となっていましたので、今年の紅葉のベストタイミングではあったようですけどね。



鶏足寺の歴史について触れると、鶏足寺のあった己高山は古来よりの山岳信仰の山であり、鶏足寺は行基によって724年に己高山の山上に創建されたという。
「己高山仏教文化圏」は、修験道・白山信仰・天台密教の影響を受けながら仏教圏として発展していき、湖北の観音信仰に大きな影響を与えたとされます。
鶏足寺の境内地には「己高閣」「世代閣」という文化財収蔵庫があり、己高山仏教圏にまつわる数多くの仏像等が収納されています。



紅葉は赤く焼けた葉が中心になり、黄色や橙色などの紅葉が見られてバリエーション豊かな紅葉が楽しめます。
訪れる方も本格的なレンズを付けたデジイチからデジカメ、スマホまで幅はあるものの、熱心に撮影されておられました。



鶏足寺から石道寺へ行く道の途中にも茶畑があり、この辺りのカエデが一番見頃だったと思います。
このカエデはこんもりとした樹冠に葉が茂っていて、ちょうどいい感じに色づいた紅葉でした。



石道寺には素朴ながら気品のある「木造十一面観音立像 (平安時代中期・重要文化財)」や藤原時代の「十一面観音立像」(旧高尾寺)が祀らています。
寺の池の横にあったカエデも紅葉の状態が良く、時間帯が良ければリフレクションが綺麗なのではないでしょうか。



現在ある鶏足寺は、己高山の山の上にあった寺院を山麓の旧飯福寺跡へ移したものですが、同じ領域内には鶏足寺の鎮守社だったとされる「与志漏神社」があります。
与志漏神社の二之鳥居への参道のカエデも見頃に色づいていて、こちらにはあまり人は流れてきませんのでゆっくり紅葉見物が出来る場所です。



「観音堂」のある場所への石段を登って行くと「己高山」がよく見える場所がありました。
写真中央からやや左奥の山が己高山(標高923m)です。
熊に遭遇する危険があるので一人での登山は控えて下さいと注意事項のある山なので怖ろしくて登ったことはありませんが、いつか登ってみたい山です。



鶏足寺は紅葉スポットとしてあまりにも有名になってしまい、4年ぶりの受入とあって、オーバーツーリズム対策がされて極端な人の集中はありませんでした。
ゆったりめに紅葉見物が出来ましたので、帰りに五平餅を食べて、お土産に「丁稚ようかん」2種を購入。



古橋の集落はや山麓に近く、普段は静まり返っているような集落ですが、紅葉の期間はお店を出して地元の物産を売られたりしてにぎわいます。
甘酒や五平餅の販売、お茶や柚子や里芋に薩摩芋や唐辛子など、地元の方の声高く売られており、紅葉期間は古橋の集落にお祭りがやってきたようです。


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「瀧の宮」大瀧神社の大蛇ヶ渕~犬上郡多賀町~

2023-11-24 05:35:35 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 紅葉は狙った紅葉スポットへ通い詰めて、見頃の時期や天気や光に恵まれないとなかなか最高の景色には出会えないようです。
紅葉を見ようと「瀧の宮」こと大瀧神社に参拝しましたが、絶景の紅葉とはいかなかったようです。
神社の世話方の方も今年の紅葉は例年より良くない感じで、暑い日が続いた影響があったかもしれないとおっしゃっておられました。

「大瀧神社」は御祭神に高龗神・闇龗神を祀っており、この神は水の神として祀られています。
京都・貴船神社でも本宮に高龗神、奥宮には高龗神(闇龗神)が祀られ、やはり水の神として信仰されています。
「大瀧神社」は、多賀大社の末社あるいは奥宮ともされてきた神社で、多賀大社の奥宮とされる神社には他には「調宮神社」があります。



「大瀧神社」は犬上川の中流域に面しており、犬上川の傍には「大瀧神社のスギ」という御神木があります。
幹周は5.2m、樹高28m、推定樹齢300年以上とされるこのスギは、少し離れた場所からもその幹の太さが分かる見応えのある巨樹です。



御神木の下を流れる犬上川は大瀧神社の境内の手前辺りから、勢いのある清流が約10mの落差を流れ落ちて奇岩の間をうねっていくように流れます。
その姿からは景勝地「大蛇ヶ淵」の名に相応しい激流が望め、まさに荒れ狂う大蛇を想像させる姿です。



戦後に「大蛇ヶ淵」の上流に犬上ダムが建設されるまでは水流が今よりも多く、「大瀧」の名に恥じない堂々たる瀑布だったといいます。
変化に富んだ渓谷美は、犬上川の激流によって何百年もかけて刻まれ削られながら造りあげられてきたのでしょう。



「大瀧神社」の前は渓谷にですが、少し上流や下流は穏やかな流れとなっていて、神社前の大蛇を思わせるこの瀧渕に大蛇を見出し、聖域としたのも頷ける話です。
犬上川の水は五穀豊穣をもたらす命の水であり、時に氾濫して暮らしを破滅させる怖ろしいものですから、この地に神として祀って安寧を祈願したとも言えると思います。



渓谷を動画で撮るとこのようになります。



やや下流の展望所まで歩いて行くと、少し色づいた紅葉が渓谷を背景にして見られる場所があります。
東近江は紅葉の時期になると、「湖東三山」を始めとしてツアーバスや観光客がどっと訪れる紅葉スポット多く、一年間でもっともにぎわう時期かもしれません。



この場所は、眺める位置によって紅葉の色が違って見えるのも面白い。
黄味を帯びた葉から橙色の葉が見える場所と、紅く色づいた葉が見える場所があり、後方には最後の落差がある犬上川が見える。





右に視線を向けると、人の手は入ってはいるようだが、一筋に流れ落ちる滝が見える。
多賀町は鈴鹿山系の滋賀県側の山麓になりますから、鈴鹿の豊かな水流が各所に流れ込んでいるのかと思います。



本殿に参拝して帰ろうかと歩き出すと、神社の世話方の方が社務所からの景色も綺麗ですよ上がっていって下さいと勧めて頂く。
社務所では犬上川側の縁側や窓からリフレクションの写真が撮れるようになっていて、紅葉の状態・天気・光など条件が揃えば...と思える場所です。





2階からの景色は、リフレクションは出ているけど、紅葉ではなく緑が写っています。
とはいえ、ベストな紅葉で光の量や角度が良ければ息をのむような景色が見られることでしょう。





大瀧神社には稲依別王命を守った忠犬・小石丸の大蛇征伐の伝説が伝わります。
稲依別王命によって吉備を刎ねられた胴体の部分は大瀧神社の鳥居の外に「犬胴松」として祠に祀られています。

刎ねられた首の方はというと、犬上川の対岸に祠として祀られており、どうやってあそこまで行ってお祀りされるのか不思議な場所にあります。
別の伝承によれば、小石丸の首は犬上川を流れ豊郷に流れ着き、「犬上神社」に祀られているとも伝わります。






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「日本三百名山」の蓬莱山と打見山へ登る!~下山は紅葉見物~

2023-11-18 06:20:20 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 「蓬莱山」は比良山地の中央辺りにある1173.9mの山で、比叡山と共に「日本三百名山」に数えられ、比良山地では武奈ヶ岳に次ぐ高峰とされる。
比良山地は南北約20キロ、東西15キロの山地で、南に比叡山・北に野坂山地とつながり、近江八景でいう「比良の暮雪」で知られる景勝地です。

これまで比良山地の山に登る機会がなかったのですが、少し前の「蛇谷ヶ峰」登山に続き、「蓬莱山」に登ることにしました。
コースは「キタダカコース」で初心者でも登れるコースとされていますが、コースタイムは登りで3時間くらい予定しておかないといけない山です。



びわ湖テラスに駐車場はありますが9時からしか開門されないとのことで、清林パークに車を停め、まずは登山口までのロード歩きから始まります。
行きと帰りでロード歩きのルートは違う道を歩きましたが、結構な距離を歩かないと登山口や駐車場には辿り着けません。



分かりやすい登山口の看板から山道へ入ると、途中までは林業用かと思われる砂利道が延々と続きます。
素人なので林業のことはよく分からないものの、きちんと整備された植林地のように感じられます。



砂利道の林道を20分くらい歩くと山道らしい道に変わりますが、石ころがゴロゴロとした道になります。
蓬莱山は登山中に“”ご褒美のない山”と言われますが、それは途中に眺望が全くなく、打見山の山頂まで標高差千m強をひたすら登るからなのでしょう。
つい先日登った「蛇谷ヶ峰」も稜線に出るまで景色なく登りのみでしたので同じような傾向の山です。



通れるように整備はされていますが、倒木は何度も見かけます。
また根を包む土の部分が崩れ落ちて、根の部分に空洞がある樹が多かったことも倒木しやすくなっている理由なのかもしれません。



登山口から1時間ちょっと登った辺りから時折ケルンを見かけるようになります。
このケルンは登山中に最初に見たケルンになり、蓬莱山はびわこバレーがあるので観光のイメージがありますが、かつては比良山修験の山であったといいます。



景観はないけど傾斜のある道をひたすら登っていくと、楽しみにしていた「天狗杉」のある場所に到着します。
サイズは不明で樹齢は800年と書かれたものもありますが、幹周の太さもさることながら、荒々しくも猛々しい印象を強く受ける巨樹です。



山道を1時間以上登らないと見ることが出来ないスギであり、天狗杉は蓬莱山キタダカコースの見所の一つだと思います。
比良山には「比良山次郎坊」という天狗が棲んでいたといい、次郎坊は最初は比叡山に棲んでいたものの、比叡山に延暦寺が建立されて比良山に移動してきたという。
そんな次郎坊の伝説が「天狗杉」の名につながっているのかもしれません。



登山道の途中にはお地蔵さんでしょうか。
大きな岩の上にお地蔵さんが祀られ、その周辺にもケルンが積まれています。



この先で天狗杉と共に楽しみにしていた「クロトノハゲ」に到着します。
クロトノハゲは赤坂山の「明王の禿」のような感じかと思っていましたが、予想より規模は小さかったですね。





ここから打見山の山頂までは約30分といったところ。
上方に打見山の稜線が見えてきて気持ちよく駆け上がろうと思ったものの、ここからの急登が中々苦しい。

ただ、ある程度の標高まで登って来ると、葉っぱの形状からしてイワカガミの群生が多くみられる。
春の花シーズンには山頂近くの場所にはイワカガミが咲き誇っているのではないかと推測したりもします。





崖側に突き出したような岩があり、手前には賽銭箱、横にはかつて鳥居だったと思われるものが置かれている。
ここはかつての磐座だったのだろかと考えてしまうと、岩の上には乗れない。



猛り狂っているような枝ぶりの樹の下には不動明王の石像。
今の蓬莱山の信仰なのか、かつての信仰の名残りなのか...。



少し道を外れて登って行くと「天命水」の扁額の掛けられた鳥居があり、一番奥にはここにも不動明王の石像が祀られていました。
蓬莱山には強い信仰の形は見られませんが、所々に山岳信仰や修験道の痕跡があります。



打見山の山頂まではあとわずかでしたが、始発のロープウエイが動き始めましたので写真を撮る。
手前右側には打見山。山続きで左に見える山が蓬莱山です。



打見山(ロープウエイ山頂駅)まで来ると軽装の人が想像以上に多くおられ、登山スタイルの当方は浮いた感じになってしまいます。
登山スタイルの人も僅かにおられましたが、登山道では誰一人出会っていませんので、別のルートから登ってきた人なのでしょう。



びわ湖テラスと呼ばれる施設にはロープウエイが到着する度に人が集まってきます。
テラスに腰かけている方で座る場所がないほどでしたが、この日は山頂の天気は悪くはないものの、下界はガスってしまっていて白いモヤの中。

居心地が悪いので蓬莱山の山頂に向かって歩き出すことにしますが、ゲレンデの坂がなかなか急なので休み休みしながら登ります。
リフトがあるものの営業は10月までなので運行されていなかったこともあって、蓬莱山の山頂まで来る人は少なく、逆に落ち付けました。



山頂表示のポールは字が読み取れないほと傷んでおりましたので行き先標示板で代用します。
後方に続く道は小女郎峠へつながる道のようで、下って行く登山者が何名かと6~7頭の鹿の姿が見えました。
小女郎峠から小女郎ヶ池、薬師滝を経由して下りる周回コースやさらに縦走していくコース、北へ向かって武奈ヶ岳へ縦走も出来るらしいので比良は奥深い。





蓬莱山の山頂には、一等三角点「比良ヶ岳」があり、登頂は完了です。
山頂には「彼岸の鐘」というモニュメントがあり、登山の無事を祈る塔だという。
ゲレンデにも音階の付いた鐘があって、鐘を鳴らせる場所が多く、あちこちで鐘の音がする山でした。





山頂の広場の一角に鳥居があり立ち寄ってみると、鳥居に「山の神」の扁額がかかっている。
ここは「比良大神奥宮社」という神社で、比良大神を御祭神として祀っているとされます。



それでは蓬莱山を後にして下山道やロープウエイ山頂駅のある打見山に戻ります。
足はそれほど疲れてはいなかったのですが、ピストンで同じ道を下りるよりもロープウエイに乗って紅葉を見ながら下山する方に気持ちが傾いてしまいました。



ロープウエイでは琵琶湖側(先頭)はガスってしまって景色はダメでしたが、後方から眺める紅葉はこの日見頃でした。
紅く染まる有名寺院などの紅葉の華やかさとは違いますが、山の色とりどりの紅葉は豊かさや多彩さがあって美しいと思います。
動画はロープウエイの中から見た紅葉です。




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奥田誠一個展「surface」(るーぶる愛知川)と「湖東妖怪封印ARラリー」

2023-11-15 06:09:09 | アート・ライブ・読書
 近江鉄道は滋賀県の湖東地方を走るローカル私鉄で、その歴史は古く最初の区間の開業は1898年のことだといいます。
西武グループの創業者の堤 康次郎が滋賀県旧愛知郡の出身だったため、近江鉄道は西武グループの傘下にあり、西武鉄道の中古車両を再利用したりしている。
赤字路線のため鉄道の存廃が検討されながらも、存続して市民の足となっている鉄道です。

その近江鉄道の愛知川駅の駅舎には「るーぶる愛知川」という小さな美術館があり、4週間ごとに様々な作家の作品を展示しています。
現在、るーぶる愛知川では現在「奥田誠一個展」が開催されており、奥田さんは先日開催された安土町の浄厳院での「現代美術展」にも作品を出品されていた方です。



作品は焼け焦げた和紙を貼り合わせて造形したヒトガタで、宙に浮いていることもあれば、床や壁から生えていたり、椅子に腰かけていたりもする。
それらヒトガタをインスタレーションとして室内に展示してあるので、入口から向き合った時のインパクトは強烈なものを感じます。



ヒトガタはほぼ全員女性のようであり、躰に無数に空いた穴の中は空洞となっており、生まれ出づる者にも見えるし、朽ちていく者にも見えます。
「浄厳院現代美術展」では2年連続で見て寺院の空間との相性の良さを感じましたが、白い壁とフローリングのシンプルな部屋でも映えて見えます。



壁の上の方には腰かけて視線を正面に向けている女性のヒトガタ。
作品の顔などから西洋彫刻のような整った印象を受けますが、それもそのはず奥田さんは大学卒業後は高校で美術の教師をされているとのこと。
造形の完成度が素人の当方が見ても高く感じるのは、美術の専門家ゆえのことなのでしょう。



壁から上半身だけ出ている女性は、動物の首の壁掛けのヒトガタ版のようでもあり、別の次元から生まれ出るような姿でもあります。
焼け焦げて穴だらけの体でありながら、生命感を感じてしまうのはなぜなのでしょうか。



壁から情念によって浮き出してきたかの如くの作品。
力強い両手は、何を掴もうとしているのか。



もしヒトガタをシルエットで見れたら、よくできた美術品の銅像か彫刻に見えるのではないでしょうか。
どのヒトガタも少し上に視線を向けながら正面を見ているのでよりリアルさを感じます。



「るーぶる愛知川」に来るのは2度目ですが、次々と美術展が開催されているのにも関わらず、開催情報が伝わってこないのは残念です。
ところで、「ルーブル愛知川」で面白そうなチラシを見つけました。

「湖東 妖怪封印 ARラリー」という湖東地方に点在する妖怪スポットにいる「淡海の妖怪」を封印して巡るというイベントです。
妖怪スポットは全10カ所ありますが、今回は近江鉄道の沿線に潜む妖怪を封印して回りました。



豊郷駅の近くにある「犬上神社」には大蛇の妖怪が棲んでいるといい、まずはこいつから封印です。
封印は現地でスマホに現れた妖怪をタップして固定し、スマホで「五芒星」を描くように封印アクションで印を結んで封印します。

犬上川上流の大瀧神社にある「大蛇ヶ淵」へ稲依別王命が愛犬小白丸と狩りに出かけ、昼寝をしていた処、小白丸が狂ったように吠え続ける。
命は怒って犬の首を刎ねてしまうが、刎ねた犬の首が松の木の上で命を狙っていた大蛇の喉を喰い破り命を助けたという。
命は忠犬の首をはねたことを悔やみ、祠を建て胴を埋めた場所に松を植えたといい、首は犬上川を流れ豊郷に流れ着いたと伝わります。



ヴォーリズ建築で建てられ観光客に人気の「豊郷小学校旧校舎群」では「平将門の首」を封印しました。
平将門の首が落ちたとされる場所はいくつかありますが、愛荘町にも将門の首伝説が伝わるようです。

平将門は、藤原秀郷に東国で殺されて首級をあげられたが、秀郷が中山道でこの地まで来たとき、目を開いた将門の首が追いかけてきたという。
秀郷は、将門の首に対して和歌の勝負を提案すると、将門の首は答えられず力尽き、橋上に落ちたと伝わる。
藤原秀郷こと俵藤太には“瀬田の唐橋の大蛇”や“三上山の大百足”の伝説が有名ですから、将門の話は秀郷のスピンオフの話にも思えます。



高宮駅では「おたまさん」という聞き慣れない名前の妖怪を封印です。
「おたまさん」というのは別名「ケセランパサラン」という毛玉の妖怪で、どこからともなくフワフワと飛んで来て、いつのまにかいなくなる妖怪らしい。
「おたまさん」は悪さをするわけでなく、見つけてこっそりと箱の中などにしまっておくと幸運に恵まれるが、やがてどこかへいなくなるという。



近江鉄道沿線の妖怪封印は電車で移動した訳ではありませんが、次は多賀大社前駅から多賀大社に進んで「先食烏(せんじきがらす)」を封印です。
多賀大社では祭理の前に本殿の脇に据えられた先食台という木の台に神饌の米をお供えすると、烏が飛んできて、神饌に穢れがないとこれを啄ばむという。
もし烏が啄ばまない場合は神饌を造り直したといい、八咫烏(やたがらす)と同じく吉事の前触れを指す存在として信仰されていたようです。



近江鉄道の北の始発・終点は米原駅になりますが、途中で彦根駅にも停車します。
彦根城のお堀にはかつて「河太郎」という河童がいて、この河童は頭の上に皿のない妖怪とされていたようです。
かつての彦根城のお堀は今よりも深かったとされ、近づくと人を水に引きずり込む河太郎にやられると子供たちに注意喚起していたようです。



10カ所の妖怪スポットに棲む「淡海の妖怪」のうち、近江鉄道沿線の5妖怪を封印しましたが、そんな妖怪がいたんだと初めて知った妖怪の方が多かった。
湖東地方の他の妖怪たちは、国道307号線沿いに棲んでいるといいます。
全部封印したら特典プレゼントがあるようですので、湖東をぐるっと巡ってみるのも楽しそうですね。


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蛇谷ヶ峰の大蛇の頭と雲海を探せ!~くつき温泉てんくう(グリーンパーク想い出の森)ピストン~

2023-11-11 12:33:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 「蛇谷ヶ峰」という山名からは蛇がわんさかいる谷のような印象を受けますが、そういう訳ではないようである。
高島側に蛇谷口という蛇のような形の集落(谷)があり、そのことから「蛇谷ヶ峰」と呼ばれるようになったと推察されているという。
朽木側では「小椋栖山(おぐらすやま)」と呼ばれていたそうで、こちらは木地氏と関係があったのかもしれない。

「蛇谷ヶ峰」という山名の影響からか、近年になって山頂から見える平野に大蛇の頭が見えるようになったといいますので、その大蛇の頭探しも目的のひとつにして登りました。
ルートはくつき温泉てんくう(グリーンパーク想い出の森)からのピストンですが、比良山系はヤマビルが出るというので気休めに“ヒルさがりのジョニー”を靴に吹き付ける。



グリーンパーク想い出の森のバンガローエリアを抜けて登山道を目指すものの、明け方まで雨が降っていてベチャベチャの地面に心が折れそうになります。
バンガローエリアではちょうど朝ご飯の支度や朝のコーヒータイムでリラックスタイムを過ごしておられる方々を横目に、霧で視界が悪く“熊出没注意”の看板のある道へ入ります。



途中から倒木がやたらと多く、荒れた道を進み、これはおかしいなと地図を確認して、道を間違っていたことに気付きます。
倒木の上には人が乗り越える時に足場にした所の皮がめくれていて、人が歩いているのは確かなので正しい道なんだろうと思い込んでしまったようです。



道を戻って登山口を見つけましたが、大きな貯水タンクのような施設が右にありそちらに気を取られて、左にあった登山口を見落としたようです。
やっと登山道らしい道を歩けると、気持ちを切り替えて樹林帯の間にある道を進みます。



ゆるい傾斜の道を歩いていくと、水の流れる音が聞こえてきて、沢の近くを歩いているのに気付く。
沢沿いとかはヤマビル要注意じゃなかったっけ?と思ったけど、気温が低くこの日一度も姿を見かけることはありませんでした。シーズンオフかな?



蛇谷ヶ峰を登っていて沢を渡渉するのはここだけでしたが、単調な道が続いていたので変化があっていい感じです。
雨の少ない時期で水量は少なかったのですが、季節によっては水量の多い時もありそうです。



渡渉を過ぎると木段登りが始まります。
登ったルートは、最初は樹林帯を歩き→沢を渡渉→木段を登り→細い九十九折を登り→長く急な木段を延々と登る、というコースでした。



木段も九十九折も傾斜がそこそこあり、道は雨でぬかるんでいる上に、濡れた落ち葉が層になっている場所が多い。
こういう道は登りよりも下りで滑りやすいやつで、案の定下山時にズルッと滑ってこけてしまいましたよ。



蛇谷ヶ峰は登山道に眺望の良く景色が抜けている場所がないのですが、振り返えると下界には雲海が広がっているのが樹木の間から見える。
登るにつれ段々と雲海は薄くなっていき、下界が見降ろせるであろう山頂までの足取りを速める。
しかし、山頂まではあと一時間くらいかかりそうなので、雲海は消えているかもしれない。



少し見通しがきくところから雲海を見るが、最初に雲海に気付いた時よりも雲は薄くなっている。
とはいえ、もし山頂で雲海を見れたとすれば、日の出前に登山を始めていないといけない計算になりますのでさすがにそれはちょっと無理ですね。



866mの分岐から山頂までは0.2Kmの看板が出てきました。
初めて蛇谷ヶ峰に登った感想としては、山頂までの登山道では途中で景色を見渡せる場所はない。

登山道・九十九折・木段をひたすら登れ。景色が見たかったら山頂まで来い!
そのかわり素晴らしい景色を見せてやるぞ!...と蛇谷ヶ峰が言っているようです。



山頂までの最後の急登です。
しんどいけど楽しい。終わりにしないでもっと続いて欲しいと思ってしまう。



到着した山頂は広く芝生が生えた広場となっており、山頂に芝生があるのは以前にハングライダー用に木を切って芝生を植えた名残りだといいます。
広い芝生の山頂は、シーズンや時間帯によってはここのあちこちでランチや休憩をされる人があふれそうな場所です。



山頂表示は文字が消えかけているか、看板が割れてしまっているものばかり。
でもまぁ何とか山頂902mに到達しました。
高低差は693mですが、木段が多かったので時間の割に高さが稼げましたね。





山頂からの雲海は諦めていましたが、予想通り間に合わず、やはり霧散していました。
奥に連なる山々は福井県方面?京都府方面?



さて、蛇谷ヶ峰の大蛇の頭を探してみましょう。
琵琶湖側の平野部の一角に蛇の頭のような形で田圃があり、目の部分(天満宮)が確認出来ます。
最初からこの形だったのではなく、蛇谷ヶ峰の山名にちなんで蛇の頭に見えるように耕地整備されたのかもしれません。



蛇の頭を中心にした風景です。
写真左側の琵琶湖には竹生島の姿が確認でき、写真右側の高い山は?。
晴れていたら伊吹山も見えたかもしれませんが、この分厚く空を覆う雲では見ることは叶いませんでした。



比良山地は、奥比良・北比良・南比良・リトル比良に大きく分けられ大小20以上のピークが連なっているといいます。
今回登った蛇谷ヶ峰は比良山系の最も北にある山になりますが、日本二百名山の「武奈ヶ岳」や日本三百名山の「蓬萊山」の2座はいつか登ってみたい山です。




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「浄厳院現代美術展」~解き放つ~

2023-11-08 06:35:55 | アート・ライブ・読書
 近江八幡市安土町にある浄厳院は、1577年に織田信長が六角氏の菩提寺だった「慈恩院」跡に金勝山の僧・応誉明感上人を招いて創建したと伝わります。
信長が安土城を築いたのが前年の1576年ですから、安土を拠点に着々と城下町を整備していた時期になるのかと推測されます。

浄厳院は仏像や文化財の宝庫ですが、数年前までは予約拝観のみの寺院ということがあって、拝観の敷居が高くお会いできない仏さまの寺院でした。
しかし、4年ほど前より現代美術展が開催されるようになり、仏像と現代美術展が同時に見られるというこの上ないイベントとなっています。



訪れた日は本堂の外陣でイベントが開催中だったため、外陣には入れませんでしたが、内陣に入って横から御本尊を拝観できるという幸運に恵まれる。
御本尊の「阿弥陀如来坐像」は像高273cmの丈六仏で平安期の作とされており、重要文化財の指定を受けています。



本堂は天台宗寺院だった興隆寺(多賀町)の御堂を浄土宗様式に改造して移築したといい、御本尊は愛知郡二階堂から移されたという。
この辺りは強引ながらも合理主義の信長の一面を伺い知ることが出来ます。

「阿弥陀如来坐像」は光背・蓮弁・天蓋が揃っている貴重な仏像で、定朝様の洗練された堂々たる仏像です。
大半の部分が当初のものであるとされているようですが、光背の頂点部分は建立当時に御堂に入らなかったため先端が切り取られているそうです。



「薬師如来立像」は鎌倉期の造像とされ、基盤の上に立つ珍しい仏像です。
江戸期の享保年間に修繕を行った記録があるといい、衣文には金が残るキリリとした薬師さんです。



「釈迦如来立像(南北朝期)」は、縄目状の頭髪と衣文が波打ち首の下まで包み込むように彫られており、清凉寺式の釈迦如来立像の模刻とされている。
「清凉寺式釈迦」は釈迦在世中にその姿を写した像として信仰を集め、鎌倉期には模像が多数制作されたといいます。

御本尊の「阿弥陀如来坐像」、珍しい「薬師如来立像」や清凉寺式の「釈迦如来立像」以外にも仏画や曼荼羅など寺宝は豊富です。
滋賀県立琵琶湖文化館に寄託の「厨子入銀造阿弥陀如来立像(鎌倉期・重文)」と「舎利厨子 厨子入銅製舎利塔(室町期・重文)」も魅了される美しさです。



仏像は信仰や祈りの対象ですが、ヒトガタをした姿に人間を超越したものを見ているとも言えるかもしれません。
奥田誠一さんは焼いた和紙を貼り合わせてヒトガタを造り、インスタレーションとして展示されています。(surface)



中は空洞になっており、焼け焦げた無数の穴に覆われた躰からは人間以上の存在感が感じられます。
足が床に着いていないのにユラユラと体が揺れている弥次郎兵衛のような仕掛けのヒトガタもあるので謎解きが必要です。
尚、奥田さんの作品は11/8-29まで愛知川駅ギャラリー「るーぶる愛知川」で公開されるそうです。



庫裡と書院の間にはプロヴィとピトウのコラボ作品でご近所の老人にインタビューして作った人形「老人の記憶、地球の歴史」を展示。
その横にはインタビューをした内容が個別にまとめられ、日本語とカタルニア語(スペイン東部の民俗の言語)でファイルされていた。



釈迦堂には今村源さんの「なりゆくさま」が展示されていて、5人以内しか入れない朽ちそうな釈迦堂の中に針金で造られたお釈迦さまが佇まれている。
仏像のない釈迦堂にぼんやりとした幻影のようにお釈迦さまが浮き上がっているのは、御堂の雑然とした雰囲気の中、実に神々しい。



江戸中期に建てられたという鐘楼の中には赤い布と糸で囲まれたインスタレーション「そして、新たに生まれる。」が展示されていました。
鐘楼を禍や困難から守ってくれる場所と想定し、時が経ち丸く開いた穴から下界へ解き放たれる姿を表現していると書かれてありました。

コロナ禍時代の表現は、閉塞されたコロナ禍の世界や恐怖や集団心理を扱うものが見られましたが、コロナ終焉によって抑圧からの解放に変わってきています。
今回の美術展の「解き放つ」は、コロナ禍での抑圧を含め、形にはめようとするあらゆるものからの解放の意もあると思います。



浄厳院現代美術展では本堂・庫裡・書院・楼門・鐘楼・釈迦堂・観音堂・春陽院など全ての堂宇で作品の展示が行われています。
屋外展示としても、方丈池や竹林や奥まって普段は入らないような場所にも作品が展示されています。
竹林では春成こみちさんの「竹取物語」のインスタレーションの赤色が目を引く。



春陽院という僧坊のような建物では合計10人のアーティストの作品が展示中です。
入口左側へ進むと「浄厳院現代美術展」の第一回からの出展者である西村のんきさんの「交差の連続」という12双の屏風に圧倒されます。
着色の材料には光を反射する成分も含まれていて、光によって違った光沢を発っして変化するそうです。

✖がモチーフになっていますが、“人は✖の判定に塞ぎ込んでしまうことも多々あるが、それでも✖を思い出として通り過ぎた時、自らを励ます力となる。”とある。
「はじめのはじめのはじめ」の金屏風は漢字の一を3本並べて始めを示し、「不完全」という□△〇の銀屏風は、□の上半分が屏風に描かれず、解放を意味しているという。



西村のんきさんの部屋から次の間にいくと栩山孝さんの「Chained Life (連鎖する生命)」という鉄と鉄錆とジェッソによる作品が展示されている。
鳥のようでもあり得体の知れない生命体のようでもある栩山さんの作品の部屋の隣の間には画道レイさんの「我龍」の間となる。
この3部屋続く展示部屋には偶然が生み出した連鎖感を感じてしまいます。



画道レイさんの作品を見るのはこれが3度目ですが、部屋に入った瞬間に目に入る龍の絵に面くらいます。
龍が描かれている素材は不織布で、生産ラインでの印刷機のインク落とし(掃除用)のロールを使用されているとのこと。

人為的でもなく機械的でもない、2つとして同じ模様にはなり得ない不織布に描かれた絵は、龍頭に近づくにつれロール汚れが薄くなって絵筆は濃くなる。
絵は浄厳院で天から龍が降臨した如く一発描きで描かれ、展示方法の妙もあって昇り龍のような躍動感を感じます。



分厚くて作品として使うには扱いにくそうな和紙には龍の目が描かれており、和紙の下に貼られた古布との組み合わせで引き立つように見えます。
横には絵を描く時に使って壊れてしまった茶筅。

レイさんの作品には、古布・茶道具・ネクタイ・鹿の角・流木・トンボや蝶の絵が登場することが多い。
マスクからの解放ともいえる不織布を使った作品、巻きの表層だけが耐候変色したアルミホイルに閉じ込められたオブジェなど。
素材の選び方や活かし方にうまさを感じます。



浄厳院は信長が金勝山から僧を招いて開山した寺院のため山号は「金勝山」で、室町後期の建築物とされる楼門(仁王門)に「金勝山」の扁額が掛けられている。
年間、何度か登りに行く大好きな山のひとつである金勝山(金勝アルプス)と浄厳院との関わりにも興味深いものを感じます。



<追記>
画道レイさんの「水墨書画作品展」~高月まちづくりセンター~

画道レイさんは、浄厳院現代美術展と同時期に長浜市の高月まちづくりセンターでも「水墨書画作品展」を開催され、トークショーも開催されたそうです。
会場では2018年の初個展出品作品から2023年の5年間の作品11作が展示されていました。



作品数が11なのは観音の里 高月町の国宝「十一面観音立像(渡岸寺観音堂)」にちなんでということのようです。
芸術活動を始められてからの5年間の作品が並べられると、おのずと手法や作風の変化が見えてきます。
「左手の龍」は浄厳寺現代美術展でも使用されていた不織布の印刷工程のライン掃除用の不織布の上に描かれた龍の画です。



金色の光沢のある和紙に上に描かれたのは「龍上観音」。
絵の下にインクで龍が描かれており、観音さまは墨で描かれています。



5年の間に製作されたのアート作品が一堂に展示されていて、以前に見た作品でも展示方法で随分と印象が違います。
しかし、展示される場所や展示方法が変わっても、作品が持つ力には変わりがないと感じられる作品群でした。


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箕作山を越えて瓦屋禅寺へ参拝する!~「十一面千手観音」特別大開帳~

2023-11-03 06:18:18 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 瓦屋禅寺は1400年以上前に聖徳太子が四天王寺を建立するため10万6000枚以上の瓦を造らせて、「瓦屋寺」を建立したのが始まりと伝わります。
本堂の中心となる須弥壇には「木造千手観音立像(重文)」と「四天王像」を祀り、御本尊の「木造千手観音立像」は今年50年ぶりの特別大開帳中です。

瓦屋禅寺へは過去何度か参拝して、御前立の千手観音と四天王は拝観しているものの、秘仏本尊の千手観音は初めての拝観となります。
次回は33年後の開帳を予定しているということで、次に見られる可能性はほぼないと思いますので、待ち遠しい御開帳でもありました。



瓦屋禅寺に参拝するには、古墳群や「聖徳太子の腰掛石」のある表参道の石段994段を登るか、林道を車で登る(または歩く)かになります。
どちらも過去に通っていますので、今回は太郎坊宮から山に入り「赤神山(太郎坊山)」「箕作山」に登って瓦屋禅寺を目指すコースとしました。



太郎坊宮の参集殿からの石段をハイキングコースの入口となる龍神舎まで登ります。
なんでわざわざ山を越えてお寺に向かうのか不思議に思われるかもしれませんが、ひとつはかつての参拝道を歩きたいのと、そこに山があるからです。



太郎坊宮から赤神山や箕作山までの道、小脇山や岩戸山までの縦走路は何度か歩いている馴染みのある山ですが、箕作山から瓦屋禅寺の部分だけは未経験の道です。
歩き出してすぐに「屋寺」と彫られた折れた石碑があり、これは「瓦屋寺」と彫られていた石碑と考えられます。
やはりこの道は瓦屋寺と太郎坊宮をつなぐ道だったのでしょう。



今回は箕作山に登って瓦屋禅寺に下りるつもりでしたが、目の前に分岐があるのに通り過ぎるのもなんですので、赤神山の北峰に立ち寄ります。
赤神山(太郎坊山)には北峰と南峰があり、北峰には登れますが、南峰は阿賀神社(太郎坊宮)の神体山なので入山は禁止されています。



北峰には磐座があり、山頂表示は磐座の上にあります。
山の名称は赤神山と呼ばれたり、太郎坊山と呼ばれたりしますが、太郎坊宮の上にあるピークということで太郎坊山の方が馴染みやすいかもしれませんね。



この北峰から見下ろす湖東平野の風景は何度見ても美しい。
正面にあるのが赤神山の南峰で右につながっているのは箕作山や小脇山、岩戸山のある方向。



では分岐まで戻って次は箕作山の山頂を目指します。
分岐では瓦屋寺を指している方向に進めば箕作山。箕作山と瓦屋禅寺は結構近い位置にあります。



途中で瓦屋禅寺方面と箕作山方面の分岐がありますが、瓦屋禅寺方向への道へは進まず、箕作山の山頂方向へ進みます。
箕作山の山頂は、ここが終点というよりも隣の小脇山への縦走途中のピークのようなところにあり、縦走するとほどなく小脇山に辿り着けます。





山頂には磐座のように岩があり、この場所からは湖東平野と琵琶湖方面の両方の景色が眺められます。
左のピークが先程登った赤神山(太郎坊山)の北峰で、右にある2つのピークは小脇山や岩戸山だと思います。



西側には遠くに琵琶湖が見えます。
見えてはいるけどこの山から琵琶湖は少し遠いですね。



再び分岐に戻って箕作山の方向へ進むと墓地がある場所に出て、展望台を下ると瓦屋禅寺の境内にある般若岩の前に出ます。
境内には車で登って来られた参拝者が多く、軽装の人の中で山登りスタイルで山から下りてきた不思議な人になってしまったような...。



瓦屋禅寺は聖徳太子により草建された後、東大寺の末寺として華厳宗となり、室町末期には天台宗の寺院となったという。
戦国時代に六角氏と織田信長の観音寺城の戦いで、箕作山城に木下藤吉郎(豊臣秀吉)が攻め入って堂宇は焼失して荒廃。
江戸時代の初期に臨済宗妙心寺派の寺院として「瓦屋禅寺」として中興されたようです。



経堂は「海印蔵」とも呼ばれるといい、八角輪蔵に一切経が納められ、建物としては江戸時代に建立されたといいます。
堂内にある八角輪蔵は7月中頃の虫干し法要の時に参拝者と共に回転させるようです。



高台にある経堂から本堂を見おろすと紅白の幕が掛けられ、特別大開帳の晴れやかな雰囲気に包まれています。
須弥壇には秘仏「十一面千手千眼観世音菩薩(千手観音)」と「四天王像」が祀られており、千手観音は撮影禁止です。



千手観音は、聖徳太子が斧で一刀され彫られたと伝えられていますが、仏像は平安後期の作とされ、160.5cmの等身大の脇手は実際に千本あるといいます。
庫裡では、“お寺を旅する画家”宮下拓実さんの現代アクリル仏画展が開催されています。
その中に瓦屋禅寺の御本尊を描いたような「十一面千手千眼観世音菩薩」と「四天王像」の画がありました。



本堂横にある子安地蔵堂には「地蔵菩薩半跏像」が安置されており、この地蔵菩薩は頭部が平安時代後期の作で肩より下は後補だといいます。
この地蔵菩薩半跏像と1650年の作だという板絵の三十三応現身像に囲まれた空間は何とも居心地のよい場所です。



宮下拓実さんの現代アクリル仏画展の作品を紹介すると「ハリ・ハリ・ハリ・ヴァーハナ・ローケシュヴァラ」というチベットやネパール的な作品。
どことなくアニメっぽいタッチで描かれるのが特徴なのかと思います。



宮下さんは、お寺の衰退に衝撃を受け画家として何か出来ないかと思い、お寺をアートで盛り上げる活動を始められたといい、庫裡を彩色豊かに染められていました。
お寺とアートがコラボする企画に時々出会うことがありますが、今の時代の感覚からするとお寺とアートってとても魅力的な企画だと感じます。



瓦屋禅寺を始めとして東近江には聖徳太子ゆかりの寺院が多いのですが、それ以前の時代の古墳時代の遺跡が多く残されています。
瓦屋禅寺の表参道の両端にあり瓦屋寺山古墳群では57基もの古墳が発見されており、古代から有力者が権勢を誇っていた地域のようです。



では参拝と秘仏拝観を終えましたので、阿賀神社(太郎坊宮)までの林道を歩きます。
林道では参拝者なのか坂道ウォーキングなのか分かりませんが、歩いている人もチラチラとおられました。


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