熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

上方古典芸能の魅力とは・・・関西弁の威力?

2007年01月04日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今日の日経朝刊に、住大夫と仁左衛門の対談「上方古典芸能の魅力を語る」が掲載されていて、二人が消え行きつつある(?)上方古典芸能の残照をいとおしみながら語っている。

   仁左衛門の方は、「上方歌舞伎で修行し、東京で人気役者に。」などと日経が紹介しているのだから、出自は関西でも殆ど活躍の舞台は東京であり、兄の秀太郎とは違う。
   東京では、歌舞伎座の他に新橋演舞場や国立劇場等でも同時に座が立つ程公演回数も多く観客も多いが、関西の場合は、大阪と京都と合わせても歌舞伎公演がない月が多いほど人気がないので、当然、歌舞伎役者として身を立てるためには東京ベースにならざるを得ない。
   
   文楽の方は、まだ、本拠が大阪にあり活躍の中心が大阪であることもあって大夫も三味線も人形遣いも関西ベースであるが、住大夫は、関西弁のすたれを何時も気にしている。
   今回も、「文楽の人間でも、この頃訛りまんねん。」と言い、仁左衛門が「大阪訛り?」と聞くと、
「東京が訛ってまんねんで。芸術や文化の発祥は大阪、京都でんねん。私は関西弁が標準語や思うてます。それやのに、文楽の楽屋で、「いくらだっけ、何だっけ」。舞台で訛らんとやっても、体から出てくるニュアンスがありまへん。」と答えている。
   仁左衛門が、自分は大阪でも京都でもない中途半端な関西弁だが、父の先々代仁左衛門は、京都、大阪の中でも場所によって違う言葉を全部会得していたと言う。

   関西弁については、先月、木村政雄氏の関西弁論に触れて書いたが、昔高校生の頃古文を勉強していて、結構現実の関西弁と同じで十分に意味が通じるのに何故現代語約しなければならないのか疑問に思ったことがある。
   関西言葉は、日本古来からの長い伝統と歴史、そして生活のバックステージを色濃く引き摺っているので、意味が重層していて極めてニュアンスが豊かになっているような気がする。
   大阪商人の曖昧な表現以上に曖昧なのが京都言葉で、一般庶民にはあまり関係ないかも知れないが、絶えず政変とかで為政者が交代して上に立つ人間が変わるので、股座膏薬のように両天秤かけておかないと安心した生活を送れない。  
   京都人はどっちに転んでも生きて行けるように、どっちにも取れるような表現で曖昧に対応しようとしてきたのでニュアンスが豊になり過ぎる。
   何れにしろ、同じ言葉の数で幾重にもニュアンスを込め多くの意味を包含している関西弁のニュアンスは、どうしても東京弁には出ないと住大夫は言っているのであろうか。

   ところで、住大夫は、他の本で「近松は字あまりやからきらいでんねん。」と書いていたが、今回、仁左衛門が「父は治兵衛が大好きだったんですが、私、嫌いですねん。」と言ったら「アホな男ですわ、私も嫌い。」と言って「だいたい、近松もんが大嫌いでんねん。」とハッキリと言っている。
   近松を否定しているのではなく、「河庄の場面は治兵衛の出がいまだに迷うんです。」と言っているので、近松文学の表現の難しさに苦労していると言うことであろうか。
   
   ところで、関西弁と東京弁との差で考えた場合、英語と米語ではどうであろうか。
   私が最初に学校で学んだのは英語だったが、いつの間にか米語に変わってしまっていた。
   「Have you a pen ?」が「Do you have a pen ?」に変わったのである。
   私のEnglishなど好い加減だが、最初はアメリカの大学院だったから米語でスタートしたが、その後イギリスでのビジネス期間の方が長くなったので英語に変わったはずだが、「Do you have a pen ?」を通している。
   アメリカ人の場合はあまり言葉を気にしているようには思えなかったが、それでも、ニューイングランドのWASPの言葉を評価していたようだし、イギリスに到っては、ロンドンそのものが最初から最後まで首都で中心であったから、やはり、ロンドン英語であった。
   それに、シティなどではオックスブリッジ訛りの英語が巾を利かせていた。
   やはり、英国は伝統の国で、正当なクイーンズイングリッシュを話せることが必須で、英人の友人達が秘書は絶対に正しい英語を喋れないとビジネスに影響すると言って面接を買って出てくれた。
   学歴や出自に対して喧しいイギリスで、サーカス芸人の息子でオックスブリッジを出ていないメイジャー氏が首相になったので少しは風通しが良くなったのであろうか。

   さて、歴史上、これほど大切な民族の魂と言うべき言葉を拒否されて生活しなければならなかった民族や国民が多くいたし、文化や宗教に到ってはいまだに迫害・排除されている人々がいる。
   日本自身も、絶対にしてはならない民族の誇りを踏み躙った過去があり慙愧に耐えないが、現在、自分自身が自由に発想し自由に生活をしながら、民族固有の言葉でものを考え生きている幸せを感じざるを得ない。
   それに、幸いにも、ネイティブな関西弁と標準日本語を理解できる恩恵にも浴している。

   ところで、上方古典芸能であるが、伝統を残し継承して行くための肝心要は、それを観て聴いて鑑賞する観客が居ることである。関西弁で生活している観客が、文楽や歌舞伎鑑賞に劇場へ出かけて舞台を支える以外にない。
   時々、大阪の国立文楽劇場に出かけて舞台を楽しむことがあるが、東京と違って空席が多い。
   歌舞伎に至っては、観客の層が薄く少なくて東京のように連続して公演が打てないと言う。
   歴史もそうだが、ドンドン中心が移動して移って行く。
   いくら貴重な文化文明でも、会社と同じで、それを需要して支えてくれる顧客がいなければ滅びざるを得ない。
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