僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

『八木浜文殊院の密教美術』展~高月観音の里歴史民俗資料館~

2019-07-01 06:00:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 「高月観音の里歴史民俗資料館」は、あの美しい国宝「十一面観音立像」をお祀りする「向源寺(渡岸寺観音堂)」のすぐ隣にある資料館で、観音の里・高月の仏像や「オコナイ」の民俗行事を展示しています。
現在は特別陳列として『八木浜文殊院の密教美術』展が開催されており、文殊院が所蔵していた主に江戸期の仏像・仏画等の展示がされておりました。

八木浜地区は琵琶湖に面した集落で、小さな漁港と広い田園地帯、よし葺き屋根の民家が残る村というのは知ってはいましたが、「八木浜文殊院」という寺院は全く知らない寺院でした。
八木浜文殊院は真言宗豊山派の寺院で、仏像・仏画類はこの春に「高月観音の里歴史民俗資料館」に寄託され、特別陳列に至ったということです。



文殊院の仏像は全て江戸期の仏像で、美形の顔をした「弘法大師坐像(像高47.3cm)」、真っ赤な眼で睨みつける「不動明王坐像(像高39.3cm)」、智拳印を結ぶ「大日如来坐像(像高25.2cm)」と「如来形坐像」などが並びます。
仏画は室町期・江戸期のものになりますが、非常に状態の良いものが多く、特に「地蔵菩薩・十一面観音・吉祥天三尊図」は珍しい3尊画かと思います。



「大黒天像」の書画では七福神の姿をしながらも顔や肌は真っ黒な大黒天が描かれています。
ヒンドゥー教のシヴァ神のマハーカーラが由来になっているのか、日本的なものとインド的なものが混じったような書画です。



歴史民俗資料館には今回の特別陳列の他にも数多くの仏像や神像が展示されており、苦しみに満ちた「釈迦苦行像」や朽ちそうになりながらも姿を残す「いも観音」などが展示され、観音の里の一端を知ることが出来ます。
以前に来た時になかったのは「金銅十一面観音不動毘沙門懸仏(長浜城歴史博物館蔵)」で、裏面の銘文には“石道寺 奉造立十一面観音御体并(不動/毘沙門)”とあり、応安元年(1368年)に造られた美しい懸仏です。



高月観音の里歴史民俗資料館が建てられたのは昭和59年(1984年)。「一億総中流」といわれながらも「○金・○ビ(マルキン・マルビ)」が流行語大賞を受賞し、経済が右肩上がりだった時代。
場所が渡岸寺観音堂の横ですから十一面観音を拝観された後に立ち寄られる仏像好きの方も少なくはないでしょう。





せっかくなので久しぶりに「向源寺(渡岸寺観音堂)」へ参拝することにして、水量豊かな川の横を歩き出します。
地元の方に“水量が多いですね。”と話しかけると、“今は田圃に水がいる時期だから高時川から引き込む量を多くしている。”とのことです。



「向源寺(渡岸寺観音堂)」の山門へとつながる岸辺には大きなケヤキの木。
このケヤキは樹高10m・幹周囲3.2mで樹齢は推定300年とされ、しめ縄が巻かれていることから地域では御神木として守られているのでしょう。



金剛力士像が安置された仁王門から向源寺へと入山しますが、この仁王門は以前とは随分と雰囲気が変わっています。
以前は仁王門の前を斜めに横切るようにして松の木がありましたが、今はその跡形すらない。
切ってしまったのか、台風等で倒れたのかは分かりませんが、見通しはよくなっていますね。



湖北の信仰の面白いところの一つには“神社と密教系寺院が並立されていること。”があり、向源寺(渡岸寺観音堂)も仁王門の横に「天神社」があります。
また、湖北は浄土真宗の信仰が盛んな地でありながら、真宗信仰と観音信仰が並び立つ地域でもあります。

湖北には「己高山仏教文化圏」と呼ばれる文化があり、古代から霊山・修行の場とされてきた己高山信仰と北陸から流入した泰澄の白山信仰、比叡山からの最澄の天台宗の影響が融合して形成されてきたものといわれます。
湖北の観音を祀る寺院の大半は無住の寺院となっていて、地域の観音堂で地元の方が守り続けておられ、村の神社・村の寺・村の観音堂のそれぞれを隔たりなく信仰されているようです。



本堂には「阿弥陀如来坐像(平安後期)」が本尊として祀られ、横には十一面観音像を抱いた「小川清平之像」が安置されています。
小川清平という方は村人の一人で、向源寺再建のための浄財の募金活動に力を注がれた方だといいます。

向源寺の仏像群は本堂の隣にある観音堂に安置されており、観音堂内には国宝「十一面観音立像」、智拳印を結ぶ胎蔵界の重文「大日如来坐像」。
かつて文殊菩薩・普賢菩薩が乗っていた「象と獅子」の木像や厨子に入った40cmほどの「十一面観音立像」、痛みはひどいが平安期の「不動明王坐像」などが安置されています。

向源寺(渡岸寺観音堂)の「十一面観音」については今さら言うことはありませんが、やはりその姿は完璧なまでに美しい。
一般的には頭上にある化仏が両耳の所にあるのは珍しく、そのおかげでそれぞれの化仏が大きく造られ、全体のバランスに安定感をもたらしているように思えます。



十一面観音像は博物館展示のように全方向から拝観できるようになっているのですが、興味深いのは観音様の後頭部にある「暴悪大笑面」でしょう。
寺院の方の話ではこの笑いは嘲笑いで、“表面上だけはええカッコしているが、腹の中は汚い。その汚い部分をのぞき見してええ加減にせえよ!と嘲笑っているんです。”といわれます。

美しく慈悲深い観音像にしてその心には二面性を持っているということになりますが、そもそも菩薩は“仏の悟りを求める人”ですから、未だ悟りに至らず人間臭い一面もあるということなのでしょうか。
少し調べてはみたものの「暴悪大笑面」について納得のいく解釈には出会えておりません。

ところで、湖北の地は織田信長と浅井・朝倉軍が戦った「姉川の戦い」の舞台になったところで、近隣の堂宇民家はことごとく兵火によって焼き払われたといいます。
その時に観音像を地中に埋めて守った場所が「埋状地」として今も残されています。



また、参道の横には「星と祭」を書かれた作家・井上靖さんの文学碑があり、湖北の十一面観音信仰と井上靖のつながりが感じられます。
“慈眼 秋風 湖北の寺  井上靖書” 
現在は志を持った有志によって井上靖『星と祭』復刊プロジェクトが進められている最中でもあります。



高月町渡岸寺の観音さまや湖北の観音さまと井上靖のつながりを示すものとして、渡岸寺からすぐ近くにある長浜市立高月図書館には「井上靖記念室」があります。
井上靖直筆の原稿や愛用の品々、資料類と再現された書斎などがあり、今も湖北でリスペクトされ続けられていることが分かる記念室となっています。



向源寺(渡岸寺観音堂)では観光バスの到着はなかったものの、人が絶えることなく参拝に来られていました。
近年、湖北の仏像は東京の美術館への出張や、「びわ湖長浜KANNON HOUSE」での展示などで遠方から訪れてこられる方が多くなっているとも聞きます。
湖北で拝観したことのない仏像はまだ数多いのですが、そこは機会と縁ということになりますので、少しづつ拝観していきたいと思います。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 御朱印蒐集~京都市山科区 ... | トップ | 御朱印蒐集~滋賀県大津市 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山」カテゴリの最新記事