僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

野洲市の勧請縄~須原・堤・六条・吉川~

2024-02-29 07:17:17 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 勧請縄は村に悪霊や疫病が入って来ないように村境に吊るして結界を張ったことが始まりとされており、滋賀県では湖東・湖南地方に集中しています。
年頭に五穀豊穣や村内安全を祈る祭りとしては、「湖北のオコナイ」と「湖東・湖南の勧請縄」がありますが、祈りの根源は同じようなものかもしれません。

勧請縄は東近江市や近江八幡市に特に多くみられ、日野市・竜王町・湖南市・甲賀市・野洲市・守山市・栗東市・大津市に集中しています。
稀なものとして高島市や長浜市にも例外的にみられるものの、大半は滋賀県を四等分にすれば右下の地域に固まっています。



今回は野洲市の勧請縄でまだ見たことのない勧請縄を巡ることになり、最初に須原集落の苗田神社を訪れました。
野洲市には「兵主大社」という大きな神社があり、苗田神社は兵主二十一社の内の一社になり、御祭神には稲田の神とされる稲田姫命を祀る。



勧請縄は鳥居の横の道路に面した場所に下げられている。
かつては竹を横に通してそこに主縄が付けられていたようですが、現在は化学繊維の主縄に変わっていました。



小縄は細縄を束ねて榊の葉と白幣を付けたものを左右3本づつ下げており、中央にトリクグラズが下げられています。
トリクグラズは丸型の円盤状に3本格子を入れて、杉の葉を沿わせたものとなっている。



榊の葉を結んだ小縄は境内の祠や石塔など各箇所に下げられていて、本殿や境内社の祠にも下げられています。
境内社は本殿の左に稲荷社、右に日出神社と写真にはないが愛宕大神がお祀りされています。



本殿の板囲いの前には見るからに古そうな七重石塔(仁王塔)が祀られており、こちらにも小縄が下げられている。
七重石塔は鎌倉時代の作とされていて、花崗岩の劣化は目立つが四方仏坐像などははっきりと読み取れる。





次に訪れたのは堤集落に狩上神社の勧請縄でした。
狩上神社も兵主二十一社の1社にあたり、兵主神社の北方守護神としてお祀りされているという。
この辺りは勧請縄を下げる習慣のある集落が隣接しているので、次の勧請縄のある場所への移動は少ない。



狩上神社の御祭神に事代主神をお祀りし、狩上とは開田の意とするといいます。
堤集落の勧請縄は主縄がなくトリクグラズだけが本殿の板囲いに掛けられてありました。



トリクグラズは丸十型でスギの枝葉が束ねられている。
ユズリハと紙垂が付けられた小縄が一組だけ束ねられて下げられています。
須原と堤は隣接した集落のため、勧請縄の傾向が多少似ている部分もあるにはあるが、集落独自の個性の違いは大きい。



須原・堤に隣接する東方向の五条集落に兵主大社の広い境内地があり、兵主大社に隣接する六条集落の村外れの三ノ宮神社に勧請縄があります。
三ノ宮神社の勧請縄は、鳥居をくぐった参道の両脇にある木に吊るされてる。



勧請縄は左はスギの木にくくられ、もう一方は枯れ木にくくらている。
小縄は左右3本づつ下げられており、特徴的なのは主縄の中央部に別の太い縄を付けていること。



太く短い主縄の下にトリクグラズが下げられていて、この形式の勧請縄は他では見たことのない形となっています。
これは、集落ごとに違いがあり、2つとして同じものはないという勧請縄ゆえということになります。



トリクグラズは、丸型の中に縦横6本の格子が入り、交点に結び目がある。
結び目は「目」として悪いものが入ってくるのを防ぐためといわれる。



三ノ宮神社は、兵主神社二十一社の1社にあたり、この地方における兵主大社のかつての規模の大きさが伺われます。
御祭神は高光照姫命で、 一般的には縁結びの神の御利益がある女神とされています。



野洲市には「行事神社」「新川神社」「屯倉神社」にかなり個性的な勧請縄があるが、今回はまだ見てない勧請縄ということでパスします。
野洲市で最後に訪れたのは吉川集落にある「矢放神社」でした。



しかし残念ながら矢放神社の勧請縄は確認出来ずでした。
五芒星を形どったトリクグラズということでしたが、ここでは短い期間で取り外されて燃やされてしまわれるようです。
勧請縄は年頭に新しいものに取り換える集落があれば、切れるまで下げておく集落もありますが、短期間で取り外される集落も幾つかあるようです。



野洲市の神社で気になったのは境内に「神武天皇遥拝所」の石碑がある神社が多かったことでしょうか。
これらの碑は1940年の神武天皇即位2600年目の「皇紀2600年」に作られたともいわれていますが、それがは太平洋戦争前年のことでもありました。


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2024年「長浜盆梅展」✖早川鉄平さんの切り絵コラボ

2024-02-25 16:08:08 | 風景・イベント・グルメ
 「長浜盆梅展」は今年で第73回目の開催を迎えて、梅の香りを届ける湖北の春の風物詩となっています。
昨年に続いて今年も雪が降ったのは一度だけで、雪に埋もれることはなく、厳冬の季節を実感する事が減ってきています。

田舎道を歩いていると、薹が立ったフキノトウが花を咲かせているのに気付いたりしますから、季節が巡るのは早いものです。
ウォーキングをしていても梅の花が咲いているのを見かけますので、そろそろ見頃かと思い長浜盆梅展に訪れました。



盆梅展は、今年で4年連続となる米原の切り絵作家・早川鉄平さんとのコラボと夜間特別企画「盆梅と竹灯り」が開催されています。
会場となる「慶雲館」は、明治天皇皇后両陛下が京都行幸啓の帰路に滞留されるために建てられた建物で、国の名勝の指定を受けています。



門から前庭に入ると道の両端に竹灯りが灯されており、幻想的な雰囲気で迎い入れてくれます。
盆梅も幾つか配置されていて、梅の花と竹灯りのやさしい光と大きな大灯籠や巨石の庭石など前庭にして見ごたえのある庭です。



慶雲館は元からあった本館と新館があり、まず「玉座の間」のある本館の2階へ上がります。
竹灯りが並ぶ階段を登っていくと、盆梅と竹灯りの饗宴の間となっており、後方の書は犬養毅の「天行健」の書。



部屋から池泉回遊式庭園の主庭を見降ろすと、竹灯りのライトアップと円錐状に雪吊りした庭木の対比が面白い。
かつてはこの庭の向こうに琵琶湖を眺望することが出来たといいますので、琵琶湖を借景とした見事な庭だったと想像されます。



盆梅展のハイライトは本館の一階の間で、壁側と縁側に沿って大きな盆梅が並びます。
長浜盆梅展で最も歳を重ねた梅が「不老」で樹齢は伝400年、高さ240cm・直径60cmの大きな古木です。
まだ蕾がありますが、係の人の話だと“咲くのが早すぎて盆梅展終了までもたないかも”と心配しておられました。



リフレクションに照らし出される人気の撮影スポットには、その樹形が不老長寿を感じさせるという蓬莱の白梅が見頃です。
左右下後ろの4面が鏡面になっているので写り込みが面白いのですが、人の姿までもが影のように写ってしまうのが難点です。



下は実物の蓬莱を写した写真。



次はリフレクションの蓬莱。



館内に展示された盆梅の開花状態には差がかなりありましたが、部屋にはほのかな梅の香りが漂っていました。
もう春近しということで、これからの季節は里山を出歩くたびにスプリング・エフェメラルに出会えるかもしれませんね。



1階の縁側から見た主庭の竹灯りです。
庭を歩いて見たかったけど、夜間は安全のため庭に出ることは出来ないのが残念。



主庭には2匹の鯉の竹灯りのモニュメントがあります。
中国の黄河にある「竜門」という滝を登った魚は竜になると伝えられており、登り切った魚は鯉だけだったという故事があるという。

この「竜門」のことを「登竜門」といい、登り切った鯉は立身出世のシンボルとして「鯉の滝登り」という言葉になったという。
そんな故事にちなんで、夫婦の鯉が竜になるイメージを描いたとされ、その竜は今年の干支になる。



渡り廊下を通って新館にはいるとまずは早川鉄平さんの鯉の切り絵と盆梅のコラボが展示されています。
竹灯りも切り絵も竜になる鯉をメインにしているのが面白いですが、鯉が竜になるのがテーマになっているのはヒネリが効いている。



新館の盆梅は蕾が多かったのが残念でしたが、琵琶湖をイメージしたと思われる湖面にある盆梅は開花まであと僅か。
屏風の上には宙を舞う竜の姿が垣間見えています。



反対側の壁には宙を舞う竜の姿がアニメーションで映し出されます。
今年の盆梅展は干支の辰を主題に置いて、鯉と龍の故事とうまくつなげていて面白い展示でした。



最後は、空を飛んでいく竜の姿の動画です。




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近江八幡市の勧請縄~王ノ浜・小船木・森尻~

2024-02-22 06:25:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 勧請縄は、村境や神社の境内に呪物を付した注連縄を吊るす民俗行事で、道切りと呼ばれることがあり、滋賀県では湖東・湖南地方に集中しています。
トリクグラズと呼ばれる呪物は集落ごとに独特の様式があり、吊るし方にも違いがあるものの、年頭に村内安全・五穀豊穣・疫病退散などを祈念するという願いは共通です。

近江八幡市の白王町王ノ浜の「若宮神社」は、現地でどうしても場所が分からない神社でしたが、事前に地図を調べて場所を特定してから訪れました。
勧請縄を吊るす神社というこもさることながら、王ノ浜若宮神社の御祭神が「惟喬親王」ということが訪れる動機をなっています。



惟喬親王は皇太子として天皇に即位するはずであったが、弟宮の母親が太政大臣・藤原良房の娘であったため、後ろ盾の力関係により表舞台から退くことになったという。
晩年は、京都大原の地に隠棲して病没されたとされますが、滋賀県の愛知川源流の小椋谷に19年間暮らして轆轤の技術を伝授したという伝説もあります。
この話を起源として惟喬親王は「木地師」の祖とされ、小椋谷は「木地師集団の支配所」として全国の木地師たちの保護・統括をしていたという。



琵琶湖や西の湖近くのにある白王町王之浜では都を逃れた惟喬親王が琵琶湖の「宮ヶ浜」(近江八幡市)に上陸し、当地に隠れ住んだという伝説があります。
惟喬親王は「この地で手芸や細工を教えられた」との伝説が残り、王之浜若宮神社の御祭神として祀られています。

王ノ浜集落は西の湖に近い大浜山の麓にあって民家の数も少なく、神社を探すのに難儀しました。
神社は集落のさらに端にありましたが、鳥居に勧請縄が掛けられているのを見て一安心です。



勧請縄は主縄の下に大きく束ねた小縄が左右2本づつ下げられ、中央にはトリクグラズ、その上に小幣が3本立てられてある。
トリクグラズは円形の輪に大量の枝葉が付けられており、小幣には紅白の紐が水引のようにくくられています。
王ノ浜の勧請縄はかつては境内を横切るように長い主縄が吊るされていたようですが、今は鳥居に掛けられる長さになり、小縄も少なくなっているようです。



拝殿から本殿の間は屋根があるのですが、本殿は石段が組まれた上に祠が祀られており、石段の左右は注連縄で結界が切られている。
寂寞とした場所に祀られている神社ですので、平安の世に皇子が隠れ住んだとの伝説を思い起こしてしまうような場所でした。



次に小船木町の諏訪神社にある勧請縄を探しに行きますが、村の小さな神社はナビには出てこないので該当する町内を探すことになります。
田圃が迷路のような分譲住宅地になっていたり、古い集落では極端に細い道を通ることになったりとなかなか難しい中、やっと発見。



境内に入るとまず注連縄を巻かれた御神木が見えてくる。
内部が空洞になって痛々しいものの、若い枝が延びて生命力の強さを感じさせる。



反対側に回り込むと、注連縄は円形の部分を残して結ばれています。
環境庁のデータベースでは樹種はシラカシ、幹周375cm・樹高15mで健全度は一部枯損となっています。



勧請縄は境内の裏側、ちょうど八幡山が見える方向に向けて吊るされています。
小縄にはカシとマツの枝葉が付けられて、本数は13本なのは今年が閏年ゆえということ。



西邑泰郎さんの「勧請縄ー個性豊かな村境の魔よけー」では、ここは近江八幡に通じる古い道の起点になるので昔は「道切り」で路上にあったのではと推測されています。
神社裏側の方向には八幡山や近江八幡の古い町があり、方向が北東ですので鬼門封じの意味もあるのかもしれません。



トリクグラズは円の中に十字に枝を挿してカシトマツの枝葉を大量に付けている。
この変わった形をしたトリクグラズは「鬼の顔」を模しているといい、鬼の出入口方角とされる鬼門を「鬼の顔」をした呪物が守っているようにも思えます。



諏訪神社の御祭神は健御名方命(タケミナカタノカミ)で水神である竜神や蛇神の姿で描かれることがあり、狩猟や農耕の神とされています。
本殿の囲いの中には1372年(南北朝期)に寄進されたという石灯籠には「小舟木町 惣中」とあり、小舟木が惣村を形成していたことが分かるとされます。



森尻町の八幡神社もあると知って探さなければほぼ見つからない場所にあります。
勧請縄を探すのに困るのは、集落の中に車を乗り入れると通行するのが困難な道が多々あることで、地元の方は慣れているでしょうけど他所者はかなり苦戦します。



八幡神社の勧請縄は本殿の覆い屋に直接吊るされ、左右6本づつ下げられた小縄は中央寄りの3本が束ねられている。
縄は手編みではないようだが、簡略化しつつも伝統行事を残しているようです。



トリクグラズは円形に丸められた枝にスギの葉が付けられています。
主縄には竹を割って作った小幣が挿され、それぞれに紙垂が下げられています。



森尻町の勧請縄の変わったところは、社殿の横にある木にも勧請縄が巻かれていることです。
御神木ということになるのか分かりませんが、かつてはもっと広い境内地に森があり、勧請縄は道切りの形で吊るされていたのかもしれません。



近江の村落には独特の信仰や伝統行事が幾つか残り、年頭行事の「勧請縄」や湖北では2月頃に行われる「オコナイ」があります。
それ以外にも「野神さん」や「山之神」への信仰や観音信仰や村落独自のお祭りなど、村落特有の信仰や伝統的行事があり興味深く感じています。


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糠塚町・伊庭町・能登川町の勧請縄~個性豊かなトリクグラズ~

2024-02-16 06:07:07 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 勧請縄は村の外れや神社の鳥居や参道に村中安全や五穀豊穣、病魔退散などの願いをこめて吊るされる魔除けです。
勧請縄の行事は、山之神や野神さんを始めとする自然信仰や神道・仏教・道教・修験道・陰陽道などの影響を受けつつも、集落独自の形状で伝えられきたようです。

勧請縄は集落ごとに2つとして同じものはなく、多様性に富んで個性豊かなものが多く、見る者に驚きを与えてくれます。
ただし、少子高齢化などの影響もあって、継続することが難しくなり途絶えてしまった勧請縄は多く、段々と貴重な民俗行事になりつつあります。



湖東や湖南の集落の神社には勧請縄の伝統が継続されているところが多く、東近江市糠塚町の「巽神社」にも勧請縄があります。
「巽神社」の御祭神は五十猛命という聞き慣れない神様ですが、イザナギ・イザナミの子であるスサノオの子とされ、林業の神として信仰されているという。



勧請縄は境内の奥の森の中に吊るされており、この方角に赤神山と太郎坊宮があるのは偶然ではないと思います。
主縄は2本の木に吊るされて、小縄は閏年ゆえか左右6本・7本で13本の小縄が下げられている。

カシの枝で造られた円形のトリクグラズには絵馬型の祈祷札があり、中央に“勧請済”、左右に“五穀成就”“町内安全”と書かれています。
勧請済とあるのは神社での祈祷が終わっているということですが、巽神社では仏教系ではなく祓詞を書いた神道系の祈祷札を奉納するそうです。



トリクグラズの先にある家の屋根の上に見えるのは赤神山(太郎坊山)の南峰で、左に小脇山や岩戸山が見えます。
地図で見るとこの周辺には勧請縄が奉納されている集落がいくつかあり、信仰と伝統を守り続けている一帯かと思います。



本殿にお参りすると祠にも小さな勧請縄が掛けられています。
神主らしき方に“ここにも勧請縄が掛けられているのですね。”と話しかけてみると、巽神社には3ヶ所に勧請縄を掛けているとのことでした。



ひとつは境内の森の中にある主となるもの。
もうひとつは本殿に掛けられ、最後のひとつは野神さんの祠に掛けられていました。
聞いてみなければこの祠が野神さんを祀るものとは分からないので聞いて正解でしたが、この地域では野神さん・勧請縄・山之神などの信仰が盛んです。



境内の片隅に大量の竹が干されていて何に使うのか聞いてみると、松明を作る時にこの竹で縛るということでした。
近江八幡界隈では火祭りが盛んで、代表的なところでは「左義長まつり」がありますが、各集落の神社の祭礼として伴う松明行事(火祭り)も行われているようです。
「近江八幡の火祭り」は国の無形民俗文化財になっており、火祭り神事が根強い地域なんだと感じられます。



次は同じ東近江市の伊庭町の勧請縄を見に行きますが、「大濱神社」の勧請縄は典型的な道切りの形式となっています。
大浜神社の御祭神は須佐之男命で、古くは牛頭天王と称えられたが明治4年に社号を改めたといいます。
牛頭天王は神仏習合の神でスサノオの本地の化身ともされましたので、神仏分離令で仏教色が排除されたのかもしれません。



大浜神社の前の道は集落内の主要道路となっていて車が行き交うような道ですが、そこに道切りの形式で勧請縄が掛けられています。
車の走行がありますので吊るされている位置が高くなっていて、トリクグラズはかなり大きなものとなっています。



トリクグラズは大きな丸型に三本井桁を組んで、紙垂を3本挿して下に小縄を結んでいる。
主縄には24本の小縄が密集するように下げられていて、通行する者が必ず目にするような位置にある勧請縄になっています。



大濱神社はこの日祭典の日だったようで、昼時だったこともあって社務所からにぎやかな声が聞こえていました。
大濱神社の拝殿の隣にある仁王堂は「伊庭祭坂下し」など祭礼の舞台となるところで、昨年訪れた時は堂内いっぱいに藁を積み上げて祭の準備をされている日でした。



大濱神社と隣り合わせる場所にある「高木観音」にも勧請縄が吊るされており、傾向としては大きな丸型に三本井桁、紙垂を3本というところは似ています。
違うのは主縄に小縄を下げていないのと、トリクグラスに下げられている小縄の数が多いところになります。



大濱神社の勧請縄と比べると、高木観音の勧請縄に下げられた枝葉は枯れていますので、吊るされた時期が高木観音の方が早いように見えます。
隣り合わせた神社と観音堂に吊られる勧請縄は同じ方々によって吊られているのか?はたまた別の方々なのか。



トリクグラズには円型のもの、絵馬や祈祷札を付けたもの、天狗の顔・五芒星・弓矢・牛の角を模ったものなど多様性に富みます。
そんな中でかなり特徴的なのは、長勝寺前の勧請縄ではないでしょうか。



トリクグラズは、スギの枝葉で丸く作ったものを3つ並べて主縄の中央に付け、これは「竜の目玉」と呼ばれる。
竜の目玉の真ん中のものには奥にある長勝寺の祈祷札を取り付けています。
竜の目玉で睨みつけ、祈祷札で村内を防御する強い意志が感じられる勧請縄です。



今年が辰年だということが頭の片隅にあるのか、勧請縄の主縄や神社の注連縄から龍の姿を連想してしまいます。
村境に勧請縄を吊るすのは、龍を邪気や悪霊の侵入を防ぐ守護神とし、繁栄をもたらすものとする信仰なのかもしれません。


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やまなみ工房『山と湖』展 vol.02~@湖のスコーレギャラリー~

2024-02-12 18:10:10 | アート・ライブ・読書
 “地域の食と、ものづくり。長浜からはじまる暮らしの学び。”をコンセプトに開業された湖のスコーレの2周年にあたり『山と湖』展 vol.02が開催されています。
「湖のスコーレギャラリー」では年間を通して「やまなみ工房」の作家の作品を展示されていますが、今回の『山と湖』展は作家数が盛り沢山の美術展になっています。

今回の美術展では「やまなみ工房」に通われている90数名の作家の中から25名の作品を1点づつ展示されており、個性的な作品群が並びます。
知らない作家の作品を含めて色彩豊かで力強さを感じる作品が並び、それらの絵は生き生きとして輝いて見えます。



館内には1Fのエントランスに展示されていた1枚、2Fには24作品が並び、よく美術展で見る「やまなみ工房」の作品以外の絵が選ばれているように感じた。
粘土作品やダンボールや繊維などを使った立体作品はなく、カラフルで色鮮やかな作品を選定したかのような華やかさがあります。



四白さんの「キース リチャーズ2」はテレキャスターを持ったキースでしょうか、エレキギターをかき鳴らすキースを描いた作品です。
四白さんはキース リチャーズの他にもデヴィッド・ボウイやイギー・ポップも描かれているようで、70年代くらいのロックを好まれているのかな?



意図的に絵の具を流したような作品は、左が鵜飼裕之さん、右が榎本朱里の作品で両方とも「タイトル不明」となっています。
共に力強い作品ですが、特に右の榎本さんの作品は深山の森林の中で流れ落ちる滝を描いたような印象があって魅かれる作品です。



左のアクリル絵の具を押し付けたように描かれた作品は、藤木敦仁さんの「タイトル不明」。
右のアルファベットの文字を書き連ねた作品は、宮下幸士さんの「英語」。
英字新聞の文字を書き写した作品のようですが、言葉の意味は彼のみぞ知るといった感じです。



貼り絵教室を営む祖母の影響を受けたという服部大将さんの「無題」は包装紙を下地にして油性ペンと色鉛筆で描かれています。
図鑑等からモチーフとなる素材を選ばれているといい、この魚群はお魚図鑑から選ばれたのでしょうか。



「弦楽四重奏曲No.15 /ベートーヴェン」を描かれた森雅樹さんは、ジョン・ケージのアメリカ実験音楽に影響を受け興味を持つようになったそうです。
スティーヴ・ライヒや武満徹などの現代音楽、灰野敬二などのノイズミュージック、オルタナティヴ・ロックやポスト・モダン音楽を好まれるという。

デザイナー学院でグラフィックデザインを学ばれたことがあったようなので、絵の技術はありつつも、前述の音楽に影響された作品もあるようです。
弦楽四重奏曲第15番を聞いたことはありませんが、この弦楽四重奏曲は晩年近くのベートーベンが重病で中断しながらも書き終えた曲だという。
シンプルでミニマムな絵にはそんな時代のベートーベンの心境に投影するものがあるのかもしれない。



赤や黄色の下地の上にたくさんの丸が描かれている作品は、北村悠さんの「タイトル不明」。
現代美術のアブストラクトのような作品は、電車や新幹線等の大好きな鉄道の書籍を机上に置いて場と整えると、彼女の制作活動は始まるのだという。



一人一作品なので作風を垣間見ることは出来なかったものの、選りすぐりの作品揃いでアアートの持つエネルギーを感じることが出来ました。
滋賀県では世界的に有名な作家の美術展は稀にしか巡回してきませんが、アールブリュット作品に出会う機会は多いですね。


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滋賀大学✖やまなみ工房アールブリュット~湧き上がる創造性が結実する場とは?~

2024-02-08 17:18:18 | アート・ライブ・読書
 「やまなみ工房」は、滋賀県甲賀市にある知的・精神・身体に障がいを持った人たちが利用している福祉施設であると共に、日々アート作品を生み出している場でもあります。
思いのままに自分の世界を映し出す作品群は、県内外各所で展示され、なかには世界的に評価されている作家の方を生み出しています。

滋賀大学と「やまなみ工房」は、連携協定を結んで多様性を尊重する社会の形成をめざして協力することになり、そのキックオフが今回のアールブリュット展とのことです。
滋賀大学では今後設立予定の新棟に「やまなみ工房」の作品を常設予定としていますので、教育学部のみならずデータサイエンス学部からの視線での考察が期待できます。



滋賀大学は彦根城のお堀を挟んだ彦根城の一角のような場所にあり、アールブリュット展は大正時代に建てられた講堂の中で行われます。
学内に入ってレトロ感の漂う講堂に入るとまずインパクトのある作品が目に入り、その迫力に度肝を抜かれます。



一番左の作品は吉田楓馬さんの「シリトリモンスタ-」という作品で、廃材のようなものを組み合わせてモンスターが積みあがった作品。
吉田楓馬さんは30歳くらいの若い作家ですが、21歳から「やまなみ工房」に通って創作活動に打ち込まれているそうです。
日々の葛藤の中で不安感や負の感情と向き合いながらも、日々作品を生み出しておられているようです。



保育園の頃に見た仮面ライダーの番組では、仮面ライダーではなく魅了されたのはやられ役の怪人の方だったという。
作品は怪人やシマウマが積み重なって出来ており、タイトルがシリトリモンスターなんでシリトリになっているのか考えてみたが繋がらなかった。



隣に展示されているヒトガタは栗田淳一さんの「無題」で、人体図をデフォルメして作ったような作品でインパクトがあります。
死者なのか聖なるものなのか捉え方は個人の自由ですが、この切迫感に気圧される気分になります。



同じ作品を裏側から見ると、そこには頭部に仮面のようなペルソナな顔、腹部には本質と感じられるような本体があるように見える。あるいは逆かも?
吉田さんの栗田さんの共通点は、十代の時に病を発症して二十代のある時期からやまなみ工房へ通うようになった30代の青年です。

違うのは栗田さんは芸大に在籍していたことがあり、フィギュア製作の学校にも一時期通っていたこと。
いづれも病の影響により退学されていますが、美術教育を受けた栗田さんがアールブリュットを模写する事が、自分自身のアールブリュットを探す行為となっているという。



糸を縫ったり刺繍をしたりして作られた作品は、山崎菜那さんと瀧口真代さんの作品です。
「やまなみ工房」では絵画・陶芸や粘土工芸・立体など多様な作品を作られていますが、その中のひとつに生地や糸やボタンなどを使った作品群があります。

左の山崎さんは、きれいな洋服やおしゃれへの憧れから縫い重ねるように作られた作品は一点物の洋服を仕立てるが如く。(「タイトル不明)」
右の瀧口さんの作品は布地に糸を変えながら何度もかがり縫いを繰り返すため、鮮やかな鱗のように見えるため「かいじゅう」のタイトルが付けられているという。



滋賀県でアールブリュット展は美術館で開催されることもありますが、古い建造物の中で展示されることが多々あります。
今回も大正期のレトロな講堂に展示されており、普段一般人が入れない場所で見る美術展はレトロと現代美術がうまく融け合っています。



講堂の左側にはKATSUさんの3枚の絵が展示されており、それぞれ「メトロポリス」「タワーシリーズⅢ」「タワーシリーズⅡ」とタイトルが付けられています。
絵は建物が構築されてゆくかのように上へと細かな線で積み上げられていて、いつ完成するとも知れないガウディのサグラダ・ファミリアのようにも感じられる。



今回の展示作品は作家17名・約40点の作品が展示されており、場所が講堂ということで作品間の距離があるので空間の良さを満喫出来ます。
会場には訪れる人が絶えず、駐車場には他府県ナンバーも多く、鑑賞されている方はじっくりと見ておられてアールブリュットへの関心の高さが伺えます。



井上優さんは70歳を過ぎてから絵を描き始めたといい、現在「やまなみ工房」で最年長の方のようです。
70歳まで眠っていた絵の才能は、70歳で描き始めることで開花し、大きな紙に連なる人の姿を描かれています。



上の絵は「ひと」というタイトルが付いており、下の絵は「女の人」と名付けられている。
描かれた人の姿はシンプルながら生き生きとしており、みな鑑賞する人の方を見つめています。



宮下幸士さんの「日本の地図」は、実際には存在しないようで実は存在する彼の視点の中にだけ存在する町の地図に見える。
細かく書かれた地名は存在する自治体名や地名だったり、人の名前のだったりするが、街は濃く描かれたビルから放射線状に広がりを見せます。



田村拓也さんの絵画は、人の姿が升目状にカラフルなマーカーで塗分けられている。
色の選び方に規則性があるのかと思いきや、そうでもないようです。



城谷明子さんは雑誌や画集から選んだ人物や動物等がモチーフとなるようで、絵の中にモチーフが溢れんばかりに描き込まれています。
1枚目は「海洋生物」と名付けられていろいろな魚が描き込まれており、2枚目は「モンゴルの人とドイツの人」という不思議なタイトルの絵です。





「やまなみ工房」の施設長の山下完和(まさとさん)に恋する鎌江一美さんは「やまなみ工房」でも特に知名度が非常に高い方のひとりです。
ヒダのように粒々とした突起物で覆われた作品は何か別の世界からやってきた生き物のように見えるが、これは「まさとさん」をモデルにした作品です。
(「私がプレゼントしたひざかけを使うまさとさん)」



「やまなみ工房」の山下施設長は「障害のあるなしに関わらず、一人ひとりの得意なことや大好きなことをお互いに認め合える社会になって欲しい」と話されているという。
「お互いに認め合える社会」というのは簡単そうで実は難しいことなんですけどね。




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八日市市・安土町の勧請縄を巡る!~「道切り」的なもの(市辺町・内野町)~

2024-02-02 17:20:30 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 勧請縄は神社の参道や鳥居に吊るされることがあれば、集落の外れの村境や道を切るように吊るされる場合があります。
共に悪いものを村内に入れず、村外に悪いものを追い出すための魔除けということになり、村境に祀る巨樹など野神さんの信仰にも相通じるものがあります。

滋賀では湖東・湖南地方に勧請縄や野神さんや山神さんの信仰などがあり、湖北地方では野神さんや山神さんは巨樹への信仰となっている場合が多い。
湖北には「オコナイ」神事があり、湖東・湖南には「勧請縄」が神事として行われることから、近江はオコナイ文化圏と勧請縄文化圏に分化しているようです。



市辺町の勧請縄は村境にあって魔を入れない道切りとなっており、村の東の外れと西の外れに勧請縄があります。
市辺の勧請縄は以前は道をまたいで吊る道切りの形を取っていたそうですが、今は耕地整備後の空き地に勧請縄は吊るされています。



小縄は13本吊るされてあり、中央の大きなトリクグラズには絵馬型の祈祷札と卒塔婆の形をした12光仏が扇のようにして付けられています。
2022年に訪れた時と小縄の数が変わっている(202年は12本、2024年は13本)のは今年がうるう年だからと考えられます。
市辺の勧請縄は、絵馬や卒塔婆型の12光仏など仏教との神仏習合の傾向が強く見られ、かなり特殊な祀り方との印象を受けます。

絵馬には廬舎那発心を中心に神力演大光・普照無際土・消除三垢冥・広済衆厄難。
これは神仏の加護を願いって厄災を除かんことを願うときに用いる回向文とされる。
十二光は、阿弥陀様の光明を無量光・無辺光・無碍光・無対光・燄王光・清浄光・歓喜光・智慧光・不断光・難思光・無称光・超日月光の功徳に分けたものだという。



勧請縄が掛けられている場所の近くには「山の神」「相の神」「野の神」の石碑が祀られています。
村の外れにあたること場所が市辺集落の信仰の地となっているようです。



市辺集落の東の境にも勧請縄が吊るされているが、東の勧請縄に主縄はなく、トリクグラズだけが壁掛けのように吊るされている。
杉で造られた輪に12光佛の小札が放射状の差し込まれ、下部に小縄が束ねられている独特の形体です。



中心には絵馬の形をした祈祷札が吊るされているが、半分に割れた状態となっています。
絵馬の真ん中には「奉勧請大般若十六善神」と書かれ、一番上には梵字で何か書かれているが意味は分からない。



案内板が横にあって“明治になり神仏分離令で、仏の祈祷札は割られ、後に神社から橋前に移され、次に此処に移った”ありました。
市辺ではこの「仏の祈祷札は割られ...」の部分が現代も継承されているのでしょうか。

西老蘇の鎌若宮神社でも吊り終わって御祈祷が終わった勧請縄の祈祷札を子供たちが石つぶてを投げて割ります。
この2つの行事に相関があるのかどうか?



安土町内野の勧請縄は典型的な道切りの形状となっており、八幡神社から集落内を抜ける真っすぐな道の途中に勧請縄が吊るされています。
琵琶湖博物館には内野集落の勧請縄の原寸に近いレプリカが展示されており、近江の勧請縄の代表的な形式になるようです。



集落の途中に支柱が立てられ、支柱に沿う形で主縄が張られ、小縄が左右6本づつ計12本が吊るされています。
トリクグラズは中央に円形のもので中央には祈祷札が吊るされている。



絵馬型の祈祷札には「天下泰平・村中安全・五穀豊穣」などの願いが込め足られ、裏には12カ月の各月の上に「大・小」と書かれています。
「大・小」の意味は、その月の日数が多い月は「大」、少ない月は「小」だと思います。



安土町の集落内をうろうろしていると「愛宕大神」を祀っているところを見かけることがあります。
愛宕神は「火防の神様」として祀られることがありますが、どんな由来があるのでしょうね。



集落内の八幡神社では取り外した前の年の勧請縄と思われる大繩や藁やスギの葉が一緒に積まれています。
左義長の祭典で燃やすのだと思いますが、左義長祭りは日牟禮八幡宮だけでなく、この地方では集落(神社)単位でつとめられるようです。



この左義長をよく見てみると、なんと龍が巻き付いたような姿となっています。
炎に包まれて昇天していく龍の姿が見たかったけど、いつ燃やし始めるのか分からず神社を後にしました。




コメント
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