熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

森西真弓著「上方芸能の魅惑―鴈治郎・玉男・千作・米朝の至芸 」

2018年01月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   上方芸能の魅惑に加えて、鴈治郎・玉男・千作・米朝の至芸について解説された本だと言うので、15年前に出版された本だが、文句なく読みたくなってページを繰った。
   私が、舞台を観たのは、文楽の初代玉男と、鴈治郎の頃からの藤十郎だけなのだが、千作の狂言や米朝の落語については、最近よく劇場に通っていて、その後継者の芸を通じて学ぶこともあるので、非常に関心を持っている。
   藤十郎、玉男、米朝は、日経の私の履歴書などを読んでおり、また、千作は、狂言 三人三様 茂山千作の巻 など何冊かを読んでおり、この本に書かれていることは、殆ど既知ではあるのだが、偉大な芸術家、芸人の奥深い話は、何度、読んだり聞いたりしても興味深いのである。

   さて、この本の第一部は、「上方」とその特質 で、特に、江戸との比較において、大坂や京都、上方の歴史的な背景や文化を活写しながら、上方の芸、文化芸術の成長発展やその推移特質などを克明に描いている。
   古い話でもあり、多少専門的な話題にも及んでいるので、軽く飛ばし読み。

   今の大阪のイメージだが、たこやき、お笑い、タイガースと言うのだが、芸能の範疇では、「お笑い」が、大阪を代表しているのかも知れない。
   大阪では、漫才が盛んだし、落語も江戸と上方と比べると、人情噺に重きを置く江戸落語に対して、上方落語は笑いの多い滑稽噺を主流としている。
   ところで、興味深いのは、この大阪人が、笑いが好きで笑いの文化に理解があると言うのは、「笑う」「笑われる」と言うことに敏感だと言う風土をも表していると言うのである。
   近世の大阪では、人前で笑われると言うことを著しく忌避した、約束を破った際の制裁は鉄拳ではなく、公衆の面前で笑われることであった。
   何故、大阪では、人に笑われることを恥としたのか、それは、大阪は商いの都、町人の街であったので、大阪人にとっては、京都や江戸の様に、貴族や武士と言った身分制度と言う保証がなく、商人は保証が財産であり、約束を守って人格を高めるなど、自分を律し、男を磨いて信用を博することを旨としたのである。

   火事と喧嘩を好む江戸っ子、着倒れの京都、大阪人は、ひたすら人格高揚に励んでいた。商売の基本は、相手の信頼を得ることが必須条件、儲けると言う字は、信じる者と書く。
   笑いの文化を育んだ大阪は、同時に商人の形成する都市として、理非を正し、人格を磨く生き方を奨励し、自ら実行してきた。と言うのだが、
   笑われることを潔しとしない、その文化が笑いの芸を育んだと言う逆説的な解釈だが、面白い。
   以前に誰かが、大阪人気質はラテン系で、東京はアングロサクソン系だと言っていたのを思い出すが、風土なり歴史が育んだ気質の違いのような気がするし、長年にわたって積み重ねられてきた大阪弁なり京都弁が体現するど根性と言うか文化の差が、大きく作用しているように、私は思っているのだが、どうであろうか。

   いずれにしろ、著者の言うことは分からない訳ではないのだが、それでは、近松門左衛門が、曽根崎心中の徳兵衛や、冥途の飛脚の忠兵衛や、心中天の網島治兵衛などと言った、何故、あれ程、がしんたれで、どうしようもない程、腰抜けで不甲斐ない大阪男を描いたのであろうか。

   もう一つ面白いと思ったのは、新派の台頭で、旧態依然たる歌舞伎が窮地に立った時に、東京では実現しなかった、大阪では、新旧合同と言う新スタイルを生み出した。近世年間、歌舞伎を演じる芝居小屋や劇団には、江戸幕府が公許した大芝居と、それ以外の中・小芝居があり、江戸では両者の交わりはなかったが、上方では、両者の人的交流があり、実力と人気があれば、大芝居にも出られた。この実力を重んじる風潮が、新派と歌舞伎の交流を許した。と言うのである。

   この異業種の交流と言うか、上方の各界のトップ芸術家や芸人が集まって上方文化、上方芸能の振興を図ろうと言う動きは、「上方風流」の発会で実現しており、この中から多くの人間国宝や偉大な古典芸能のリーダーを輩出している。
   面白いのは、会員は30代で、40代であった千作や玉男は、入れなかったと言う。
   一流人が、異文化異文明の交流で切磋琢磨する、これがルネサンスを生んだメディチ・イフェクトだが、上方文化芸能も同じであろう。

   これによく似た動きは、武智鉄二に触発された藤十郎の多方面での芸歴や、千作・千之丞兄弟の異業種との芸の活動が能楽協会退会騒動を起こしたこととか、米朝の芸域の広さ豊かさなどに表れており、突出した優れた上方の芸術家や芸人には、タガなど嵌められないのである。
   東京で大学生活を送り、正岡容の薫陶を受けた米朝は、永六輔や小三治などとの「やなぎ句会」などを通じてでも関東との交流が豊かであり、落語界最高峰の知識人としての面目躍如である。
   
   第二部は、名人たちがつむぎだす上方芸能の魅力
   歌舞伎――鴈治郎、文楽――吉田玉男、狂言――茂山千作、落語――桂米朝、
   と言う形で、夫々の古典芸能の歴史や背景を俯瞰しながら、4人の偉大な古典芸能の世界を浮き彫りにしていて、非常に啓発的でもあり興味深い。

   文化芸術の世界も、世の中も、同じなのか、関西の経済的政治的地盤沈下で、豊かに育まれ、花開いていた上方文化や芸能が、少しずつ、フェーズアウトして行くような気がして、寂しさを感じている。
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