僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

「松尾大社の霊亀の滝」と「上賀茂神社の神馬」

2023-03-26 16:01:01 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 京都・上賀茂神社では毎月第4日曜日に「上賀茂手づくり市〜緑と小川の手づくり市〜」が開催されており、上賀茂神社への参拝を兼ねて訪れました。
手づくり市は、手づくりの品物に限定した市として自作の手づくり作品を販売するブースが約200店軒を連ねます。

当日は時折雨が降る寒い1日だったにも拘わらず来場者は多く、「上賀茂手づくり市」の人気の高さが感じられ、出店者の方の力作が販売されていました。
上賀茂神社には何度も参拝している神社ですので神社に関しては簡単に後述することにして、もう一社参拝した「松尾大社」から始めます。



「松尾大社」は京都の洛西に位置し、太古の昔より松尾山(標高223m)に祀られる磐座を祀って、祭祀を行い信仰していたとされている。
5世紀頃になると、渡来人の秦氏の大集団がこの地に来住して、松尾山の神を一族の総氏神として仰ぎ、701年には磐座から神霊を当地に移して社殿が設けられたという。

平安京に遷都されると、東の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)とともに「賀茂(東)の厳神、松尾(西)の猛霊」と並び称され、その後は「酒の神(酒造神)」として信仰されている。
御祭神は大山咋神と市杵島姫命。大山咋神は大津の日吉大社の御祭神と同じ神で、比叡山と松尾山の山頂にあって境をなす神であるとされているという。



駐車場から境内に入るとすぐに二之鳥居や楼門が見えてきますが、まずは少し離れた一之鳥居まで行って、一之鳥居に入り直してから参拝する。
松尾大社の鳥居は方向として松尾山を拝するように建てられており、磐座跡はやや北方向にあるようです。

興味深いのは二之鳥居の注連縄に榊の束が12個下げられており、まるでトリクグラズのない勧請縄のような形式で、上賀茂神社の鳥居にも同様の枝葉が下げられている。
下げられた榊の束は正確には「脇勧請」というらしく、12本の榊の枯れ方により、月々の農作物の出来具合を占ったというところは勧請縄と通じるものがあり、鳥居の原始形式を示すとされます。



驚きの気持ちを持ちながら二之鳥居を抜けると、高さ11mという大きくてシンプルな楼門を抜けることになります。
楼門は1667年に棟上げされた建築物とされ、煌びやかな装飾はない反面、堂々たる姿をした楼門です。



楼門から入った正面には巨大な絵馬を掛けられた拝殿が迎い入れてくれます。
兎の土鈴が中心に描かれていて、右下には小さな亀の姿が見られる。兎と亀の昔話もありますが、松尾大社では亀は神使として祀られています。



重要文化財に指定されている本殿は、1397年に再建されたもので1542年の大改修が行われ、その後も何度かの大修理を行って現在に至るという。
本殿の手前には「相生の松」の祠があり、2本の幹が合体した姿から恋愛成就・夫婦和合の御利益があるそうです。



本殿の建物の真上辺りには巨石が露出しており、この巨石は2014年に山肌から露出しているのが発見されたという。
神社の方に本堂の上の巨石は磐座でしょうかと確認しましたが、磐座は松尾山の峰の向こう側辺りにあるということでした。
かつて磐座は神職以外は禁足地となっていたが、許可制で登拝可能となったものの、2018年の台風によって登拝道が崩れて登拝禁止となっているようです。



松尾大社でどうしても行きたかった場所は「霊亀の滝」という神秘的な滝です。
本堂から長く伸びた回廊に入口があって、石段を登っていくと「霊亀の滝」の朱色の鳥居と祠が見えてきます。



滝は神々しくも神秘的な姿をしており、上段と下段の2段に分かれて10mはありそうな滝です。
決して枯れることのない滝とされていますが、季節柄か水量が少なく僅かな水量だったのは残念でした。



ただし巨石が重なる間に滝があるのは見応えがあり、回廊の向こう側の本堂エリアとは空気感が全く違います。
案内板に巨石の中に「天狗岩」があるということで目を凝らして探しているうちに天狗の顔を発見。
判別しにくいですが、真ん中やや左の丸い岩の右側に天狗の鼻があり、鼻の付け根の辺りに目と口が見えます。



「霊亀の滝」の石段を下りてくると「神泉 亀の井」という湧き水があり、松尾神社の神使である亀が霊水を吐出しています。
この湧き水を酒に混ぜると腐敗しないといい、醸造家が持ち帰って混ぜるという風習が現在も残るそうです。

神社の方にそのまま飲めますかと聞くと、みなさんお飲みになっていますし、沸かしてお茶やコーヒーにしてもいい。
神棚にお供えしてもいいし、古くなったら家の4隅にまかれるといいとのこと。
社務所に瓶が売ってありましたので、瓶に御神水を注いで持ち帰って飲んで見みることにしました。



松尾神は「神々の酒奉行である」という言葉があるようで、酒神として酒造関係者の信仰が篤いという。
神輿庫には各酒造の菰樽が奉納されており、神社に菰樽が奉納されているのを見かけることが多いが、さすが酒造神の信仰の篤い松尾大社の奉納菰樽は膨大な数です。



これにて松尾大社の参拝を終えましたが、次は先に参拝した上賀茂神社です。
この日は「上賀茂手づくり市」が開催されていましたので、神社参拝の方もかなりの人手です。
駐車場から境内に入ると二之鳥居ですので、上賀茂さんでも一旦一之鳥居まで行って入り直してからの参拝になりました。



二之鳥居の右側から「上賀茂手づくり市」のブースが始まり、鳥居を抜けると立砂や楼門・拝所となる中門になります。
鳥居の注連縄には房が4本、紙垂が4つあり、紙垂の横に枝葉が4本下げられている。



過去に上賀茂神社に参拝した時、鳥居の注連縄に何本かの枝葉が下げられていて、これは勧請縄なのか?と不思議に思ったことがありました。
松尾神社にも「脇勧請」が下げられていましたので、京都の神社では複数見られるのかと地域による祀り方の共通点と差異に気付かされます。



上賀茂神社といえば細殿の前にある「立砂」になり、上賀茂神社の御祭神・賀茂別雷大神が降臨したとされる神山に因んで円錐形の立砂が2つ祀られている。
円錐の頂点には3葉と2葉の松の葉が刺されてあり、御祭神の依代として神の出現を願う気持ちの意味があるとか。



境内を流れる御手洗川と御物忌川の合流地点の近くの橋を渡ると、朱色も鮮やかな楼門が近づいてきます。
楼門は1628年に建立されたといい重要文化財に指定された建築物で、大神社らしい見栄えの良い門だと思います。



さてこの日は、神馬舎に白馬の「神山号」が出馬しており、何度か参拝した上賀茂神社ですが今回初めての遭遇となりました。
ニンジンをあげることが出来ますので、スライスされたニンジンの乗った金属皿を鼻先に出すと、凄い勢いで皿を引っ張りニンジンを食べておりました。




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カタクリとショウジョウバカマとジョウビタキ!~スプリング・エフェメラルと最後の冬鳥~

2023-03-21 13:25:25 | 野鳥
 早春に咲く花を「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」とも「春の儚さ」とも呼び、まだ肌寒い季節に可憐な花を咲かせます。
その代表的な花のひとつにカタクリの花があり、ギフチョウとのコラボを楽しみにしていますが、年々ギフチョウの姿を見る機会が減ってきています。



カタクリの花とギフチョウの出現時期は微妙なズレがあり、カタクリの満開期がギフチョウには早かったり、ギフチョウが活発になる頃にはカタクリの花期は終わっていたりすることがあります。
以前はこのカタクリの群生にはギフチョウが飛んできたものでしたが、近年はギフチョウはやって来なくなってしまいました。



現地で出会った地元の方の話によると、以前は頼まれて幼虫の食草のカンアオイの繁殖を手伝っていたが、イノシシに荒らされることが多くなって止めてしまったとのこと。
里山の開発や放置の影響もあるかと思いますが、獣害が巡り巡って蝶の減少にもつながっているようです。



早春の季節になるとショウジョウバカマを見かけることが多くなり、カタクリの群生に遠慮するかのように控えめに咲いていました。
ショウジョウバカマは垂直分布が広いとされるので、低山以外にも山麓の寺院の庭園などにも咲いており、群生は作らないものの、しぶとくひっそりと咲く印象があります。



カタクリの花は、花の咲く場所へ見に行かないと見れない花ですが、ショウジョウバカマはふと気が付くと足元に咲いていたという感じでしょうか。
これから出会う機会の増えてくる花かとも思います。



さて、早春の訪れとともに去っていく冬鳥もあとわずかになってきました。
カッカッカッの声とともに冬の使者ことジョウビタキの♂が姿を見せてくれました。
今は「冬の使者」と「春の妖精」が交差する季節ですが、もしかしたらジョウビタキは今シーズンの最後かもしれませんね。



そこそこ近い距離にいたのはわずかな間だけでしたが、枝の間からなんとか姿を見せてくれる愛想のあるやつです。
周囲にはシジュウカラ・ヤマガラ・コゲラのカラ軍団とまだ残っているツグミの姿があり、山の方からはウグイスの囀りも聞こえてきます。



サクラが咲いて散った後、葉桜になってくると花も野鳥も大きく様変わりしてくると思います。
春のシーズンにはどんな出会いが待っているのでしょう。


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湖のスコーレ『山と湖(やまとうみ)展 vol.01』~やまなみ工房~

2023-03-18 05:55:55 | アート・ライブ・読書
 長浜の観光地となっている黒壁ガラス館や曳山博物館湖の近くに「湖のスコーレ」という商業施設があり、発酵をテーマとした食品や喫茶室や垢ぬけたセンスで選んだ雑貨などを販売しています。
また、文化棟には興味を引く新書や古書およそ3000冊が並ぶ本屋があり、文化棟の2階のギャラリーでは甲賀市にあるアートセンター&福祉施設「やまなみ工房」の作品展が企画を変えながら常時公開されています。

「やまなみ工房」はさまざまな障がいを持った人が88名ほど通って、思い思いの時間を自由に過ごし、創作活動をしたり、仕事をしたりしながら、ありのままの自分で過ごす施設だといいます。
そこで作られる作品は、アールブリュットの枠に留まらない作品として日本は元より海外でも評価が高く、作家ごとの作品の多様性とアートとしての質の高さに驚かされることが多い。



『山と湖展 vol.01』では25名もの作家の絵画作品が展示されていて、建物のギャラリー側から入ったところがまず最初の展示場となっています。
抽象的な絵が掛けられていますが、作為的ではなくあくまで自己表現として思いのままに描かれていますので、抽象画とは違った暖かみがあるように感じます。



田中睦美さんは、写真集や雑誌を見てイメージを作り、主に人物をモチーフにして描かれておられるそうです。(やまなみ工房HP)
楽しそうに躍動する女性の絵は「女の人」というタイトルが付けられ、人物を取り巻くように、あるいは人物を覆いつくすように花や湾曲したマーク(生き物?)が描かれています。


田中睦美「女の人」

田中さんと同じく「女の人」と題された作品を描かれたのは田村拓也さん。
カラフルに色を使い分けて升目状に四角く塗った作品は見る人のイメージを膨らませ、人物の感情を読み取らせるかの如く訴えかけてきます。


田村拓也「女の人」

もう1作「女の人」のタイトルが付けられた絵は岡元俊雄さんの作品で、墨汁と割り箸1本で描かれているのだという。
書き殴ったような荒々しい絵ですが、力強くも躍動感があります。
この3枚の「女の人」の絵からは、作者それぞれのモチーフの捉え方や自分が描きたいように夢中になって作品作りに没頭したような作者自身の心地よさがあるのかと思います。


岡元俊雄「女の人」

密林のジャングルの中を生き物たちが闊歩しているような作品は「ジャングル王国」という岩瀬 俊一さんの作品です。
空間があることを惜しむように生き物たちは描き込まれた作品は、実際には存在しないジャングルを自身の世界観で描き上げたパラダイスのように受け取れます。


岩瀬俊一「ジャングル王国」

精密な筆致で描かれた「金縛り怪人」は吉田楓馬さんの作品。
絵は吉田さんの世界に生息している生物や世界の風景を切り取ったものだといい、「生物図鑑」や「妖怪図鑑」のようでもあり、SF映画に登場する機械と人間との共同体のようにも見えます。


吉田楓馬「金縛り怪人」

大小の球体が全面に描かれた作品は、三井啓吾さんの「ふうせん」。
三井さんは子供の頃、両親が家業で忙しくうつも一人で過ごしており、夢中になれたことのひとつが絵を描くことであったといいます。
無数のふうせんは彼にだけ見える光の数々かもしれません。


三井啓吾「ふうせん」

KATSUさんの「タワーシリーズ」はシリーズのほとんどが上へ上へと伸びる建築物がモチーフとなっているようです。
建築されるタワーは極細の線で描き込まれ、階層が築かれているのが近くに寄ってみると確認出来ます。
例えるなら、「バベルの塔」や「サグラダ・ファミリア」が絵の中に建築されたような印象を受けます。


KATSU「タワーシリーズ」

湖のスコーレのギャラリーでは「やまなみ工房」の作品が周期的に展示されており、今回は『山と湖展 vol.01』ということですので、次回以降の企画展で続編が見られるのかと思います。
アールブリュットは“正規の美術教育を受けていない人が、既存の美術潮流に影響されない表現をする”が正規の解釈ですが、「やまなみ工房」の作品が次々と見られる場所があるのは貴重です。




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林田嶺一のポップ・ワールド~ボーダレス・アートミュージアムNO-MA~

2023-03-11 14:36:30 | アート・ライブ・読書
 近江八幡市のボーダレス・アートミュージアムNO-MAの今回の展覧会では2022年に亡くなられた林田嶺一の「林田嶺一のポップ・ワールド」展が開催されています。
NO-MA美術館では2006年に「快走老人録 ~老ヒテマスマス過激ニナル~」という展覧会でも紹介されたようですが、当時はNO-MA美術館を知らず、林田さんの名前も知りませんでした。

林田さんは1933年に満州で出生され、裕福な上流家庭に育ち、父親の仕事の関係で激動の戦前・戦中・戦後を満州・大連・ハルピン・上海・青島・京城で幼少期を過ごされたという。
林田さんは12年間を大陸で過ごしますが、終戦後に父親が他界したため、引揚船で帰国して母の故郷である北海道で生活を始める。



北海道の高校を卒業した後は北海道庁に勤務しながら絵を描き、学芸員から「自分の生い立ちを描いたらどうか」と勧められたことで、大戦下の満州などで見た幼年期の記憶を描き続けるようになったという。
林田さんは北海道庁で窓のない地下の印刷室で30年間勤めあげることになりますが、実際は左遷されて周囲から嘲笑されるような扱いであったそうです。
しかし、当の本人は“アートの本が腐るほどあるので印刷の仕事が終わったら「死んだふり」して本を見て勉強してたの。”と語られていたというしたたかさのある人のようです。
(櫛野展正連載29:アウトサイドの隣人たち 「死んだふり」の流儀からの抜粋)



《八幡港》は12歳で終戦を迎えて帰国した八幡港を描いたもので、丸い船窓の向こうには沈没して沈みつつある船と焼野原、空を飛ぶ飛行機はシンボリックな像と合体しています。
戦時の中国や引き揚げ体験をもとにした作品を制作されるようになったのは46歳の時からだといい、晩年は北海道江別市で暮らし、身近にあるのどかな風景を描かれるようになったようです。



1階は風景画が多かったのですが、2階の会場では「満州ポップシリーズ」という林田さんの本領発揮とでも言える作品群が所狭しと吊り下げられています。
幼年期の記憶にあるヨーロッパやロシアから流入した文化が異種混合的な社会環境で見た大連やハルビンの光景と、その時の感情を40歳の林田さんが記憶をつなぎ合わせて描かれています。



《「大人文化」の映像を「シミュレーション」化した「子供文化」の「オリジナルイメージ」化》という長いタイトルの絵は、日本赤十字の看護師さんと銃を持った兵隊さんを描いている。
背景に1917年とあり、第一次世界大戦の最中ですが、林田さんはまだ生まれておらず、幼少期に見た映像の記憶をテーマとしているのでしょうか。



《第2次上海事変の現場「戦争」被害者の映像(上空を飛ぶ「少女」の身体を「導入」した戦闘機)》と《上海郊外の第2次上海事変》は室内の窓から眺めた光景のようです。
第二次上海事変は1937年8月に始まった中華民国軍と日本軍との軍事衝突のことで、これを機に日中全面戦争に発展したといい、林田さんは4歳の頃にこの光景を記憶したことになります。



「満州ポップシリーズ」には「レストラン天津飯店」が何度も出てきますので、当時上海にお店があり林田さん家族は利用されていたのかと想像します。
店の中から見える窓の外の光景は、銃を持った兵隊立っており、くり抜かれた空間には足の生えた船のようなものが置かれている。
これには林田さんの“戦争で殺戮兵器を操るのは成人男性であり、女性や子供たちは一方的に巻き込まれていく戦争被害者となっている。”という意志の現れだという。



同じく「レストラン天津飯店」を描いた作品では、ギター弾きながら歩く2人の男の顔が戦車になっており、その下には銃を構える子供と思われるオブジェがある。
いくつかの作品にはヨーロッパの文化を思わせるポスターなどがコラージュされていて、戦時下にありながらモダーンさを残す上海の光景が連想されてしまいます。



《満州事変の「テロの現場」》では海の近くの荒涼とした場所に兵隊が立ち、切り抜かれた穴には“日本帝国〇付病院(ハルピン)”の建物があります。
崩壊しつつある病院は泣いているようにも見え、建物からは腕のようなものが伸びているようにも見える。



「河北福榮閣理髪社」を正面にした町並みはどこの街なのでしょう。下には船と車に乗った何かの生き物の造形があります。
絵には写真がコラージュされているように見え、横には“日本国家でもなし...(ロシア国家)”と書かれ、ロシアの絵と思えるカードが展示されています。



鮮やかな色彩と異種文化が混合したような「満州ポップシリーズ」とは打って変わって、帰国後の日本を描いた絵は陰鬱で暗いトーンの絵に変わる。
林田さんは終戦に伴い引揚船で八幡港へ帰ってきた後、列車で北上して母の故郷である北海道へ辿り着くのですが、下の絵は北海道の留萌駅で見た女性で、戦争の喪失感からトランプ占いをしていたといいます。



NO-MA美術館は町屋を改築した美術館で、1階・2階と蔵の中での展示がありますが、蔵の中では「満州ポップシリーズ」より前の時代に描かれていた「人間製造所」「顔のある風景」が展示されています。
作風はシュールな世界を描いたものが多く、林田さんは「絵に描いたような幻覚を見た」と話されていたといい、現実と幻想が混合した世界になっています。

絵のあちこちに人物や人ではないような生き物が潜んでいたり、馬や車輪あるいは人同士が合体し、顔が180°逆の人や機械と合体したりした人がここでは製造されています。
(人間製造所)





顔のある風景ではゴルゴダの丘を描いた宗教的な印象を受けるシリーズがあります。
戦前・戦争中の大陸の不穏で不安な雰囲気を子供心で感じられていたのでしょうか。



蔵の中をパノラマで見ると、4面に絵が展示され、明るく映っていますが実際は薄暗く絵だけが浮かび上がって見えます。
林田嶺一さんの名前も作品も初めて知ったのですが、もの凄くインパクトのある展覧会でした。




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『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』~ミシェール・ヨー~

2023-03-07 19:15:15 | アート・ライブ・読書
 映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、日本では通称“エブエブ”と呼ばれて、近々受賞作品が決まるアカデミー賞の作品賞の有力候補と噂されている映画です。
この映画では『スタートレック:ディスカバリー』に出演していたミシェール・ヨーが主演女優で、ディスカバリーでの役柄と同じくマルチバース(多元宇宙・平行宇宙)を描く設定になっていることでした。

『スタートレック:ディスカバリー』でもミシェール・ヨーは“宇宙艦隊ではフィリッパ・ジョージャウ”、平行宇宙の“テラン帝国では過激で暴力的な皇帝”を存在感たっぷりで演じていました。
並行宇宙で存在感を示した女優が多元宇宙のマルチバースに登場するこの作品にはミシェール・ヨーへの期待感があって早く観てみたいと好奇心が盛り上がる。



ミシェール・ヨーは『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』でボンドガールを演じた方でもありますが、この映画では破産寸前のコインランドリーの店主という何とも冴えない役柄で映画は始まります。
優柔不断なダメ亭主役のウェイモンドは『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』でインディことハリソン・フォードと名コンビを組んでいたショート・ラウンドことジョナサン・キー・クァンが演じています。



今回は一般席ではなく、広々として個室感のあるアップグレードシートを予約して鑑賞しましたが、プライベート空間満載の快適空間でしたので、次から映画を観る時はアップグレードシートを予約したいと思いました。
マルチバースの別宇宙に生きる自分が、別宇宙の自分に影響を及ぼすというSFの古典的な設定は、もしも別宇宙に生きる何人かの自分がいたとしたら、どんな生き方をしているのか見てみたい欲求が高まる。



余談になりますが、『スタートレック:ディスカバリー』はスタートレック実写ドラマシリーズの第6作にあたり未だに完了していないシリーズになり、ミシェール・ヨーはシーズン3まで出演。
最初のシリーズの開始が1966年ですから、もう60年近く続いているシリーズで、劇場版映画も13本製作されています。
またスタートレックのスピンオフ・シリーズは、進行中のディスカバリーとピカードの他にもクリストファーパイク船長・スポックのエンタープライズ・シリーズ、フィリッパ・ジョージャウのSection 31が公開予定だという。
宇宙の旅は、まだまだ続くということですね。


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牟禮山 竜王観音禅寺~秘仏御本尊 特別大開張~

2023-03-03 19:55:55 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県には聖徳太子ゆかりの寺院や神社が非常に多く、奈良県や大阪府を遥かに凌ぐ数の寺社に伝承が現存しています。
一説には比叡山延暦寺を本山とする天台宗が滋賀県では盛んに信仰され、最澄が聖徳太子の生まれ変わりとされた影響が大きいとされている。

特に東近江地域(東近江市・近江八幡市・日野町・竜王町)には聖徳太子の伝承が数多く残り、聖徳太子薨去1400年を迎えるにあたり、11の社寺で特別開帳が開催されています。
竜王町の「観音禅寺」では秘仏の聖徳太子一刀三礼御作「十一面観世音菩薩立像」の特別大開帳に合わせて、ミュージカルの寸劇やヨシ笛演奏奉納やライトアップなどが開催されるという。



「竜王 観音禅寺」は、三井アウトレットパーク滋賀竜王から近い場所にはあるものの、周辺には何もなく、鏡山のもっとも東の麓と祖父川の間にひっそりと祀られています。
とはいえ、駐車場には次々と車が入ってきて寺院へ向かわれる方は多く、法要への参加者以外にも「十一面観世音菩薩立像」を拝観したいと訪れる方が多かったようです。



石標のある祖父川も堤防から眺めると、大きな溜池の奥にある山麓に本堂が垣間見え、山麓の落ち着いた佇まいのある寺院の良さを感じます。
本堂の屋根には少し雪が見えますが、この雪は竜王町に入った辺りから見え始めましたので、この地域は雪が多い地域なのでしょう。



溜池の中央を横切るように参道は作られていて、道の両脇は松の木の間を歩いていると、人口の溜池の間の参道とはいえ、雰囲気のある参道です。
現在は夜間にライトアップをされていますので、各所にライトが設置されていますが、夜間に参拝するのはちょっと怖いかもしれませんね。



「牟禮山 観音禅寺」は、853年に法満寺を守護する別院として草創されたと伝わり、母体となる法満寺は701年に創建され、739年に良弁僧正により伽藍が整えられたといいます。
平安時代後期には僧房五十六宇を数える大伽藍を誇ったとされますが、戦国期に全山が兵火で焼尽。
江戸時代の元禄期に臨済宗の禅師により「観音禅寺」として再建されるが、明治期に無住の寺院となり、大正期に再興した後は小口集落の人々により護持運営されてきたといいます。



小雨がぱらつき足元の悪い中にも関わらず、山門から人がはみ出してしまっている状態でしたので、裏参道から境内へと入らせて頂きます。
山門前にも石仏が数躰祀られていましたが、裏山の竹林の辺りにも石仏はポツリポツリと祀られています。



本堂の横の石段の上には「白髭稲荷大明神」が祀られており、本堂では法要後の議員などの挨拶が続いておりましたので、先に稲荷大神へお参りします。
山を背にした高台には「白髭稲荷大明神」と「役行者 神変大菩薩」の2つの祠が祀られていました。



江戸期以降に臨済宗の「観音禅寺」となったこの寺院の歴史は、開基が金蕭菩薩・開山が良弁僧正とされ、戦国時代に信長に焼かれるまでは天台宗寺院だったという。
では、聖徳太子とどこでつながってくるかとなると、年代が合わないのでやはり天台宗時代に関連付けられたのではないかと思う。
山岳信仰から奈良仏教、天台宗に神道や修験道が混在してくるのは滋賀県の古寺のひとつの傾向のように思います。



達磨大師の霊石に手を合わせていた頃、本堂ではヨシ笛演奏奉納が始まったようでしたので本堂前の境内へ進みます。
実はこの日、仏像拝観ともうひとつ楽しみにしていたのは、本堂で演じられるミュージカル「日出づる国 厩戸皇子」の舞台でした。



ミュージカルは「東近江創作ミュージカル」というアートプロジェクトのメンバーにより演じられ、本来は2時間ほどのミュージカルのようですが、今回奉納されたのはその一幕です。
ストーリーは“歴史好きの少女ユリが石段から落ちた瞬間に少年・厩戸皇子と入れ替わり、厩戸皇子となったユリは激動の飛鳥時代を生きる人びとを導く”という話の一幕です。

完全版では“現代を生きる人々と交流する厩戸皇子”の姿も演じられるようで、厩戸皇子が現代社会でどのようにふるまったのか気になるところです。
まずは舞台回し役の方が巻物を読み、飛鳥時代の様子を伝えます。



主役となるのは、現代の少女ユリが入れ替わった厩戸皇子と皇子を助ける小野妹子になります。
歌って踊ってにはやや狭い本堂ですが、山岸涼子『日出処の天子』以来の厩戸皇子ファンの当方としては、充分に楽しめるステージでした。



迫力のある争いの主は、蘇我馬子と物部守屋。
崇仏派と排仏派の争いであり、権力闘争でもあったようですが、厩戸皇子は四天王の像を彫って戦いに参加したことに複雑な心境を抱いた一面も演じられる。



ミュージカルのエンディングは今日の出演者が全員揃ってのステージです。
一幕のみですので20分程度の舞台でしたが、寺院の本堂で演じられる飛鳥時代を舞台としたミュージカルという興味深いステージでした。



ステージが終わるといよいよ仏像拝観の時間です。
須弥壇のある内陣の横の部屋には「大日如来坐像」と「阿弥陀三尊」に雛人形が置かれており、金箔の光背や蓮台に黒々とした墨色の姿で座られる「大日如来坐像」の美しい姿に魅かれます。



須弥壇には「十一面観世音菩薩立像」が祀られ、古さは感じないが柔和でふくよかな表情をされている御本尊です。
光背や厨子も立派なものですので、観音禅寺を氏仏とされる方々の信仰の篤さを感じることになります。
須弥壇の左の部屋には、まさに所狭しと仏像がお祀りされており、仏像密集の部屋となっておりました。



法要から始まって、ご挨拶・ヨシ笛演奏奉納・ミュージカル「日出づる国 厩戸皇子」ときての仏像拝観にすっかり堪能して寺院を出ることになり、深く印象に残る寺となりました。
「観音禅寺」は別称「みくじ占いの寺」と呼ばれているといい、観音霊籖の秘法に基づき比叡山延暦寺の元三大師堂のおみくじのような内容でみくじ占いをされているそうです。


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「長浜盆梅展」夜間ライトアップ・早川鉄平コラボレーション~慶雲館~

2023-03-02 06:13:00 | アート・ライブ・読書
 長浜慶雲館で開催される「長浜盆梅展」は今年で第72回を迎え、第1回は1972年ということですから、50年以上続く長浜市の春の風物詩となっています。
特に2021年以降は、盆梅だけではなく米原市の切り絵作家・早川鉄平さんの作品と盆梅とのコラボ、和傘・竹灯りの展示など見所の多い展示がされるようになってきています。



慶雲館は1886年に明治天皇皇后両陛下が京都行幸の帰路、船で長浜に上陸されるにあたって建築された明治の迎賓館とされます。
約6千㎡の広大な敷地に建てられた約500㎡の建物の2階には玉座の間があり、破格の建築費を費やしたといいますが、両陛下の滞在時間は1時間足らずだったといいます。



前庭・玄関前庭に置かれた灯籠や石碑は非常に大きく、これは慶雲館がかつては長浜港に面しており、船で運び込んだ巨石とされている。
前庭には明治の大横綱常陸山の石像がありますが、これは慶雲館の建築費用を出した実業家・浅見又蔵が常陸山のタニマチだったことによるという。
浅見又蔵は、明治期の“浜ちりめん”から始めて成功した実業家で、膨大な富を築かれた方だったようです。



慶雲館の玄関から入って驚いたのは来場者の多さでした。
例年ならライトアップの時間帯は、人もまばらでフォトコン狙いのカメラマンがチラホラという感じだったのですが、コロナ渦が騒がれなくなったことで人の移動が増加しているのを感じます。



玉座の間がある本館の2階では竹灯りと盆梅の饗宴となっており、竹灯りの仄かな光に梅の花が照らし出されています。
竹灯りは、観光協会のメンバーの方々が作っておられるそうですが、器用なものですね。



ガラス障子の向こうには涸池を使った池泉回遊式庭園が広々とした主庭に広がっています。
雪吊された松が独特の雰囲気を醸し出していますが、主庭に雪が積もったのはこの冬2~3日もなかったかもしれませんね。



盆梅は開花状態によって入れ替えられているようですが、「不老」はまだ蕾の状態でした。
樹齢が伝400年とされる古老は、巨木感と朽ちそうにして精気が感じられる見事な古木です。



スマホやカメラを持った人が集まっていたのは「林光」で、伝150年とされる梅です。
盆梅の下の光沢のある台にはリフレクションが出るので狙って撮っておられる方が多いが、うまく撮れたのでしょうか。



早川鉄平さんの作品は別館で盆梅とのコラボになっており、夏にも早川さんの作品は庭を含む慶雲館の全域を使って展示されますので、早川ワールドを楽しむにはそちらの方が見やすいかも。
こちらは大きな鯉の中に鮎のような魚が鱗のように切り抜かれている作品です。



兎のモチーフも多く、魚が泳ぎ、天井には鳥が舞う伊吹の自然が圧縮されたかのように展示されている。
盆梅とのコラボは両方が強調されますので部屋全体が独特の雰囲気に包まれていました。



来場者が多かったので抹茶コーナーも満席近かったのでお土産に柏屋老舗の“昇龍梅”を購入。
“盆梅しそもち”もいいんだけど毎年買っているので今年は“昇龍梅”にしました。



元三大師こと良源の「角大師」の魔除けの護符が配布されていましたので頂いて帰りました。
元三大師は、市町村合併前の浅井郡虎姫町出身の天台宗の僧で、天台座主まで勤められた方です。


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