僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

荒神山古墳群の横穴式石室を見に行ったが...

2024-05-30 06:39:39 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 荒神山は彦根市にある標高284mの独立峰で、奈良時代に行基が山頂に「奥山寺」を開山し、三宝大荒神を祀ったことから荒神山と呼ばれるようになったといいます。
山頂には荒神山神社という「奥山寺」に起源を持つ神社が祀られ、尾根には滋賀県第2位の規模とされる荒神山古墳があります。

荒神山古墳は4世紀末に築造の前方後円墳とされており、荒神山には他にも十数基の古墳があることから、荒神山古墳群と呼ばれているといます。
昨年、荒神山では湖東地域で最大とされる「横穴式石室」が発見されており、その古墳を見たさに荒神山を訪れました。



古墳のある場所は、「荒神山神社遥拝殿」から本坂を呼ばれる荒神山神社(かつての奥山寺)の表参道の途中にあるようです。
荒神山は3コースほどの登り道がありますが、本坂コースから登るのは初めてで、古(いにしえ)の参道を興味深く登りました。



道は一部に石段や石畳が残っていて、旧参拝道ゆえの雰囲気のあるいい道です。
夏の野鳥とおぼしき囀りもにぎやかですが、声はすれども姿は見えず...。



緑に挟まれた場所もありますが、路面は石畳が敷かれていて歩きよい。
そろそろ古墳があってもいいのにと思いつつも、快調に登っていってしまったのは登り過ぎであとで困ることになりました。



途中からは道幅が広くなり、石畳が敷き詰められています。
この参拝道がいつの時代に整備されたかは分かりませんが、天智天皇や聖武天皇の時代からあったと想像してみるのも楽しい。

奥山寺は叡山派の天台宗寺院だったため、信長に焼き払われて宝物などは堂宇と共に焼失したとされます。
江戸時代に彦根井伊藩の保護により再興していったそうですが、明治の神仏分離により奥山寺は廃寺となってしまったという。



で、調子良く登っていったら林道との出会いに入ってしまい、林道の「腹切地蔵」さんのところまで来てしまいます。
このお地蔵さんはお腹の部分が斜めに割れていることから「腹切地蔵」と呼ばれているようです。



古墳は神社まで行って場所を確認して下山の時に立ち寄ろうと思い、神社へと続く石段を登っていくと、下りてくる方が居られた。
古墳のことを聞いてみると、下山途中に分岐があるので案内するので一緒に下りましょうと言って頂き、下山を開始する。
しかし...辿り着いた古墳は何とブルーシートに覆われている...。



古墳は、中世に護摩などの祭祀を営む空間として利用していたことが伺われ、幕末から明治にかけて築造当時の姿から大きく改変されているという。
幕末から明治にかけて大量の土を入れたのは、廃仏毀釈により仏教関係の痕跡を埋めるためだったと考えられる。(読売新聞オンラインより)



ほとんど山頂まで登っていながら登り口近くまで下りてきたにも関わらずブルーシートに覆われた古墳しか見れなかったので心が折れる。
登り返す気持ちが失せてしまいましたので、林道から車で登ることにする。

荒神山神社の手前に駐車すると正面は展望の良い広場となっていて、ここが荒神山の山頂(284m)になる。
山頂の雰囲気はまるでない場所ですが、一応ここが山頂ということです。



山頂から見る風景は、かつては内湖で今は埋め立てられた曽根沼の水田と、その先にはベタ凪の琵琶湖。
浮かんでいるのは多景島。対岸に見えるのは高島の比良山系か?いずれにしろ絶景です。



荒神山神社はかまど神をお祀りする神社で、御祭神に火産霊神・奥津日子神・奥津比売神をお祀りします。
「かまどが賑わう」は暮らしが豊かになる、商売が繁昌すること。「かまどを破る」は身体をつぶす、会社を破産させるの意だそうです。



荒神山の山頂には全長124mの前方後円墳がありますので、周回して日夏山にある三角点まで歩きます。
墳丘が大きく、石室や玄室の開口部がないので、小山にしか見えませんが、大和政権と深くつながるとされる大きな影響力を持った人物の古墳とされます。



三角点は日夏山(標高261m)の山頂にあり、真ん中にある東屋では数人の方が休憩中でした。
山頂表示を探したものの見当たらずで、以前は見たことがあったので付けられたり取られたり(見落とした?)しているようですね。



視界の広がる場所からは水を張った水田と、多賀の山々の向こうに霊仙山や鈴鹿山系が見え、背比べするかのように伊吹山が見えます。
山々と琵琶湖に挟まれた広い湖東平野の豊かさが感じられる光景です。



訪れた時は5月中旬頃でしたが、シャクナゲの花がかろうじて残っていました。
誰かがお世話されているのか赤色の花とピンク色の花の2種が咲いていました。



下山して西側より眺める荒神山。
田植えの終わった田圃に規則正しく植えられた苗は、みるみると大きく育って秋には黄金の稲穂を付けます。
少し前までは荒神山に山桜がチラホラと見えていたと思いますが、季節はあっという間に巡っていきますね。




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電車でGO!-縦走-~猪子山・伊庭山・丹生山・繖山~

2024-05-26 16:25:55 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 山登りに行く時は基本車で行くのですが、電車などを利用すると周回出来る山なら良いがピストンで折り返してくるか、ロードで戻ってくるかになります。
繖山は南北に長い山ですのでどこかで引き返すことになり、いまだに完全縦走が出来ず、継ぎ足し登山となっていました。

そこで今回は電車でGO!とばかりに、JR能登川駅からスタートして繖山を縦走し、観音正寺から下山してJR安土駅へ戻るルートを計画しました。
これで繖山を一気通貫で登れると意気込んでおりましたが、下山ルートが行き当たりばったりで、下山後のロード歩きが長かったのは想定外となる。



まずはJR能登川駅からスタートです。
猪子山公園の「上山天満天神社」の鳥居が登山口になりますので公園を目指して歩いて行きますが、数分程度で到着する。



猪子山公園には林道があり、途中に巨石を祀る「岩船神社」や「山面古墳群」があるのですが、林道は使わず登山道に入ります。
舗装された林道を使わないことに特にこだわりがある訳ではなく、土の道の方が歩きやすく感じるからです。



木段を登りきると「上山天満天神社」の境内に入りますので、本日の安全祈願。
御祭神の天常立命は、比良山より岩の御船で繖山麓に来着したのが始まりとされ、麓の岩船神社・勝菅の岩屋も同様に岩の船で来たとの伝説が残る。



神社から先は2つのルートあるが、右のルートだと「北向岩屋十一面観音」を越えてしまうので、御神木の横からのルートで登る。
繖山は個人的に“木段地獄”と呼んでいるくらい木段が多く、木段が苦手な人は登るのがしんどい山です。



「北向岩屋十一面観音」の下には「巨石の神々を訪ねる道」という巨石が並ぶ道があり、北向岩屋十一面観音の手前には「白瀧大神」という巨石があります。
この巨石の前を通るたびに思うのは“妖怪ぬりかべ登場!”です。別名は「屏風岩」というそうです。



「白瀧大神」を越えると「北向岩屋十一面観音」の磐座の前に出てきます。
北向岩屋十一面観音は厳窟内に石造りの観音像をお祀りし、観音像は合掌の手に数珠を掛けておられ、奈良時代に安置されたと伝わります。



石仏は御堂の中に祀られており、近づくとほのかに線香の匂いが感じられます。
ここへ訪れる度に参拝されている方に出会いますので、信仰と健康づくりのため日々参拝にこられる方が多いようです。



ここからは西の湖と琵琶湖、湖西の山々まで望むことができ、今の季節は水を張った田圃が鏡のように空の青さを映し出します。
ここは秋になるとタカの渡りを写真に納めようと大砲が並ぶスポットでもあり、ピーク時には500~1000羽もカウントできるとか。



「北向岩屋十一面観音」から登山道を進むと、本日一つ目の山頂になる猪子山に到着します。
繖山の山系には猪子山と繖山の山頂に三角点があり、位置的には北の山頂と南の山頂になります。



「北向岩屋十一面観音」と「雨宮龍神社」の間は尾根筋を歩くようになっており、登り下りしながら進みます。
各ピークにはナンバリングがされており、ここはP1。全部でP12までピークがあります。



本日2つ目の山頂になる伊庭山は、以前に来た時は山名標示がなかったが、今回は伊庭山336mの標示が追加されていました。
途中で会った方は毎年道の草刈りや木段の補修などの整備をされている方で、情報が伝えやすいようにピークにナンバリングしているそうです。



その方と「雨宮龍神社」まで喋りながら行ったのですが、一人で黙々と木段の登り下りするのはシンドイけど、誰かと話しながら登るとしんどさを感じない。
木漏れ日の山道を喋りながら歩いて行くうちに、あっという間といった感じで「雨宮龍神社」の境内へと到着しました。



「雨宮龍神社」は読んで字のごとく雨乞いの神様で、推古天皇時代の創始・弘法大師による雨乞いの実施の社殿が残るという。
滋賀県では、平野部と近い場所にある山には八大龍王や龍王を祀る雨乞いの場所があり、農耕の安定や水流の氾濫のないよう祈りの場所が多い。



彫り物の美しい雨宮龍神社の本殿の近くには御神木と共に、船の形をした磐座が祀られていて、ここにも岩船の信仰が確認出来ます。
この雨宮龍神社の本殿が祀られている場所は本日3つ目の山頂になる瓜生山(標高300m)になります。



雨宮龍神社が山の中間点となり、これまでは能登川側からは雨宮龍神社、安土側からは繖山山頂が折り返し点としていましたが、今回はこの先の地獄越えへ進みます。
「地獄越え」とは、戦国時代に織田信長に攻められ観音寺城が落城したおり、六角氏の落人でこの谷は地獄のようになったことよるものです。



この峠は、現在の石馬町から北須田町へ抜ける峠道にもなっているといい、峠には石仏地蔵が祀られています。
お地蔵さんには山中に生えていて鮮度の良いヤマツツジの花が奉られ、信仰の篤さを感じられます。



地獄越えから木段を登り下りしながら進むと、繖山が見えてきて最後の山頂が近づいてきます。
天気は良いのですが、気温はさほど上がらず、木漏れ日の尾根筋の何とも気持ちの良いこと。新緑に覆われた山の美しさも堪能できます。



登山道には何ヶ所も展望の良い場所がありますが、景色としてはこの岩の上が最高ではないでしょうか。
鏡のような水田と西の湖に伊庭内湖が見え、琵琶湖と湖西の山々を見ていると、いろんなことがプラス思考になります。



これまでと違って反対側から登ってきたので危うく通り過ぎてしまうところでしたが、本日4つ目の山頂・繖山(標高432.5m)に到着。
ここで出会った方に登山のことや山や花情報を教えて頂き、直近1~2カ月の登山情報の参考になりました。



繖山の二等三角点もタッチはしませんが、パチリだけしておきます。
これで縦走は完了ですが、さてどこから下山しようか。安土側にさえ下りたら少々のロード歩きは覚悟している。



まぁ時間もあるし観音正寺方向へ行ってみるとということで、繖山の山頂で出会った人と喋りながら歩いていきます。
この日はかなり変わった登山になって、途中で出会った方と喋りながらの登山となり、随分と雰囲気の違う山行となりました。



登山道は「ねずみ岩」の横に出て観音正寺の門の前まで来ましたが、この先の観音正寺も桑実寺も通行するだけでも拝観料がいるんですよね。
今回は参拝目的ではないので観音正寺の手前の石段を降りて下山することとします。
石段を降りた先は石寺町の日吉神社の本殿と参道で、石寺の日吉神社は観音正寺の守護神として近江坂本の日吉大社から勧請されたようです。



あまり気にしていなかったのですが、石寺町から安土駅に行くには山麓を迂回していかないといけないようで、4~5㌔のロード歩きとなりました。
長閑な田圃道を歩きながら振り返れば繖山の長~い山並みが見える。ここからだと観音寺山城跡の大石垣なんかも見えます。



延々と歩くウォーキングでやっと安土駅にやってきました。
半分半分で何度も登った山でしたが、これで一気通貫の縦走完了です。

山行は電車を使うのも一つの手かと思いましたが、バス利用で行くのもありかなとも思います。
でもバスの山行って本数がなさそうだし、最終も早かったして乗り遅れたら...。




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初マラソンを快走!?~奥びわ湖健康マラソン~

2024-05-20 17:25:25 | 風景・イベント・グルメ
 人の趣味趣向というのは時に信じられないような変化があるようで、ランニングを始めることになろうとは1年前の自分が知ったらさぞやビックリすることでしょう。
一定の距離を走るなんてのは高校の体育の時間以来だし、山登りを始めるまでは歩くのもあまり好きではなかったのにも関わらず走り出したのです。

走り始めた頃は数百mも走れずの状態でしたが、少しづつ走れる距離を伸ばしていって、5㌔とか3㌔のコースを設定して週に何度か走っています。
5㌔なら安定して走れるようになりましたので、5㌔コースが設定されている「奥びわ湖健康マラソン」が初マラソンのデビュー戦です。



「奥びわ湖健康マラソン」は3コースあり、15㌔コースに約1500名・5㌔コースに400名少々・1.5㌔に200名弱の方、計2000名以上がエントリーされています。
当方がエントリーしたのは5㌔コースで、これが今の実力レベルでは精一杯です。

開催場所はJR永原駅の近くの長浜市役所西浅井支所で、とってもローカルな駅近くの施設からのスタートとなります。
JRの運行本数がとても少ないので車で現地に向かいましたが、会場が近くなると道路が渋滞してきて他府県ナンバーの車も多い。



会場に到着すると初めてのマラソン大会の雰囲気に緊張感とワクワク感を感じつつ、スタートとゴールを確認します。
このところ夏日が続いていたので暑さとも戦わなけらばならないかと思っていましたが、幸い曇り空で気温が上がらずコンデションはまぁまぁです。



フィニッシュはゴールと書かれたエアアーチを通り抜け、両脇に人がが並ぶ直線コースを駆抜けることになる。
タイムとか順位とかは関係のないレースなので、自分の力を試しつつ走ることを楽しみたいな。



開会式での浅見長浜市長の挨拶と、横に並ぶは「スポレク滋賀2008」のマスコットのキャッフィーと2025年に滋賀県で開催される国体のマスコット「チャッフィー」。
開会式が始まる前は出場前のランナーたちが列を作って、ビワコオオナマズのマスコット・キャラクターたちと記念撮影をされていましたよ。



発走はまず15㌔レースからですが、1500名ものランナーが走るとスタートラインに並ぶまでが大変です。
15㌔レースだけスタートが別の場所になっているので1500名のランナー大移動が始まります。



ところで、当方が走ろうと思った一つの要因は、山行をしている時にトレイルランニングの人を何度か見かけ、カッコ良いなと思ったことが始まりです。
トレランをするにはまず平地で10Km走れる事が必要と言われますので、走り始めたのが最初です。

決めた距離を走れるようになってくると、次は時間を縮めることに関心が移ってきて購入したのが「オン(ON)」のシューズのクラウドモンスターです。
ホカオネオネのシューズかONのシューズかで迷いましたが、履き心地が良かったONの方を購入。(価格は2つとも同じくらい)
ONはスイスのシューズメーカーで、この靴を履き始めてから1Kmあたり30~45秒くらい早く走れるようになりましたよ。



...ということで当方が走った5㌔コースは、序盤は人の渦に囲まれてスローペースでしたが徐々にペースを上げていく。
ペースの上下はあったものの、最終的には練習での最高タイムに1秒及ばなかったものの、たいへん満足できる結果となりました。

初経験で困ったのはエイドでの給水で、走りながら飲み物を飲むのはなかなか難しく、これは慣れが必要ですね。
ただ途中の集落内では、家の前で観戦して励ましの声を掛けて下さる方々(主におばぁちゃんたち)が多数おられ、これは心強かった。
下は参加賞のタオルです。



記念に購入したのは奥びわ湖健康マラソンのオリジナルTシャツです。
スピードは遅いながらもとても気持ち良く楽しく走ることが出来ました。
来年の大会にはこのTシャツを着て走ろう!

 


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鳥越峠から彼方に白山が見えた!

2024-05-19 15:00:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 そろそろ山は夏鳥でにぎわっているかと思い、車で鳥越峠まで林道を登ってみました。
標高が高くなるに従って、ツツドリやホトトギスの声が聞こえていたものの、姿は見えずで越夏する小鳥の気配も薄い。

峠からこの日は白山と思われる山がよく見えていたのが収穫でしょうか。
何度も訪れてたり越えたりしてきた鳥越林道ですが、これだけ見えていたのは初めてです。



山は手前から涌谷山(1,079m)、蕎麦粒山(1,297m)、能郷白山(1,617 m)でその奥のゼブラ状に残雪があるのが白山(2,702m)でしょうか。
この方向にある山は、登ったことのない山ばかりなので位置関係はよく分からない。



鳥越峠から金糞山に登る登山口の駐車場は、満車で路肩にも数台の車が停まっていましたので金糞岳や白倉岳の人気の高さが伺えます。
野鳥や昆虫や生き物を目当てに何度も訪れた林道で、山の紅葉の時期も美しい山で、今の季節はタニウツギが花盛りです。



一頭だけアサギマダラがタニウツギの近くを飛んでいましたが、そのまま高い所に飛んで行く。
雪の多い年だと日陰の谷間に残雪が見られたりしますが、今年は雪が少なかったので残雪は全く見られず、その分、残雪の残る白山が印象に残ります。


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小谷城址散策と小谷山登山!~下山はランで下りる~

2024-05-13 17:28:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 小谷城は戦国時代に近江国を治めた浅井三代(亮政・久政・長政)が本拠とした城で戦国時代の堅固な山城として知られます。
小谷城は日本五大山城(戦国五大山城)のひとつに数えられ、他には春日山城・七尾城・観音寺城・月山富田城が数えられている。

しかし、小谷城は1573年に織田信長と浅井長政との間で行われた「小谷城の戦い」で落城してしまい、長政とお市の方の悲劇の舞台とされます。
三代目の浅井長政と信長の妹・お市の間に生まれた浅井三姉妹は、歴史ドラマに何度も登場しますし、豊臣家と徳川家の覇権争いにも深く関わりました。



近江国は、小谷城の浅井氏滅亡後に長浜城を居城とした羽柴秀吉が納め、その後城主は変わりながら大坂の陣の後に彦根城(井伊藩)へと支配が移ります。
支配者の居城が遷されるたびに資材なども移されたようですが、土塁・曲輪・石垣などが遺構として残っており、城跡ファンが訪れる場所となっています。
長浜観光協会では5月のGWや11月の休みの日に「番所」までのシャトルバスの運行があり、城址はにぎわいをみせます。



シャトルバスの運行がなくても城址へ行くことは出来ますが、バスの運行があるとついバスに乗って小谷山へ行ってしまいます。
小谷山は標高495mと登るのに適当な高さの低山ですが、熊出没の噂のある山で、あちこちに「熊注意!」の看板があるので薄気味悪い。
バスの運行で人が増えていれば熊は出たくても出てこれないだろう、と安心して登れそうということもあります。



始発から満席となったバスで「番所跡」まで行き、そこから先は城址の散策になります。
「本丸」まで行って折り返す方も居られれば、小谷山の山頂になる大嶽城跡まで行く方もあって山中は何ともにぎやかなことになります。
小谷城ののぼりのある最初のポイントからは、虎御前山や山本山、琵琶湖と竹生島の景色が見られます。



かつて「黒鉄御門」があった場所には今も両側の巨石と石段の一部が残り、在りし日の姿を留めています。
黒金御門の先には千畳敷とも呼ばれる巨大な曲輪(大広間跡)があり、その先は小谷城の本丸跡へと続きます。



小谷城址では拡張現実(AR)でかつての姿を見ることができ、黒鉄御門もARで見ると下の写真のようになります。
近年、観光地でARを導入しているところがありますが、往年の姿を想像させるにはとても効果のある技術だと思います。



浅井家の家臣の供養塔などがある「桜馬場跡」には、小谷城の戦いの際に織田信長軍が陣取っていた虎御前山を見るお市の方と三姉妹の姿がARで再現されています。
戦国時代とはいえ、実の兄に攻められて亭主が亡くなり、お家が滅亡していくお市の心境は心苦しいものがあったことでしょう。
歴史にIFはありませんが、もし金ヶ崎の戦いで長政が信長を裏切らなかったら歴史はどう変わっていたのでしょうか。



小谷城の中心であった「本丸跡」にはまだ一部石垣が残っています。
本丸は、南北40m×東西25mの規模がだったとされ、上下二段から成り立ち、二層天守が築かれていたとの説もあります。



ARで再現された天守は戦国時代の山城とは思えないほど立派なもので、当時の浅井氏の繁栄ぶりが分かります。
本丸の北側には巨大な堀切があり、その上には中丸・京極丸・小丸・山王丸と続きます。



山王丸の正面は石垣が崩れており、時の経過によって崩れたのでしょうか?それとも落城時に打ち壊されたのでしょうか?
実際のところは分かりませんが、戦いの傷跡を感じさせる遺構です。



ここから右に回り込んだ道を進むと「大石垣」という壮大な石垣を目にすることになります。
高さは約5mあるといい、規模では本丸を上回り、一説では浅井氏はこれらの石垣を権力の象徴として戦国大名になっていったといいます。



小谷城址に訪れた人は、本丸までで折り返す人・山王丸で折り返す人がいますが、ここから六坊跡を経て小谷山の山頂になる大嶽城跡までは道が明らかに変わります。
ここまでは城址の中を歩く緩やかな道でしたが、ここからは登山道になり、一旦六坊跡まで下って、鞍部を経て山頂までの約500mほどは長く急な木段を登ります。
谷の向こうに山頂らしきが見えてきますが、あそこは山頂ではなく山頂はさらに向こう側になるようです。



まずは六坊跡のある鞍部まで急坂を下ります。
岩が剥き出しになっている場所もあり、急坂にはロープ場もあります。



山頂まで約500m登る木段です。
一部は段差が高くなっていて登りにくく汗が吹き出してきますが、あと〇mの標示が何ヶ所かにあり、気を紛らわせながら登る。



木段の途中に岩尾という休憩スポットがあり、そこから見る景色は素晴らしい。
左には伊吹山が聳え、物部守屋伝説が残り冬の野鳥の観察場所でもある西池、姉川の戦いで信長軍が陣取った横山城址も見えます。



汗をいっぱいかきながら木段を登って小谷山の山頂となる大嶽城址(495m)へ到着。
広い山頂部には何組かの方が休憩中で、陽射しの良さと緩やかな風にゆられる、ゆっくりとした時間を過ごされています。





山頂からは山本山と琵琶湖に浮かぶ竹生島。奥に見える半島は葛籠尾崎でしょうか。
なんか年中山の上から琵琶湖を眺めているような気がします。



これで下山となりますが、このまま普通に下山するとシャトルバスが昼休みで運行がなくなり時間待ちが長くなってしまいます。
歩いて下山も出来ますが、往復料金の券なのにバスに乗れないのもつまらないので、バスの時間に間に合うように走って下山します。

バスの発車時間まで40分足らず。
軽く走って下りたら25分で着いてしまい、今度は逆にバスの到着時間待ちになってしまったという落ちが付きました。




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春のシギチの仲間たち~田圃に下り立つ野鳥たち~

2024-05-10 06:33:33 | 野鳥
 毎年、春と秋になると通称「シギチ」と呼ばれるシギ・チドリ類の野鳥がやってきて、田植え前後の水田に下り立ちます。
シギチの大半は渡り鳥で、春に繁殖地(ロシア・アラスカなどの北極圏)に移動し、秋には越冬地(東南アジア等)に移動する鳥です。

日本には中継地として一時的に立ち寄り、海辺の海岸や干潟などに飛来しますが、淡水の琵琶湖や水田で一時を過ごすシギチもいます。
シギチはカラフルな色合いの鳥は稀ですが、クチバシや足など特徴のある姿の種類が多く、バーダーの春の楽しみになっています。



まず最初に見つけたのはセイタカシギの番です。
ピンク色の長い足に特徴があり、スラッとした姿で優雅にエサを捕る姿から「水辺の貴婦人」と呼ばれるセイタカシギ科の鳥です。



背面の羽の色が片方は黒色で、もう一方は褐色がかっているので普通に見ると番ということになりそうです。
2羽のピントをそれぞれに合わせて撮ってみました。



次に遭遇したのはアオアシシギが1羽。
以前は水田に数羽が入っている姿を見かけましたが、周辺に仲間は以内でしたので単独で過ごしているようです。



複数のアオアシシギが水田でエサ取りしている時に見かけると、白っぽいお腹がよく目立つ鳥です。
アオアシシギは渡りの鳥ですが、過去に真夏に見かけたことがありましたので、定住して越夏する個体もいるようですね。



当方がシギチの楽しみを知った頃、ベテランのバーダーから“数年前に比べたら数も種類も減った”とよく聞きました。
それから年月を経た今感じているのは、この何年かで飛来するシギチの数も種類も増々減ってきているなぁ~です。
以前は春のシギチ20種にあと僅かとか、数十・数百の群れなんてことがあったのですけどね。



コチドリ(チドリ科)は留鳥だと思いますが、ケリ(チドリ科)と一緒にカウントしておきます。
湖北のシギチが減ったのは部分的な話ではなく、気候の変動や繁殖地・越冬地の開発など全体的な問題があるのかもしれません。





例年、春のシギチ祭りの時はどこへ行ってもチュウシャクシギに出会うのですが、この日は中々出会うことが出来ませんでした。
過去には他のシギチはいなくてもチュウシャクは居る、とかチュウシャクばっかで撮るのをやめたなんてこともあったにも関わらずです。



でも、居ましたよ!
まず2羽を見つけ、その後に6羽のグループを発見!
飛ばれてしまったのでちょっとお遊びカットでホップ!



水面に足は着いていないけどステップ!



田圃の水面すれすれをジャンプ!



そして着地!



ちょっと目を凝らせば、田植えが終わったばかりの田圃にこんな面白いクチバシをした鳥が普通に過ごしています。
少し数も種類も寂しいかぁと感じることはありますが、湖北の田圃に下り立つ鳥たちに楽しませてもらいました。




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日本二百名山「武奈ヶ岳」の絶景の稜線を歩く!~後編~

2024-05-06 16:50:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 武奈ヶ岳登山の前編は、登山口から連続する急登を登って「御殿山」山頂まででしたが、後編はワサビ峠を経て武奈ヶ岳へ向かいます。
比良山地の登山日記などで「ワサビ峠」の名を目にすることがありますが、それはワサビ峠が分岐のポイントになっているからのようです。

ワサビ峠の標識にはコヤマノ岳・金糞峠・大橋・中峠などの方向が表示されており、ワサビ峠からの縦走や周回される方がおられるようです。
当方は、坊村~御殿山~サワビ峠~武奈ヶ岳のピストンで登りましたが、これで目いっぱいといった感じで、縦走・周回の方は凄いなと思います。



武奈ヶ岳の標高は1214mで、途中通過した御殿山は1097m、ワサビ峠は1050mの地点にあります。
登山口が標高で300mくらいの位置にありますので、累積標高は約1000mあり、山頂までは3時間少々の登山になりました。

最初の1時間が急登の九十九折や谷筋のトラバース道で、御殿山までが登山開始から2時間。
ワサビ峠を越えた辺りから、ここまでの苦しい道のりがやっと報われることになり、美しくも楽しい稜線歩きが始まります。



稜線に入るとどんどんと景色が良くなっていき、琵琶湖も垣間見えるようになってくる。
右には打見山と蓬莱山の山頂に広がるびわ湖バレイが見えます。



長く美しい稜線は写真中央にある2つピークの右側(武奈ヶ岳山頂)まで続いていて、陽射しが良い上に風は弱くまさにここは楽園のような稜線です。
ここから武奈ヶ岳の山頂まではピークが3つほどあり、山頂直前には最後の急登があります。



見た通りに道は急登になりますが、位置関係が目に見えて分かるので楽しく登ることができ、登山開始頃にあった急登のような辛さはありません。
ただ、よほどの健脚でない限り、時々立ち止まって一息ついてから登っていく人が当方も含めて多かった感じです。



武奈ヶ岳は岩々した感じの山ではないのですが、道を塞ぐかのように巨石が立ちはだかります。
正面突破?と見ていると、岩の間から下りてくる人がいたのでそこから岩を登ってあちら側に出る。



ケルンのあるピークまで登ってきて一息つくも、山頂はまだ先です。
西南稜に入ってから森林限界の高さでもないのに森林がありませんが、これは日本海気候による冬の豪雪の影響で土壌が育たないことによるものだとされています。



こういった感じの稜線の現実離れした光景は、どこか別世界に来たような錯覚すら起こしそうで、外国にいるような感じさえする。
歩いても歩いても山頂に着かない嬉しさを感じつつも、山頂は確実に近づいてきます。



山頂までの最後の急登です。
ここを登り切ったら稜線を経ていよいよ山頂です。



山頂付近の稜線は風が強いことが多いのですが、この日はほぼ無風で陽射しの割に暑くはなく、心地よいの一言です。
あと少しで着いちゃうなぁと思う反面、なかなか遠かったなぁと思う気持ちもする。



そして山頂。
好天の休日の人気の山ということもあって、人は多い。
3時間ちょっとかかったけど、登りきれたのは嬉しい。



到着時は、山頂標識の前は記念撮影の方の列がありましたが、みなさん少し早い昼食を取られ始めています。
風がないので登山用ガスバーナーの火は安定して、カップ麺やコーヒーなどを楽しんでいる人が多かったですよ。
当方はコンビニ・パンとスポーツ羊羹の寂しい食事でしたが、先々は登山メシを楽しめるようになりたいですね。



山頂標識は逆光で文字が読み取りにくいけど、登頂の証です。
標高1214mと低山の部類とはいえ、登った感の感じられる山でした。



武奈ヶ岳の三角点標石は、山頂標柱の裏側にひっそりと設置されています。
一時期、三角点がなかったことがあったそうですが、2022年頃に埋め戻して設置されたようです。



山頂には7躰の石仏が奉納されている。
釈迦如来を中心に如意輪観音と不動明王が脇を固め、弘法大師像や聖観音菩薩が見受けられます。



琵琶湖は雲がかかったような幽玄の世界となっていて、対岸には沖島や奥津山が見えます。
今日のこの時間に山頂に居たことは何かご褒美をもらったような幸運を感じます。



パノラマで見ると琵琶湖を挟んで、遠くに霞んで連なるのは鈴鹿山系でしょうか?
中央辺りに見えるピークはもしかしたら伊吹山?



角度を変えて眺める先には小浜か京都との県境方面の山々でしょうか?
どこまでも山が連なっている様を見ると、日本の国土の7割が森林というのも成程と思えてきます。



いつまでも山頂付近に居たかったのですが、下山にも2時間程度はかかりますので、想いを残しつつ山頂を後にします。
山の下部の急登は登るのもきつかったけど、下りるのも足の疲労と足の爪先の痛みに難儀しながらの下山でした。


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日本二百名山「武奈ヶ岳」の絶景の稜線を歩く!~前編~

2024-05-03 18:46:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 「武奈ヶ岳」は日本二百名山・関西百名山に数えられる山で、比良山地の最高峰になる山です。
比良山地では蛇谷ヶ峰・打見山・蓬莱山は登っており、最高峰である武奈ヶ岳へやっと登ることが出来ました。

武奈ヶ岳は最初の約1時間の急登登りや、登り下りだけで5時間以上かかりそうなので少し不安があったのが登るのが遅れた理由です。
よく登山案内に“初心者でも登れる”とありますが、実際に登ってみるとけっこうハードな山がありますので、軽いノリで登るとひどい目にあったりします。



今回登ったコースは坊村~御殿山~わさび峠~武奈ヶ岳山頂のピストンで登り、まずは登山口のある葛川明王院へと向かいます。
新緑の緑と三宝橋の朱色が美しく、橋の下を流れる明王滝川は水量が豊富でひんやりとした空気が流れ、武奈ヶ岳の水の恵みが感じられます。



境内に入ると「護摩堂」や石段の上の「本堂」があり、下からではあるが不動明王に今日の山の安全を祈る。
葛川明王院は比叡山延暦寺の修験の三大聖地(他に比叡山無動寺、伊崎寺)とされる寺院で、参拝するのは約6年ぶりです。



明王院の境内から登り始めますが、聞いていたとはいえ聞きしに勝る急登にすぐに音を上げることになります。
途中で休憩されている人に聞いた処、849mのピークを越えたら急登は終わるよということでしたが、そこまで1時間はかかりそうです。



好天に恵まれた休日ということもあって登山者は多かったのですが、先を登る人の姿が距離よりも高い位置に見えます。
それだけ急登の道ということなのですが、300mくらいにある登山口からの500m以上続く急登は辛抱のしどころになります。



山中の何ヶ所かの分岐には見やすい方向表示がありましたし、やや紛らわしい場所にはペンキのマーキングなどがあり道迷いすることはありません。
九十九折の急登は登りは体が元気なのでいいですが、下山時は足に疲れがきていると思いますので下山時は足元に要注意かな。



1時間少々急登を登ったところで846mのピークの横を通り過ぎます。
この先も登りは続くとは言え心持ち緩やかな道となり、尾根筋を歩くような道に変わってきます。



しばらく登ると分岐があり、積雪期ルートと無雪期ルートに分かれます。
当然ながら無雪期ルートへと進み、山腹沿いの道を歩いて御殿山の山頂を目指します。



ここまで1時間半。
この辺りまでは樹林帯を歩くことが多く、花は紫色の小さなスミレしか見かけなかったのですが、イワカガミの群生を発見。



イワカガミは今が丁度見頃で、ピンク色の濃いのやら薄いのやらが沢山咲いておりました。
色の濃い方が好きなので写真はおのずと濃いの狙いとなりましたが、この群生地で会った人は“初めてイワカガミを見た!”と喜んでおられました。
当方も初めてイワカガミを見た時には随分と感動したものでした。



そろそろ稜線らしきが見えてきましたが、あの先が御殿山の山頂でしょうか。
疲労度からいうと、武奈ヶ岳ではなく御殿山に登りにきたようなしんどさがあります。



登山口から1時間45分。御殿山の山頂に到着です。
狭い山頂には何組かの登山者が休憩をされており、混んでいた時は座る場所を探すのに困ったりしました。



御殿山は標高が1097m。
ここからワサビ峠を経て武奈ヶ岳の山頂まではまだ1時間近くかかります。
とはいえ、武奈ヶ岳の素晴らしさはここからが本番。お楽しみはこれからです。



御殿山からワサビ峠へ向かう道は、コース唯一の下り道となります。
武奈ヶ岳から帰る時に登り返しとなるのを気が重く感じましたが、白い花をいっぱいつけた低木に気持ちが癒される。



通りがかって写真を撮っておられる方に花の名前を聞いてみると「オオカメノキ」という木の花でした。
花はイワカガミとこのオオカメノキくらいしか咲いていませんでしたが、蕾が見られる花もあり、もう少ししたら花盛りの山になりそうです。
野鳥の囀りもにぎやかでしたが、特にツツドリがあちこちで鳴いているのが記憶に残ります。



さて、ここから先はワサビ峠を経由して武奈ヶ岳の山頂を目指します。
心地よい稜線歩きと山頂の360°ビューは往復で5時間以上かけて登山した甲斐のある絶景でした。
...後編に続く。


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