
先月27日に、このブログで、中西輝政教授やミアシャイマーの対中論について、”「マクドナルドのある国同士は戦争しない?」の欺瞞”と言うタイトルで、トーマス・フリードマンの「紛争防止の黄金のM型アーチ理論」と、それを発展させたデル・システムのようなジャスト・イン・タイム式サプライ・チェーンで密接に結合された国々の間では、旧来の脅威を駆逐(?)するので戦争など起こらないとする「デルの紛争回避論」を紹介して、
いくら、経済的関係が深くても、問題なく、紛争や戦争は起こり得ると言う見解について論じた。
ところで、寺島実郎氏は、「大中華圏」で、覇権型世界観からの脱却――米中覇権争いという世界観の貧困を説いていて、ヘゲモニーで世界をとらえるやり方は、冷戦時代の時代遅れの思考様式であると、このフリードマンの「デルの紛争回避論」に似た理論を展開して、経済の相互依存が高まり、情報ネットワークが深化すればするほど、相互依存の過敏性の状況に直面し、国同士の紛争や戦争などの可能性はなくなると言っている。
覇権型世界観は、既に終わりを告げており、グローバル化時代の世界認識が必要とされる時代であり、経済的に相互依存が深まって、貿易や投資を通じて世界が正に呼吸を一つするくらいになっている。いかなる国と言えども、自己完結できる国はないと言うのが、グローバル化時代の世界認識の基本であって、我々に残された選択肢は、しなやかな連帯しかなく、
相互依存の時代においては、極端に言えば、国民国家対国民国家の戦争と言うことさえ論理的には不可能なほど、お互いに依存しあっていて、全員参加型秩序の時代に行きつかざるを得ない。と言うのである。
従って、覇権についても、中国が如何にアジア太平洋や中東に進出し展開しても、今度は、これに対する反発と警戒が高まり、単独覇権を国家戦略の中心においている国など、もはや成立しえないし、要するに、アメリカも中国も、影響力最大化のゲームを演じているに過ぎないと言うのである。
さて、そんなに単純なものであろうか、と言うのが私の気持ちである。
中国の覇権国家志向については、
ジョン・J・ミアシャイマーは、「大国政治の悲劇」において、経済やビジネス関係の連鎖など、平和維持には何の関係もなく、とにかく、経済大国となれば、必ず、軍事力を強化して覇権を狙う危険な国になるので、中国が世界経済のリーダーになれば、その経済力を軍事力に移行させ、北東アジアの支配に乗り出してくるのは確実である。と説いていて、
多くのアメリカ人が、もし、中国の急速な経済成長が続いて「巨大な香港」へとスムーズに変化し、中国が民主的になってグローバル資本主義システムに組み込まれれば、侵略的な行動は起こさずに、北東アジアの現状維持で満足するであろうから、アメリカは経済的に豊かで民主的になった中国と協力して、世界中に平和を推進することが出来ると言うような甘いアメリカの関与政策が失敗するのは確実である。と、アメリカのリベラル派の対中国観を一蹴している。
現実の中国の軍事費の異常な拡大と軍事強化、そして、尖閣諸島問題や南沙諸島での近隣諸国等との国際紛争、アフリカ等発展途上国での天然資源争奪戦、チベットやウイグルへの弾圧等々を見れば、中国が世界の覇権を目指していることは、歴然たる事実であって、疑いの余地はなかろう。
また、中西教授は、
経済的な依存関係があれば、冷戦的対立や戦争が起こらないのかと言うことだが、答えは否で、歴史上、経済の相互依存関係がどれだけ深くても、戦争が起こっている事例は数限りなくある。
日米が開戦した太平洋戦争を考えても、あるいは、これ以上ないほどの緊密な相互依存関係にある国内での内戦の勃発を考えても、経済の相互依存が軍事対立や戦争を防ぐことが出来ないことは自明であって、日中の経済関係についても、国家を超えて「相互依存はもはや死活問題と言えるほど深い」と言うことは絶対にあり得ない。と言うのである。
下部構造の経済がいくらグローバル化してフラット化しても、上部構造の政治統合が実現不可能である以上、気まぐれな国家戦略や為政者の暴走によって、紛争は勿論、戦争の可能性さえ否定できないことは、ならず者国家の動向を見れば、あるいは、現在の尖閣問題での一部報道された軍部の暴走や異常な中国の好戦的世論の高まりを考えれば、残念ながら、明らかであろう。
現実にも、現在の中国の対日政策が、「デルの紛争回避論」的な日中の緊密な経済関係など、殆ど眼中にはないのは明白で、それにしても、図体だけは大きいのだが、一党独裁で民主主義でもなく法治国家でもなく、政治腐敗の酷さは限度を越えており、苦しんでいるのは日本企業だけと言った感じさえして悲しい。
また、もはや過去のものと寺島氏が否定する冷戦についても、中西教授は、
急速な経済成長を遂げた中国が、国力の増大にまかせてアジア太平洋への露骨な成長政策を取ったことによって、アメリカは、従来の「関与」政策から、「抑止」政策に転じて、今や、中国を盟主とする全体主義勢力と、アメリカを中心とする民主主義勢力とがアジア太平洋地域で対峙する、新たな冷戦が始まったのだと説く。
中西教授は、「迫りくる日中冷戦の時代」で、間違いだらけの中国観の章で、「中国市場」という呪縛で、日本企業は「チャイナ・マーケットの幻想」に完全に侵されていて最悪だと言う。
その中で、寺島氏が、テレ朝の「報道ステーション」で、「中国経済は回復軌道に入って来て内需が拡大している。いまや日本にとって中国の内需は外需ではなく、日本の内需なのである。」と言ったとして、その日中の経済を一つの単位と見る見方を、屈服だと信じがたい言葉だと非難している。
これは、寺島氏の大中華圏に関する見解の一端を日本のアプローチとして語っただけで、他意はないのであろうが、いくらグローバル経済が進展しても、国益・国籍とは無縁になり得ないとする中西教授にとっては、中国市場拡大に汲々する日本企業の動向と同様に、頭にくる発言であったのであろう。
寺島氏は、日本が避けなければならないのは安手のナショナリズムへの回帰であって、国権主義への誘惑を断って、あくまで民主主義国家として個人の自由と民主的な意思決定を大事にして、過去の反省と総括の中から作り上げてきた平和主義に徹した戦後民主主義を守り通すことだと主張しており、全く異存はない。
また、日本の価値は、技術を持った産業国家として、より新しい付加価値を技術によって生み出し、新しいイノベーションを通じて国際社会に貢献することだとも言っており、これも、至極尤もである。
確かに、日本企業は、何のためらいもなく、経済活動の拡大をのみ意図して、持てる技術と資本を投入して中国市場へアプローチして、中国の近代化や成長発展に貢献してきた。
しかし、私には、清国の建国から、欧米日列強による蹂躙に泣いた屈辱の近代の歴史を経て、やっと経済大国への道を驀進して、近い将来に世界最強のアメリカを凌駕出来るかもしれない可能性が見え始めた今こそ、漢民族が、中華思想を実現出来る千載一遇のチャンスだと考えて、覇権国家への夢(?)に向かって邁進しようと考えるとしても、あながち、間違っているようには思えないのである。
日本も日本企業も、中国に対しては、平和と経済文化交流の拡大以外に何の野心をも抱いていないことは明白な筈なのだが、私には、中国の世界戦略や対日政策については、この中国の世界戦略への意思と動向に対する懸念と不安を拭いきれないのが、正直なところで、悲しいかな、現在の中国に対しては、期待と不安が相半ばしている。
寺島氏の「大中華圏」は、非常に示唆に富んだ書物だと思っているのだが、今回は、中国の覇権と紛争回避論についてのみの感想に止めた。
いくら、経済的関係が深くても、問題なく、紛争や戦争は起こり得ると言う見解について論じた。
ところで、寺島実郎氏は、「大中華圏」で、覇権型世界観からの脱却――米中覇権争いという世界観の貧困を説いていて、ヘゲモニーで世界をとらえるやり方は、冷戦時代の時代遅れの思考様式であると、このフリードマンの「デルの紛争回避論」に似た理論を展開して、経済の相互依存が高まり、情報ネットワークが深化すればするほど、相互依存の過敏性の状況に直面し、国同士の紛争や戦争などの可能性はなくなると言っている。
覇権型世界観は、既に終わりを告げており、グローバル化時代の世界認識が必要とされる時代であり、経済的に相互依存が深まって、貿易や投資を通じて世界が正に呼吸を一つするくらいになっている。いかなる国と言えども、自己完結できる国はないと言うのが、グローバル化時代の世界認識の基本であって、我々に残された選択肢は、しなやかな連帯しかなく、
相互依存の時代においては、極端に言えば、国民国家対国民国家の戦争と言うことさえ論理的には不可能なほど、お互いに依存しあっていて、全員参加型秩序の時代に行きつかざるを得ない。と言うのである。
従って、覇権についても、中国が如何にアジア太平洋や中東に進出し展開しても、今度は、これに対する反発と警戒が高まり、単独覇権を国家戦略の中心においている国など、もはや成立しえないし、要するに、アメリカも中国も、影響力最大化のゲームを演じているに過ぎないと言うのである。
さて、そんなに単純なものであろうか、と言うのが私の気持ちである。
中国の覇権国家志向については、
ジョン・J・ミアシャイマーは、「大国政治の悲劇」において、経済やビジネス関係の連鎖など、平和維持には何の関係もなく、とにかく、経済大国となれば、必ず、軍事力を強化して覇権を狙う危険な国になるので、中国が世界経済のリーダーになれば、その経済力を軍事力に移行させ、北東アジアの支配に乗り出してくるのは確実である。と説いていて、
多くのアメリカ人が、もし、中国の急速な経済成長が続いて「巨大な香港」へとスムーズに変化し、中国が民主的になってグローバル資本主義システムに組み込まれれば、侵略的な行動は起こさずに、北東アジアの現状維持で満足するであろうから、アメリカは経済的に豊かで民主的になった中国と協力して、世界中に平和を推進することが出来ると言うような甘いアメリカの関与政策が失敗するのは確実である。と、アメリカのリベラル派の対中国観を一蹴している。
現実の中国の軍事費の異常な拡大と軍事強化、そして、尖閣諸島問題や南沙諸島での近隣諸国等との国際紛争、アフリカ等発展途上国での天然資源争奪戦、チベットやウイグルへの弾圧等々を見れば、中国が世界の覇権を目指していることは、歴然たる事実であって、疑いの余地はなかろう。
また、中西教授は、
経済的な依存関係があれば、冷戦的対立や戦争が起こらないのかと言うことだが、答えは否で、歴史上、経済の相互依存関係がどれだけ深くても、戦争が起こっている事例は数限りなくある。
日米が開戦した太平洋戦争を考えても、あるいは、これ以上ないほどの緊密な相互依存関係にある国内での内戦の勃発を考えても、経済の相互依存が軍事対立や戦争を防ぐことが出来ないことは自明であって、日中の経済関係についても、国家を超えて「相互依存はもはや死活問題と言えるほど深い」と言うことは絶対にあり得ない。と言うのである。
下部構造の経済がいくらグローバル化してフラット化しても、上部構造の政治統合が実現不可能である以上、気まぐれな国家戦略や為政者の暴走によって、紛争は勿論、戦争の可能性さえ否定できないことは、ならず者国家の動向を見れば、あるいは、現在の尖閣問題での一部報道された軍部の暴走や異常な中国の好戦的世論の高まりを考えれば、残念ながら、明らかであろう。
現実にも、現在の中国の対日政策が、「デルの紛争回避論」的な日中の緊密な経済関係など、殆ど眼中にはないのは明白で、それにしても、図体だけは大きいのだが、一党独裁で民主主義でもなく法治国家でもなく、政治腐敗の酷さは限度を越えており、苦しんでいるのは日本企業だけと言った感じさえして悲しい。
また、もはや過去のものと寺島氏が否定する冷戦についても、中西教授は、
急速な経済成長を遂げた中国が、国力の増大にまかせてアジア太平洋への露骨な成長政策を取ったことによって、アメリカは、従来の「関与」政策から、「抑止」政策に転じて、今や、中国を盟主とする全体主義勢力と、アメリカを中心とする民主主義勢力とがアジア太平洋地域で対峙する、新たな冷戦が始まったのだと説く。
中西教授は、「迫りくる日中冷戦の時代」で、間違いだらけの中国観の章で、「中国市場」という呪縛で、日本企業は「チャイナ・マーケットの幻想」に完全に侵されていて最悪だと言う。
その中で、寺島氏が、テレ朝の「報道ステーション」で、「中国経済は回復軌道に入って来て内需が拡大している。いまや日本にとって中国の内需は外需ではなく、日本の内需なのである。」と言ったとして、その日中の経済を一つの単位と見る見方を、屈服だと信じがたい言葉だと非難している。
これは、寺島氏の大中華圏に関する見解の一端を日本のアプローチとして語っただけで、他意はないのであろうが、いくらグローバル経済が進展しても、国益・国籍とは無縁になり得ないとする中西教授にとっては、中国市場拡大に汲々する日本企業の動向と同様に、頭にくる発言であったのであろう。
寺島氏は、日本が避けなければならないのは安手のナショナリズムへの回帰であって、国権主義への誘惑を断って、あくまで民主主義国家として個人の自由と民主的な意思決定を大事にして、過去の反省と総括の中から作り上げてきた平和主義に徹した戦後民主主義を守り通すことだと主張しており、全く異存はない。
また、日本の価値は、技術を持った産業国家として、より新しい付加価値を技術によって生み出し、新しいイノベーションを通じて国際社会に貢献することだとも言っており、これも、至極尤もである。
確かに、日本企業は、何のためらいもなく、経済活動の拡大をのみ意図して、持てる技術と資本を投入して中国市場へアプローチして、中国の近代化や成長発展に貢献してきた。
しかし、私には、清国の建国から、欧米日列強による蹂躙に泣いた屈辱の近代の歴史を経て、やっと経済大国への道を驀進して、近い将来に世界最強のアメリカを凌駕出来るかもしれない可能性が見え始めた今こそ、漢民族が、中華思想を実現出来る千載一遇のチャンスだと考えて、覇権国家への夢(?)に向かって邁進しようと考えるとしても、あながち、間違っているようには思えないのである。
日本も日本企業も、中国に対しては、平和と経済文化交流の拡大以外に何の野心をも抱いていないことは明白な筈なのだが、私には、中国の世界戦略や対日政策については、この中国の世界戦略への意思と動向に対する懸念と不安を拭いきれないのが、正直なところで、悲しいかな、現在の中国に対しては、期待と不安が相半ばしている。
寺島氏の「大中華圏」は、非常に示唆に富んだ書物だと思っているのだが、今回は、中国の覇権と紛争回避論についてのみの感想に止めた。