畑こうじ情熱ブログ

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形式論理ではいかがなものか

2011年02月14日 18時50分00秒 | Weblog
 本日、北辰会として、岡田幹事長に、小沢元代表の処分は行うべきではないこと、挙党一致の体制をつくるべきことを申し入れに行って来ました。
 岡田幹事長の答えは、「これまで秘書が逮捕された議員は離党していること」、「強制起訴ではあるが起訴されたこと」、「政治倫理審査会で説明してほしいとの代表、幹事長の話にも応じていないこと」を勘案して、これまでの処分の例からすると、何らかの処分をするのが公党としての姿だと言いました。
 もっともらしい、前例踏襲の精緻な答えではありますが、官僚的だなと思って聞いていました。
 まず、政治家が強制起訴になったのは今回が初めてです。前例はないので禍根を残す判断は行うべきではありません。有罪とは限らないが、市民目線から裁判にかけようというものです。通常の逮捕・起訴でも推定無罪ですから、昨今の検察の状況にかんがみると直ちに処分を行うのはどうかとは思いますが、いわんや強制起訴で処分を行うとすれば、法治主義、民主主義、人権主義の観点から望ましくないと思います。処分を行うのであれば、裁判で有罪の判断が出た場合にやるべきものです。
 秘書の逮捕については、石川議員とのやりとり、大久保元秘書の前田検事の調書不採用等より検事の取り調べのやり方が不適切であり、逮捕そのものがおかしいという可能性が強まっています。
 最後の論点については、小沢元代表は説明しないとは言っていません。ただし、説明の場に出すためには、(政局的な話となりますが)予算及び予算関連法を通すという約束や段取りと絡めて行うべきです。そうでなければ、この話題にのみ焦点が当たり、政策が前に進まないという国民にとって不幸なこととなります。それ抜きで公党としてのけじめという狭い問題のみでとらえるのは一面的です。
 そもそも公党としては、おかしいと思われる権力の行使に対して、迎合せずに毅然とした対応をとるという面も重視されるべきです。起訴されたから何らかのけじめをつけるのが公党の姿だというのはあまりに形式的で今回の実質を見ない議論です。それは、単なる仲間を守るべきというレベルの議論とは全く別のものです。
 岡田幹事長の形式的な考え方が残念でなりません。