僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

7月29日ナゴヤドーム阪神勝利!

2017-07-29 21:36:15 | 風景・イベント・グルメ
 本日は地域の親睦行事の夏休み企画でプロ野球の阪神vs中日戦を観戦してまいりました。
子供の頃からの阪神ファンですが、球場での観戦へ行ってた頃はまだ掛布やバースがいた頃ですから、随分と久しぶりの野球観戦です。

おまけに貸切バスでの団体ツアーなんてのは、もうなくなってしまった慰安旅行以来です。
試合の方は、今の中日の状態ならボコボコにして勝つ!と勝手に妄想していましたが、意外にも延長にもつれ込む接戦となりました。



ナゴヤドームへは始めて行きましたが、阪神ファンがとにかく多いのに驚きます。
球場のすぐ隣にあるイオンを歩いていても阪神の応援衣装を着た人が目立ち、“ここは甲子園か?”と勘違いしてしまいそうになるくらい阪神ファンが観戦に来ています。



試合は内野席での観戦でしたが、外野席は終始お祭り騒ぎで盛り上がっていましたよ。



マスコットキャラクターのトラッキーも何度もグランドに出て応援を盛り上げてくれます。
実は今回、始めて帽子を取ったトラッキーを見ることも出来ました。



試合は阪神:メッセンジャー、中日:小笠原の投げ合いの投手戦から始り、タイガースはヒットすらなかなか出ない。
阪神の第100代4番となったロジャースのあわやホームランかという当たりもツーベースで得点につながらない。



貧打の中でメッセンジャーのヒットから何と俊介のツーランホームランが出ると観客席は興奮状態に!
しかし、7回に中日の連打で同点にされてしまい、観客席のテンションが異常に下がってしまいます。
鳥谷・大和の連続安打も併殺に終わり更にガックリ。



期待の代打・西岡もあっけなく三振...。



阪神のリリーフ陣は安定した状態が続いていて、高橋⇒桑原の継投でピシャリで、いよいよ延長戦へ突入です。



延長10回、代打・福留。
来ましたよ!価千金のホームラン!(ホームランを打った時の写真です)



福留のホームランで外野席も内野席も大騒ぎです。
“六甲おろし”がナゴヤドームにこだまする!ってやつですよ。
最後は守護神ドリスが3人でピシャリ!



ビジターなんでヒーローインタビューはモニターでしか見えませんが、やや控えめなコメントでした。
元中日の選手ですしね。



試合開始前からビールなどの売り子さんが何度も行き来してくれますので、結局ず~と飲みどおしです。
テンション高く観戦することが出来ましたが、いい勝ち方してくれてよかったよ。延長までいって負けてたらガックリだったものね。


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御朱印蒐集~大津市 岩間山 正法寺~

2017-07-27 20:06:06 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 今年は西国三十三所草創1300年を記念してイベントや特別開帳が行われていますが、昨年より始めた御朱印巡礼も西国三十三所巡礼に限ってはまだ6寺に参拝したのみです。
しかも現在まで滋賀県と岐阜県の寺院にしか参拝出来ておらず、満願になるのはいつの日になるやらという状態です。

西国三十三所巡りを目的にしているわけではないとはいえ、まずは滋賀ゾーンだけでも全て参詣しておきたいということで、まだ参拝していなかった岩間山・正法寺へ参拝してきました。
正法寺は岩間山の山頂(445m)にありますので、林道を登っていくことになりますが、久しぶりの林道ドライブに何ともワクワクとした気分になり楽しくなってきます。

 

正法寺は真言宗醍醐派の寺院で、開基は白山修験道の開山者・泰澄で722年に創建されたと伝わります。
滋賀で神社仏閣へ参拝すると、開基に泰澄の名があったり、白山信仰を紀元に持つ神社や仏閣が多くあるように思います。
泰澄や白山信仰の影響は、白山に連なる加賀・越前・美濃の国に隣接する滋賀県へもその影響をおよぼしてきたように感じられます。



燈籠が並ぶ参道を進んでいくと、まずぼけ封じ観音があり、ブロンズの金剛力士像を抜けて参道を進んでいくと境内に到着します。
最初に目をひくのは「火伏の銀杏」といわれる大木で、幹周り3.68m・樹高26mの樹齢は450年とされています。
前に建てられている祠は「稲妻龍王社」で、当山(岩間山)の護法善神として祀られていました。



本堂に着いた時はまだ受付開始前でしたが、すでに続々と参拝者が訪れられていて少々驚いてしまいます。
西国三十三所巡礼の札所ですから、巡礼衣装の方の姿もあり、西国三十三所巡礼の寺院の雰囲気が堂内に漂っています。
ただ参拝されていた方々の滞在時間は短く、次々と人が入れ替わっていくようでしたので、参拝してすぐに山を降りられ、次の巡礼寺院へ向かわれる方が多いのかもしれません。



本堂は1577年に再建され、寛永年間(1624年~1645年)に解体修理されたとされていますが、観音巡礼の寺院特有の拝所のこういう雰囲気は好きな雰囲気です。
巡礼衣装の方はここで正座をしてお経を唱えられていましたので、巡礼の方の信仰の深さを感じました。



外陣にも入れましたので堂内で拝ませていただきました。
ご本尊の「千手観音立像」は秘仏ですので厨子の中にあり、お前立ちの仏像が祀られています。


お前立ち・・・西国三十三所 パンフレット

しかし、本尊の厨子の左右にある脇侍の仏像がよく分かりません。
僧侶の方に聞いてみると、右に祀られている役行者のような方は「婆藪仙人立像」で、左に祀られているのは「吉祥天立像」ということでした。
「婆藪仙人立像」は京都・三十三間堂にも祀られていましたので、今のところ2躰目の婆藪仙人拝観ということになります。



本堂からは廊下を渡って不動堂まで行くことができ、その廊下の途中には「芭蕉池」という池があります。
松尾芭蕉の有名な俳句の「古池や蛙とびこむ水の音」が岩間寺に参籠したときに詠んだとした石碑がありましたが、そういった話は他の寺院でもありますから本当の話かどうかは不明です。

しかし季節柄カエルの声はよく聞こえていましたよ。
また、廊下には西国三十三所の各寺の観音様が祀られていて、ショートカット版の三十三所観音巡礼が出来るようになっていました。



不動堂には鎌倉期の「木造不動明王と二童子立像」が安置されているようでしたが、こちらも厨子の中に収められていて拝観することは出来ません。
不動堂の三尊は、中央に不動明王が祀られ、脇侍として右に「阿弥陀如来坐像」左に「薬師如来坐像」と安置されています。本堂の三尊といい、正法寺の三尊は少し変わった三尊になっているようですね。



正法寺で頂いた御朱印は、西国三十三所の御朱印ともう一つは「白姫(白山比咩)龍神」の「美心」の御朱印になります。
「白山龍神」は、開山泰澄大師が加賀・白山で修行中に「白山妙理大権現」に出会い、岩間山に白姫龍を勧請されたのが始まりとされていて、女人がこの白山龍神を崇めると美女になると伝承されているそうですよ。



寺院で時々見ることのある釈迦の足跡を刻んだ仏足石が、ぼけ封じ観音の前にありました。
扁平な足に刻まれている模様は瑞相と呼ばれて、それぞれの模様に意味があるようです。



岩間山・正法寺は本堂・不動堂や他の諸堂が比較的近くに集まって建てられていますが、山道をさらに奥へ歩いていくと他にもお堂や名木があるようです。
桂の大樹もあるようでしたが、そこまでは行きませんでしたので本堂前の「夫婦桂」(御本尊出現之霊木、木は第3代目)を見て終わりとしました。



西国三十三所草創1300年記念として各寺院では御朱印に特別印の授与があります。
特別印には各寺院の由来などが織り込まれていますが、正法寺(岩間寺)の特別印は“鬼が千手観音にひれ伏している”という面白い図柄になっていました。

これは『泰澄大師が当地に伽藍建立の際、たびたび落ちる雷に困り果て、ご自分の法力で雷を封じ込め、落ちる訳を尋ねられたところ、雷は大師の弟子になりたいのだと申し出た。』
との逸話によるものだそうです。


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ミサゴの季節到来!

2017-07-23 16:36:16 | 野鳥
 ミサゴは一年と通じて見ることの出来る猛禽ですが、真夏の始り頃から9月中旬くらいまでの間はミサゴ・ラッシュの時期かと思います。
それこそ“今ならミサゴは100%!”と豪語したくなるような季節がこれからやってきますね。

川沿いを走行していると、上空を2羽のミサゴが舞っています。
“いよいよミサゴの季節到来か?”と近くまで飛んでくるのを待ってみました。



このミサゴは♀の成鳥に見えます。
最初に飛んでいた2羽のうちの片割れですが、もう片方のやつは上流方向へ飛んでいって姿が見えなくなりました。

残って狩りをしていた♀を見ていると、今度は琵琶湖方向からもう1羽ミサゴが飛んできましたが、そいつも♀のミサゴでした。
いったい何羽のミサゴが飛んでいるのでしょうか?



上空から川を見下ろして獲物を探していましたが、よく見えるもんです。“鷹の目”とはよく言ったものだと感心してしまいます。
しかし、一回目のダイブでは水面スレスレまで行って断念したようでした。



 次の獲物を探しています。
今度はうまく狩れるでしょうか?



距離のある場所へダイブしたので様子を見ているだけでしたが、今度は見事ゲット!
水中から出てきた時に魚の赤っぽい婚姻色が確認出来ましたよ。サイズからしてウグイかな。



ミサゴさんは無事食事にありついたようですので、当方も家へ帰って朝飯を頂くとしましょうか。 


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オシドリの♀をパチリ!~雑記:ピクニックコーンの話~

2017-07-19 18:25:25 | 野鳥
 “海の日”の祭日は前夜から強い雨が降っていたため、夜中にスマホの災害警報(大雨警報・土砂災害警報)が何度も鳴り、朝方には市の防災スピーカーの放送まで始って、まだ夜も明けないうちに叩き起されてしまいました。
幸い市内では大きな災害はなかったようですが、最近よく“かつて例がない...”とか“観測史上最大級の...”などと表現されたニュースをよく耳にするようになってきていますので、だんだんと地球が病んできているのかもしれませんね。

雨が止んでから少し野鳥巡回しましたが、大きな河川では水嵩が増して激流となって非常に危険な状態になっていました。やはり水の力とは怖しいものです。
支流の河川も水嵩は増してはいるものの、さほど激流というわけではなく、雨上がりの釣りに来られた方もおられます。

 川沿いを通りすがりに見つけたのはオシドリの♀!ブロックの上に留まって川の流れをやり過ごしているようでした。



時間をかけて羽繕いをした後は恒例のパタパタです。待ってました~!



体の向きが良い感じで羽ばたいてくれたのはラッキーでしたね。



羽ばたいた後は前傾姿勢になって...。



頭を持ち上げてノビをしておりました。



♀のオシドリでしたので季節柄、幼鳥を連れていないかと探しましたが、その姿はなく1羽だけでした。
もう幼鳥は育ってしまったのでしょうかね?


<雑記:ピクニックコーンの話>

某所へ遊びに行った帰り道の田園地帯を走行していると、軽トラに“ピクニックコーン(極甘とうもろこし)”ののぼりが立っているのを発見しましたので思わずUターンして立ち寄ってみました。
軽トラの横には“田圃行き・畑行き”の野良着を来たおばぁさん達が10名くらい座っておられます。

“ここで売っているのですか?”と聞いてみると、“そこの畑で採れたてのトウモロコシ1本100円だよ!”と言われて買ってみることにする。
おばぁさん達は“これは生でも食べられるよ!でも食べてみないと分からんねぇ~。”とその場で皮を剥いてトウモロコシを手渡してくれます。
“これっ甘いですね。”と食べていたのですけど、畑で収穫してその場で食べてるなんて、まるで“昭和の時代の田舎の子供やんかぁ~”と思わず笑いがこみ上げてくる。

“それじゃ5本ほど下さい。”と言うと、おばぁさん達は“これがいい、これもいい”とか言いながらどんどん袋に入れていかれるではないですか!
悪いので“じゃ500円分下さいな。”と500円硬貨を渡すと、また競うように“これがいい、これもいい”と次々と袋に詰めていかれます。
“重いけど持てますか?”と渡された袋はずっしりと重い!

田圃の横で左手に食べかけのトウモロコシ、右手に袋一杯のトウモロコシ。
“ローカルなタレントが田舎を歩いてレポートしてる番組みたいやなぁ~!”と車の中で待っていた妻に大笑いされたのは言うまでもありません。

後でトウモロコシを数えてみると何と30本もありました。
知り合いに“産地直送のトウモロコシだよ!”と配って回りましたが、底抜けに明るくて元気そうなおばぁさん達と大笑いしながらしゃべっている時間はなんか懐かしく思いました。年取っても元気で笑って暮らすのが一番やね!




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フォーエバー現代美術館~『草間彌生 My Soul Foever展』~

2017-07-16 20:06:58 | アート・ライブ・読書
 2017年2月から5月中旬まで東京・国立新美術館で過去最大規模を称された『草間彌生 わが永遠の魂』展が開催されていたのは雑誌やネット記事などで宣伝されていたのは記憶に新しいところです。
残念ながら大きな美術展や博物展は東京で開催されることがほとんどで京都・大阪・神戸での開催もあるにはありますが、やはり東京に集中してしまいます。
そのため見ることの出来ない美術展や博物展が多くありますが、東京往復の新幹線代は馬鹿になりませんから諦めざるを得ません。

そういう中で京都・東山に開設される「フォーエバー現代美術館」のオープニング展として『草間彌生 My Soul Foever展』が開催されたのは願ってもない機会となりました。
しかも会場は東山区の建仁寺の横にある祇園甲部歌舞練場敷地内の八坂倶楽部(祇園の特等客の待合・点茶に使われる1階と132畳敷の客室・舞台のある舞台座敷)ですから、これぞ京都文化といった場所を改造した美術館での開催です。
したがって“行ってみないとどのように草間作品が展示されているか想像がつかない”という楽しみな美術展となりました。



祇園甲部歌舞練場の敷地内に入ると大きな「南瓜」のオブジェが鎮座していてど肝を抜かれます。
高さ4.5m・幅5mの水玉南瓜は先の国立新美術館にも展示されていたそうですが、作品は「フォーエバー現代美術館」の所蔵品で2007年の草間作品と書かれてあります。


『南瓜』(1992年)

美術館のある祇園甲部歌舞練場には弥栄会館という日本の伝統芸能が鑑賞できる舞台があり、「舞妓さんによる京舞・茶道・華道・箏曲・雅楽・狂言・文楽」の7つの伝統芸能が鑑賞できる施設となっているそうです。
また美術館は先述の八坂倶楽部というかつては舞台座敷のあった大正時代建築の舞台座敷で、建物を残したまま内装工事を行うことによって、伝統芸能と現代美術の融合された美術館になっていました。



室内へ入ると真新しい畳の香りが漂い、およそ現代美術の会場とは思えない雰囲気があります。
最初の部屋には「黄樹(1992年作)」の巨大なアクリル画が待ち構えたように展示してありました。
間近で見ると、無数の水玉が鱗のように描かれ絡み合っています。“見えないものを見る作品”という意味でアールブリュット作品と通じるものがあるように思います。


『黄樹』(1992年)

横には「黄樹」の前で黄樹をデザインした服を着て座っている草間彌生のポートレートがありました。
草間彌生さんは1929年(昭和4年)生まれの牡羊座。子供の頃より幻覚や幻聴に悩まされ、それを描きとめるように絵にされてきたといわれます。感性の感度が高すぎる人なのかもしれませんね。



黄樹をモチーフにした作品としては展示はされていなかったものの、grafという家具のデザインなどをやっているクリエイティブユニットとのコラボで“Living Room”のカードがありました。
こんな部屋で過ごしていたら、どういう感性になれるのか気になりますね。


ポストカード・・・『Living Room』(2002年)

美術展の構成は4部構成で、第1部は「初期作品群」と名称が付けられていました。
初期作品群は1952年頃の作品で草間色はありますが、抽象的でややシュールな絵が見られました。
草間さんは現代美術作家と呼ばれますが、美術学校時代は日本画を学ばれていたそうですので描画技法は習得された上で独創的な絵を描くという画家の一人と考えた方がよさそうです。

第2部は「ニューヨーク時代」で1963年にニューヨークへ渡り1973年に帰国された頃の絵が中心となっていました。
本などで知る草間彌生のニューヨーク時代は、家出してきたゲイ少年などを集めてのハプニング・パフォーマンスの開催や男根の集合オブジェの印象があります。
「南瓜」シリーズが認知される前の話ということになるのでしょうか。


『A PUMPKIN』(2007年)

会場に展示されてあった「南瓜」の絵は1981年・1990年・2007年と何回も同じモチーフで描かれており、南瓜への強い拘りのようなものを感じます。
また1980年頃の作品には写真とのコラージュ作品が見られ、「鳥・花・魚」などのコラージュ作品がありました。
生物とのコラージュ作品は始めて見るものでしたので、草間作品にはこういう作品もあったのか?と不思議に感じながら見ることとなりました。

第3部は「中期の作品群」となり、1995~2005年の作品が中心となります。
花をモチーフにした絵が何枚かあったと思いますが、どれも花の形に似た得体の知れない生物のような姿をしていました。貝・きんぎょ・蝸牛・蝶・蛍(赤いドットのホタルが舞っている)をモチーフにした絵もしかりです。
ハイヒールや赤いドレス・帽子をモチーフにした作品がありましたが、ニューヨーク時代にブテックを開いていてこともあってかファッションに非常に敏感な方のようでもあります。

第4部のある2階の会場は元々舞台座敷だった場所で、舞台には「私の魂を乗せていくボート」が展示されていました。
(第4部 様々なモチーフと「私の魂を乗せていくボート」)


『私の魂を乗せてゆくボート』(1989年)

この作品は1989年の作品で、当方的には“突起物の集合体のオブジェ化”は草間ワールドの最大の魅力だと実は考えています。
ルイ・ヴィトンやAUとのコラボで“可愛いおばあちゃん”と世間受けする草間彌生のイメージにはどうも馴染めないのですよ。





美術館のショップには2015年元旦のNHK BSプレミアムで特集された『ザ・プレミアム 草間彌生 わたしの富士山 ~浮世絵版画への挑戦~』でアダチ版画研究所とのコラボで造られた『七色の富士』の大型カードが販売されていました。
草間彌生の富士山を和紙職人(人間国宝)漉いた和紙・木版の彫師の技術・染料による調色の技術・摺師の技術の全てが合わさって出来た作品でした。興味深い番組でしたが、カードとはいえ手元に入手できたのは幸いなことです。



『生命は限りもなく、宇宙に燃え上がっていく時』(2014年)

余段になりますが、八坂倶楽部には庭園があり、縁側には座布団が置かれて庭の鑑賞が出来るようになっていました。
休憩しながら和むのに最適な場所で、明治・大正の頃の迎賓館的な印象を受けます。



「フォーエバー現代美術館」は草間彌生の版画作品372作品のうち352作品の草間コレクションを所蔵しているとされ、今回は82点の展示となったようです。
建物の借用期間は数年と書かれてありましたが、限られた期間の間により多くの作品に出会える企画をしていただけることを願っております。


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御朱印蒐集~京都大原 三千院・来迎院・音無の滝~

2017-07-13 18:39:55 | 野鳥
 三千院の金剛不動堂では「秘仏・金色不動明王」が祀られていて特定の日以外は秘仏のようですが、この日は不動大祭の法要にあわせて御開扉されていました。
真偽はともかくとして、この金色不動尊像は平安時代の僧である智証大師・円珍の作と伝えられているそうです。

智証大師・円珍は天台宗寺門派の宗祖とされる僧で、後に比叡山から三井寺へ移動した円珍派の開祖になり、その三井寺に祀られている不動明王も「金色不動明王」または「黄不動尊」ですので、円珍を通じての延暦寺・三井寺・三千院のつながりが伺われます。
三井寺の「黄不動尊」は日本三不動の一つに数えられて国宝に指定されていますが、秘仏(仏画)のため見ることは出来ません。しかし三千院の「金色不動明王立像」はしっかり拝ませて頂くことが出来ました。

 



三千院には大原女の衣装を着て参拝されている方が何人か見られ、金剛不動堂の前では記念撮影されている姿まであって、周囲にいた人の気持ちを和ませてくれます。
不動堂自体は平成元年に建立された新しい建物ですが、法要期間中ということもあって五色幕が掛けられており、如何にも密教寺院らしい雰囲気となっていました。





さて、不動堂に祀られている金色不動尊像は像高97cmで平安時代の作とされていて、円珍作であったなら平安初期の仏ということになります。
不動明王は憤怒の表情をした如来ですが、大日如来の化身ともされ煩悩を打ち砕き精進する者に対して救済の手を差し伸べる慈愛に満ちた存在だとされます。


ポストカード

実はこの不動堂で御朱印をもらおうとして御朱印帳を開いたところ、間違えて既に使い切った御朱印帳を持ってきてしまったことに気付きました。
うっかりミスをしてしまった事が悔しいやら情けないやらで悔やんだ後に紙の御朱印を頂いたのですが、悔やんでいた様子を見ていた僧侶の方から次の言葉で諭して下さいました。

『これは不動様からの何かの暗示だと思います。落ち着いて慌てず心を落ち着ける事から始めてください。』
タイムリーなありがたい言葉に「このところいろいろと焦り気味で少し傲慢なっていたかな。」と反省して、観音堂へお参りする。



さて、三千院の境内には“京の七福神めぐり”の一つとして弁財天が祀られています。
しかも「宇賀神」と一緒に祀られていましたので、滋賀県の竹生島信仰の宇賀弁財天がここにも?と思ったのですが、ここの弁財天と宇賀神は少し違うようです。
蛇と亀の木造が安置された祠の後方に弁財天が祀られていましたので、竹生島系の宇賀弁財天とは全く別のもののようですね。





三千院の立地は律川と呂川に挟まれた場所にありますが、売炭翁石仏のある津川とは反対側にある呂川の上流へさかのぼっていくと、朱塗りが鮮やかな朱雀門があります。
「梶井門跡」が移ってきて三千院になる以前の往生極楽院を本堂としていた頃の正門にあたるそうですが、この門は寺院の中から見るより、外から見たほうが趣がありますね。



この呂川沿いの昇り道を行くと、「音無の滝」が姿が見えてきます。
聖応大師・良忍上人は、大原に来迎院を建立して天台声明を完成させた高僧で、良忍上人が滝に向かって声明の修行をしていると“滝の音と声明の声が和して、滝の音が聞こえなくなった”という故事にちなんで「音無の滝」の名が付いたとされます。



滝へ至るまでの道は、最初は川沿いの舗装された上り坂を歩けたのですが、途中から山道になり軽い登山のようなことになってしまいました。
高さ18㍍、幅は広いところで3~4㍍の堂々とした滝で、息を切らせながらも登ってきた価値は充分にあります。
滝に上半分は滝幅が広く、一枚岩に拡がりながら落ちてくる姿はまさしく修行の場といえそうです。



滝は写真にしてしまうとサイズ感が分からなくなってしまいますが、ちょうどチャレンジングな女性が流れる水に触れようと滝に近づいてくれましたので、撮らせていただきました。
滝のサイズ感が分り、この方も無事帰還されて良かったのですが、なかなか怖いもの知らずな方ですね。



音無の滝と三千院の中間地点には「来迎院」という聖応大師・良忍上人ゆかりの寺院があります。
魚山と号する天台宗の寺院で、仁寿年間(851~854年)に慈覚大師・円仁が創建した寺院といいます。

円仁は比叡山延暦寺の第3代天台座主で、死後に円仁を祖とした山門派として、円珍の寺門派(三井寺)との対立があった僧ですが、存命中にはそんな未来のことは知る由もなかったことでしょう。
しかし大原の地に円珍・円仁由来の寺院や仏像が祀られているのは興味深いものがあります。



その後の平安時代末期になると良忍上人が再興して、円仁に始まる声明を大成したとされます。
この声明は「魚山流」と呼ばれて、来迎院は天台声明の根本道場として栄えたそうです。

石段を登っていく先に見えるのは鐘楼。撞いてみると静かな山に美しい音色が響きます。
梵鐘は京都市の重要文化財に指定されており、1453年藤原国次作の刻銘があるそうです。





本堂は寺伝によると、室町中期に焼災にあい、室町時代後期の1533年に再建された建物で、山の中でひっそりと、しかし堂々とした本堂でした。
静寂に包まれた山中に声明が響く様子を想像すると、なんとも厳かな気持ちになります。



本堂の内陣には三尊像が祀られ、中尊に薬師如来・左右に釈迦如来と弥陀如来。
脇侍には左に不動明王・右に毘沙門天と素晴らしい内陣です。
三尊は全て藤原時代の作で国の重要文化財に指定されており、脇侍の2躰も藤原時代の後期の作とされています。



京都大原には、今回参拝した「三千院・来迎院」の他にも「寂光院・勝林院・実光院・宝泉院・阿弥陀寺」などがあり、一度の参拝ではとてもじゃないけど、全ての寺院へ参拝することは出来ません。
しかしこうしてゆっくりと大原を散策していると、やはり大原の地は特殊な聖地であると思わざるを得ません。再び訪れる時にはまた違った感慨を得ることが出来る聖地だと思います。


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『夏中さん』で始まる夏!~長浜御坊 無礙智山 大通寺~

2017-07-09 12:07:09 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 毎年7月に入ると大通寺(通称「ごぼうさん」)で夏中法要が勤められ、夏休みを目前にした子供達の夏の楽しみのイベントになっています。
もちろん子供達の目当ては寺で営まれる法要ではなく、商店街に並ぶ縁日の露天です。

当方も子供の頃には「りんご飴」や「かき氷」に「たこ焼き」などの食べ物や、「ボールすくい」や「射的」「スマートボール」などのゲームに心躍らせた記憶がありますし、「見世物小屋」なんてのも昔はあって、そのおどろおどろしい見世物をおっかなびっくり見るのも楽しみの一つでした。「見世物小屋」では人間ポンプという見世物芸の他にも「亀男」「蛸女」なんていう子供心にも胡散臭いものもあったと思います。
今では考えられないけど、ペンキを塗ったカラーヒヨコなんてのも売られていましたね。

この『夏中さん』は縁日として親しまれていますが、実際は「長浜御坊大通寺」の夏中法要にちなんだもので、9日間勤められる法要の後半の金土日に露天が並び、この3日間が一般的には『夏中さん』として親しまれています。
慣れ親しんだ寺院ではありますが、なかなかゆっくり訪れることのない大通寺ですので、この機会に参拝をしてきました。



大通寺は浄土真宗大谷派の寺院で、京都の東本願寺を本山とする寺院となります。
浄土真宗は親鸞が開祖とする宗派で、その中にいくつかの宗派はあるようですが、有名なのは京都・東本願寺の大谷派と京都・西本願寺の本願寺派となるのではないでしょうか。
滋賀県北部では浄土真宗信仰が根強いといわれており、行く先々で真宗○○派と書かれた寺院が多く見受けられます。



大通寺の始りは一説によると、織田信長と対抗した本願寺の門徒(一向宗)が集まる場所だったとされ、1602年には長浜城内(当時の城主は山内一豊)に長浜御坊として創建されたといいます。
1649年には彦根藩井伊家より現在の境内を寄付を受けて、長浜城内にあった「長浜御坊」を町衆や湖北地方の門徒などの尽力によって現在地に移されたとされます。



大門は1808年に着工され、33年の歳月を費やして1841年に完成したとされている見上げるような大建築物です。
この山門は京都東本願寺の山門を模して造られたとされていますが、東本願寺の山門が焼失した際の再建には、この山門が参考にされたと伝わります。

夏中法要の期間は大門の上部の2階を拝観することができますので、さっそく拝観することにし、急な階段を登って2階へとたどり着きました。
須弥壇には「釈迦如来坐像」「弥勒菩薩立像」「阿難尊者立像」の三尊像が安置されています。
江戸時代の作かと思われますが、像高はそれぞれ釈迦如来(67cm)・弥勒菩薩(96.6cm)・阿難尊者(80.5cm)と見応えのある三尊像でした。



須弥壇のある部屋の天井には大塚(山縣)岐鳳という方の「天女奏楽図」が描かれており、彩色鮮やかな天女の美しい姿がありました。
保存状態が良いのか、修理をされているのかは知りませんが、見事な天女の絵が残されておりました。





せっかく大門の上に登ったので、歩いてきた参道を撮ってみることにします。
石畳が切れる辺りで曲がると露天が軒を連ねているのですが、ここから眺める町並みは門前町らしい落ち着いた景観です。



本堂は重要文化財に指定されている正面約28m×側面約25mの巨大な建築物で、こちらも大門の上から見た姿です。
この本堂は、“伏見城の遺構が移築された”という話と“初代住職により新築された”...など諸説あるようですが、大門と同様に圧倒されるような大建築物といえそうです。



境内には重要文化財指定されている大広間、庫裡・客殿・新御座・鐘楼などの建築物が立ち並びますが、面白いのは夏中さんにやって来て、境内で鳩に餌をやって遊んでいる子供達の姿でしょうか。
以前は遊具なども設置されていて近所の子供達の遊び場になっていたと思いますが、日常の境内はどうなっているのでしょう。もう今の子供達は普段そんな遊びはしないのかもしれませんね。



本堂の内部は広い外陣と内陣に分かれており、内陣の中央に御本尊の「阿弥陀如来立像」が祀られています。
浄土真宗の本堂ですから阿弥陀如来だけが祀られた“他力”の信仰の寺院になるようです。当然ながら御朱印はありません。



ところで、大通寺にはもう一つ台所門(薬医門)という門があり、この門は元々は長浜城の大手門(城門)だったとされています。
大通寺が現在の地に移設された時にはこの門も一緒に移設され、今の大門がある位置に御坊の門として建てられていたそうです。
しかし、1808年に現在の大門が建てられるにあたって現在の場所へ移されてかつての長浜城の城門の遺構として残されています。



最後に夜の大門の様子です。
露天が並ぶ黒壁ストリートは土曜の夜とあって大盛況ですが、寺院まで来るとさすがに人はまばらになりますね。
さぁ夏中さんを迎えて、いよいよ夏の季節が始まりますよ!




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御朱印蒐集~京都大原 魚山 三千院①~

2017-07-06 18:51:51 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 大原三千院へ行ったのは10年ぶりくらいになるかと思います。
その頃は寺院や仏像に特別な興味はなかったので「阿弥陀三尊像」を見た記憶すらないのですが、TVなどで見るたびに実際に目で見てみたい気持ちが抑えきれなくなってきていました。

訪れた時期はちょうど「秘仏金色不動明王」の開扉がされていたこともあって、混雑覚悟での参拝でした。
しかし、三千院への参拝客は、紅葉や桜のシーズンとは違ってさほど多くはなかったため、比較的ゆったりとした参拝が出来て助かりました。
都度、御開帳されているようですので見たい方は既に拝観済みということなんでしょう。

 



三千院は比叡山を横目にした山中の街道沿いにある天台宗の問跡寺院で、伝教大師・最澄が延暦年間(782~806年)に比叡山延暦寺建立の際に草庵を結ばれたのが始まりとされています。
平安時代の後期から皇子皇族が住持する門跡寺院となり、比叡山から大津市坂本・京都市内と移動しながらも、明治維新後に大原の地へ移り現在に至るようです。



また大原の地自体も平安時代から皇族や修行者の隠棲の地であったとされていて、寺伝では往生極楽院は平安時代の986年に恵信僧都源信が建立したと伝えられることから古くからの祈りの里だった歴史があるようで、第3代の天台座主の慈覚大師・円仁により天台声明の根本道場が開かれた地でもあるとされています。
その円仁は、後に比叡山の山門派(円仁派)に祀られ、三井寺に移った寺門派(円珍派)との派閥対立にも登場する僧でもあります。



穴太積みの石垣に囲まれた御殿門は、城門のような佇まいがあります。
観光地として有名な三千院ですから、門を出入りする人が途切れるのを待つのがなかなかでしたけどね。

門には「梶井門跡 三千院」と「国宝往生極楽院」の寺院表札がかけられていて、「梶井門跡」は平安時代に門跡寺院の時の寺名で明治維新後に移転してきた寺院のこと。
「往生極楽院」は、大原で円仁により開かれ、良忍上人(平安後期の天台僧)が集大成した声明の地にあった寺院のこと。
明治維新後に往生極楽院を梶井門跡が取り込む形で三千院となった歴史があるようです。



客殿から宸殿へつながる間には「聚碧園」という庭があり、縁側に座って見ていると落ち着くというか、うつらうつらと現(うつつ)を抜かしてしまいそうになります。
宸殿には伝教大師作と伝わる本尊の薬師如来像が安置されていますが、こちらは秘仏として非公開となっていて見ることは出来ません。



宸殿から表へ出ると、あっけないほどすぐに往生極楽院に着きます。
重要文化財に指定された往生極楽院阿弥陀堂の建物も見ごたえがありますが、外からでも見える「阿弥陀三尊像」が気になってしょうがありません。
すぐに中へ入りましたが、さすが国宝だけあって見事な荘厳さを持った仏像でした。





阿弥陀三尊坐像は平安時代後期の作で中心に安置されているのは丈六の「阿弥陀如来坐像」で、来迎印を結んでいます。
中尊は像高が約195cmの高さがあることから、像を収めるために天井は船底天井という船をひっくり返したような造りになっているとのことです。


ポストカード

船底天井にはかつて極彩色の絵が書かれていたとされ、現在ではほとんど見えなくなってしまっています。
三千院の境内にある円融蔵という展示室に船底天井が復元されていて、色鮮やかに菩薩などが描かれた天井がを見ることが出来ました。



三尊の脇侍には左に「勢至菩薩坐像」、右に「観音菩薩坐像」が安置されており、これが有名な大和座りの仏像かと興味深く眺めていました。
大和座りは正座とは違って、膝を少し開き、前屈みの姿勢から今にも動き出そうとする姿が伺えます。


ポストカード

観音菩薩坐像も蓮台を捧げる姿をされていて、往生した者をこの蓮台に乗せて極楽浄土へ連れていくような意味もあるそうです。
この阿弥陀三尊と色彩鮮やかな船底天井を見た平安時代の人はさぞやど肝を抜かれたでしょう。


ポストカード

三千院といえば、苔の庭にある「わらべ地蔵」が有名ですね。
この日も「極楽往生院」をスルーして「わらべ地蔵」の写真を撮ってる人が多かったですよ。
三千院は、仏像ファン・庭園ファン・撮影ファンなどいろいろな趣味の人がそれぞれ楽しめる寺院かと思えます。





三千院は呂川と律川という2本の川に挟まれた場所にありますが、紫陽花苑から律川のほとりへ向かうと「売炭翁石仏」という鎌倉時代中期の石仏がありました。
「大原の石仏」とも呼ばれる2.25㍍の大きさで、三千院のHPでは『おそらく「欣求浄土」(ごんくじょうど)を願ったこの地の念仏行者たちによって作られたもの。』とされています。



「売炭翁石仏」の“売炭翁”とは、炭の生産販売をする人々のことをいい、かつて炭竈があったところから名付けられたといわれます。
炭焼きといい、薪を売り歩く大原女といい、大原には山中ならではの生活スタイルがあったようです。
現在の大原も観光地化されているとはいえ、緑と清流に囲まれた静寂の地ということには変わりはないのかもしれません。

続く...。  


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初夏の蜻蛉と蝶と蛾をパチリ!

2017-07-02 17:10:10 | 花と蝶とトンボと昆虫
 今年の梅雨は雨の日が続いて困るという感じではありませんので、梅雨の晴れ間という言葉は合わないように思いますが、時々晴れ間が出ていましたのでフィールドを巡回しました。
もう田圃に植えられていた麦はすっかり収穫されてしまい、稲の緑ばかりが目に入ります。

早いもので蓮の一部は花を開いており、ねむの木もピンク色の花を付けています。あちこちで見かける紫陽花はピークを過ぎたものもありますが、今が見頃といったところ。
夏も近しといった雰囲気が漂ってきていましたので、初夏の蜻蛉と蝶と蛾をパチリ!です。


蓮の葉の下で交尾するシオカラトンボ


蓮の葉の上でお尻上げするショウジョウトンボ

蝶の方はまずはウスバシロチョウ。
シロチョウと名が付いていますが、アゲハチョウ科ウスバシロチョウ亜科になり、ウスバシロチョウ亜科の仲間には「ギフチョウ」と「ホソオチョウ」がいます。
ホソオチョウは外来種で分布を広げているようですが、こいつは一度も見たことがない。今年は会えるかな?



次はキマダラセセリ(多分)
セセリチョウの仲間やシジミチョウの仲間ってすぐスルーしてしまいそうになります。



テングチョウは毎年数は多く出てくれますね。
羽を閉じた姿が多いのですけど玉に羽を開いてオレンジ色の紋を見せてくれます。こいつは見せてくれませんでしたけどね。



“黒に白ライン”でよく似た仲間が多いイチモンチョウ亜科ですが、こいつはミスジチョウ。
羽のラインで見分けられるそうですけど飛んでいるやつを見分けるのって困難ですよね。



さて蝶ではなく蛾なんですが、毒々しい蛾のイメージのないのがこのキンモンガ。
蝶と蛾ではここが違うという明確なものはないようでありますが、こいつは蝶と呼んでも違和感はなさそうなやつです。



家の近くで“木の葉が飛んできた!”と思ったけど動いていたので見直してみたら蛾でした。
カギバアオシャクという蛾のようですが、木々に留まっていたら葉っぱにしか見えませんね。



梅雨が明けたらいよいよ夏本番。
毎年今頃の季節になると“今年こそ水中カメラを買って素潜りでパチリ!”と思うのですが、いつも買いそびれたままシーズンが終わってしまいます。


コメント (2)
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