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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ラリー・ダウンズ+ポール・F・ヌーネス著「ビッグバン・イノベーション」(その1)

2016年06月09日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本「ビッグバン・イノベーション――一夜にして爆発的成長から衰退に転じる超破壊的変化から生き延びよ」の原題は、
   「Big Bang Disruption: Strategy in the Age of Devastating Innovation」、すなわち、
   「ビッグバン破壊:破壊的イノベーション時代の戦略」

   米国アマゾンのイントロダクションは、
   It used to take years or even decades for disruptive innovations to dethrone dominant products and services. But now any business can be devastated virtually overnight by something better and cheaper. How can executives protect themselves and harness the power of Big Bang Disruption?
   かっては、破壊的イノベーションよって市場を支配していた製品やサービスは、何年も、あるいは、何十年も寿命を保っていた。しかし、今や、如何なるビジネスと言えども、何かより良くより安いもの出現によって、一夜にして、殆ど、駆逐されてしまう。経営者は、如何にして、自分たちを守り、ビッグバン破壊に対処できるであろうか。

   ビッグバン・イノベーションは、「安定した事業を、ほんの数か月か、時には、ほんの数日で破壊してしまう新しいタイプのイノベーション」であり、
   その速度と凄まじい破壊力を生み出すのは、次々に市場に投入される、より良く、より安い破壊的なテクノロジーである。
   ビッグバン・イノベーションで生まれた新製品やサービスは、コンピューティングと通信機能を備えたハイブリッド端末・スマートフォンなどによって、知識情報が瞬時に伝播しており、登場した時点で、価格、性能、カスタマーゼイションなどすべてにおいて、高い競争力を具えているので、既存の支配的な製品やサービスは、たちまち、駆逐されてしまうと言う。

   アマゾン英語版が、真っ先に引用した例は、GPS unitとfree navigation apps
   数年前までは、ドラーバーたちは、、GPS unitに、喜んで200ドルをはたいた。しかし、スマートフォンが一般化すると、free navigation appsが、この素晴らしいGPS機器を駆逐してしまった。スマートフォンの無料のカーナビ登場1年半後には、GPSメーカーは壊滅的な打撃を受けて、その企業の市場価値は、85%も急落してしまった。と言うのであり、これこそ、まさに、ビッグバン・イノベーションの凄まじさであろう。

      
   破壊的イノベーションについて、その推移・発展段階を論じていて、
   第一段階、マイケル・ポーターの競争優位を築くための基本戦略論
   第二段階、クレイトン・クリステンセンの「イノベーターのジレンマ」
   第三段階、キム&モボルニュの「ブルー・オーシャン戦略」
   今回のビッグバン・イノベーションは、第四段階、第四の波、と言う位置づけである。

   多少、ニュアンスの違いがあるのだが、私自身、イノベーション論をテーマに勉強を続けてきたので、非常に興味深い指摘だと思っている。
   特に、今回のビッグバン・イノベーションは、クリステンセンのローエンドからの破壊的イノベーションなどとの、時間軸の推移を考えれば、際立っているのだが、
   瞬時に市場を席巻するビッグバン・イノベーションは、登場した瞬間から、総てに秀でたブルー・オーシャンであり、これまでのような釣鐘型のライフサイクルを描くのではなく、台頭から終焉まで極めて短期間のシャークフィン(サメのひれ)型で推移すると言うことである。

   ビッグバン・イノベーションを支える経済的要因は、三つの経済的要因、すなわち、「製造コストの低減」「情報コストの低減」「実験コストの低減」によるもので、このデジタル革命に大きく後押しされたコストの低減によって、製品やサービスのライフサイクルが短縮し、釣鐘曲線は、やや右側広の急峻な左右非対称のシャークフィンにかわり、産業に壊滅的かつ破壊的な現象を引き起こすのである。

   この本では、ビッグバン・イノベーションのシャークフィン・モデルを4つのステージ、すなわち、特異点、ビッグバン、ビッグクランチ、エントロピー に分割し、各ステージを克明に分析して、企業が依って立つ経営戦略の在り方や手法などを説いていて、時代の潮流を反映して激変したビジネス環境下での記述なので、非常に興味深い。

   さて、「ピンボール」は、何故、最高益を出した数年後に壊滅したのか?をテーマにして、ビッグバン・イノベーションの4つのステージを語っているのだが、わが日本のソニーや任天堂についても論じているので面白い。
   ピンボールマシンの歴史に突然止めを刺したのは、家庭用ゲーム機だと言う。
   初期の家庭用ゲーム機は、まだ、洗練されておらず、高価だったので、ピンボールの全盛時代が続いていたが、指数関数的な成長を遂げるデジタル技術を利用していたので徐々に進化を遂げ、1978年スベースインベーダーが登場して若者を魅了し、ビッグバン・イノベーションの兆しを見せた。
   途中、アーケードゲーム人気に火が付き、アーケードの数と規模が増加したおかげで、ピンボール産業も波に乗り、1980年代後半から1993年にかけて、ピンボールマシンの全盛期を迎えた。
   しかし、1985年に任天堂がアメリカで販売した8ビットの家庭用ゲーム機NESを皮切りにして、1990年代初旬に進化を発揮し始めて、その後継機、セガの「マリオブラザーズ」など、音やグラフィック、コントローラーの反応などは、アーケードビデオの比ではなく、1994年のソニーの「プレイステーション」の登場で、完全に、家庭用ゲーム機が、ピンボール産業を破壊に追いやってしまった。
   「プレイステーション」が起こしたビッグバンが、ピンボールマシン産業に、ビッグクランチを引き起こしたのである。
   一台7500ドルもするピンボールマシンに対して、プレイステーションは299ドル。家庭用ゲーム機は自宅に置けて、しかもネットワークで繋がっている。ほぼ総てのゲームデザインをソフトウエアで処理でき、カスタマーゼーションが簡単で、音楽や映画の再生、インターネットの閲覧も出来る。

   尤も、プレイステーションのビッグクランチも早く、プレイステーション2、プレイステーション3が取って代わり、マイクロソフトや任天堂などの家庭用ゲーム機が追い打ちをかけてきた。
   その後、任天堂が、共食い覚悟で、新商品を投入し続けたのだが、そうし続けなければ、任天堂自身が、他社に駆逐されてしまうからであり、これこそ、ビッグバン・イノベーションの特質と言えようか。
   ソニーが、破壊的イノベーションを連発して、成長と発展を謳歌し続け得た前世紀とは、大きな違いである。
   今や、自ら死と再生を繰り返せる企業だけが生き残れる。時代になったのである。
   任天堂が、そして、ソニーが、家庭用ゲーム機の世界で生き残り続けて行くためには、絶えず、エンターテインメント・エコシステムの中心に位置していなければならないと言うことである。
   クリステンセンが説いた「イノベーターのジレンマ」には、その対応に時間的余裕があったが、ビッグバン・イノベーションの攻撃は、瞬時であり、はるかに厳しい世界である。

   ビッグバン・イノベーションを可能にしたのは、須らく、デジタル革命、ICT革命のなせる業である。
   IOT、クラウドコンピューティング・・・すべてにICが組み込まれてネット化されれば、全産業のみならず、全地球の人間生活が一体化し、すべてが、ビッグバン・ディスラプションに晒されてしまう。
   どうするのか。To be or not to be,that is a question.と言うことであろうか。


   
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ミニトマトの経済的なプランター栽培

2016年06月08日 | ガーデニング
   今年も、例年通り、ミニトマトをプランターで栽培している。
   4月中旬からなので、最初の実が色づき始めている。
   今年は、これまで栽培していた大玉や中玉、それに、ブランドトマトを止めて、アイコなど極普通のミニトマトばかりを植えている。
   最近のトマトは、かなり品質が良くなって、それ程、種類によって甲乙つけるほど、差があるわけではなく、特別な売り出し中とか、能書きだけが先行するトマトなどは、かなり、バラツキがあって、栽培が難しい場合がある。
   

   もう一つ、変えたのは、殆どのミニトマトを、二本仕立てで栽培することにしたことである。
   特に難しいわけではなく、時には、実が多少貧弱になるような気はするが、収穫量は、かなり、増える。

   一本仕立てで、プランター植えした場合、大体、いくらうまく育てても、5ないし6花房くらいまでで、芯を切って成長を止める。
   二本仕立てにすると、第二支柱に、第一花房が出ない時もあるが、少なくとも、4花房くらいは可能である。
   したがって、一本のミニトマトで、場所をそれ程、広げることなくコンパクトに、10くらいの花房のトマトを収穫できることとなる。
   上手くいけば、何も、一本仕立てに拘ることなく、手間暇は、同じなのだし、
   場所を多少取る程度で、収穫量が増えるのなら、これに越したことはない。

   二本仕立てには、色々なやり方があるようだが、私の手法は次の通り。
   苗を植えてしばらく経つと、わき目が出てくる。
   一本仕立ての場合には、この脇芽は、すべて掻き取るのだが、私は、3本くらい出た脇芽のうち、一番強くて元気そうな脇芽を一本だけ残して、第二支柱にして伸ばしている。
   この場合、主柱も支柱も、全く、普通の一本仕立てと同じ方法で育てて行く。
   土は、肥料入りの野菜用培養土を遣って苗を植え、1か月ほどは、そのままにして、その後、2週間ごとに、化成肥料を株下に蒔いている。
   異常が出れば、薬剤散布するのだが、今のところ、全く、問題が起きていない。

   もう一つ、経済的なトマト栽培は、先ほど掻いた脇芽を挿し木にして、新しい苗木にすることである。
   4月初旬から、しっかりした苗を植えると、すぐに脇芽が出てくるので、ある程度大きくなったところで、挿し穂にして、土に挿して水を十分にやっておけば、すぐに、根がついて苗木となるので、プランターに植え替えればよい。
   しかし、タイミングが大切で、あまり遅くなるとダメなので、5月中旬くらいに、まともな苗木になるように挿し木すべきであろう。
   4月苗と5月苗となって、ローテーションが良いのだが、脇芽による苗木の品質は、それ程、期待できないのが、難と言えば難であろう。
   

   
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ウクライナ問題を再考する

2016年06月06日 | 政治・経済・社会
   先日、「プーチンとG8の終焉」で、ウクライナ問題について触れた。
   今日、舟橋洋一の「21世紀 地政学入門」を読んでいて、多少、ニュアンスの異なった印象を持ったので、もう一度考えてみたいと思う。

   先に、ロシアにとって、ウクライナは、欧米への緩衝地帯として、重要な存在であると論じて、
   ”NATOへの加盟には近隣諸国との領土紛争を抱えていないことが条件なので、現在のように、ロシアへの編入を求める親ロシア派をなだめてウクライナの国内にとどめ、この地帯を通じてウクライナ中央政府の内政外交に影響力を行使するとともに、紛争の火種を残しておいてウクライナのNATO加盟を阻止するとするのがロシアにとって得策である。
   プーチンが、メルケルやオランドを説得して勝ち得た「ミンスク2」を継続するのが、ロシアの「国防第一」路線には、好都合なので、ウクライナ紛争の終結など、期待しても無理だと言うことであろうか。”と書いた。

   これに対して、船橋は、
   ”欧州にとっては、ホンネのベスト・シナリオは、ウクライナがEUとロシアの緩衝国家となること。クリミア併合後のロシアはそのシナリオには最早満足しないだろう。
   プーチンは、ウクライナを緩衝国家ではなく破綻国家にしようとするだろう。東ウクライナの騒擾や分断をそそのかし、この国を国家的廃人にして、見せしめとする。ウクライナがクリミアを経済封鎖すればロシアは待ってましたとこれらを仕掛けるであろう。そして、ウクライナに支援する欧米にコストを莫大にし、ウクライナを見捨てさせる。”と言っている。
   
   船橋によると、第二次世界大戦中、ロシア憎悪のあまりナチスと手を結んだような見境もない民族主義情念へのの警告として、父ブッシュ大統領が、ウクライナ独立時に、キエフで、「自殺的民族主義」に陥らないよう住民を促したと言う。
   親西欧の仮面の下に渦巻く激烈な民族主義情念が国家を分断し、ロシアのマフィアさえ手を付けないほど、政治もビジネスも腐敗していて、今や、国民一人当たりのGDPは、1991年独立時の半分に過ぎない。
   ウクライナは、昔から、世界の穀倉地帯と呼ばれるほど地味豊かで農業に恵まれ、また、鉄鉱石や石炭など天然資源に恵まれ、東部地方は、鉄鋼業を中心として重化学工業が盛んで、ソ連の産業の中心として重きをなした最も豊かな国であった筈なのだが、何故、これ程までに、歴史から見放されてしまったのか。
   
   ウクライナは、誇り高きコサックの故郷。
   このウクライナは、リトアニア大公国、ポーランド王国、モスクワ大公国等様々な周辺国によって支配されてきたために、コサックは、独立を求めて反旗を翻して戦ってきたと言うのだが、エルミタージュ博物館で見たステンカ・ラージンの絵を見ると、何となく、民族の歴史なり悲哀を感じて、襟を正したのを覚えている。
   
   

   私自身は、前述の船橋のウクライナ論が、蓋然性の高いシナリオだとは思っていない。
   ロシアのグルジア侵攻は、ウクライナへの警告であったと言うけれど、ウクライナのスケールなり西欧への歴史的文化的民族的な近さなどは、グルジアの比ではなく、欧米の経済封鎖や国内経済の悪化などによって、ロシア自身に、ウクライナを、そこまで追い詰める能力がない。
   鉄のカーテン内にあったポーランドや、ソ連に属していたバルト三国など、ロシアに対して激しい強硬論を追及する元友邦に囲まれて、アメリカが戦略的拠点をどんどん配置してロシア包囲網を狭め続けている以上、ロシアが、暴走するとも思えない。

   先日、キッシンジャーのウクライナに関してのロシアに対する欧米の対応にも問題があると言う見解に触れたが、
   1991年のウクライナ独立当時、ロシア人には、ウクライナだけは失うわけに行かないと言う思いが強烈であったから、生木を裂かれたような喪失感を感じさせたと言う程であるから、そのウクライナが、EUのみならず、NATOに加盟するなど考えられないことなのであろう。   
   緩衝地帯として貴重な存在であるウクライナ問題に対しては、欧米としては、弱体化したロシアを囲い込んで追い詰めるのではなく、十分にロシアとの対話を重ねながら、対応すべきなのであろうと思う。

   2年前に、このブログでも紀行文を綴ったのだが、実際に、ザンクトペテルブルグとモスクワを訪れて、ロシアの大地に足を下ろして、街を実際に歩いて、ロシアの空気を吸うと、私自身のロシア観が、大分、実際的になったと言うか、変わった。
   先日も、WOWOWでマリインスキー劇場のバレエ「眠りの森の美女」(ワレリー・ゲルギエフ指揮)を観ていて、あの素晴らしい劇場の雰囲気を思い出しながら、凄い文化と歴史の重みを感じていた。
   中国論についてもそうだが、我々は、知らずのうちに、アメリカ経由の情報知識に影響されて、ロシア観を作り上げてしまっているのだが、注意しなければならないと思っている。
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佐藤親賢著「プーチンとG8の終焉」

2016年06月05日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   2014年6月、ロシア・ソチで開かれる予定であったG8サミットは ロシアのウクライナへの軍事介入やクリミア半島支配などを非難したG7が、ロシア抜きで会場をベルギーのブリュッセルに移してサミットを実施し、「ロシアが態度を改め、G8において意味ある議論を行う環境に戻るまで、G8への参加を停止する」とハーグ宣言を発表したので、実質的に停止しG7に戻った。
   この本は、ウクライナの政変やクリミアのロシア編入以降のプーチンのロシアについて、G8後の国際情勢など多岐に亘ってカレントトピックス風に分析した、非常に時宜を得た興味深い本である。

   G7については、伊勢湾サミットで記憶に新しいが、G0の今日のグローバル世界では、実質的には、BRICSなどを排除した先進国だけのサミットでは殆ど機能せず、門戸を開いたG20が脚光を浴びており、プーチン抜きのG7など意味をなさないのかも知れない。

   まず、クリミアだが、ソ連時代ロシア共和国に属していたのだが、フルシチョフが、権力基盤を強化するために、ウクライナ支持を取り付けるべく、鶴の一声で、ウクライナに帰属替えした経緯がある。
   この時には、ソ連国内での帰属替えであったので、特に、問題は起こらなかったと言う。
   それに、ロシア黒海艦隊が駐留するセバストポリ特別市が西に隣接しており、ロシア人が住民の60%を占めているものの、ウクライナではマイノリティになるので、早くから、ロシアへの帰属を求めていたと言う。

   本来、ロシアとNATO諸国との緩衝地帯であるウクライナが、オレンジ革命騒動などで、西側に傾斜し始めたので、ロシアは危機感を募らせて、一連のウクライナの政変に触発されて、生命線とも言うべきクリミアを、プーチンは、国内の世論のバックアップを信じて、セバストポリと共に編入を強行したのである。
   ウクライナと欧米日など国際社会の多数は、ロシア帰属への住民投票がウクライナの国内法に違反し非合法であり、したがって、ロシアのクリミアの編入は国際法違反だと抗議しており、クリミア自治共和国とセヴァストポリ特別市はロシアの被占領下にあるとしている。
   しかし、オバマ政権やEUの弱腰し(?)の対応が効を奏さず、2年も経過した実効的支配であり、プーチン政権もロシア国民も、断じて後戻りの意思がないので、このまま推移するのであろうと思われる。
   キッシンジャーは、クリミア併合は、世界制覇の動きではなかったし、ヒトラーのチェコスロバキア侵攻でもなかったと言っているのだが、国際法や国際世論を無視した暴挙は許されないにしても、歴史的な経緯や住民の動向意思などの状況証拠などを考えれば・・・と思えないわけでもない。

   著者も指摘しているのだが、ウクライナの独立は、ソ連崩壊によって、エリツィンなどによる偶然と言うか、いわば、棚ぼた式に獲得した独立国家であって、当初から多くの複雑な問題を抱えてスタートしており、
   キッシンジャーも、ウクライナはロシアにとって常に特別な意味を持っており、欧米は、ウクライナとEUとの経済関係強化の交渉開始やキエフのデモの重要性などを理解して、ロシアと対話すべきであったのを怠ったと、ウクライナ危機に欧米も責任があると言っている。

   プーチンは、クリミアに核兵器を配備する可能性について言及して驚かせたが、核兵器こそが、ロシアを大国にしている重要な要素だとして、これまでと逆行して核強化に軸足を移していると言う。
   ところで、ロシア人が多く住みロシアへの帰属を求めて激しくウクライナ政府と戦っている親ロシア派のドネックやルガンスクなどのウクライナ東部諸州は、ソ連時代の屈指の重工業地帯で、ウクライナとの関係が悪化すると、ロシアの軍需産業や軍需、特に、プーチンが力の拠り所と頼む核戦力に大きな打撃となると言う。
   もう一つ興味深いのは、ウクライナが、独立後に、国内の戦略核のロシアへの移管と全面廃棄したのだが、これが裏目に出てクリミアをロシアに併合されてしまったと、イランなどに核放棄を拒否させて核拡散の悪しき前例となったと言う議論である。

   ロシアは、公式には否定しながらもウクライナ東部へロシア軍部隊を投入して、軍事と非軍事を組み合わせた非伝統的手法によるハイブリッド戦争を仕掛けており、ウクライナ危機は、実質的には、米国とロシアが対峙する代理戦争の様相を色濃く呈している。
   ロシアが、ドネックとルガンスクを独立国家として認めたり併合したりすると、ウクライナは、ロシアの更なる侵略から国土防衛するために、NATO加盟国となって、親ロシアとNATOが国境を接して緩衝地帯が消滅して、ロシアとしては死活問題となる。
   NATOへの加盟には近隣諸国との領土紛争を抱えていないことが条件なので、現在のように、ロシアへの編入を求める親ロシア派をなだめてウクライナの国内にとどめ、この地帯を通じてウクライナ中央政府の内政外交に影響力を行使するとともに、紛争の火種を残しておいてウクライナのNATO加盟を阻止するとするのがロシアにとって得策である。
   プーチンが、メルケルやオランドを説得して勝ち得た「ミンスク2」を継続するのが、ロシアの「国防第一」路線には、好都合なので、ウクライナ紛争の終結など、期待しても無理だと言うことであろうか。

   この本では、ロシア自身が、大国であると同時に、ユーラシア大陸のピボット的存在で、非常に、地政学的に重要な位置を占めており、特に、中国との関係についてかなり突っ込んで分析していて面白い。
   ソ連崩壊後、石油や天然ガスなどのエネルギー資源の輸出に胡坐をかいて、成長発展政策に手を抜いて経済成長に注力しなかった付けが、大きく響いており、中国への接近が、経済的に飲み込まれることを心配しているなどと言った、正に、今昔の感の指摘が興味深い。
   プーチンは、資源輸出に過度に依存した体質を変えるべく、ロシアの産業構造の多角化を目指した筈が、殆ど手つかずで、今後の経済に立て直しをどうするか、これが最大の問題であろう。
   
   著者の指摘で興味深いのは、ロシア人は、変化を恐れる国民で、外国からの侵略、戦争、社会主義革命など動乱の歴史を経験した所為か、政治に関しては、変化は「今より良くなる」のではなくて、「もっと悪くなる」と言うのが一般的な捉え方だと言う。
   平穏な生活が維持されるのなら、ソ連でもプーチンでも構わないと言うことであるから、代わりを考えられない以上、プーチン時代が、18年以降も続く可能性が強いのであろう。

   私は、ロシアとの関係強化には、経済的な協力が最善だと思っているので、北方領土返還問題も含めて、ロシア東部、沿海州の経済開発に積極的に協力して、塩を送って日本の経済圏に取り込むことだと思う。(尤も、極めて、国際ビジネスには不向きな国だが、それを覚悟して耐えに耐えることも必要であろう。)
   そのことが、ひいては、中国に対する拮抗力(カウンターヴェイリング・パワーcountervailing power)となって、国益にも利して、一石二鳥だと思っている。
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国立劇場・・・歌舞伎「新皿屋舗月雨暈―魚屋宗五郎―」

2016年06月04日 | 観劇・文楽・歌舞伎
    世話物の傑作『新皿屋舗月雨暈―魚屋宗五郎―』は、何度も観ている歌舞伎で、このブログでも、結構レビューを書いている。
    屋敷勤めの妹が無実の罪を着せられて殺されたと知った宗五郎は、堪らずに禁酒の誓いを破って、酒乱と化して磯部屋敷に乗り込むと言う話である。
    普段は分別のある宗五郎だが、次第に酔って行き、恨み辛み憤りが朦朧とし始めて、磯部憎しだけが昇華して、われを忘れて酒乱状態になって行く。
    湯呑茶碗に注がれた酒を口をつけて一気に飲み干し、飲むうちに湯呑茶碗では満足できずに片口から直接飲み始め、おはまや三吉の止めるのを振り切って、角樽を鷲掴みにして飲み干して酒乱に変身。目が座って、人が変わったように暴れ出して、おはまや三吉を蹴飛ばし突き飛ばし、壁をぶち破って、角樽を振り回しながら、磯部の屋敷へ突進して行く。

   この時の宗五郎の心境だが、自分への慚愧の思いで増幅されたのだと思う。
   先日ルトワックの「中国4.0」を読んでいて、韓国が日本に対して謝罪問題を執拗に要求し続けるのは、韓国がそもそも恨んでいるのは、日本人にではなく、日本の統治に抵抗せずに従った、自分たちの祖父たちだからだと言っているのに気付いた所為もある。
   赤貧洗うが如き貧しい生活をおくっていた宗五郎一家が、妹お蔦を磯部家へ妾奉公に出したおかげで真っ当に暮らせるようになったのだが、宗五郎の頭の片隅に、いわば、お蔦を売った(?)も同然と言う慚愧の思いがあって、それが、酔いがまわるうちに、頭を出して宗五郎を締め付けたのである。
   芝居の冒頭で、磯部家に抗議に行けと息巻いたおはまや三吉に対して、磯部家の恩義を説いて止めたのは、宗五郎であったのだが、酒の酔いがまわるにつれて、その正気も消えて慚愧の思いと恨み辛みが強くなって酒乱と化し、その落差の激しさが、余計に、庶民の哀れさ悲しさを表出して切ない。

    タイトルロール宗五郎を演じたのは、今秋、八代目中村芝翫襲名を控えた中村橋之助で、ハレの舞台へのオマージュ公演とも言うべき、素晴らしい大舞台であった。
    襲名披露公演の10月は「熊谷陣屋」「幡随長兵衛」、11月には「盛綱陣屋」、親子4人で舞う「連獅子」を上演すると言うのであるから、押しも押されもしない東西きっての大立役への驀進である。
    「熊谷陣屋」では、これまでの團十郎型とは違った、四世芝翫以来、上演が絶えていた芝翫型を見せると言う。

   さて、この「魚屋宗五郎」だが、何回も観ており、一番多いのは、菊五郎の宗五郎で、女房おはまは、最初は玉三郎、それ以降は時蔵であったが、とにかく、菊五郎の、圓朝ものの「文七元結」や「芝浜」と言った江戸庶民を主人公にした世話物の舞台は、絶品で、いつも感動しながら観ている。
   相手役の時蔵のおはまも、この菊五郎の至芸に呼応して素晴らしい舞台を見せていたのだが、今回、長男の梅枝が、おはまを演じるのを見て、父親の薫陶よろしきを得たのであろう、橋之助を相手に、時蔵譲りのメリハリの利いた折り目正しい味のある芸を見せていて進境の著しさを感じさせてくれた。

   もう一つ印象深いのは、幸四郎の宗五郎で、芸域が広くて、由良之助や松王丸や熊谷直実を演じては天下一品、どんな難役でも器用に熟して、世話物のほろりとさせる舞台、例えば、「水天宮利生深川」の筆屋幸兵衛なども感動的に演じているので、実に上手い。
   酒一つにしても、大酒を飲むのか飲まないのか知らないが、弁慶は勿論太郎冠者も、そして、この宗五郎の飲みっぷり酔いっぷりも、実に堂に入っていて素晴らしいのである。
   この時は、福助のおはまを相手に、派手な酒乱を演じていた。

   今回の舞台で、もう一人興味深いのは、時蔵の次男の萬太郎が、多少芝居がかってはいたのだが、中々、凛々しい風格のある磯部主計之介を演じていたことで、プログラムの前半で務めた「歌舞伎のみかた」の理路整然とした丁寧な説明役とはうって変わった演技で、これまで見た梅玉や錦之助や染五郎とは違ったフレッシュな磯部像を演出していて興味深かった。

   また、第二世代の登場で同じく面白かったのは、橋之助の次男宗生が、小奴三吉で登場しており、芸にはまだ初々しさが残っていて粗削りながら、父親の宗五郎の橋之助と、中々、呼吸のあった達者な演技をしていて楽しませてくれたことである。

   宗五郎父太兵衛の市村橘太郎、浦戸十左衛門の中村松江も、中々、好演していて、磯部召使いおなぎの中村芝のぶの控えめながら懸命な芝居が印象に残っている。
   この「魚屋宗五郎」、橋之助以外は、大役者が登場しない舞台ではあったが、国立劇場の演出であるから、それはそれ、1時間20分のノンストップの上演は、高校生たちの観客を楽しませていた。
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D・テュルパン+高津尚志著「ふたたび世界で勝つために」

2016年06月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   スイスのビジネススクールIMDのドミニク・テュルパン学長と高津尚志北東アジア代表のこの本は、冒頭から、VUCAワールドから説き起こしており、要するに、日本企業が世界に再び討って出るためには、企業を取り巻くグローバル環境が激変したのであるから、これまでの枠組みを超えて経営革新を行う以外にはないと言うことである。
   VUCAとは、volatility, uncertainty, complexity, ambiguityで、
   VUCAワールドとは、変動が激しく、不安定で、不確実性が高く、複雑で曖昧な世界だと言うことであり、この本では、競争環境の変化、市場(顧客)の変化、働き手の変化等について分析しているのだが、この新しい世界の潮流に、日本企業の経営なり経営戦略が遅れを取って十分に対応出来ずに苦しんでいると言うことであろう。

   まず、競争環境の変化であるが、これまでは、競争相手は、同業種の会社で、市場獲得競争で市場占拠率を上げれば良かった。
   ところが、音楽業界を考えただけでも、レコード会社やオーディオ機器メーカーなどは霞んでしまって、今や、アップルやユーチューブ、スポティファイやグーグルなどが、ネットサービスや配信サービスで、市場を根本から変えてしまった。
   例えば、カメラにしても、デジタル化によって、パソコンの周辺機器に成り下がってしまい、フィルムカメラの権化であったコダックが駆逐されるなど、関係業界は一変してしまった。まだ、この分野では日本は生き残ってはいるが、DIY、すなわち、プロシューマ―(生産消費者)革命で、市場が著しく蚕食してしまっている。

   興味深いのは、新興国の巨大インフラプロジェクトで、複数の日本企業が「オール・ジャパン」のコンソーシャムを組んで提案するケースで失敗するケースが多いのは、心地よい身内の議論と美意識で提案の完成度を高めようとする中で、ローカルのニーズと乖離してしまっていることが多いからだと説いている。
   これは、南極探検において、重装備ながらイギリス人の情報知識だけで決行したスコット隊が、極寒の過酷な環境で生きているイヌイットの知恵を借りて貧弱な装備ながら成功したアムンゼン隊に負けたケースを彷彿とさせると言う。
   
   もう一つ、このブログで、プラハラードのBOPビジネスやゴビンダラジャンのリバースイノベーションで何度も論じてきたのだが、インドの化粧品メーカー・ゴドレジが、世界最大の化粧品会社ロレアルの最も安い製品の10分の1の価格の商品を、新興国や途上国の最貧層から抜け出しつつあるネクスト・ビリオン(10億人)に提供して、快進撃を続けており、そこから、次第に中位級の市場へ上がって行くと言う。トヨタが、アメリカ市場を、ローエンド・イノベーションからスタートして、ついに、アメリカ市場を捉えてTOPに上り詰めたケースとよく似た破壊的イノベーションの追及だが、
   先進国企業とBOPビジネスからリバースイノベーションで台頭しつつある新興国企業、前門のオオカミと後門のトラとのハザマで、日本企業はどう戦うのか。

   この本は、この他にも、多くの潮流の変化を紹介しつつ、IMDの教授たちのイノベイティブ経営戦略など研究成果の一端を紹介しながら、日本企業への提言をしていて、夫々のケースやその説明が興味深い。
   後半のグローバルリーダーに欠かせない5つの視点などは、案外、面白いかも知れない。

   次元が違うのだが、相も変わらず同じような経営環境の中に埋没して、一歩も旧弊から抜け出せずに、成長から見放されて足掻き続ける日本の大企業を見ていると、
   東芝や三菱自動車やシャープのようなケースが起こっても、仕方がないような気もしている。
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ジョセフ・E. スティグリッツ著「これから始まる「新しい世界経済」の教科書」

2016年06月01日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ステイグリッツのこの本の原題は、Rewriting the Rules of the American Economy: An Agenda for Growth and Shared Prosperity
   アメリカ経済のルールの書き換え:成長と共通の繁栄へのアジェンダ

   この本に寄せられたロバート・ソローのレビューは、
   “Stiglitz realizes that deepening inequality in our country is not an unlucky act of nature, but a consequence of the policies we have chosen. This lively book suggests a whole menu of policy changes to move us toward a more widely shared prosperity.” (Robert Solow, winner of the Nobel Prize)
   ステイグリッツは、米国の格差の拡大は自然のなせる業ではなく、我々が選択してきた政策の結果であると認識している。この好著は、我々に、もっと繁栄を広範囲に共有させ得る政策変更のすべてのメニューを示唆している。

   これだけで、この本の目的と趣旨の説明は十分であろう。
   危機的な限界状態にまで至らしめてアメリカ経済を瀕死状態に追い込んでしまった経済格差の拡大を、経済ルールを書き換えることによって、阻止し、更に、富と繁栄を、皆が等しく共有できるような社会を実現しようと提言する。
   前世紀のレーガノミクスに象徴されるサプライサイド経済学以降誤った政策によって暗礁に乗り上げてしまったアメリカ経済を、ニューディール政策の革新的な遺産を基礎にして、平等と繁栄が両立する万人のために機能する経済に改変しようとする、そのための、現在のアメリカ経済再編のアジェンダと言えようか。
   
   この見解は、危機的な状態に至ったアメリカ経済を、うまく機能させるためには、そして、繁栄を広く分かち合うためには、21世紀の経済ルールをどのように書き換えればよいのかをレポートしたルーズヴェルト報告者が元となっている。
   これまでに、このブログで論じてきたロバート・B. ライシュやポール・クルーグマンなどのリベラル派の経済学者の見解などと相通じており、特に、新鮮味はないのだが、経済学者としての非常に明確な処方箋を提示して、経済のみならず、不平等に陥った民主主義の危機をも見据えて、国のシステムを構築するルールを書き換えようと提言しており、 
   後は、やる意思があるのかどうか、政治的決断と実行を迫っているところに、この本の意義がある。

   上位1%への所得と富の集中が加速度的に上昇するのとは裏腹に、この半世紀で、労働者のインフレ調整後の時間当たり賃金の上昇は、たったの0.1%で、労働者の生活水準は全く向上しておらず、この高水準の不平等と経済格差の拡大が、弱者から、経済的地位向上の機会を奪い去り、最早、アメリカンドリームなどは、夢の夢。
   ”出生のめぐり合わせ”、産声を上げた人生の出発点での経済的地位、人種、性別などによる不平等は、高いハードルとなる学歴や職歴を通じて更に度合いを増し、人生の初期段階を取り巻く環境は、途方もなく重要だと、空腹や不十分な栄養摂取に泣く幼児たちへの手ごろで質の良い保育と初期学習の機会の提供を説く。
   これら最上層との格差拡大が、経済的な移動性を妨げる状況は、アメリカ経済の機能に影響を与えるだけではなく、社会と民主主義の本質に関わってくると、
   スティグリッツは、1章を割いて、「中間層を成長させる」で、生産的な投資と労働に報い、有害な富者一人占めの”レント”を減らし、資源と資産の社会的利益を最大限にすることを目的として、克明に、経済ルール書き換えの処方箋を提示している。

   ところで、スティグリッツが、舌鋒鋭く糾弾しているサプライサイド・エコノミクスだが、
   丁度、私がフィラデルフィアのウォートン・スクールで学んでいた頃、第1次石油ショックで、アメリカ経済が、激しいインフレ下での経済不況と言うスタグフレーションに見舞われて苦境に立ち、機能しなくなったケインズ経済学に変わって、サプライサイド・エコノミクスが脚光を浴び始めてきたのである。
   確か、当時旗頭の一人であったジョージ・ギルダーの「The Party That Lost Its Head 」だったかその方面の本を読み始めた記憶があるのだが、サプライサイド・エコノミクスが花開したのは、1980年代に入って、レーガノミクスやサッチャーリズムが勢いを増して一気に市場至上主義経済が主流となってからで、
   その後、世界経済が拡大して、ベルリンの壁とソ連の崩壊、グローバリズムの拡大と新興国の台頭、IT革命を伴って、激動の21世紀に突入した。
   
   スティグリッツは、経済のみならず、社会的使命を無視した私企業の株主革命や短期主義、企業トップの高額報酬の追及や激しいレントシーキングなど、経営の蹉跌にも踏み込んで、論じており、非常に興味深い。
   詳論は、別の機会に譲りたい。

   私にはどうしても解せないのは、アメリカで認められているロビー活動である。
   多くの企業や団体、利益団体などが、自身の利益に沿った主張を広めるために、ロビイストを雇って、ワシントンに駐在させて、国会議員たちに、政策の提言やリサーチ、アドバイスを吹き込むのみならず、実際に行動に移し、実現化すべく、政治家への政治献金も同時に行っている。と言うのであるから、体の良い強力な圧力団体である。
   典型的な悪害は、地球温暖化など地球環境破壊に抗するロビー活動で、アメリカ石油協会(API)加盟の国際石油資本はどこも、1970年代から1980年代はじめの段階で、すでに二酸化炭素が地球温暖化につながることを知っていながら膨大な資金を投入して、国会議員を泳がせて、アメリカ政府の公害防止政策を妨害し続けて来たのである。
   多くの利益団体の激しいレントシーキングへのロビー活動には、目に余るものがありながら、何故、アメリカの民主主義が、こんなことを許しているのか疑問だが、とうとう行き着くところまで行ってしまって、アメリカは、経済のみならず、民主主義の屋台骨まで揺るがし始めたのである。

   このスティグリッツが警鐘を鳴らして糾弾するように資本主義が地に落ちてしまったのか、「99%」やウォール街を占拠せよ運動などの格差社会抗議運動が極に達して怒れる国民が蜂起したのか、今回の大統領選では、かってなかったような異変が起こっている。
   トランプ現象が、ノック青島現象に終わるのかどうか、アメリカ資本主義と民主主義が岐路に立っている。
   
   余談だが、このアメリカの危機は、同様に、日本経済にも忍び寄っており、日本国自身が、アベノミクスの失敗だとか、消費税増税の延期だとかと、その程度の些細な経済論争で片付けられ得ないもっともっと深刻な問題を抱えていることを忘れてはならない。
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