熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

エドワード・ギボン:古代ローマの富豪の公共建造物

2019年06月15日 | 政治・経済・社会
   野口悠紀雄の本を読んでいて、カエサルと角栄とどこが違うかと問うて、同じ利益誘導政治でも違うのだ言う。
   ローマの実力者は、単に私腹を肥やしただけではなく、巨額の私費を投じて公共工事を整備した。カエサルは、アッピア街道の修理を自費で行った。
   一方、角栄は、多くの公共工事を実施したが、勿論、自費ではなく公費であり、権力を掌握して私腹を肥やした。と言うのである。

   日本の場合でも、小規模だとしても、自費で公共工事を行ったケースはいくらでもあった。
   エドワード・ギボンが、「ローマ帝国衰亡史」で、諸皇帝が威信をかけて巨大な公共事業に邁進したが、高貴な事業を企てる気概とそのための財力とを共に有することを公言して憚らない臣下も、広くこれに倣ったと、当時、途方もない財力を持った元老院や民間人が、自費で、コロッセオなどの多くの公共工事を行ったと書いている。
  その篤志家の最たる例が、両アントニヌス皇帝時代のアテネ人ヘロデス・アティクスだと、多くのケースを紹介し、暗礁に乗り上げていたローマの水道工事もことなきを得たと言う。
   ローマや諸属州の富裕な元老院たちの間には、祖国や自らの時代を飾ることを栄誉、いや、殆ど義務とする考えが見られたのである。

   ヨーロッパ各地に残っているローマの水道の遺構を見たことがあるのだが、ビックリするほど堅固で美しくて、正に驚異であり、それに、競技場や神殿の跡などローマの遺跡にも畏敬の念を覚える。
   勿論、属州をくまなく結んだアッピア街道など「ローマの道」の凄さは、公共工事の筆頭で、軍事的目的が最たる要因だとしても、帝国の辺境までローマ文化文明の伝導路でもあった。
   能「安宅」ではないが、何本もない街道に、沢山の関所を作って、自由な通行を許さなかった日本と言う国は、元々、小さな国だったのである。
   
   現代では、公共工事は、需要拡大のためのケインズ経済的発想で議論されることが多いのだが、それは、邪道であって、公共施設がどうあるべきかと言う大前提の上に立った哲学なり思想があってのことであろう。
   この公共工事が、利益誘導型なり政治意図的な色彩を濃厚に帯び、同時に、談合などの格好の標的にされることを考えると、ローマ時代の方が、人間賢かったのであろうと思う。

   余計なお世話かも知れないが、散々経済成長で食いつぶして、アメリカのダムや橋など公共建造物の健全寿命は、とっくの昔に過ぎさっており、何時崩壊してもおかしくない状態になっているように思うのだが、メキシコとの壁を築く能天気ぶりが分からない。
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