先日土曜日のBS2の「男はつらいよ」は、第29作「寅治郎あじさいの恋」であった。
京都と丹後の伊根を舞台にした実に情感豊かな一篇で、人間国宝の陶芸家を演じる片岡仁左衛門の品格といしだあゆみの実に清楚な、しかし情念を寅にぶっつけた激しい女の性に胸を打たれ、非常に印象深い私の好きな作品である。
寅が焼物師加納作次郎の仁左衛門に出会うのは、下鴨神社近くの加茂川べりで、下駄の鼻緒を切って困っている作次郎を、寅が手ぬぐいの端を裂いて器用に挿げてやる。
近くの店で焼餅を食べながら世間話をする。その後、作次郎に誘われて先斗町あたりの川床のある料亭に繰り込み、ここで、薀蓄を傾けて作次郎が語る焼物創りの芸術談義が面白いのだが、寅は酔いつぶれて芸者の膝枕で寝てしまう。
翌日、目を覚ましたのが、作次郎の自宅。これが東山区五条坂にある「河井寛次郎記念館」で河井の遺邸でのロケとか、作品や収集品で装飾された実に素晴らしい建物で、玄関から仕事場、部屋の佇まいなど非常に雰囲気があって日本の住居の芸術性と質の高さを見せてくれる。
脚本は、山田洋次監督とシェイクスピアの好きな朝間義隆氏なのだが、作次郎の語る陶芸への思い。
・・・土に触っているうちに、自然に形が生まれてくるんや、
こんな形にしょうか、あんな色にしょうか~てな事、
こりゃ頭で考えているのとは違うんや。
・・・こんなエエもん作りたいとかな、
人に褒められるよ~ってなあほな事考えてるうちは、
はっ、ロクなもんはでけへんねん。
・・・作るのではない、これ掘り出すのや。
土の中には美しいい・・もんがいてなあ、
出してくれ、出してくれ・・はよ出してくれ言うて泣いてんねん。
これを聞いている寅は、酔い潰れているのに器用に相槌を打つのだが、仁左衛門の芸の頂点を極めた匠の技の熱い芸術論との対比とカリカチュアが、実に含蓄があって面白い。
翌朝、帰り際の寅は、
「何やって儲けた、おじいちゃん。
茶碗焼いただけではこれだけの家は建てねえもんな、
何か陰で悪いことをしちゃったりして・・・
フフフ・・まあいいや、色々あるからなあ、お互い言いたくないことは、」
仁左衛門の苦虫を噛み潰したような渋い顔が、二つの世界を鮮明にあぶり出す。
もっとも、この大きな屋敷の話は、第17話の宇野重吉扮する画家池ノ内静観にも出てくる。
悪徳金貸しになけなしの金を騙し取られた芸者ぼたん(太地喜和子)を助けるために、寅が、チョロチョロと描いた宝珠の絵が7万円で売れたので、静観にもっと色付きで大きな絵を描いてくれと頼みに行く場面。
絵を描くのは仕事、金儲けの為ではないと断られた時の寅の台詞、
「高い金でもってウッパラウからこういうどでかい屋敷に住んでんだろう。」
山田洋次監督は、寅に啖呵を切らせて、狂想曲を演じる絵や焼き物などの芸術の世界の不可解で御し難い密室の世界を、誠実で芸一筋の芸術家を通して告発しているのかも知れない。
「お礼がしたいネン。私の気持ちや、取っといて」と言って仁左衛門が寅に、重要文化財級の自作の「打薬窯変三彩碗」を渡すが、いらないと言いながら仕方なく受け取っての帰り際、弟子(柄本明)の胸におっぱいの様にあてて茶化し、お手玉のように投げ上げて帰って行く。
シガナイ渡世人の寅には、芸術品など無縁な世界。そんな庶民の世界と、人間の英知と匠の結晶のような芸術の世界が交錯しながら息づいているのがこの故郷日本。山田洋次が、千年のミヤコ京を舞台にして、愛情を込めて、生きる喜びと心の交流を、名優渥美清と人間国宝13代片岡仁左衛門に演じさせている。
五条坂あたりを散策していると清水焼の工房や店が沢山あって焼き物の世界が充満している。
京都に住んでいた仁左衛門の焼物師は、本当の人間国宝の陶芸家の雰囲気で、その格調の高い至芸に見とれていた。
残念ながら一度も歌舞伎の舞台を見ていないが、一度だけ、確か安宅産業をモデルにした映画で、破産して行く商社の当主を演じたのを見て強烈な印象を受けたのを覚えている。
この茶碗だが、柴又の庶民の世界に帰るとタダの茶碗。タコ社長が、灰皿代わりに使っているのを、柄本が三越の特別展に出品するために借り受けに来てその値打ちが認識されるのだが、とらやでのプラスチック食器の話や、寅の商売道具が接着剤や怪しげな茶碗で作次郎を名乗って売るのが面白い。
芸術を笑い飛ばすギャグとそのアイロニーが悲しくて面白い。
この窯変三彩碗を寅に渡す時、弟子の柄本は、神戸の美術館に嫁入りが決まっておりネコに小判の寅に渡すとその末路が分かっているので反対するのだが、作次郎は、
「エエがな、エエがな。
いずれ割れるもんや、焼き物は!」
いしだあゆみの素晴らしいマドンナについて書きたかったが、書けなくなってしまった。
京都と丹後の伊根を舞台にした実に情感豊かな一篇で、人間国宝の陶芸家を演じる片岡仁左衛門の品格といしだあゆみの実に清楚な、しかし情念を寅にぶっつけた激しい女の性に胸を打たれ、非常に印象深い私の好きな作品である。
寅が焼物師加納作次郎の仁左衛門に出会うのは、下鴨神社近くの加茂川べりで、下駄の鼻緒を切って困っている作次郎を、寅が手ぬぐいの端を裂いて器用に挿げてやる。
近くの店で焼餅を食べながら世間話をする。その後、作次郎に誘われて先斗町あたりの川床のある料亭に繰り込み、ここで、薀蓄を傾けて作次郎が語る焼物創りの芸術談義が面白いのだが、寅は酔いつぶれて芸者の膝枕で寝てしまう。
翌日、目を覚ましたのが、作次郎の自宅。これが東山区五条坂にある「河井寛次郎記念館」で河井の遺邸でのロケとか、作品や収集品で装飾された実に素晴らしい建物で、玄関から仕事場、部屋の佇まいなど非常に雰囲気があって日本の住居の芸術性と質の高さを見せてくれる。
脚本は、山田洋次監督とシェイクスピアの好きな朝間義隆氏なのだが、作次郎の語る陶芸への思い。
・・・土に触っているうちに、自然に形が生まれてくるんや、
こんな形にしょうか、あんな色にしょうか~てな事、
こりゃ頭で考えているのとは違うんや。
・・・こんなエエもん作りたいとかな、
人に褒められるよ~ってなあほな事考えてるうちは、
はっ、ロクなもんはでけへんねん。
・・・作るのではない、これ掘り出すのや。
土の中には美しいい・・もんがいてなあ、
出してくれ、出してくれ・・はよ出してくれ言うて泣いてんねん。
これを聞いている寅は、酔い潰れているのに器用に相槌を打つのだが、仁左衛門の芸の頂点を極めた匠の技の熱い芸術論との対比とカリカチュアが、実に含蓄があって面白い。
翌朝、帰り際の寅は、
「何やって儲けた、おじいちゃん。
茶碗焼いただけではこれだけの家は建てねえもんな、
何か陰で悪いことをしちゃったりして・・・
フフフ・・まあいいや、色々あるからなあ、お互い言いたくないことは、」
仁左衛門の苦虫を噛み潰したような渋い顔が、二つの世界を鮮明にあぶり出す。
もっとも、この大きな屋敷の話は、第17話の宇野重吉扮する画家池ノ内静観にも出てくる。
悪徳金貸しになけなしの金を騙し取られた芸者ぼたん(太地喜和子)を助けるために、寅が、チョロチョロと描いた宝珠の絵が7万円で売れたので、静観にもっと色付きで大きな絵を描いてくれと頼みに行く場面。
絵を描くのは仕事、金儲けの為ではないと断られた時の寅の台詞、
「高い金でもってウッパラウからこういうどでかい屋敷に住んでんだろう。」
山田洋次監督は、寅に啖呵を切らせて、狂想曲を演じる絵や焼き物などの芸術の世界の不可解で御し難い密室の世界を、誠実で芸一筋の芸術家を通して告発しているのかも知れない。
「お礼がしたいネン。私の気持ちや、取っといて」と言って仁左衛門が寅に、重要文化財級の自作の「打薬窯変三彩碗」を渡すが、いらないと言いながら仕方なく受け取っての帰り際、弟子(柄本明)の胸におっぱいの様にあてて茶化し、お手玉のように投げ上げて帰って行く。
シガナイ渡世人の寅には、芸術品など無縁な世界。そんな庶民の世界と、人間の英知と匠の結晶のような芸術の世界が交錯しながら息づいているのがこの故郷日本。山田洋次が、千年のミヤコ京を舞台にして、愛情を込めて、生きる喜びと心の交流を、名優渥美清と人間国宝13代片岡仁左衛門に演じさせている。
五条坂あたりを散策していると清水焼の工房や店が沢山あって焼き物の世界が充満している。
京都に住んでいた仁左衛門の焼物師は、本当の人間国宝の陶芸家の雰囲気で、その格調の高い至芸に見とれていた。
残念ながら一度も歌舞伎の舞台を見ていないが、一度だけ、確か安宅産業をモデルにした映画で、破産して行く商社の当主を演じたのを見て強烈な印象を受けたのを覚えている。
この茶碗だが、柴又の庶民の世界に帰るとタダの茶碗。タコ社長が、灰皿代わりに使っているのを、柄本が三越の特別展に出品するために借り受けに来てその値打ちが認識されるのだが、とらやでのプラスチック食器の話や、寅の商売道具が接着剤や怪しげな茶碗で作次郎を名乗って売るのが面白い。
芸術を笑い飛ばすギャグとそのアイロニーが悲しくて面白い。
この窯変三彩碗を寅に渡す時、弟子の柄本は、神戸の美術館に嫁入りが決まっておりネコに小判の寅に渡すとその末路が分かっているので反対するのだが、作次郎は、
「エエがな、エエがな。
いずれ割れるもんや、焼き物は!」
いしだあゆみの素晴らしいマドンナについて書きたかったが、書けなくなってしまった。