熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

イアン・ゴールディン他著「新たなルネサンス時代をどう生きるか:開花する天才と増大する危険」(3)

2019年08月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   現在、香港で、反中国デモが、天安門事件を彷彿とさせる勢いで、巻き起こっている。
   エスタブリッシュメントに対する大衆の反抗と言う位置づけであろうか、これを、ルネサンス時代に翻って見て、著者たちは、サヴォナローラ事件とルターの宗教改革運動を挙げて詳しく説いている。
   サヴォナローラの方は、短期間で収束したが、ルターのプロテスタントの方は、キリスト教会を真っ二つに分断して今日に至っているが、両方とも、ルネサンスの申し子とも言うべきグーテンベルグの恩恵を最大限に活用したと言うから、現在のデジタル革命と符合しているようで面白い。
   ベルリンの壁の崩壊は、ラジオ無線、アラブの春は、SNS、情報伝播の威力を感じる。

   免罪符に対する憤りは、現在では、ウォール街占拠せよ運動We are 99%.に典型的に体現されていると言うのだが、世界中のあっちこっちで、異常な格差拡大と富の偏重に幻滅した大衆が、大規模な抗議行動や暴動を起こしている。
   この世直しと言うべき大衆の大パワーについて、著者たちは、非常に示唆に富んだ貴重な議論を展開しているのだが、今回は、ちょっと違った切り口から持論を述べてみたいと思う。

   AFPが、「炎上するアマゾン、ネットで話題に ブラジル大統領はNGO非難」と報じていた。
   森林伐採の監視を担当するINPEが、ここ数か月の急激な森林伐採の増加を示す統計を公表して、また、近年最悪だと言うアマゾンの森林火災の頻発に世界中の非難を浴び、ボルソナロ大統領は怒りに駆られて、これに反論し、「こういったNGOが私とブラジル政府に対して人目を引き付けるために行った犯罪行為」が森林火災の原因かもしれないと指摘した。と言うのであるから、詭弁もここまでくれば言語道断。
   火災による延焼面積は現時点では計測不能だが、サンパウロ(Sao Paulo)含む複数の都市はここ数日、厚い煙で覆われていると伝えられており、民間航空便が航路変更を余儀なくされる事態にもなっている。と報じていたが、
   このアマゾン熱帯雨林の火災の凄まじさは、今日のABCニュースで、衛星から殆どアマゾン全域を覆うほどの広範囲の煙の映像と、日中ながら煙に覆われて真っ暗になった何千キロも離れたサンパウロの情景を映していて、私は、4年住んでいたので、背筋が凍る思いをした。
   アマゾンの森林は、気候変動の抑制に重要な役割を果たすとみられている。世界自然保護基金(WWF)は、森林火災が今年急増した原因がアマゾンでの森林伐採の加速にあると批判。と言うことだが、
   私が言いたいのは、世界中で蔓延しているエスタブリッシュメントに対して、そして、それらが築き上げている現在の政治経済社会に対して批判的な大衆運動は、歴史の必然として好ましいとは思っていても、その反動によるポピュリズムの急激な台頭、そして、どうしようもないような反文明反文化的なリーダーをトップに選ぶ国民大衆の愚かさを問題にしたいのである。
   例えば、地球温暖化、環境破壊の凄まじさによって、この我々の住む大地・宇宙船地球号が、現時点においても極端な異常気象によるなど危機に瀕していることは事実であるにも拘わらず、パリ協定を破棄して環境破壊産業の保護育成に励む大統領を選んだり、ブラジルのように人類の生命線とも言うべきアマゾンを破壊することに生き甲斐を感じているような大統領を頂いて地球を窮地に追い込む大衆の愚かさである。
   ニッポンでもあった「ノック青島現象」、
   チャーチルは、「民主主義は最悪の政治といえる。」と言って、逆説的に、「民主主義こそが最良である」と言ったと言われているのだが、私自身は、今の選挙を見ていて、悲しいかな、民主主義そのものが、選択を誤って、人類を窮地に追い込む危険のある政治システムだと感じ始めている。

   著者は、差し迫った大きな社会の脅威は、社会の崩壊ではなく停滞だと言う。
   特に、世界の民主主義諸国では、本当の危険は暴力による分裂ではなく、そのような重圧を解決するのには慣れている。むしろ、危険なのは、ごまかし続けて、損害を与える地球環境破壊、不平等の拡大や社会不和、機会の喪失を受け入れるようになり、現代が齎す筈の成果から大きく遅れを取ることである。と言うのである。
   地球環境の悪化も、格差拡大の被害も、今、直接、危機的な状態ではないので、殆どの人々は問題にはしていないが、間違いなく”茹でガエル”状態にあるとするならば、機会の喪失以外の何物でもとないと思わざるを得ない。

   500年前のルネサンス期には、自然は殆ど既定の事実であって、人間の制御どころか影響さえ及ばない存在であったが、今日では、科学技術の驚異的な発展によって、人類は、自然さえ左右するパワーを得て、それ故に、人為災害と自然災害の区別がなくなってしまった。
   人類社会のつながりと発展の力は、複雑さと集中の問題を生み、例えば、人類と地球の気候との関係を見ても、あらゆる科学の中で屈指の複雑な現象になってきた。
   人間の独創力、冒険主義、探検、繋がりと協力、つまり、人間が良いと考える沢山の行動が、意図しない副産物を生む典型的な集中のジレンマの気候変動を惹起。人間の活動が、地球環境の限界に達してしまっていると言う厳粛なる事実が悲劇を呼ぶ。

   これ以上、駄弁を避けるが、
   ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」を、もう一度読もうと思っている。
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