僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

太郎坊山から箕作山を巡る!~湖東の神体山~

2022-06-27 06:35:35 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 箕作山・太郎坊山(赤神山)・小脇山・岩戸山の4つのピークのある瓦屋寺山系は、太郎坊宮(阿賀神社)や瓦屋禅寺・岩戸山十三仏などがある神体山になります。
また、岩戸山十三仏や瓦屋禅寺には聖徳太子にまつわる伝承が残り、古代の山嶽信仰に修験道や仏教が結びついたような山で、山全体に巨石が数多く見られます。

過去には岩戸山の麓から岩戸山十三仏~岩戸山頂上まで登ったことや、太郎坊宮から太郎坊山(赤神山)北峰までは登ったことはありましたが、今回はこの山塊での最高点になる箕作山まで足を延ばしてみました。
箕作山から先には小脇山・岩戸山まで縦走するルートがありますが、行ってしまうと山道を折り返すかロード歩きになってしまいますので、箕作山山頂で折り返しです。



太郎坊宮(阿賀神社)には700余段の石段登りが必要になりますが、登山道へは途中に祀られている「龍神舎 御霊水」の横から山道に入ることになります。
正月の初詣に太郎坊宮(阿賀神社)に参拝したことが何度かありましたが、参拝者が大渋滞している石段の途中にある「龍神舎 御霊水」は霊水を汲みにくる人が列をなす霊水の舎です。



登山道は最初のうちはちょっとした急坂が続き息が切れますが、登るにつれて体が慣れてきて勾配が緩やかになってきます。
湖東にはそれほど体力がなくても歩ける山が多いので、当方レベルにはちょうどいいのかもしれませんね。



道の横には巨石が幾つか見られるのもこの山の魅力で、この岩だけでも磐座と呼んでもいいような大きさに思えてしまう。
湖東の山々の岩は、湖東流紋岩というおよそ7000万年前に起こった巨大カルデラ爆発によって造られた岩石とされ、恐竜が生存していた時代に起こった自然現象が今も湖東の岩山を形成しているという。



巨石が積み重なった大岩の間に窟のようなものがありますが、祠などの信仰の形跡はありません。
それだけ巨石の多い山ということになり、隣に連なる繖山と同様に巨石の山・石の山といえます。



休憩するのに適当な岩がありましたが、まだ登り始めたばかりでしたので如何にも早すぎる。
岩からの下界の景色が逆光になっていることもあって、素通りして通り過ぎます。



太郎坊山(赤神山)への道と箕作山への道との分岐がありましたので、まずは未体験の箕作山へと向かいます。
しばらくは稜線歩きのような道が続いたものの、山頂が近くなってくると、少々勾配のきつい道に変わってきます。



急登を登っているうちに空が開けてきたので山頂近し、ということでスピードを落として頂上までの残り僅かな道を楽しむことにする。
すぐに視界が開けてきて頂上へ到着。標高372mの低山ですが、来た甲斐はあったと思います。



山頂には磐座のようにして岩が積まれており、湖東の岩山の頂上の良さが楽しめます。
太郎坊宮(阿賀神社)の夫婦岩や山の反対側にある岩戸山十三仏の巨大岩の霊的な迫力とは比較にはなりませんが、この連山のピークになります。



山頂からは横山岳や金糞岳、伊吹山が望めるとありましたが、遠くは霞んでしまっていて識別出来ず。
ただし近くにある猪子山や繖山は、はっきりと見ることが出来ます。
最近は猪子山や繖山に登ることが多かったので、山を眺めていると何か親しみのような気持ちまで感じてしまいます。



さて、箕作山を下って分岐まで戻った後は、別方向となる太郎坊山(赤神山)の北峰を目指します。
2年前に太郎坊山(赤神山)北峰に登った時は1月でしたので、枯れた笹の間の道を歩きましたが、今回は新緑の季節で緑が美しく、前回とは全く違った景色に見えます。
山頂の手前にはフレームには到底納まらない巨大な一枚岩が聳え立つように待ち構えていて圧倒されます。



大岩の反対側が山頂になっていて、山頂部には太郎坊山(赤神山)北峰の磐座があります。
一般人が入れるのは北峰だけで、南峰は太郎坊宮(阿賀神社)の上に位置することもあって特別な方しか入れない峰となっていますので、太郎坊山(赤神山)の入山可能領域はここまで。



頂上にある北峰の磐座は、巨石の集合体のような様相を呈しており、新緑とツツジの花に囲まれて、神々しくも美しい。
まさに太郎坊天狗が住む霊山のピークに鎮座する磐座です。



頂上のやや広いスペースからは、禁足地である神体山の南峰が望め、その下には蒲生野の水田地帯が広がります。
ここからの景色は、大きな建物や工場などはなく、水を張った田圃が鏡のように輝く日本の原風景のように感じられて心地よい。



北側を岩越しに眺めてみても広々とした田園地帯と山の新緑の緑、幾つかの低山が点在している。
湖東地方には霊山とされる山が多く、磐座信仰から神道・修験道・天台密教が結びついて混合していった霊場が多くあります。
比叡山延暦寺を中心に、琵琶湖を取り巻く山々を伝って、天台密教が湖東・湖南・湖北へと広がっているのは滋賀県の特徴的な信仰かと思います。



太郎坊宮(阿賀神社)の本殿手前から箕作山~太郎坊山と巡った後になってしまいましたが、最後に太郎坊宮(阿賀神社)へ参拝します。
初詣の時期は参拝者で密集する夫婦岩も、この日は参拝者の姿はなく、石段に落ちている枯葉をブロワーで飛ばして掃除されている神社の方のみ。



夫婦岩を通り抜けた西側の巨石は、フレームへ収納不能の巨石です。
麓から見えるゴツゴツと剥き出しになっている巨石はこの岩なのでしょう。



ここからの景色は北峰よりも高度が低いため、鏡のような水田がより近く見えます。
田植えの頃は鏡の水田、夏になると稲が育って緑豊かな田圃。
秋には黄金色の稲に覆われた田圃、冬には雪で真っ白になる田圃。
美しい日本の田園風景です。




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塔本シスコ展「シスコ・パラダイス」~岐阜県美術館~

2022-06-22 06:15:25 | アート・ライブ・読書
 塔本シスコさんは大正2年(1913年)熊本県に生まれ、50歳を過ぎた頃から独学で絵を描き始め、92歳で亡くなられるまで絵を描き続けられたという。
「塔本シスコ展 シスコ・パラダイス かかずにはいられない! 人生絵日記」展は東京・世田谷美術館を皮切りに、熊本市現代美術館・岐阜県美術館・滋賀県立美術館を巡回中です。

塔本シスコさんは、滋賀県近江八幡市の「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」で企画された『GIRLS 毎日を絵にした少女たち』(2018年)で最初に知ったアーティストです。
今回の巡回展は、岐阜県美術館で拝観し、220点にも及ぶ作品からは数枚の絵から想像していたイメージを遥かに凌ぐインパクトを受けることになりました。



構成は7つの章に分けられており、第1章「私も大きな絵ば描きたかった」は、作品制作の第一歩となる時期の作品が集められています。
画家を目指していた息子の賢一さんが留守の間に、賢一さんの作品の油絵具を包丁で切り落とし、その上に絵を描き始めたのが。絵を描くようになった始まり。
「私も大きな絵ば描きたかった」衝動によって、塔本シスコさんのパラダイスが始まります。

1967年に描かれた「夕食後」は、20歳で結婚した塔本末蔵さんとの平穏な日々を回想するかのような作品です。
2人の子供に恵まれたものの、末蔵さんは事故で亡くなってしまい、シスコさんは48歳の時に軽い脳溢血で倒れた後、石を彫って作品を作るなどリハビリを行ったそうです。
そして、53歳の時に突然の事件のように絵を描き始めたという。



1967年の「秋の庭」はすでにシスコさんの作風が確立したようなシスコ・パラダイスの息吹きが感じられます。
シスコさんの作品は、大きな絵が描きたかったという想い通りに大きな作品が多く、会場に大きな絵が並ぶ様子には圧倒されます。
描く材料はキャンパス以外にも、板・ダンボール・瓶やペットボトル・箱の中や裏・着物など多岐に渡り、絵を描きたいという衝動の強さが感じられます。



1970年になると、シスコさんは長男と同居するため、大阪府枚方市に引っ越しをして近所や家族で訪れた行楽地の風景を色鮮やかに描き出されることになります。
熊本時代より自由に、奔放に描かれた作品からは少女の感性で描かれたような絵日記が展開されます。
第2章「どがんかねぇ、よかでしょうが」ではそんな枚方時代の作品が並び、1971年の「長尾の田園風景」では昔ながらの手植えでの田植え光景が描かれます。



「七五三のお祝い(1986年)」では、7歳のお祝いに来た着物姿の少女たちと親たちがお祭りのようにはしゃぐ姿が見られ、空には鳥が、樹下には兎が描かれています。
熊本時代よりも色彩の華やかさが増し、登場する題材に楽しさや幸福感が感じられる、まさにパラダイスの景色へと変わってきているように感じます。



「花しょうぶの精(1985年)」では色とりどりの花しょうぶが咲き誇る中に妖精たちの姿が見えます。
登場する花の妖精が時代劇にでも登場してくるような姿をしているあたりに個性を感じます。



枚方市には「山田池公園」という池を中心にして里山を模したような公園があります。
以前に野鳥目的で訪れたことがあり、カワセミが何度も姿を見せてくれたりする都市部にあって野鳥の多い公園だった記憶があります。

その山田池公園でハトにエサをあげているのがシスコさん。左下で写真を撮っているのが息子の賢一さん。
穏やかで満ち足りた時間を描いたこの絵でシスコさんの背後には子供たちでしょうか、春のひと時を祝福するかのように踊っているように見えます。「山田池の春(1999年)」



「山田池のもみじがり(2000年)」では花火のような迫力で色づいたもみじが描かれ、たくさんの野鳥が木陰や地面でエサをついばみ、池には魚の姿もあります。
この頃、娘の和子さんが病死され塞ぎこんでおられたそうなのですが、息子の賢一さんに連れ出されて絵を描くことを再開し、描くことによって気力を取り戻していかれたそうです。



第3章「ムツゴロウが潮に乗って跳んでさるく」ではシスコさんの故郷である熊本や九州の風景を描いています。
「故郷の家(シスコ、ミドリ、シユクコ、ミア、ケンサク)」(1988年)ではシスコさんの2人の姉妹と2人の孫が時代を越えて、みんな子供に帰って故郷の家で過ごす様子が描かれています。



南国ムードとは噴煙をあげる桜島の景色を描いた「桜島(1970~88年」では、棕櫚やレッドジンジャーなどの南国独特の植物と、まるで生き物のような桜島の山肌が美しい作品です。
空に舞う丸や三角の図形は、火山灰を表現しているのだとか。独創性が凄いですね。



「シャク取り(不知火海にて)」(1989年)は、熊本県の各地に家族で出かけた時の様子を描いた作品。
不知火海というとチッソの水俣工場が排出したメチル水銀汚染を思い起こしますが、そんな公害を微塵も感じないような楽しそうな家族の思い出です。
海が鯉のぼりの鱗のように描かれているのも特徴的で、この大きな絵はダンボールに描かれています。



同じくダンボールに描かれているのは「ネコ岳ミヤマキリシマ(1989年)」で、ピンクの花々と山肌の対比が美しいですね。
花と山裾の境界線では子供たちが楽しそうに踊っています。



第4章「私にはこがん見えるったい」の「夏の庭(1988年)」は、初期の「秋の庭(1967年)」と比べて色合いが華やかになってきているのは、季節の違いというより色使いの変化かもしれません。
空には蝶やトンボが舞い、ネコたちも登場するようになり、植物と生き物の生きとし生ける姿が織り込まれるようになっています。



「絵を描く私(1993年)」は、花に包まれるようにして留まる3羽のキンケイと、それを描くシスコさんが描かれています。
この絵は当時の皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀の頃に描かれたものらしい。



1993年版の「秋の庭」ではニガゴリや朝顔を描いたダンボールを3枚つなげているのでしょうか。
シスコさんと賢一さん和子さんと思われる3人が描かれており、気になるのは仏教的な、あるいはインド的な3人です。
この後こういったイメージのモチーフが何度か登場してきます。



第5章「また新しかキャンバスを持って来てはいよ」では家族をモチーフにした作品が多く展示されています。
シスコさんの家族への想いが感じられるのは、描かれた何点かの家族の絵から伝わってきます。
中央が「ミアのケッコンシキ(1997年)」、左上から「ミイート、賢一(1999年)」、「晩白柚、ヒロコサン(1999年)」。
右上から「福迫弥麻(1999年)」、「ギターヲヒク研作君24(1999年)」。



「NHKがやってきた(1995年)」では、NHKの取材を受けられたと思われるシスコさんを取り巻くにぎやかな取材風景が描かれています。
みんなが笑っていて微笑ましくも晴れがましい雰囲気が伝わってきますね。



第6章「私は死ぬるまで絵ば描きましょうたい」では晩年近くなったシスコさんの作品の作品が展示されます。
「90才のプレゼント(2003年)」では、孫たちが選んだ大きな花束と花瓶に力づけられ絵筆を握った最後の大作とされます。



「シスコの女神(1997年)」は、かつて横尾忠則さんが描いていたインドの神々を連想させるような作品です。
人は死期が近づく年齢になると、神々への関心が深まってくるのでしょうか。3面のモチーフは何を表しているのでしょうか。





第7章「シスコは絵をかく事シかデキナイのデ困った物です」にも信仰的なモチーフは登場し、「シスコの仏様(1993年)」では粘土で造った3躰の仏様が登場します。
また、シスコさんは和裁の技術を活かした和装の人形の製作や、絵柄を手書きした着物などもこの章では展示されています。



シスコさんの絶筆となったのは、力強くもシンプルに描かれた「シスコの月(2004年)」でした。
山あり谷あり、喜びあり悲しみありのシスコさんの人生の最期の作品は、まん丸に輝く満ち足りたかのような満月でした。



ところで、会場には来場者が多く来館されており、塔本シスコさんの人気が伺われる集客力でした。
年齢層もお年を召された方、若い方、子供連れの方など多岐に渡り、いろいろな層の方が楽しめる内容でした。

製作初期から晩年までの構成も分かりやすく、大型の作品が多かったこともあって迫力と生き生きした表現や美しさに圧倒された美術展でした、
個人が受けた印象に基づいて書いていますので、本位とは違った内容になっているかもしれませんが、そもそも美術作品はその人が感じたままが全てだと思います。



塔本シスコさんの作品を始めて見たのがNOMAミュージアムだったことがあって、ボーダレスなアールブリュット作家のイメージがありましたが、そのイメージはすっかり覆さりました。
「正規の美術教育を受けていない人による芸術」「既存の美術潮流に影響されない表現」というアールブリュットの定義にとらわれない人生の絵日記のような美術展に大いに満足しての退館です。
時々図鑑を手にしてシスコ・パラダイスにひたろうかなと思います。




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「花の百名山」赤坂山の花~高島市マキノ町~

2022-06-17 08:03:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 赤坂山は、滋賀県高島市と福井県三方郡美浜町の境界にある山で、関西百名山の一つに数えられる「花の山」です。
“子供でも登れる”という謳い文句もある山とはいえ標高は824mあり、道迷いはないもののそれなりに体力のいる山です。

山頂までの目標コースタイムを2時間に設定しましたが、結局は20分オーバーで到着。
360度の眺望も雲に覆われて見えずでしたので、次は季節を選んで再チャレンジということになりそうです。



琵琶湖側を望んでも視界が悪い上に、風が強くて寒さで体が冷えてくる。
これは景色を楽しむよりも「花の山」らしく花を探した方が良さそうということで、山の花を探しながらの下山となりました。



登って来る時に感じていたのは、花期を迎えたコアジサイの多さと花の時期の終わったイワカガミの群生の多さでした。
イワカガミはあれだけ群生があるのですから、花の時期はさぞや見応えがあったことでしょう。

下山途中で見た花のうち取り合えず写真に収めたのは何種類かだけでしたが、山の花の知識がないので目に付いた花だけです。
下山中の最初に目に入ってきたのは「ベニバナヤマボウシ」でしょうか。どの花も名前が違う可能性大ですが...。



この花は花弁に見える部分は実は萼(がく)で、花は中央にある緑色の球状の部分だそうです。
白花のヤマボウシ(山法師)は見かけたことはありますが、ベニバナのこの花は初めて見たと思います。



蝶や蛾の仲間にも何種類か出会いましたが、小さな蝶が多くて追い切れず、蛾の仲間のキンモンガだけがいい場所に留まってくれました。
キンモンガは、黄色の紋をしたやつを見かけることが多いですが、これは白紋型?。



サワフタギの花には蝶か蛾の幼虫が付いていて葉を食べています。
かなり特徴的な色合いの芋虫で、こいつはシロシタホタルガの幼虫かと思います。



この季節、山の林道へ行くとよく咲いているタニウツギの花がここでも咲いていました。
小さな昆虫が花に集まっていましたが、タニウツギの花期はそろそろ終わりかも知れませんね。



登山道のあちこちで見かけたのはコアジサイの花です。
小さな青紫の花が集まったように咲くコアジサイは、大味なアジサイとは違って繊細さを感じる花です。





登山道では道いっぱいに散った白い花(多分エゴノキ)が落ちている場所があり、路上に咲く小さな花なんかも見落としは多かったと思います。
枝から白い円錐状の花が吊るされるようにぶら下がっているのはミヤマナルコユリでしょうか?
マキノ町観光協会では「赤坂山の自然ガイドブック」を販売されているということでしたので、買って帰ればよかったな。



5月頃に南から日本に渡って来る夏鳥は山で繁殖を行いますが、越夏場所は標高にも左右されるため、山での探鳥は標高や樹木、水場の近さなどであたりを付けることがあります。
赤坂山の場合、高度の高い所でホトトギスやウグイスが囀り、中間的な標高ではツツドリ、標高がやや低くて渓流がある場所ではアカショウビンといった感じでした。
動画はアカショウビンとツツドリが囀っていた場所で録画しましたが、ツツドリの囀りは聞き取りにくいですね。



花や蝶や野鳥を探したり、変化のある登山道を楽しみながら小休憩をはさんで4時間半くらい歩き続け、下山道の最後の木段ではもう足が残っていませんでした。
後続の方に道を譲りながら下っていきましたが、スタスタと下りていかれる方の健脚ぶりに感心してしまいます。もっと足腰を鍛えないといけませんね。




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マキノ高原から雲の中の赤坂山の山頂を目指せ!

2022-06-12 12:15:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 日本海側と太平洋側を区切る山岳を中央分水嶺といい、高島市のマキノ町から朽木までの約80Kmに及ぶ登山道のことを高島トレイルと呼ぶそうです。
「赤坂山」は関西百名山に選ばれており、花の山として「花の百名山(山と渓谷社)」にも選ばれている花の山として知られているという。

「赤坂山」はマキノ高原スキー場を通り抜けた所に登山口があるので、キャンプ場となっているゲレンデを登っていくことになる。
マキノ高原へは森林セラピーロードの先にある「調子ヶ滝」へ訪れたことがありましたが、あれから1年も経たない間に、まさか自分が山登りをするようになるとは思いもよらず。
人って変わるもんだなぁと、半ば自分に呆れながら登山口へと向かいます。



赤坂山は標高842mの山で、昨年夏頃から始めた山登りでは最も標高の高い山になります。
山登りの素人ですので“初心者でも登れる”の謳い文句を信じて、またわずかな経験値を信じての登山となりました



コースタイムは小休憩を含めて4時間半くらいに設定して登り始め、朝は気温は低かったものの、前日の深夜の雨がたたって湿度が高く、汗が噴き出してきます。
先週登った山では500ccの水しか持って行かなかったために、あわや水不足になりそうでしたので、反省を活かして今回はペットボトル3本を持参。



登山道の最初は木段が続き、単調さも相まってここは我慢のしどころです。
ちょっと木段の崩れた場所は足への負担の少ない坂道を選びながら登ります。



木段が終わると、平坦な道もありましたが、岩ゴロゴロの歩きにくい道が続いたりもします。
登りしかない道ですので、帰りは下りのみと考えて辛抱・我慢で登ります。



1時間ほど登ったところに「ブナの小平」という山頂に着いたかと錯覚しそうな場所に東屋があり、ここで小休憩。
後で知ったのですが、「ブナの小平」の辺りでは過去にクマが発見されたことがあったとか...。
熊鈴は付けていましたが、知らなかって幸い。知ってたら怖くなって萎縮してしまったことでしょう。



山頂までの残り約半分の道を登っていくと、水音が聞こえ始めヒンヤリと涼しくなってくる。渓流沿いの道に入ったようだ。
この水の流れが下にある「調子ヶ滝」の源流のひとつになるのかなと思いながら、渓流を時折眺めて歩を進める。



途中でロープを掴んで登らないといけない場所があったが、透明感の高い清水と山中に響き渡る水音の何とも心地よい事。
山の面白さは、ただピークを目指して登っていくというのも一つありですが、想像もしていなかった景色に出会いながらピークへ行けるのが楽しい。



渓流沿いの最終部辺りの登山道は、岩だらけの登り道になってきました。
前夜の雨の影響でしょうか、岩のあちこちに水が流れていて、足の置き場を選びながらでないと危なかしっくて登れない。



樹林帯がブナに変わり、白いブナ林を抜けると、石組みで造られた祠に祀られる石仏に出会います。
右の石仏は首から上が取れてしまっており、左のお地蔵さんは比較的新しい石仏に見える。



お地蔵さんから少し登ると「栗柄峠」の看板があり、栗柄峠はかつては山越えの物資搬送路だったといいます。
粟柄越えは、琵琶湖の湖上交通によって滋賀県の海津に集められた物資を若狭・越前へ運び、またその逆もある物資の搬送路だったといいます。

山越えの運搬ルートのことは訪れた先で時々聞くことがありますが、歩くだけでも大変なルートで物資を運んでいたとは、その健脚に驚くばかり。
当時の名残りとして一部石畳の道が残っており、道中を行き来する人が手を合わせたのが先ほどのお地蔵さんであり、さらに登ったところにあった“大岩に祀られた石仏(後述)”なのでしょう。



粟柄峠を少し登ったところには大岩をくり抜いた窟に祀られている石仏があります。
この辺りは福井県と滋賀県の県境になり、風に吹きさらされて風化しながらも峠を守る象徴となってきたのだろうと思います。



くり抜かれた窟の中に祀られる石仏は「馬頭観音」といわれており、人馬一体となって物資を運んだであろう峠を考えた場合、馬を仏として崇め祀るに至ったのでしょう。
石仏という形はとっていますが、仏教的信仰というよりも生きていくための共同体である馬を神として、あるいは家族として祀る原初的な信仰を石仏という形としたようにも思えます。



さぁいよいよ山頂への道が見えてきた。
頂上付近は雲がかかって霞みの中です。登っているうちに雲が流れてくれないかなという希望はあえなく消えました。



最後の坂を登り切ればおそらく山頂に到着できそうですが、雲がゴロゴロ鳴る音が聞こえるのが気持ち悪い。
ドーンと落雷がきたら逃げ場はないが、鉄塔が幾つかあるのでもしもの場合は鉄塔に落ちるだろうと楽観的に考えるしかない。



そして、山頂へ到着。
360度見渡せる絶景の場所のはずだが、どの方向も雲しか見えない。

しかも強風が吹いていて、帽子を飛ばされそうになったり、汗で濡れたシャツが風にさらされて体が冷えてくる。
山登りには着替えのシャツとウインドブレーカーを持って登らないと駄目ですね。ひとつ勉強になりました。



赤坂山の三角点は土や砂に埋まらず、分かりやすい感じで立っています。
しばらくすると一人登山者が到着され、続いてまた一人到着。
ここから「明王の禿」~「三国山」とか、「大谷山」へ縦走されるのかもしれませんが、当方はここをゴールとしてピストンで下山です。



山頂から対面に見えるのは剥き出しの花崗岩が風化した「明王の禿」。
赤坂山山頂からだとかなり下って、登り返さないとたどり着けないような道が見える。
しかもピストンなので往復1時間のプラスは、ちょっとキツイかなと思いマキノ高原への下山道へ入ります。



赤坂山では標高のやや低いところではツツドリがよく囀っており、アカショウビンの囀りも谷筋から聞こえていました。
山頂近くからはホトトギスとウグイスが囀り、聞き分けの出来なかった野鳥の囀りが数種聞こえていて、花だけではなく野鳥も多い山なんだと実感。



山頂では雲に覆われて景色が見えませんでしたが、下山途中にメタセコイア並木が見えるポイントがありました。
この辺りでは田植えの時期が遅かったのでしょうか、まだ稲に覆われておらず、水鏡の田圃になっています。



赤坂山は「花の百名山」ということもあってか女性の2人組や単独登山の女性が多かったように思います。
登山道では何種類かの花を見かけましたので、識別しながら下山することになりました。...続く。


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高取山のササユリとコアジサイ~滋賀県多賀町~

2022-06-05 17:00:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 自然の中の生き物や花は、短い期間で目まぐるしく変わっていきますので、出会える機会はごく限られているように思います。
季節の変化を知らせてくれるのは、野鳥であったり花であったりするわけですが、会えないことがあるのも自然相手のことですから多々あります。

元々山を登る趣味はなかったものの、山中の神社や奥宮・奥之院、磐座や巨石・摩崖仏を見たいがために山を登ることが多くなり、その結果山登りに関心が深くなってきています。
山の素人なので低山しか登ってはいませんが、時間を見つけては山へ行きたくなってきているのも確かなようです。



多賀町にある高取山は、キャンプやBBQの出来る「高取山ふれあい公園」から登ることができる標高612mの山で、ルートが複数あって周回ルートもあります。
森林体験交流センター(管理事務所)で入園料200円を支払い、登山名簿に記帳をする時に登山口とお薦めルートを教えてもらって登山口へと向かう。

名簿には前に登った人が一週間前の日付となっていて、当日は当方一人。
1時間くらいで頂上まで登れますか?と確認すると、早い人なら登れますよとのことで、誰も登っていない山の中へ入る。



道は登りが続きますが、最初は急登もないので登りやすい。
昼前のスタートだったので気温が上がってきたが、風通しが良くカラッとした空気なのでさほど汗もかかない。

途中の分岐まで順調に登った所に“ナイトハイク順路”の看板があり、夏の夜の虫捕り会が開催されたりするそうです。
ゾッとしたのは、ここまで登る間に2匹の蛇に出会ってしまったこと。なんかねぇ蛇によく出会ってしまうのですよ。



しばらく歩くと、どこでどう間違ったか下山する道を歩いていることに気付きます。
おかしいなぁと思いながら、先ほどの分岐方面へ戻っていくと、知らず知らずのうちに通った記憶のない道に入り、それが正しい道でした。
間違えたのも、正しい道に戻ってこれたのも理由が分かっていないのが怖ろしいですね。

ところで、山中のいたるところで咲いているのはコアジサイの花。
アジサイの仲間ではあるものの、花は小ぶりで1本の樹にたくさんの花が咲いている。
別名シバアジサイ(柴紫陽花)と呼ばれるといい、花言葉は「忍耐強い愛」。





管理事務所の方から谷筋に道が崩落しているところがあるから気を付けてと教えて頂いていましたが、それはどうやらここです。
注意して歩けば何とかなる道でしたが、道から足を踏み外すよりも道が崩れてしまわないかの方が心配な道でした。



メイン道の「どんぐりの道」を登ってきて、尾根筋近くから「たかとりの道」へ入ると、道がどんどん急勾配になってきます。
結構シンドイなと登っていると、1羽のモンキアゲハが現れて道を先導してくれます。

単に、人が登ってきたのでモンキアゲハは逃げていただけですが、登り方向の道沿いに逃げてくれるので、先導してくれていると思った方が心強い。
秋によく見るモンキアゲハですが、この季節に会うのは初めてかもしれないなぁと思いつつ登って行くと見晴らし抜群の展望台が見えてきた。



山中ではホトトギスの声があちらこちらから聞こえてきていて、複数のホトトギスがこの山には来ているようです。
ウグイスの囀りも聞こえていましたので、ホトトギスはウグイスの巣に托卵するつもりなのでしょうね。

展望台から見える景色は、近江盆地と遠くに琵琶湖。
琵琶湖の手前にあるのは荒神山でしょうか。



南西方向には繖山や箕作山?
その奥には長命寺山や沖島かと思いますが、いづれも琵琶湖は霞んでいて見にくい。



山の上の頭一つ抜け出ているのは霊仙山。
高取山より400mも高い山で、いつか行ってみたい山です。



展望台から山頂は、稜線歩きかと思いきや、まだ登りが続きます。
最後のひと踏ん張りかと思い登って行くと、数分で山頂に到着。

途中で道を間違えたので90分かかっての到着です。
山頂部のスペースは狭いけど、「山頂標識」が鳥の形をしており、尾の辺りには2羽の小鳥の彫り物が乗っていて微笑ましい標識です。



山頂からは周回コースに入り、「たかとりの道」から下山することにします。
「たかとりの道」は上級コースとされているだけあって急坂が続き、降りるのにも注意が必要な場所があり、もしこちらのコースから登るとしたら結構きつそうな道です。
しかも、いきなり2本の倒木があったりする。



下山途中に「八ツ尾山」への分岐がありましたが、行っても戻ってくるのが大変そうなので下山を選びます。
山登りが好きな方は、八ツ尾山と高取山を周回されるようですね。



同じ山でもルートによって道の様子が全く違うなと感じたのは、道にゴロゴロとした石がたくさん落ちていたことでしょうか。
石に躓きそうになるのに気を払いながら下って行くと、大口を開けた猿面か人の顔のような巨石に出会う。



さらに下ると石垣のような石組が2カ所あり。
尾根続きの八ツ尾山には「八ツ尾山城」があったといいますが、高取山には城跡はないとのことですので、2カ所あった石垣が何のためのものかは不明です。



道中に突如として現れたのは、磐座かと見まごうような巨石群でした。
下山してから管理事務所で由来のある巨石群か聞いてみたが、“聞いたことない”とのこと。
石垣についても“分からない”ということでしたが、下山道は興味深いものを幾つか見れたので、周回道を通ったのは正解でした。





実は、高取山でもう一つ期待していたのは、ササユリに出会うこと。
道中で1輪だけ咲いていたササユリが咲いているのを発見。すぐ近くに蕾を2つ見つけました。
1輪だけとはいえ咲いていてくれていたのはありがたかったですね。





間違えるはずのない道を間違えたり、蛇に出会って悲鳴を上げたりした道中でしたが、ササユリに出会えたのは来た甲斐があったというもの。
至る所に咲き誇るコアジサイにも驚きましたが、名もなく信仰の形跡もない巨石群との出会いには気分が高揚したな。


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『やまなみ工房-森田郷士-』展~長浜市「湖のスコーレ」~

2022-06-01 07:53:53 | アート・ライブ・読書
 「湖のスコーレ」は観光の街・長浜市の商店街の中心辺りにある複合型商業文化施設で、滋賀県に伝わる発酵の文化や垢ぬけた雑貨販売スペース、セレクトされた古書などが並ぶ書店などがあります。
オープン以来、楽しみにしているのは2階に設けられたギャラリーでの作品展示で、甲賀市にあるアートセンター&福祉施設「やまなみ工房」からの作品が出品されてきました。

今回の作品展は、森田郷士さんの絵画26点が展示。
動物のようなもの、人のようなものを抽象的に描かれていて、そのモチーフは無数の点と線で埋め尽くされている動的な印象を受ける作品群です。



「湖のスコーレ」の裏側の入口から入ると、まず4枚の絵が掛けられており、錆止め塗料だけが塗られた鉄肌剥き出しの階段を上がって2階へと進みます。
描かれたモチーフは、生命感に溢れているが、その姿は心の内側を描き出したような感情が見え隠れするデフォルメされた生命体のように見える。



絵のタイトルは全ての作品が「点と線」と付けられていて、森田さんの視点では描いたモチーフ云々ではなく、描き込まれた点と線が重要なのかと感じます。
絵は見る人によって印象が異なると思いますが、個人的には躍動する人あるいは猛る男の姿に見えます。



絵を拡大して見てみると、ランダムな区画に無数の線や塗りつぶされた部分が見てとれます。
それは細胞のようでもあり、都市の鳥観図のようでもあり。



「点と線」にはカラーの作品も見られます。
森田さんは、やまなみ工房で内職を中心とした班に属しておられるといい、創作活動に取り組む時間は2日。
そのうち半分は絵画の時間と決められており、残りの時間は刺繍作品を創られているのだという。

刺繍に使う素材は、他の創作に使われて余ってしまった残り糸や糸くずを使って刺繍をされているそうです。
一見、顔のように見えるこの絵の元は、刺繍作品のイメージを絵で描いたようにも感じてしまいます。





森田さんの描かれる人と思われるものの姿は、独特の構図をしているがどの姿にも躍動感が感じられます。
躍動する異形の人の中には緻密な線が描かれ、黒く塗りつぶされた部分が個性を際立させています。



最も印象深かった絵は、下の「点と線」でした。
黒バックに白の線で描かれ、所々に薄紫色で描かれた部分があります。
もはや何が描かれているのすら想像できないようなモチーフですが、密な陰影が美しいと思います。



動物をモチーフにしたらしい作品が何点か集められています。
象やトナカイや水牛のように見えますが、そうではなく「点と線」だと本人は言われるそうなのが何やら面白い。



人のようなものを描いた作品は、どれも異形の姿。
であるにも関わらず、独特の構図の絵は躍動感に満ちている。
ただ、その外郭がどうあれ、描きたいと思われるのは中の点と線なのかもしれませんね。



「やまなみ工房」が自己紹介している文章が添えられていましたので、“やまなみ工房が大切にしていること”を抜粋でご紹介します。

あるがままの自分が認められ一人一人の思いや価値観が大切にされる事。
お互いの信頼関係を大切に、一人一人の思いやペースに沿って、
伸びやかに、個性豊かに自分らしく生きる事を目的に
様々な表現活動に取り組んでいます。

最後の一行を自分を取り巻く世界に置き換えることがもし出来たとすれば、それは素晴らしい事だと思いませんか。


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