ボーダレス・ミュージアムNO-MA美術館で開催されている「文字模似言葉(もじもじことのは)」展は、文字や言葉を、“視る読む聴く”をキーワードにした美術展となっています。
案内文には“人が生きるなかで不可分である文字やことばであるが、そこには単なる情報伝達の手段を超えて、言霊といわれるように、発し語り記す人間の思考や感情のみならず魂さえ宿すこともある。”とある。
NO-MAは一般的な解釈のアールブリュットの美術館と思われがちですが、名称にボーダレスと付いているように障がいのある方のみならず、活躍している芸術家の方の作品が混在しています。
いろいろな経歴を持つ作家たちが、一つのテーマを中心にして作品を展示する美術館という言い方がもっとも適しているのではないでしょうか。
昭和初期の町屋を活かした美術館の門を入るとまず最初に目に付くのは2階から吊るされた6mの布作品で、『わたしは歌う。』と染色されている。
作家は「木原真男」さんで、文字を扱った作品や絵画やオブジェなど空間を使ったインスタレーション作品が多いようです。
今回は《わたしは歌う。》と《思い出よ甦れ》の2作品が会期の前半と後半で入れ替わるということです。
フォントを自ら創り上げていくのは「鈴村恵太」さん。
高速道路の看板に書かれた地名のフォントに強い関心を持ち、パソコンになかったフォントを図形挿入機能を使って文字を製作しているといいます。
並べられた文字に意味はなさそうですが、独特のフォントが並べられた面白い作品です。《高速道路フォント》
「鈴村恵太」さんの高速道路のフォント好きは高じて、高速道路の看板を作成するに至っています。
一見普通の看板に見えますが、甲乙つけがたい恋に迷った先は失恋なのでしょうか。《迷甲乙の恋》
個性的な丸文字のひらがなで紙を埋め尽くしているのは「清水ちはる」さんの《心のままに》。
幼少期に母親を行っていた知育遊びがきっかけだといい、その行為は清水さんの気持が満たされるまで続けられ、このような作品が生まれていた時期は清水さんの気持が安定しないような頃だったという。
文字で埋め尽くすという行為は「八巻清治」さんの作品では、文様ともいってよい細かな文字として描かれます。
作品は密集して文字の書かれたメモを貼り合わせて創られるといい、それをセロハンテープでぐるぐる巻きにしており、文字で表現した作品(メモ)が新しい創造物へと昇華しているように思える。《無題》
今回の美術展で強烈な印象を受けた作家の一人が「元永定正」さんでした。
元永さんは、前衛美術家集団「具体美術協会」の中心メンバーとして活躍されていた方だといい、絵本作家としても活躍された方のようです。
文字は並べられているものの、それは言葉ではなく意味はない。
絵本としての《ちんちろきしし》を音声にした作品が会場に延々と流れていて、これが室内を独特の空間に変えています。
朗読?呻き?言霊?。
その時に身の回りにあった物を叩いたり鳴らしている音も混じる。
ノイズ・ミュージックかインプロヴィゼーションのような印象を受け、あるいは呪術的でもあり、会場には座りこんで目を閉じて音声作品を聞いている人がいたのも印象的でした。
もう一人(組)印象深かったのは「今井祝雄」さんと「林葵衣」さんのパフォーマンス《ことのはディスタンス2021》の記録映像でした。
透明ボードの向こうで1文字づつ読み上げてカードを貼っていく今井さん。こちら側では裏向きに貼られたボードにひたすらに口紅の痕跡を残す。
途中まで気が付きませんでしたが、貼られている文字は「日本国憲法 第9条 戦争の放棄」ではないかと思います。
林葵衣さんは「文字・言葉」の音を“唇拓”で表現して残すとされており、NO-MAの2階のガラス障子にも“唇拓”が残されていました。《ガラスに口紅》
紙粘土に残された“唇拓”の作品も展示。《声、朝、とり、ま》
パフォーマンス「ことのはディスタンス2021」を行われた今井祝雄さんは、今回の美術展のアート・ディレクターを務められており、パフォーマンス以外にも作品を出展されています。
《レターストーンズ/彩色されたW,O,R,D》では自然石を型どって加工した造形石にアルファベットを並べ、側面の凹部には数字が陰刻されている。
レターストーンズはアルファベットが鏡文字となっていて、作品は“版”としての機能がある。
今回の美術展は「文字 模似 言葉」とされており、文字には文字自体が持つ意味以上のものを見出そうとする作家たちの作品といった言い方も出来るのかと思います。
「牛島光太郎」さんの《意図的な偶然-24》と《意図的な偶然-30》は、日常生活で牛島が実際に拾ったモノやゆずりうけたモノと、文字を刺繍した布を組み合わせたシリーズと説明されている。
布に刺繍された物語は、ファンタジーか幻想小説のように書かれた奇妙な夢物語に感じられ、味わい深い言葉になっています。
NO-MA美術館で2019年に開催された「ときどき、日本とインドネシア」展でも展示されていた岩崎司さんの作品を2年ぶりに観ることが出来ました。
宗教的にも取れる詩歌と激しい感情が伝わる絵の組み合わせは、カタストロフィーの世界を描いたようにも感じます。(無題)
岩崎司さんは、魚屋を営み、39歳からは市議会議員として51歳まで議員の役職を務められたといいます。
その後、55歳で精神を病んで入院生活を送り、入院8年後の63歳からベットの上で絵を描き始めるようになり、78歳で他界するまで絵を描き続けたといいます。
NO-MAの美術展の魅力のひとつには、ボーダレスな企画の面白さという言い方が出来ると思います。
今回は、現代アートの作家の作品の方が印象に残りましたが、現代アートもアール・ブリュットもボーダレスにつながっていることが実感できる美術展でした。
案内文には“人が生きるなかで不可分である文字やことばであるが、そこには単なる情報伝達の手段を超えて、言霊といわれるように、発し語り記す人間の思考や感情のみならず魂さえ宿すこともある。”とある。
NO-MAは一般的な解釈のアールブリュットの美術館と思われがちですが、名称にボーダレスと付いているように障がいのある方のみならず、活躍している芸術家の方の作品が混在しています。
いろいろな経歴を持つ作家たちが、一つのテーマを中心にして作品を展示する美術館という言い方がもっとも適しているのではないでしょうか。
昭和初期の町屋を活かした美術館の門を入るとまず最初に目に付くのは2階から吊るされた6mの布作品で、『わたしは歌う。』と染色されている。
作家は「木原真男」さんで、文字を扱った作品や絵画やオブジェなど空間を使ったインスタレーション作品が多いようです。
今回は《わたしは歌う。》と《思い出よ甦れ》の2作品が会期の前半と後半で入れ替わるということです。
フォントを自ら創り上げていくのは「鈴村恵太」さん。
高速道路の看板に書かれた地名のフォントに強い関心を持ち、パソコンになかったフォントを図形挿入機能を使って文字を製作しているといいます。
並べられた文字に意味はなさそうですが、独特のフォントが並べられた面白い作品です。《高速道路フォント》
「鈴村恵太」さんの高速道路のフォント好きは高じて、高速道路の看板を作成するに至っています。
一見普通の看板に見えますが、甲乙つけがたい恋に迷った先は失恋なのでしょうか。《迷甲乙の恋》
個性的な丸文字のひらがなで紙を埋め尽くしているのは「清水ちはる」さんの《心のままに》。
幼少期に母親を行っていた知育遊びがきっかけだといい、その行為は清水さんの気持が満たされるまで続けられ、このような作品が生まれていた時期は清水さんの気持が安定しないような頃だったという。
文字で埋め尽くすという行為は「八巻清治」さんの作品では、文様ともいってよい細かな文字として描かれます。
作品は密集して文字の書かれたメモを貼り合わせて創られるといい、それをセロハンテープでぐるぐる巻きにしており、文字で表現した作品(メモ)が新しい創造物へと昇華しているように思える。《無題》
今回の美術展で強烈な印象を受けた作家の一人が「元永定正」さんでした。
元永さんは、前衛美術家集団「具体美術協会」の中心メンバーとして活躍されていた方だといい、絵本作家としても活躍された方のようです。
文字は並べられているものの、それは言葉ではなく意味はない。
絵本としての《ちんちろきしし》を音声にした作品が会場に延々と流れていて、これが室内を独特の空間に変えています。
朗読?呻き?言霊?。
その時に身の回りにあった物を叩いたり鳴らしている音も混じる。
ノイズ・ミュージックかインプロヴィゼーションのような印象を受け、あるいは呪術的でもあり、会場には座りこんで目を閉じて音声作品を聞いている人がいたのも印象的でした。
もう一人(組)印象深かったのは「今井祝雄」さんと「林葵衣」さんのパフォーマンス《ことのはディスタンス2021》の記録映像でした。
透明ボードの向こうで1文字づつ読み上げてカードを貼っていく今井さん。こちら側では裏向きに貼られたボードにひたすらに口紅の痕跡を残す。
途中まで気が付きませんでしたが、貼られている文字は「日本国憲法 第9条 戦争の放棄」ではないかと思います。
林葵衣さんは「文字・言葉」の音を“唇拓”で表現して残すとされており、NO-MAの2階のガラス障子にも“唇拓”が残されていました。《ガラスに口紅》
紙粘土に残された“唇拓”の作品も展示。《声、朝、とり、ま》
パフォーマンス「ことのはディスタンス2021」を行われた今井祝雄さんは、今回の美術展のアート・ディレクターを務められており、パフォーマンス以外にも作品を出展されています。
《レターストーンズ/彩色されたW,O,R,D》では自然石を型どって加工した造形石にアルファベットを並べ、側面の凹部には数字が陰刻されている。
レターストーンズはアルファベットが鏡文字となっていて、作品は“版”としての機能がある。
今回の美術展は「文字 模似 言葉」とされており、文字には文字自体が持つ意味以上のものを見出そうとする作家たちの作品といった言い方も出来るのかと思います。
「牛島光太郎」さんの《意図的な偶然-24》と《意図的な偶然-30》は、日常生活で牛島が実際に拾ったモノやゆずりうけたモノと、文字を刺繍した布を組み合わせたシリーズと説明されている。
布に刺繍された物語は、ファンタジーか幻想小説のように書かれた奇妙な夢物語に感じられ、味わい深い言葉になっています。
NO-MA美術館で2019年に開催された「ときどき、日本とインドネシア」展でも展示されていた岩崎司さんの作品を2年ぶりに観ることが出来ました。
宗教的にも取れる詩歌と激しい感情が伝わる絵の組み合わせは、カタストロフィーの世界を描いたようにも感じます。(無題)
岩崎司さんは、魚屋を営み、39歳からは市議会議員として51歳まで議員の役職を務められたといいます。
その後、55歳で精神を病んで入院生活を送り、入院8年後の63歳からベットの上で絵を描き始めるようになり、78歳で他界するまで絵を描き続けたといいます。
NO-MAの美術展の魅力のひとつには、ボーダレスな企画の面白さという言い方が出来ると思います。
今回は、現代アートの作家の作品の方が印象に残りましたが、現代アートもアール・ブリュットもボーダレスにつながっていることが実感できる美術展でした。