僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

今森光彦 写真展~『里山-未来におくる美しい自然-』

2016-08-30 18:18:18 | アート・ライブ・読書
 西武大津店で『里山-未来におくる美しい自然-』という里山をテーマにした今森光彦さんの写真展が開催されていました。
里山とは、田圃を中心として水辺や山や林などが点在し、人と自然が共存しているような環境のことで、今森さんが使い始めてNHKのドキュメンタリーなどで有名になった言葉です。

今回の写真展は2部構成で、第1部は「里山-人と自然がともに生きる-」で第2部が「湖辺-水の流れが育む生命-」で、写真は今森さんが琵琶湖や滋賀県でのフィールドワークで撮影されたものです。
滋賀の里山で撮影した写真をテーマ別に網羅した今森ワールドの写真展と言えると思います。



当日はギャラリートークがありましたので時間を合わせて行きましたが、来場されていた方々の年齢層は結構高いように感じました。
今森さんの写真や映像に“自分が幼少の頃に見た景色に郷愁を感じる世代”の方々といえるかもしれませんね。



ギャラリートークは「里山」という言葉が定着するまでの話や「おじいちゃんは水のにおいがした(2006年出版)」に登場する田中三五郎さんの話などをされていました。
NHKで「里山」を企画した時はニュアンスが伝わらず、当時NHKで放送されていた『柳生博(日本野鳥の会会長)の「生きもの地球紀行」の生物系』と『「明るい農村」の自然系』との間で位置づけが難しかったようです。
結局は生き物系と農村系の中間的でありながら両方を網羅するようなところで「里山」は定着したということになります。



写真展の外では今森光彦ブックフェアーとサイン会がありましたので今回の写真展の図録になる「里山-未来におくる美しい自然-」を購入しました。
何列も平積みになっていた書籍が最後の方になると随分減っていましたので、購入される方はかなり多かったようです。
 頂いたサインは蝶のスタンプの下にm.imamoriと書かれてあります。



今森さんの写真展や切り絵展に行くのはこれで3回目になりますが、今森さんの姿を見るのも生の声を聞くのも初めてです。
ギャラリートークは会場の一角で話をされて取り巻くように聞くスタイルでしたし、サイン会になるとすぐ目の前に今森さんがおられる状態になりますので緊張してしまいました。
結局、サイン会では挨拶以外に声はかけられなかったんですけどね。



今森さんは「1年に1回、何月何日の何時何分にその場所にいなかったら、その光は二度と撮れない写真」と言われます。
確かにどうしたらこんな写真が撮れるんだろうと思うような一瞬の光の中で撮られた写真が多く見られました。
今森さんの写真を見ていると、「もっと琵琶湖が好きになる」「滋賀の自然がもっと好きになる」、そんな想いが強くなります。


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御朱印蒐集~長浜市 勝軍山 舎那院~

2016-08-27 19:01:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 長浜八幡宮の隣に舎那院さんというお寺があります。
舎那院さんは真言宗豊山派のお寺ですが、芙蓉の花の名所としての方が有名かもしれませんね。

創建は平安時代の初期の814年に、空海(弘法大師)を開基として開山したと伝わっているお寺で、寺号は新放生寺とされています。
新放生寺は長浜八幡宮の神宮寺でしたが、明治の初期の神仏分離令により他の子院は廃寺され、新放生寺の学習院だった舎那院だけが現存しているそうです。



本尊は愛染明王と阿弥陀如来とされていて、山門の石碑にもその名が刻まれています。
ここには、芙蓉に隠れてしまっていますが、「源義経公都落ちの遺跡」の石柱があり、兄の頼朝に追われた源義経が舎那院へ助けを求めたという伝承があります。



山門をくぐるとすぐ横にあるのは太子堂。
由来は分かりませんが、真言宗には弘法大師は聖徳太子の化身という伝説があるといわれていますから、その影響なのでしょうか。



太子堂の前には大きな石碑があり、八幡宮側に「八幡宮 御本地 御本尊 奉安霊場」、裏面に「拝神恩裁佛徳」と彫られています。
神社へ行くと神仏習合時代の名残のように神社の境内に寺院が残されていることがありますが、神仏分離策は「文明化」「近代化」に本当に貢献したのでしょうか。



本堂は江戸初期に建立されたとされていますが、舎那院さんの縁起によると、1754年に八幡講によって資金を集め・1770年に工事に着手・1810年に落慶と57年を費やして建立されたものだそうです。
堂内には重要文化財に指定されている「木造愛染明王坐像(鎌倉時代)」の他にも10体近い仏像が祀られています。
これは廃仏毀釈により廃寺にされた新放生寺の子院に祀られていた仏像を集めたことによるようです。



舎那院さんの山号は「勝軍山」で、11世紀後半に後三条天皇(在位:1068年~1073年)から賜ったとされています。
その時代の新放生寺は社坊300あまりあったと縁起にありますから、かつては隆盛を極めた寺院だったようです。



境内の奥には室町時代に建立されたとされる護摩堂(不動堂)がひっそりと建てられていました。
中には不動明王像が安置されており、建築様式から室町時代後期頃の建築と考えられているようです。
この護摩堂は元々八幡宮の境内にあったものを1939年に曳家されて現在の位置に移動したそうです。



さて、舎那院さんの芙蓉は、樹勢が衰えてきたとはいわれていますが、本堂に上がり縁側を裏手に歩いていくと100花クラスの数の花が満開でした。
ここの芙蓉はピンク系が大半ですが、いくつか白花の芙蓉もあります。





舎那院さんは長濱八幡宮の境内の奥にひっそりとある寺院で、芙蓉の花の季節に花を見に行くことがありましたが、調べてみるといろいろな歴史があります。
まさしく“御朱印蒐集に歴史あり!”です。


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御朱印蒐集~東近江市 瑞石山 永源寺~

2016-08-24 18:18:08 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県の湖東や湖南地方には大きな神社や仏閣が数多く残されています。
とは言っても、京都のような長く都があった都市とは比較にはなりませんが、京都と滋賀は比叡山を挟んで隣県になりますので、神社仏閣が多いのかもしれませんね。

東近江市には臨済宗永源寺派の大本山の瑞石山 永源寺があり、参拝をしてきました。
臨済宗ですから禅宗になりますが、臨済宗は元々は中国の禅宗五家の一つであったものを鎌倉時代に栄西らによって伝えられたものです。



永源寺の創建は南北朝時代の興安元年(1361年)に近江守護職であった佐々木六角氏頼公の寄進により、寂室元光禅師(正燈国師)が開山したとされています。
その後、室町から戦国時代の戦乱により焼失して寺運が衰退していったものの、江戸時代中期に彦根藩の井伊家などの帰依により復興したそうです。



湖東にある神社らしく、まずは羅漢坂という参道の石段登りからになります。
愛知川に沿って登っていく石段の途中には釈迦・文殊・普賢像と十六羅漢の石仏が奉安されていて興味を引きます。



羅漢像を過ぎると石段は終わって、ゆるやかな坂となり、総門が見えてきます。
紅葉樹が増えてきたのが分かりますが、この永源寺は名刹であると共に紅葉の名所としても有名なお寺です。



総門から少し参道を歩いていくと、立派な山門が見えてきて圧倒されます。
この山門は、寛政七年(1795年)井伊家の援助等により7年の歳月を費やし享和二年(1802年)完工したもので、重要文化財に指定されています。
山門は正面から見ても、背面から見てもヤマモミジが被ってしまうのですが、紅葉の季節に来たらさぞや見応えのある景色になるでしょうね。





方丈(本堂)は想像していたより遥かに大きな建築物で、国内屈指の葦葺き屋根といわれています。
現在の本堂は明和二年(1765年)に井伊家の援助により建立されたものだそうですが、堂内には大きな木魚があり、襖絵の美しさが印象に残る堂内でした。





法堂は、3度の兵火や火災で焼失してしまいましたが、現在の建物は享保十三年(1728年)の再建されたものだそうです。
本堂から法堂や開山堂へは回廊でつながっており、修行の禅僧が行き来する姿が頭に浮かぶような回廊になっていました。



境内には禅僧の専用道場があります。
臨済宗は、“純粋な人間性(仏性)を、修行を通して自覚(見性)することを旨とする”とされていますから、禅僧の方が静かに座禅を組まれている場所のようです。



開山堂は、永源寺を開山した寂室元光禅師(正燈国師)を祀るお堂ですが、このお堂にも樹勢豊かなモミジの葉が覆いかぶさるように茂っています。
湖東の山寺に多いのですが、この永源寺もモミジに包まれた寺院といった感があります。



臨済宗には約15の本山があるとされていて、その中の一つが『瑞石山 永源寺派』ということです。
他には「東福寺派」「南禅寺派」「建仁寺派」「大徳寺派」「天龍寺派」など有名なお寺が宗派の本山としてありますが、どういう経緯で枝分かれしていったのでしょうね。


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カワセミをパチリ!

2016-08-21 16:07:07 | 野鳥
 暑い日が続いていますので鳥見が億劫になってしまっていますが、月が変われば秋の野鳥シーズン到来かな?と少し期待をしております。
カワセミは留鳥なので年中見ることは出来ますが、夏場になってから出会う機会が多くなっているように思います。
琵琶湖岸や大きな河川岸以外にも、民家の間を流れる川やお寺の池など、身近な場所でも見られる美しい鳥なのが嬉しいところですね。



車で川岸を通ったら木陰から2羽のカワセミが飛んで行く姿が見えます。
1羽はUターンして元の木陰へ戻ってきましたので待つこと15分。



窓は全開とはいえ、エンジンを切った車の中は蒸し風呂状態ですから、猛暑の中では時間的にはそのくらいが限度。
サッと出て来てくれたのはツイてたけど、近かったのが何より嬉しい。留まった場所の背景はともかくとしてですけどね。





ダイブ!ダイブ!と心の中でつぶやいたけど、飛び出したのは反対方向の死角側。
当たり前やけど、中々いいなりにはなってくれませんね。



終わってみたら頭から汗が流れて、上半身は汗でベチャベチャ。
まぁ短時間だったけど、いい汗かきましたよ。


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イソヒヨドリの若♂と威嚇してくる親鳥をパチリ!

2016-08-18 18:18:55 | 野鳥
 少し前から朝の時間帯にイソヒヨドリの綺麗な囀りが聞こえてくるようになっています。
以前から近所のどこかで繁殖している番がいましたが、今年も無事幼鳥が巣立ちをしたようです。

囀りが聞こえるようになってから、遠くに姿を見ることはあったのですが、やっと近くで姿を見る機会に恵まれました。
見つけたのは2羽で♂と♀でしたが、見た感じでは、♂の幼鳥と♀の親鳥のようでした。



幼鳥はまだ羽が部分的に青・橙になった程度の若♂です。
少し離れた場所に留まっていたので見ていると、近くからけたたましい声でもう1羽が鳴いている。
威嚇・警戒のつもりで鳴いていたのでしょうけど、当方が立ち去らないので痺れを切らして、幼鳥と当方の間に留まって激しく威嚇してきました。





幼鳥は、成鳥♂の青と橙の綺麗な羽にはまだまだといったところですが、イソヒヨドリの場合だと、これで生後何週目くらいなのでしょうね。



以前はイソヒヨドリは海辺の鳥と思っていましたが、実際はかなり身近な場所に生息する野鳥です。
毎年必ず見られるとまでは言いませんが、ごく身近な場所で繁殖してくれるので、この時期の楽しみにしております。


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ハンミョウをパチリ!

2016-08-15 20:18:18 | 花と蝶とトンボと昆虫
 ぼくの なつやすみの しゅくだいは こんちゅうをつかまえることでした。
あみをもって カブトムシやクワガタムシをつかまえようと こうえんへ さがしにいったけど ちっともみつかりません。

おとうさんに きくと おとうさんが こどものころは こんちゅう がたくさんいたけど おとなになったら こんちゅうがへってきた といっていました。
こどものころの おとうさんは タマムシとかハンミョウというきれいなこんちゅうを つかまえたんだよ とぼくにおしえてくれるのですが ぼくは まだみたことがありません。
ずかん でみると きれいないろの こんちゅうだったので つかまえたら ともだちにみせてあげよう とおもいました。



...って感じで小さな子供の夏休みの絵日記に書きたくなるような美しい昆虫のハンミョウを見つけました。
足元で蟻を捕まえているのを偶然見つけた瞬間、“うわぁ~ハンミョウや!”と大の大人が小躍りしてしまいましたよ。



薄暗い所にいましたので何とかこの美しい姿を写しておきたい!とそればかりが先立って、同じアングルの写真しか撮ってなかったのには、やや悔いが残ります。
近づくとすぐに飛んで逃げてしまう警戒心の強い虫なんですが、飛んでも近くに着地してくれるのでしばらくお付き合いしてもらいましたけどね。



ハンミョウは、綺麗で色彩豊かな昆虫ですね。
朱・青・緑のメタリック・カラーのグラデーションとややパールぽい白班の美しさに見惚れてしまいます。
しかし、子供の頃に身近な場所でよく見られた昆虫たちはいったいどこへ消えてしまったんでしょうね。


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御朱印蒐集~近江八幡市 姨倚耶山 伊崎寺~

2016-08-13 17:25:25 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 伊崎寺は毎年8月1日に行われる『伊崎の棹飛び』という行事が有名で、TVのニュースや新聞の滋賀版などで見たことのある方は多いかと思います。
棹飛びは、琵琶湖の絶壁から突き出た高さ7mの棹から琵琶湖へ修行僧が飛び込む「捨身(しゃしん)の行」といわれる行事で、1000年近く続いてきたといわれています。

衆生(しゅじょう)救済などのために、自分の身を捨てることを仏教では捨身といい、他者救済・多くの人々の願いのために自らを犠牲にして飛び込む修行だそうです。
また一度身を投げて我が身を捨てた後に陸地に帰る、すなわち生まれ変わる「再生」の意味合いもある行ともいわれています。



開基は、奈良時代に修験道の開祖とされる役小角(役行者)がイノシシに導かれこの地を行場として開いたことが始まりと伝えられています。
寺院としては、貞観年間(859〜876年)に相応(そうおう)和尚が創建し、自作の不動明王を安置したとされています。
相応和尚は、比叡山千日回峰行の祖とも天台修験の開祖ともいわれている平安時代前期の僧で、「建立大師(こんりゅうだいし)」という大師号が宣下されています。



参道の入り口に門がありますが、門には『比叡山 延暦寺 支院』、『回峰行 別願道場』と書かれてあり、比叡山延暦寺との継がりが深い寺院で、ご本尊は不動明王が祀られています。
距離にして1㌔程度の道を行くのですが、歩いている時は距離感が分からなかったこともあり、とても長い道のりに感じる。
歩けどもなかなかお寺が見えてきませんので、周囲から聞こえてくるヒグラシの大合唱の心地よさを頼りに歩いていくことになりました。



参道の途中に見えてきたのは、通称「出迎不動(でむかえふどう)」と呼ばれている巨石です。
岩の上には役行者(別称:神変大菩薩)を祀った祠が祀られています。



しばらく巨石を見ていると何やら顔のようなものが見えてしまいます。
“これは不動明王の顔か?”と現地で思い込んでしまったのですが、思い込みが激しすぎたかもしれませんね。



本堂が見えてきましたが、ちょうどこの日は千日会の棹飛びの前々日でしたから、お寺の方は準備に忙しそうにされていました。
しかし本尊にお参りしている時にはわざわざロウソクの火を灯しにきていただいたり、お声をかけていただいたりと丁寧な対応をしていただき嬉しく感じます。



伊崎寺は、比叡山で千日回峰行を満行した阿闍梨が伊崎寺の住職を勤められるということで、天台修験との関わりの深さが伺えます。
また伊崎寺は、比叡山無動寺、葛川明王院(大津市)と並び天台修験の三大聖地ともされている由緒があるそうです。



さて、『棹飛び』の舞台となる棹飛堂は非常に面白いお堂になっています。
写真では分かりにくいのですが、お堂の山側方向に巨石が棹飛堂の内部にまでくい込んでいます。
お堂は巨石の一部が祭壇の位置になるように建築されており、この巨岩を本尊(不動明王)として祀られてありました。



お堂の下は絶景の琵琶湖が広がっています。
棹は想像以上に細く、また位置が高く、棹の先端までの距離もあります。(長さ13m、高さ7m)
棹の先端まで歩いて行って、この高さから琵琶湖へ飛び込むのですから、修験道の荒行といえると思います。





伊崎寺の周辺の大中地区は戦後に干拓されて農地になるまでは琵琶湖で最大規模の内湖だったため、かつて伊崎寺へは舟でお参りされる方が多かったようです。
琵琶湖から舟をつけて本堂の方へ昇る石段があり、参拝者を迎える山門が残されていますので、昔の信仰のたたずまいを感じることが出来ます。



人の生活の息吹は感じられるものの、近代の人の手があまり入っていない自然豊かな場所で見る琵琶湖は本当に美しいと思います。
山門の下の琵琶湖ではヨットでやってきて湖水浴をしている家族の姿もあり、とても穏やかな気持ちになりました。



この伊崎寺のすぐ目の前(1.5㌔)には琵琶湖で一番大きい沖島があります。(左の岸壁の裏にあり、この位置からは見えない。)
沖島は日本で唯一の「淡水湖に浮かぶ有人島」ですが、あまりにも近くに見えるので地続きの半島に思えてしまいましたよ。


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御朱印蒐集~大津市 日吉東照宮~

2016-08-10 19:50:50 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 東照宮と聞くと栃木県にある「日光東照宮」を思い浮かべますが、大津市坂本にある「日吉東照宮」も日光と同じく徳川家康(東照大権現)を御祭神として祀った神社です。
家康死後の1623年に徳川幕府3代将軍の家光によって造営され、1634年に現在の様式に改築されたとされています。

社殿の改築にあたっては、「権現造り」という建築様式で造営されていて、日光東照宮が造替された時にはこの日吉東照宮の建築様式が雛形になったといわれています。
「権現造り」とは、本殿と拝殿を石の間という一段低い空間でつなぐ様式のことを言い、祭祀者は一段低い石の間から祭典を行います。
祭典奉仕者は石の間から本殿に向かい祭典を行いますが、その後方の拝殿には徳川将軍など身分の高い人が並びますから、非礼にならないように一段低いところで祭典を行う配慮がされてます。



日吉大社から穴太衆積み(あのうづみ)の石垣に沿って歩いていくと、比叡山高校の校舎を経て坂本ケーブルの駅が見えてきます。
坂本ケーブルの横からのショートカットの道がありますが、敢えて石段登りをして参拝することにしました。



石段を登りきると唐門と透塀(すきべい)が見えてきます。
両方とも重要文化財に指定されていますが、内部拝観は金土日祝だけだそうですので注意が必要です。



唐門にも本殿にも数多くの彫刻装飾が施されていて、豪華さというか派手さを感じます。
徳川幕府の威信が感じられるような建築物になっていますね。



「権現造り」ですので右前方が拝殿、石の間を挟んで左後方後方が本殿になります。
御祭神は「徳川家康公・日吉大神・魔多羅神(まだらしん)の3柱が祀られています。
魔多羅神は天台宗の神で阿弥陀経や念仏の守護神とされています。日吉大社と延暦寺の関係が影響しているのでしょうか。



彫刻装飾は数が多すぎて全て把握するのは困難でした。
社殿の周囲全てに何らかの装飾が施されています。



上の虎の装飾は拝殿の正面にありますが、これは家康が寅年生まれだということに由来するとか。
下の装飾には右に“青い羽の鳥”、左に“喉元が橙色の鳥”。何の鳥が彫られているのでしょうね?



申年にちなんで猿の装飾です。
この猿はあまり愛嬌がない顔をしていますね。



神社・仏閣へ参拝した後に整理する意味も含めていろいろ調べてみるのですが、見落としがあったことに後で気が付くことがあります。
今回は「権現造り」の建築様式の意味が後から分かったのですが、偶然ながら石の間が分かる写真を撮っていました。



神社の奥側から撮った写真で、手前が本殿・一段低い場所となる真ん中付近に障子があるのが石の間への出入り口・後方にあるのが拝殿です。
なるほど権現造りの意味が少し分かったように思います。


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好奇心旺盛な猿!~付録で動画:長浜北びわ湖花火大会2016~

2016-08-07 16:18:25 | 風景・イベント・グルメ
 今年の夏の暑さは少しマシかと思っていましたが、先週から猛暑・酷暑がやってきましたね。
しかも1ヶ月予報では平年より暑くなりそうとのことですので、体調管理が難しくなりそうです。

さて、蜻蛉を探そうかと思ってウロウロしていると猿のグループに遭遇しました。
山の方から民家のある集落まで来ていたようですが、好奇心旺盛なのか中々立ち去らない猿がおりました。



猿を神の使いと考える神社がありますが、猿を含む干支の動物は日本では縁起物として扱われていますから、縁起が良さそうです。
とはいえ、猿が日常的に出没して畑や果実を持っていかれてしまう地域の方には“猿は困ったやつ”なのかもしれませんけどね。



ところで、夏の風物詩であるびわ湖花火大会が今年も開催されました。
『長浜北びわ湖花火大会』と称して8月4日には大勢の見物客の前で約1万発といわれる花火が打ち上げられました。

 まずは後半部の連続打ち上げの様子を動画で!


 続いて、ファイナルの様子を動画で!


今年の花火は高く上げる花火と横に広がって低く打ち上げる花火があったようです。
長浜港から琵琶湖の湖面に上がる花火を見ていた方は全景が見えますので、さぞや壮観だったでしょうね。
当方は少し離れた場所から動画で撮っていたのですが、周囲で見物されていた方々の盛り上がり面白く、微笑ましく思いながら花火を見ておりました。


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御朱印蒐集~大津市 山王総本宮 日吉大社 東本宮~

2016-08-05 18:25:25 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 西本宮に参拝した後は、境内にある各宮に参拝しながら東本宮へやってきました。
日吉大社には約40の社があり、その中心となるのが「山王七社」と呼ばれる7宮で、中でも代表とされる宮は西本宮と東本宮になります。

西本宮の御祭神は「大己貴神(おおなむちのかみ)」で別名は大国主神(おおくにぬしのかみ)。東本宮の御祭神は「大山咋神(おおやまくいのかみ)」とされています。
旧称は西本宮が大宮(大比叡)、東本宮が二宮(小比叡)で神仏習合時代の名称になるようです。



駐車場の場所の都合上、順番が逆になりましたが、大鳥居から入りなおすこととしました。
鳥居の横には「官幣 大社 日吉神社」の石碑と「比叡山延暦寺」の石碑が並んでいます。近くには比叡山坂本ケーブルの駅もあって比叡山への登山ルートがあるようです。



日吉大社では猿を神猿さん(まさる)と呼んで魔除けの象徴の縁起物としていますから、大社の看板の大権現は猿の顔になっていました。
「日吉山王大権現」が猿となっていますので、授与品にも猿の縁起物が多かったですよ。



参道を歩いていくと、東本宮の楼門が見えてきました。
山道の途中には「猿の霊石」と呼ばれる石が祀られてあります。この大社にはいたるところに猿が祀られていますね。





東本宮楼門も西本宮の楼門より少し遅れた1593年に建てられたとされ、こちらも重要文化財に指定されています。
門の下では大祓(おおはらえ)の役目を終えた「茅の輪くぐり」の茅(かや)がお守りとして売られていました。



東本宮本殿・拝殿は西本宮と非常によく似た形となっており、西本宮と同じく本殿は国宝・拝殿は重要文化財になっています。
この日は結婚式の写真の前撮りでもあったのか、羽織袴と着物姿の若夫婦が写真撮影をされていましたので、何とも華やかな雰囲気がありました。



神社へ行くと必ずあるのが狛犬ですが、日吉大社は狛獅子が祀られています。
しかも狛獅子は本殿の前や境内の入り口ではなく、本殿の殿上にいますから、少し不思議な感じがしますね。



日吉神社や日枝神社と名のつく神社はごく身近なところにもありますが、日吉大社とはどういう関係なのでしょう。
ひとつは「日吉大社と比叡山延暦寺のつながりから、天台宗のお寺の建立にあわせて分霊されたもの」、「もうひとつは江戸時代に武士が城や国の鎮護の神として分霊」して広がっていったそうです。
ここ日吉大社は全国に3800社あるとされる日吉神社と日枝神社の総本社となるようですから格式の高い神社になります。



帰り道、日吉大社からかなり離れた場所に石門を見つけました。
大きな神社へ行くと、山門と神社との距離の遠さ(敷地の広さ)に驚かされますが、本来はここまでが神の領域だったということでしょうね。


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