熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

シーズンたけなわ~小学校の運動会

2011年10月01日 | 生活随想・趣味
   孫の小学校の運動会に出かけた。
   私の小学校の頃には、祖父母が孫の運動会を見に行くなどと言うのは、あまりなかったことだと思うのだが、私など、写真係を頼まれれば、鎌倉まで出かけて行く。
   鎌倉市役所のすぐ隣の御成山をバックに背負った御成小学校だが、運営などは、プログラムの作成から当日の実行まで、可成りを、子供たちの自主性に任せているようで、私たちの頃とは、随分と変わっていて面白い。

   まず、運動会で、徒競争やリレーなど、優劣を競う勝負が絡んだ競技があるのだが、昔は、1等から3等くらいまでの入賞者には、ノートや鉛筆と言った賞品がついていて、勝敗をはっきりと印象付けていたが、御成小の場合には、すべて、紅白の勝負と言うことで、夫々の競技の勝敗に点数が配されていて、最終の集計で、白組が勝つか紅組が勝つか、それだけで、丁度、紅白歌合戦と同じである。
   一頃のように、走った生徒は、順位には関係なく、すべて、1等賞と言った馬鹿らしいシステムとは違って、等級は結果として出て来るが、気にしないと言うことである。

   もう一つ、大きく違っているのは、昼の食事で、我々の頃には、母親などが思い思いの弁当やおやつなどを用意してやって来て、親子が一緒になって、食べるのを楽しみにしていた。
   しかし、御成小の場合には、子供にとって、色々な家庭事情があるので、子供たちは、弁当持参で教室に帰って食べると言うことで、親子別々である。
   今思えば、我々の子供の頃は、まだ、戦後の貧しさや余韻が残っていて、日頃弁当さえ持ってこれずに、その時間は、運動場に出て時間を潰していた子供が居たのを思い出して、楽しかった思い出のみで、そんなことに気付かなかった自分を思うと胸が痛む。

   ところで、車いすの生徒たちも、全く、同じグラウンドに出て、出来るだけ同じ競技に出て輪の中に溶け込んでいることで、見ていて、何の異質感もなく、子供たちも喜んでいるようで、これは非常に良い。
   それに、気付いたのは、文化平和都市・鎌倉の所為もあるのであろう、外国の人たちの子弟が、ちらほらいることで、国際色を感じることである。

   興味深かったのは、騎馬戦での子供たちの闘争精神の差で、俊敏で頭の良い子は、コマンドしているのであろう、駆け出しから大将の風格があり、瞬時に勝負をつけてしまう。
   可愛い女の子が、にこにこしながら、騎馬戦に興じている姿も微笑ましいが、攻められれば、大きな男の子の騎馬に、敢然と挑んで行き、隙をついて帽子を落とすのも面白い。
   それに、リレー競争など、10メートルも差があったのに、ゴール寸前で、追い抜く妙技など、子供の競技だと思いながらも、興奮してくるのも不思議である。

   運動会は、小学校、中学校、高校と夫々懐かしい思い出があって、随分懐かしく、夫々の故郷の思い出が、怒涛のように吹きだして来て、走馬灯のように何時までも心の中を駆け巡るのだが、私には、何故か、甘酸っぱい思い出の方が嫌に強く印象に残っていて、一層、あの頃が懐かしくて仕方がなくなる。
   
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