熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

大地真央の「紫式部ものがたり」

2006年12月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   紫式部ものがたりと言うことだけに惹かれて観劇に出かけた。
   私にとっては、京都を歩き回っていたので、学生時代から平家物語と源氏物語は特別な関心事であった。可もなく不可もなく、綺麗な舞台を見て、昔子供の頃に見た宝塚少女歌劇の舞台を思い出した。
   小中時代を兵庫県の宝塚で過ごしたので、あの頃毎月団体映画鑑賞の野外授業があって、宝塚大劇場にディズニーなどの映画を見に行っていたのだが、映画のない時などには、宝塚の華麗な舞台を見せてくれた。
   もっとも、舌切り雀とかお伽草紙と言った子供が見てもよさそうな出し物の時だけだが、しかし、あの豪華絢爛たる美しい世界には魅了されて見ていた。

   学校の学芸会の時に、宝塚少女歌劇の道具部屋に入って衣装を借りに行ったことがあった。舞台とは天地の差で汚い所だなあと思った記憶があるが、おねえさんたちが使ったのか使ってないのか知らないが、王様の衣装を借りて帰って劇をやった記憶がある。
   宝塚の俗称花道と言う宝塚駅から劇場までの小高くなっていた遊歩道を袴を履いた綺麗なズカ・スターたちが歩いていたのを覚えている。

   ところで、日本の強力な女優育成供給源である宝塚からは素晴らしいスター達が沢山出ていて、その舞台を見ることが結構あり、幸四郎のオテロで共演した黒木瞳などは勿論、今回、紫式部を演じた大地真央のローマの休日など見ているのだが、どうしても、私にとっては宝塚ガール的なイメージが強すぎる。
   紫式部の大地真央は、正に、宝塚の舞台を見ているような感じで、特に、光源氏を演じた「夕顔」と「紅葉賀」の青海波の舞の舞台など彼女の宝塚での真骨頂であろう。兎に角、実に優雅で美しい。

   ところで、このロック調のミュージカル仕立ての紫式部ものがたりだが、紫式部が藤原道長(升毅)に恋をして彼と源氏のイメージをダブらせて源氏物語を書き進めて行く展開になっている。
   月の美しい夜、物書きをしていてまどろんでいる所に道長がやって来て抱き絞められ、道長に自分を主人公にした源氏物語を書いてくれと言われて紫式部の名を授けられる。
   月の光の君として道長を思いながらイメージを膨らまて源氏物語を書くのだが、魑魅魍魎に惑わされ不幸に喘ぐ庶民の世界をも書き込むことに目覚めた紫式部の筆は道長の「美しい物語」から段々離れて行く。
   最後に、道長に恋を迫られるのだが「物語を書くことに恋をしました」と突っぱねる。

   早坂暁の「恐ろしや源氏物語」を原作にした映画「千年の恋」では、天海祐希が素晴らしい光源氏を演じていたが、ここでは、吉永小百合の紫式部は、渡辺謙の道長を部屋の戸を閉め切って寄せ付けない。
   権力者道長に逆らう術もなく開けっ放しであった筈の部屋住まいの紫式部が道長を拒絶出来たとは思えないが、源融がモデルとも言われてはいるが、この舞台のように道長が半分モデルとなっているのも事実かも知れない。

   アメリカの日本文学の学者ライザ・ビルダーの「紫式部物語 THE TALE of MURASAKI」と言うユニークな小説を読んだ事があるが、殆ど、式部については記録が残っていないので、この齋藤雅文氏の脚本は自由奔放にイメージを膨らませた展開になっている。
   世代の合わない陰陽師の安倍清明(姜伸雄)を出してみたり、引退していた筈の清少納言(酒井美紀)や和泉式部(いしのようこ)を絡ませたり、兎に角、清少納言の主人・中宮定子を幽霊にしたり、魑魅魍魎達がロックのリズムに乗って踊りまわる宮田慶子さんの演出とが上手く呼応して面白い舞台を作り出している。
   
   ところで、箱入り娘で籠の鳥の典型である中宮彰子(神田沙也加)が、式部が、自分を源氏物語の中で藤壺の宮として描いてくれているのだと言う件が面白い。
   帝が自分の父道長の政争の具として早くに亡くなった中宮定子を愛していて自分には寵愛がないのだと思って居ると言う設定だが、松田聖子の娘としてではなく一人の若い新進の女優として神田沙也加は可なり雰囲気を出した舞台を演じていて可愛いだけではない存在感を示していた。

   大地真央のコミカルな演技だが中々ユニークで、先の「功名が辻」でのお市の方の美しさ、宝塚の男役としての優雅さと相まって十分に楽しめる舞台を作り出していた。
   美しいだけではない、歌って踊って、硬軟取り混ぜたバリエーションのある演技が出来て、男役も女役も優雅に美しく演じられる、シェイクスピア役者には程遠いかも知れないが、見せる女優としての大地真央の存在は貴重である。
   この舞台で、私が見て知っている役者は、紫式部の父藤原為時を演じた上條恒彦だけだが、流石にベテランで舞台の要となって大地を支えている感じであった。
   清少納言の酒井美紀、和泉式部のいしのようこ、道長の升毅、清明の姜伸雄など脇役も結構楽しみながら達者な演技をしていて魅せてくれた。   
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