僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

野洲市の勧請縄2~「新川神社」・辻町「三上神社」「山之神」~

2023-02-26 19:30:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 勧請縄は村の入口や鎮守の神社の参道に吊るして、村に悪霊や疫病が入ってこないように結界の役割を果たし、同時に五穀豊穣や子孫繁栄の祈りを込めたものとされます。
滋賀県では湖東・湖南地方に多く見られ、湖北地方ではほぼ見られませんが、湖北地方にはオコナイ神事や村の外れの野神さん(巨樹)を祀る信仰があり、どこかで共通するものがあるのかもしれません。

勧請縄は年を追うごとに失われつつある民俗行事であり、勧請縄を探し始めたこの3年程度の短い期間でも中絶してしまった場所があります。
コロナ渦の影響が大きかったとは思いますが、世代交代や世帯の高齢化など様々な要因があると思われ、簡略化してでも継続して行って欲しい行事だと思います。



「新川神社」は天武天皇が大友皇子と野洲川を隔てて皇位を争われた際に、勝利祈願をされ成就し即位されたことにより686年に造営にされたと伝わります。
御祭神は須佐之男命、配祀神は大物主命 奇稲田媛姫を祀り、度々の野洲川の氾濫により被害を受け荒廃したものの、その度ごとに再興してきたといいます。



新川神社の勧請縄は、鳥居をくぐった先の参道に吊るされていますが、参道の幅いっぱいに吊るされた小縄は地面スレスレのところまで長く、さてどこを通ったらいいのか迷ってしまいます。
丸十のトリクグラズが4つもあり、それぞれ3本づつの小縄があるため、悪いものはここで完全に行き止まりとするような意思を感じます。



小縄の先にはサカキの枝葉、小縄は各トリクグラズに3本と間及び両端に下げられた合計17本となる。
主縄の上には12本の小幣が挿し込まれ、割竹で作られたトリクグラス4つというのは滋賀県では他に類を見ない。(3個のケースは能登川の長勝寺町にあり)



先に参拝した行事神社でも祭礼の準備をされていましたが、ここ新川神社でも祭礼の準備をされており、この日は何か特別な日だったのでしょう。
新川神社の御神木は巨樹とまではいきませんが、ゴツゴツとした根っこを持ち、拝殿横に祀られています。



池の奥に厳島神社が祀られていますが、この池は暗闇のように水中が暗く底が見えない。
大きく黒々とした鯉が何匹も泳いでいましたが、水底の黒さは引き込まれそうになる不気味さを感じてしまう池です。



次に訪れた辻町には「三上神社」の勧請縄と「山之神」の勧請縄があります。
辻町は三上山山系の麓に広がる集落ですので、三上神社とは読んで字のごとく三上山や御上神社との関係は深いと考えられます。
しかし、社伝では御上神社を氏神と仰いで来たが、相論が起きて同社から離れ、篠原神社の氏子となったものの、再び相論が起きて958年に現在地に社殿を建立したとされる。



三上神社の勧請縄は、かつては参道のスギに掛けられていたようですが、現在は鳥居に吊るされています。
主縄は既製品となっていて、その下に樫の葉を付けた小縄を12本下げています。



トリクグラズはスギの枝葉で輪を作り、中央に配しています。
鳥居の奥には注連縄を巻かれた神木があり、本殿や境内社へは拝殿の横のスローブを登っていくことになる。



本殿の前には立派な石灯籠があり、紅白の布と共に注連縄が取り付けられています。
拝所の内側には三上神社本殿と境内社の春日神社・篠原神社が並んで祀られ、ややこじんまりとした感じを受けます。
本殿の横には野神社が祀られていましたが、神社と勧請縄・野神さん・山之神(後述)と複数の信仰が残るのは山麓の集落などでは時々遭遇する信仰の姿です。



ハッと目を引いたのはシダの群生でした。
野洲や栗東辺りでは、環境的にシダの群生が育ちやすいのか、大きな群生を目にすることがあります。



さて、辻町のもうひとつの勧請縄は、「銅鐸博物館(弥生の森歴史公園)」の敷地内にある山之神の祭場に掛けられています。
駐車場から弥生時代の竪穴式住居や高床倉庫、大賀ハスやスイレンの池を越えて進んで行き、石舞台の奥までいくと木製の鳥居が出てきます。



山之神の石碑の前には極端なまでに太い主縄が吊るされ、圧倒的な迫力があります。
この山之神は先程の三上神社の山之神とされ、“子孫繁栄 五穀豊穣 山の神のベンベラコロ”と刻まれている。



小縄は12本下げられ、小縄の真ん中と下部にカシの葉が付けられている。
山之神をお祀りする縄ですから、実際は勧請縄というより注連縄といった方が正確かもしれませんが、小縄が下げられており、勧請縄と酷似しています。



勧請縄の奥に祀られている山之神の石碑には、一般的な注連縄が巻かれていますが、石碑が大きく周囲が祭場になっている緊張感のある場所です。
辻町は町の中央を旧中山道が通り、4車線の県道324号が通っているため気付きにくいが、山之神のある場所は町の端の山麓近くで家棟川を挟んで吉祥寺山がある村外れ。



石碑の下にはオッタイ(男)とメッタイ(女)の股木が祀られており、古い股木は過去に訪れた時にも置かれていましたが、今年の1月に祀られたと思われる新しい股木が祀られていました。
妙なリアルさのあるこの股木は、年初に新しい勧請縄を吊るす際にオッタイとメッタイを合体させて模擬性交儀礼をしてから祀られるのだという。



山之神や野神さん、勧請縄やオコナイ神事などは五穀豊穣・村内安全・子孫繁栄など地域独特の信仰(行事)が今も残っており、古くからの祈りの姿を伝えています。
神道・仏教・修験道などの影響も強く受けてきたとは思いますが、根っこにあるのは平安を求める素朴な人々の願いなのかと思います。


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野洲市の勧請縄1~市三宅「屯倉神社」・行畑「行事神社」~

2023-02-22 17:17:17 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 勧請縄は、村に悪霊や疫病が入って来ないように村の出入り口などに吊ったのが始まりとされており、集落の外れや通りに吊るして道切りとされたり、神社の境内に吊るされます。
縄の中央にはトリクグラズという魔除けや祈祷札を呪物として吊るすことが多く、地域によって若干似た傾向は見られるものの、集落ごとにその形状は違い独特の造形のものとなっています。

勧請縄は滋賀県では湖東地方や湖南地方に集中しており、湖北地方ではほぼ見ることはなく、地域に伝わってきた信仰や民俗行事には大きな違いがあるようです。
しかし、勧請縄を吊るす集落は年々減少してきており、現地を訪れてももう中絶されてしまっていることが多々あり、いつまでも見られる行事ではなくなりつつあります。



野洲市の市三宅の「屯倉神社」は、現在は「三宅」としていますが、神社は「屯倉」の文字となっています。
「屯倉」はヤマト王権の支配制度のことですが、「屯倉」「三宅」の文字を使っているということは古代においてヤマト王権と何らかの関わりがあったのでしょうか。

「屯倉神社」の由緒には“欽明天皇十一年に勧請された...”とありますから、ひとつの裏付けにもなります。
野洲には複数の古墳群や、その前時代の銅鐸などが多数発見されている地ですので、古墳時代の有力豪族と「屯倉」の関係も興味深い。



「屯倉神社」の勧請縄は、鳥居を抜けて続く道幅の広い参道一杯に吊るされてとても長い主縄となっている。
主縄は縄ないで作られたものではなく、機械縄のため細く整ったものとなっており、かつては小縄が左右12本づつ吊るされていたようですが、現在は榊と紙垂だけが吊るされている。



中央に下げられたトリクグラズはサイズが大きく、割竹で割目を2枚編んでその間にスギの葉が挟み込まれている。
トリクグラズの中心には丸い輪を前後に付けて、割目でとめているように見えます。



過去に撮影された 「屯倉神社」の勧請縄とは少し変化があります。
変化点は、割竹が外側も内面も着色されており、あぶみ状に結った縄にサカキを付けた小縄がなくなったことがあり、手間がかからないよう縮小されているように感じます。



「屯倉神社」では毎年8月に「野神まつり」が行われ、「野神さんの子供相撲」という神事が行われるという。
500年以上昔、境内で子供たちが相撲をとっているのを、御神木の銀杏の木から見ていた神様が、褒美をあげようと申し出たところ、子供たちは日照りで田畑の作物が枯れているので雨が欲しいと申し出た。
すると翌日に大雨が降り作物が生き返ったといい、本殿の前には現在も銀杏の木が御神木として祀られて、氏子の方々を見守っています。



「野神さんの子供相撲」は雨乞い神事ということになり、拝殿の前には結界を張られた土俵を祀る場所があります。
子供相撲の時には、ここに土を盛り徳俵で土俵を作り、相撲やぐらを設置した土俵で5歳から14歳までの子供が相撲を奉納するといいます。



屯倉神社の御祭神は日本武命と大己貴命の2柱で、境内社として大神宮社・日吉神社・門神社を祀ります。
市三宅は野洲川の河川に沿った場所にあり、野洲川の氾濫で作られた肥沃な土壌があったと思われる反面、洪水の被害もあったのかと想像します。
新興住宅や工場などが誘致されている地域ではありますが、勧請縄や野神さんや子供相撲の信仰が今も継続して続いています。



次に昨年に引き続き行畑の「行事神社」に参拝しましたが、車両の走行の多い道路からでも一際目立つトリクグラズの付けられた特徴的な勧請縄です。
行事神社は724年、御上神社の神託を受けた三上宿禰海部廣国が勧請したのが最初とされ、「三上別宮」とも称されることから三上山を御神体とする御上神社との関係が伺われます。



勧請縄は境内の参道に道切りのように吊るされており、長い小縄はカシの葉を下げたものを左右に6本づつ下げてあり、小縄には枝が挿されて幅広くした形で吊るされています。
トリクグラスの光を感じる神々しさもあって、まさに悪いものを聖域に寄せ付けない結界といえます。





トリクグラズは細長く切った竹を24本、放射状に組み格子の真ん中に丸を入れて、中心には「上」と書いた木札を取り付けてあります。
神社に初詣にいった時に買う「御神符」もお札の入った袋には「上」と書いてあり、この「上」とは“つつしんで、ささげます”という意味があるそうです。





行事神社は祭礼日だったようで数名の方が掃き掃除やお焚き上げするなど慌ただしくされており、本殿前には床几が並べられていました。
なんの祭礼なのかは不明でしたので、とにかく作業の邪魔にならないよう挨拶をしながら参拝させて頂きました。
境内にはかつての御神木と思われる木の根が玉垣に囲まれて残されていました。



行事神社の御祭神は金山毘古神、境内社に八幡宮と春日神社をお祀りし、拝礼の順番も決められています。
境内は掃き清められ、本殿だけでなく拝殿や社務所も立派なものとなっており、清々しく感じるのは氏子の方々の信仰ゆえにということでしょう。



神社の鳥居を出ると道筋には鎌倉期の石仏とされる「背くらべ地蔵」と「阿弥陀如来立像」の2躰が祀られている。
2躰の石仏は中山道を行き交う人の道中を護ったとされます。
当時は乳児がよく死んだので「我が子もこのお地蔵さんくらいになれば、あとはよく育つ」と背くらべさせるようになったとの伝承が伝わるそうです。




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アカゲラをパチリ!

2023-02-19 17:07:07 | 野鳥
 2月も中旬を過ぎて、春へと季節は向かっているように感じられ、あちこちで梅の花が咲いたり花の蕾が膨らんできています。
ウグイスの囀りが始まり、菜の花の黄色や桜の花の桜色に覆いつくされる季節になると、見られる野鳥はすっかり入れ替わってしまうと思いつつ鳥見に出かけてみました。

とはいえ、この土日は天気が崩れてしまって期待薄の中、聞こえてきたのはアカゲラの声。
木の枝の隙間から姿を見られたのはほんの一瞬で、すぐに遠くの木へと移ってしまいました。
後頭部に赤い部分がありますので♂のアカゲラのようですね。



♀のジュビタキが姿を見せてくれ、時々地面に降りてエサを探しながら別の場所へ留まり直す。
地面だと枯れ草に体が埋まってしまいますので枝に留まってくれるのを待ってみる。



周辺で見られたのはツグミ・ヒヨドリ・モズといったところで少し出は寂しい。
やはりある程度は雪が積もってくれないと野鳥が平地に出てきてくれませんね。



水面にはカワアイサが十数羽いるのが見えましたが、葦の蔭へ隠れる時に気付かれて半分は飛ばれてしまう。
残りの半分が残ってくれて、飛ぶ気配はない。
それほど遠くはなかったので天気が良ければなぁ~と曇天が恨めしい。



10羽弱のグループに♀は2羽でしたので、♀からすれば繁殖相手は選び放題です。
常に♂に取り囲まれていて女王様状態のカワアイサ♀でした。



アトリの集団には離れている2カ所の田圃で出会いましたので、大きなグループ複数が湖北に来ているようです。
識別用の写真ですので集団のごく一部だけしか写っていませんが、2つとも巨大とは言わないものの大きな集団を作っていました。



湖北の冬に出会ってもおかしくない野鳥は数多いものの、出会えなかった野鳥はかなり多い。
どいつもこいつもどこに居るのやら?


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旧能登川町の勧請縄2~長勝寺町と猪子山~

2023-02-17 06:07:06 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 旧能登川町には5カ所の勧請縄があるとされていますが、昨年見つけることのできなかった勧請縄が一カ所あり、リベンジで能登川町に向かいました。
山中に祀られる巨石へと向かう森の中にあるという勧請縄ですが、残念ながら今年も結局見つけることは叶わず。
従って過去に訪れた勧請縄になりますが、長勝寺町の勧請縄へと訪れました。



長勝寺町の勧請縄は小高い丘の上にある長勝禅寺の石段の前に吊るされており、これより南は田園となる村の境にあります。
主縄には大きな房が作られ、房には更に小さな房が付けられた立派なもので、大蛇形をしている印象を受ける。



主縄の下には小縄スギとモチノキの枝葉を付けたものが365本下げられているといい、トリクグラズは丸型が3つ並んで付けられている特徴的なもの。
トリクグラズは3本の割竹で仕切られ、中央の目玉には長勝禅寺の祈祷札が納められているといいいます。



トリクグラズの上には小幣がそれぞれ1本づつ挿されているところは旧能登川町の勧請縄に共通するところだが、スギの枝葉で丸く作られたトリクグラズは他にはほぼ見ることが出来ない形となっている。
祈祷札の祈祷を行っている長勝禅寺は、慈覚大師の創立で薬師如来を祀る天台宗の名刹だったとされますが、織田信長の兵火によって滅び、江戸期の天保年間に臨済宗妙心寺派として再興したという。





垂れ下げられた房は非常に大きく作られており、小さな房を持つ縄で結ばれています。
尾になる部分は鎌首を持ち上げた蛇のようにも見え、全体としても龍の腹に目が3つあるような印象を受けます。





さて、冒頭に書いた見つからなかった勧請縄は猪子山の麓から行けると思っていましたが、見つけられず諦めることとなる。
すぐ近くが猪子山の登山口ですので、せっかくなので登ることにして冬場の運動不足の解消です。



登山口の最初だけは緩やかな登坂でしたが、この山は繖山山系の山ですのでただひたすら急な木段登りをすることになります。
幸いなことに体力は落ちてはおらずサクサクと登ることができ、石門を模したような場所まですぐに登ることができました。
信仰の山にはこういった門の形のように岩を置いて石門のようになっている場所がありますが、これは一種の結界かと思います。



途中に展望所がありますので、西の湖や琵琶湖を眺めながら深呼吸をして再び登ります。
過去はほとんど山になど登ったことのない人間でしたが、最近は山が楽しくなってしまって手軽に登れるこの山には何度も登っています。



猪子山はほぼ登りの木段が続く山ですが、ここまで来たら縦走路との合流はあとわずかです。
最後の木段を登り切りましょう。



右へ進めば雨宮龍神社や繖山の山頂や観音正寺方面。左へ進めばすぐに北向岩屋観音になります。
今回は山へ登りにきた訳ではありませんので、北向岩屋観音に参拝して林道を歩いて元の場所まで戻ります。



短い下り道の後、再び登っていくと猪子山山頂に着き、三角点のある場所に到着します。
ここから北向岩屋観音は目と鼻の先ですので本日のゴールは間近です。



北向岩屋観音の境内地に入るとまず「玉祖神命」の巨石の横に出る。
東近江市の山には巨石が多いが、北向岩屋観音は巨石の巌窟の中に観音石仏が祀られており、線香の香りが漂う信仰の場となっています。





北向岩屋観音の御堂の前に広がる景色は、西の湖や長命寺山、近江八幡市を経て琵琶湖が一望出来ます。
地元の年配の方などが毎日の日課のように登られるような低山ですが、眺望は抜群で心が晴れます。




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コハクチョウの羽ばたきをパチリ!

2023-02-14 19:42:22 | 野鳥
 湖岸道路を北上して早崎ビオトープの辺りまでくると、ビオトープを取り囲むようにカメラを構えた方々の姿があり、ビオトープには何百羽ものコハクチョウの姿がありました。
みなさん朝のやや黄味がかった光の中を飛び立つコハクチョウの離水待ちでしょうか。コハクチョウが飛んで行ってしまたらそれぞれ次の被写体の元へと行かれるのでしょう。

車を駐車する場所もなくて探鳥したいポイントがありましたので通り過ぎてしまいましたが、やはり早崎ビオトープは野鳥のメッカですね。(でもあまり工事をしないで欲しい。)
さて、見事に探鳥ポイントが空振りとなってしまった帰り道に田園地帯を走行中、空にはヒシクイ・コハクチョウが飛び交う光景に出くわしてまずはコハクチョウの後を追いました。



3カ所の田圃には数百羽のコハクチョウ。
しかも次々と編隊を組んで飛来し、空を何度も旋回しながら田圃に降りたちます。
コハクチョウは田圃に降りたつと、毛づくろいをしてから羽ばたきをしますが、ちょうど目の前に降りたコハクチョウが羽ばたいてくれました。
グゥーと溜めて~...。



胸を張って反って~...。



大きく羽を広げて~...。



羽を最大限まで開きながら反って~...。



バサバサ~!
コハクチョウが羽ばたいた風が当方の頬を撫でて...!(嘘です。)



別の田圃にはヒシクイの小グループが飛んでくる。
何度も何度も空を旋回して、2カ所に分かれて田圃にいるヒシクイの中から自分たちの仲間を探しているかのよう。



田圃にいるヒシクイは人の気配を感じて、ゆっくりと田圃の中央に歩き出す。
ヒシクイもコハクチョウもこれから日を重ねるごとに北帰が進んで数が減りそうですね。




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ミコアイサをパチリ!

2023-02-12 16:33:33 | 野鳥
 他府県から観光などで冬の琵琶湖を訪れる人から琵琶湖に浮かぶ無数のカモの姿に驚いたという話を聞く事があります。
確かに琵琶湖は“水鳥の楽園”と呼ばれ、正確な個体数は知りませんが、冬季に飛来する水鳥の数は7万羽とも8万羽ともいわれます。

いかにカモの姿は多いとはいえ、広大な琵琶湖や池にいるカモがが相手ですので岸辺近くまで来てくれないとカメラが届かないということは多々あります。
ミコアイサは“パンダガモ”の愛称を持ち、淡水の湖や河川に飛来して普通に観察できる水鳥ですが、岸辺近くに来てくれるのは運しだいということになります。



この場所では最初はちょっと離れたところを泳いでいたのですが、他のカモをチェックしているうちに岸辺近くでエサ取りを始めてくれました。
潜っては水面に顔を出しての繰り返しの中で、どこに浮上してくるかを予想して待つのも楽しい時間です。



裸眼で見える範囲ではミコアイサはこの♂が1羽だけ。
周辺にはコガモ・マガモ・カルガモ・オオバン・オナガガモ辺りで、オナガガモを除けば年間通して見ることのできる鳥ばかりでした。



鳥見を始めた頃はミコアイサを見たくてあちこち探し回っていたが見つからず、図鑑などで“普通に見られる鳥です。”と書いてあるのが恨めしく思っていました。
今となったら毎年普通に見られる鳥と思えるようになりましたので、やはり経験を積むのも大事なことですね。



別の場所ではミコアイサの♀が1羽だけで泳いでいるのを発見。
カモは雌雄で外見が大きく違いますが、ミコアイサも♂と♀で随分と姿が違います。



ミコアイサばかり撮っていて目の前でポーズを付けていたオナガガモに申し訳ないので記念写真を1枚パチリ!
ずんぐりとしたカモの中ではシャープな感じのする鳥です。



水辺にせり出した木の枝の上にはカワセミが待機中。
水にダイブしてエサ取りを見せてくれるかと思いきや、飛んでしまって見えなくなってしまいました。



ノスリを見かける機会が多くなってきましたが、何年か前はもっと数が多かったように感じています。
チョウゲンボウも同じくで、以前は電柱に留まるノスリやチョウゲンボウってまたかと呆れるほど姿を見かけましたが、近年はそれほどでもないような...。



ところでこのノスリ、右目を開いた瞬間もありましたが、白い瞼を閉じたままです。
ノスリの瞼ってグレー色とか鉛色かと思ってましたが、それは瞬膜のことで瞼は白いようです。



両目を閉じた姿を見ると、ノスリの瞼はグレー色とか鉛色で左目はそんな色になっていて、右目は真っ白い。
あまり警戒心がないようだったのは単に眠かったのでしょうか?



田圃には小グループのヒシクイが降りていた場所が複数あり、コハクチョウは大群で幾つかの田圃に分かれて群れでエサ取りをしていました。
田圃の上を飛ぶ白い羽根が見えたので確認すると、十数羽のタゲリのグループでした。



タゲリの金属光沢のある背中は、太陽光が当たらないとどんよりくすんだ色になってしまいますが、光の当たる日に出会うと輝いて見え、黒い冠羽も特徴的です。
今シーズンにタゲリには何度か出会ってますが全て曇り空で、シーズン最終コーナーで晴天のタゲリに会えてよかった。



キャベツ畑のキャベツの上にはツグミ♀が乗って日向ぼっこ中のようです。
隣のキャベツ畑ではキャベツの上にヒバリが乗っており、田園地帯を通るとヒバリの囀りで賑わい、春近しを告げています。



ユリカモメも冬場は数十体の個体が越冬してきています。
次に会うのは田起こしや代かきが始まった頃、黒頭巾を被った姿になったユリカモメの姿なのでしょう。



湖北の冬の野鳥が見られるのもあと1ヶ月程度かと思います。
3月にはウグイスが囀り、カンムリカイツブリやカイツブリは夏羽になり始めて繁殖の準備に入ることでしょう。
でも、今シーズンまだ出会っていない冬鳥ってたくさんいるのですけどね。


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旧能登川町の勧請縄1~伊庭町・能登川町・今町~

2023-02-09 17:33:33 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 繖山は西国三十三所第33番札所の「観音正寺」などがある南北に長く伸びる霊山で、その北側の猪子山の下に広がる旧能登川町にも勧請縄はあります。
勧請縄は村の境などに吊るし、魔除けの呪具などを用いて村内に悪いものが入らないようにする民俗信仰で、滋賀県の湖東・湖南地方に多く見られます。

滋賀県内に161の勧請縄が確認されているといいますが、既に中断されたり行事が廃止されている集落も多く、失われつつある行事となってきています。
伊庭町の「大濱神社」の勧請縄は何度か見てはいますが、旧能登川町で昨年探したけど見つからなかった勧請縄を求めて周辺を散策してみました。



大濱神社の前に吊るされた勧請縄は典型的な道切りとなっており、大濱神社の境内社の愛宕神社の横で道を横切っている。
ここは集落の境という訳ではないようだが、集落の東の端に近いところにあるので村の入口辺りという言い方が出来ます。



主縄の先端は両方とも同じ形をした頭となっており、中央のトリクグラズを挟んで左右に12本づつ紙垂とヒノキの枝を付けた小縄が中央寄りに下げられる。
また小縄はトリクグラズの下にも3本下げられ、主縄の上には小幣が3本挿されている。



トリクグラズは大きな丸型に三本井桁が割竹で組まれ、ヒノキの枝葉が巻き付けられている。
是より先、悪しきもの厳禁とでも訴えかけるような意思を感じる勧請縄です。



ところで、大濱神社に参拝すると境内の仁王堂の前に藁を満載した軽トラが何台か停まり、仁王堂の中に積み上げられた藁を何人もの人が加工されている様子が目に入る。
とても気になったので“何の準備ですか?”と聞くと、“祭の準備。”とだけ教えて頂けた。



何の祭りかは分かりませんでしたが、この仁王堂は繖山の中腹にある繖峰三神社から麓まで神輿を引きずり落とす奇祭「伊庭の坂下し」の神輿が収められている場所です。
「伊庭の坂下し」は5月4日に行われる祭で、3ヶ月以上前から準備されているのかと想像しましたが、尋常ではない藁の量に驚かされました。



「大濱神社」の横にある「伊庭高木観音」では観音堂の前に勧請縄が吊るされているが、葉は既に枯れてしまっている。
不思議なのはトリクグラズの枝葉は枯れているものの、小縄の紙垂や小幣や紙垂は新しいものに見えるので、全てが昨年から吊るされているのではないようです。



トリクグラズは丸に格子となっているがこの枝葉はいつ付けられたものなのだろう。過去に撮った写真を見てもトリクグラズの枝葉は枯れていて紙垂は新しいのでこれで通常なのかもしれない。
主縄に小縄はなく、トリクグラズにだけ小縄が6本下げられて、隣にある大濱神社の道切りと似ている部分がある。



高木観音と小川を挟んだ横にある「薬師堂」の門には勧請縄を呼んでも差し支えのない縄が吊るされています。
太く編み込まれた主縄の下には紙垂とヒノキらしき枝葉が吊るされ、主縄の上には御幣が3本挿し込まれています。



興味深いのは御幣の紙の細工が細かく、紙が幾重にも織り込まれています。
薬師堂の薬師如来は聖徳太子御彫刻の像と伝わり、ここにも聖徳太子の伝承が息づいていますが、勧請縄には御幣があり神道の色合いがある。



薬師堂でもうひとつ驚いたのは、境内に入ると御堂の前に勧請縄に下げるような枝葉が置かれていたことです。
これは何かの準備なのでしょうか。それともこういうお祀り方をされているのでしょうか。





滋賀県とはいえあちこちを巡っていると興味深いものに出会うことが多々ありますが、今町の「天満神社」の鳥居に下げられていた注連縄も関心をひきました。
両方の頭がやたらと立派になっていて、下がりが3本。紙垂がその間に2本下がっていますので注連縄になりますが、迫力を感じる注連縄です。





頭は片方はきっちり収まっていますが、片方は長さを調整されたのでしょう。はみ出した部分があり手作り感がある。
とはいえ、変に整っていないのが逆に個性的に見える所以なのかと思います。





旧能登川町には後ヶ所ほど勧請縄が吊るされている場所がありますので、そちらへ向かって見ます。
1カ所は昨年探し回って見つからなかった勧請縄ですが、今年は見つけられるでしょうか?...続く。


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湖北の野鳥を探して琵琶湖沿いを行く!~アカハラ・アトリ・カシラダカ...~

2023-02-05 16:00:00 | 野鳥
 湖北で探鳥を始めてからそれなりの年月になっていますが、以前から巡回コースとしていた中で少しづつ探鳥場所が失われてきているように思います。
探鳥場所が減ってきているため、湖北で確認出来る野鳥種が減ってきたような感じを持っていましたが、そこは湖北ですので探せばいろいろな野鳥との出会いがあります。

湖北琵琶湖沿いコースを巡回中に最初に出てきたのはアカハラで、最初の発見時はすぐに飛んでしまったものの、少し離れた道筋で発見!
同じ個体なのか別の個体なのかは不明ですが、過去に同じ場所で見たことがありますので、アカハラにとってこの辺りは越冬場所になっているのかもしれません。



アカハラのいた場所と近い所ではシロハラ多数とヒヨドリといった処でしたが、シロハラは先週撮ったので今週はパスです。
もう少し日差しが欲しかったのですが、太陽に照らしだされたら出てくることはないでしょうから、これで精いっぱいです。



アトリは大群をつくる鳥で時には数百羽以上の大群で田圃に降りることがありますが、出会ったのは数羽のグループです。
頭に黒味がありますので♂のアトリ冬羽と思われ、こいつだけが飛び去らずに枝に残っていた愛想のいいやつです。





隣の枝には♀のアトリも残ってくれました。
頭に黒味がなく、♂が正面からでしたので背中をこちらに向けて羽がよく見える姿だったのがありがたい。



複数個所で見かけたのはカシラダカ。
農道で飛んで少し前の道の上に留まっての繰り返しの場所があって、撮ることも出来ず進むことも出来ずの困ってしまった時もありました。



カシラダカは頭部の冠羽が立っている時がカシラダカらしくていいですね。
カシラ(頭)ダカ(高)と和名はその姿から名付けられているようです。



カシラダカがいる葦の付近にはカワラヒワやホオジロ。
カシラダカもホオジロも同じスズメ目ホオジロ科の鳥で、ホオジロは冬は平地に、夏は山でよく見かける鳥です。



おっと!茂みの中にノスリがいますよ。
ノスリはトビと同じような場所にいたりしますが、丸い目に愛嬌があり、ハントの上手い猛禽です。



移動中に琵琶湖へ向かってV字編隊飛行で帰っていくオオヒシクイの姿が見えましたが、このグループはまだ田圃に残っていました。
十数羽でしょうか。隣り合わせた2つの田圃に分かれて数羽づつ。





同じ一帯の田圃に分かれて数十羽が食事中だったコハクチョウの群れとオオハクチョウの家族です。
集団から離れて過ごすオオハクチョウの家族もいますが、この家族は集団の中で混在しているようです。



違いを対比してみると、体の大きさ・首の長さ・嘴の黄色い部分の長さなど違いがあります。
こういったハクチョウの集団の中には、ちょっと変わったのがいるレアケースがありますが、近年は体験していませんね。



オオハクチョウは少なくとも成鳥2羽は確認しましたが、全体で何羽が湖北に飛来しているのでしょう。
今シーズンにコハクチョウとオオヒシクイが混在しているのを見かけたことはありますが、北帰が近くなると混在して集団をつくることが多くなってくると思います。



ハクチョウの田圃の上からはコォーコォーという声と羽ばたきの後が聞こえてきて、次々とコハクチョウが田圃に舞い降ります。
白い天使が降臨する姿は、冬の湖北でも有数の美しくもあり、自然の豊かさを実感できる光景です。





湖北琵琶湖沿い探鳥で出てきた鳥を撮ってみましたが、いつでも見られる鳥や今シーズン撮影済の鳥はスルーしてしまいました。
残念だったのは、オオジュリン・ルリビタキ♀・ジョウビタキ♀・キジ♀3羽を目視で確認したにも関わらず、撮れず仕舞いだったことになります。


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東近江市八日市の勧請縄2~土器町・大森町の勧請縄~

2023-02-02 06:22:22 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 勧請縄は村の境や神社の前などに吊るされ、疫病などの災厄が集落に入るのを防ぐために縄に呪物や小縄などを吊るす民俗信仰で、滋賀県では湖東・湖南地方に集中している。
勧請縄はそれぞれの集落で独特の形をしており、中央に吊るされることの多いトリクグラズには集落ごとの独創性に溢れた個性豊かな形状をしています。

勧請縄は神社などの注連縄と似ているが、神社の場合の神域と俗世との結界という意味とはやや違い、村を禍から守るという意味で違いがあります。
旧八日市の勧請縄を探し回っていたのですが、確認することの出来なかった勧請縄が多くあり、土器町まで移動して勧請縄を見つけることが出来ました。



東近江市一帯は縄文時代の遺跡や古墳時代の遺跡が多く残る地とされており、“土器”という字名が付くことから土器の製造あるいは土器が発見されている集落かと勝手に想像する。
土器町の勧請縄は布引山の山麓にある「天満神社」と集落の間の参道に道切りの形で吊るされており、村の外れで山に対峙する場所になる。

勧請縄は主縄の下に紙垂を付けた小縄を12本吊るし、中央には丸に十型のトリクグラズ。
主縄の上には卒塔婆型の板幣が3本挿し込まれ、枝葉はシキミを使っているという。



トリクグラズは大きく目立つものとなっており、吊るされて日数があまり経過していないため緑が綺麗な状態です。
山側に祀られた天満神社は鉄柵にチェーンが掛けられていたので参拝するのが躊躇われて入らなかったが、少し怖さを感じてしまう雰囲気があった。
山を聖域とし、山から降りてくる悪いものをここで断ち切る道切りの勧請縄との印象を強く受けました。



主縄の上に卒塔婆型をした板幣が挿し込まれており、西村泰郎さんの著書「勧請縄-個性豊かな村境の魔よけ-」によると、幣の頭は2層に割られ紙垂と小豆が挟まれているそうです。
神社前に吊るされた勧請縄からは神道・仏教に農耕の神などへの信仰が混在した民俗信仰の姿が感じられます。



勧請縄の横の空き地には昨年吊るしていた勧請縄がうっすらと雪を被って置かれている。
勧請縄の吊るされている横に外された古い勧請縄が置かれているのを見かけますが、1年の役割を無事終えた勧請縄はこの後土に帰っていくのでしょう。



最後に勧請縄を神社側から見ると、布引山の山麓の天満神社と鳥居の間に勧請縄は吊るされており、その先にある集落と山の道切りとなっています。
各集落の勧請縄自体には集落ごとの個性があり、吊るす場所や吊るし方にもその地の信仰があるように思います。



次に訪れたのは土器町の集落をひとつ挟んだ隣の集落になる大森町で、大森町の勧請縄も土器町と同様に「大森神社」の鳥居と本殿の間の参道に勧請縄が吊るされています。
大森神社も布引山の山麓に祀られており、三方を田圃に囲まれた集落の村の山との境に位置する場所です。



大森神社の鳥居前から続く参道の何ヶ所かには小縄が下げられており、鳥居の前にある小屋・鳥居横の神社案内・手水に同じような小縄があった。
大森神社の勧請縄には小縄や小幣は下げられないが、境内各所やトリクグラズにはシキミを付けた小縄が下げられるのが特徴的です。





勧請縄は参道の高い所に吊られており、主縄がシンプルで小縄等が下げられていないため見落としそうになった。
シンプルな勧請縄ではあるがトリクグラズはあり、丸に縦3本・横2本の格子のあるトリクグラズにはシキミの付けられた小縄が掛けられている。





土器町とは集落ひとつを挟んで隣接しているにも関わらず、これほど違いがあるのは勧請縄の面白いところです。
勧請縄は2つとして同じものがなく、その集落独特の信仰の姿があり、是非後世に伝えていってほしい民俗信仰だと思います。


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