先日、種の多様性について書いたが、フリードマンは、この本の下巻の「政治のメンターとしての母なる自然」で、現在の統治における人間社会の多様性の重要性を説いていて興味深い。
多様性を受け入れることは、変化する現在の環境で、レジリエンスを創出するうえで、環境による変動に影響があっても、何かの生物もしくはそれに似たものが、対処法を編み出してくれるように、多元性共存システムがある時には、それが、自動的に適応して、あらゆる形の危難を、処理できる問題に、あるいは何か有益なものにさえ変える。と言うのである。
尤も、精力的に多様性に取り組まなければ、シリアやイラクのように、単に多元的であると言うだけでは、緊張を増大させるだけであるが、
双方が話をして耳を傾ける対話や、譲り合い、批判精神、自己批判の上に築かれた真の多元的共存を実現した多元的な社会は、政治的な安定を享受する。加速の時代には、多元的共存のROIが急上昇し、経済と政治の両方の理由から、社会にとって唯一の最も重要な競争力になり、莫大な資産になる。と言うのである。
加速の時代に、多元的共存―――ジェンダー、思想、人種、民族の多元的共存―――を育む社会は、より創造的になり、他のことすべて平等になる傾向があり、世界のどこからでも最高の頭脳や才能を引き出し、多様な観点をより多く混ぜ合わせることができるので、多元的な国が創造力を伸ばす可能性が高いのは当然なのである。
フランス・ヨハンソンの「メディチ・インパクト:世界を変える「発明・創造性・イノベーション」の記事で、メディチがフィレンツェに築いた文化文明の十字路でルネサンスが生まれたことについて書いたことがあるが、正に、世界各地から画家彫刻家などの芸術家や文学者や科学者など、多くの偉大な頭脳や才能が糾合・結集して文化文明の十字路を形成して、これらの人類の英知が火花を散らしてパワーを炸裂させた結果であった。
これこそ、フリードマンの言いたい多様性の発露であろう。
ルネサンスついでなのだが、このイタリアで開花したルネサンスには、当時、最高峰の文化を誇っていたイスラム文化の影響が強かったと言うことを付記しておきたい。
文化文明が停滞期にあったヨーロッパを、メソポタミア文化を継承しつつ、中国、インド、ペルシャの先進文化のみならず、高度なギリシャローマ文化を継承維持して進化発展させたイスラム文化が、触発した。
このあたり、10年ほど前に、今西先生などがチーフであったダンテ・フォーラムでその息吹を感じたので、その一端を披露すると、
”・・・樺山紘一先生が、紹介したのは、スペインの古文献学者アシン・バラシオスが、ダンテを研究し、「神曲」は、イスラムから霊感を得たと解釈していると言う学説である。永遠の女性と人間の聖化、地獄と煉獄の宇宙など、イスラムと共通だと言うのである。
当時のイタリアの学問体系が、イスラムに極めて近かったことは、ギリシャあたりの学者たちが、最先端を行くイスラム科学や文学等学問や芸術の翻訳文献を持ち込むなどして、大きく影響を受けていることは、良く知られている。
ついでながら、同席していた田中英道名誉教授は、ここぞとばかり、ダ・ヴィンチの母親はイスラム人で、ダ・ヴィンチの指紋はイスラム人のものであることが分かったと付け加えた。・・・”
このイスラム文明について、一寸違った切り口から、フリードマンが、触れている。
アルカイダやISISなどは、宗教や民族の多様性を排除して、モノカルチュアで純粋なイスラム世界を確立しようとしているが、アラブーイスラム世界が黄金時代であったのは、世界最大の混合文化を誇っていた8世紀から13世紀にかけてで、科学、数学、天文学、哲学、医学等々、偉大な知力が横溢して、まさに、学問芸術の中心であった。
これも、前述したフィレンツェと同様に、まさに、文化文明の十字路を形成して、当時のイスラムの学者が、中国、インド、ペルシャ、ギリシャなど、様々な文化文明の最高の学識を糾合し橋渡しに努め、それらの学識を統合昇華したからであって、この混合文化によって、アラブ世界は、途方もなく富み、健全になり、レジリエンスが高まった。
多様性を一掃し、陰謀理論や病的な考え方の影響に極めて脆い単一文化を築いて、イスラム世界を再興しようと言うのは、時代錯誤だと言うのである。
リチャード・フロリダが、多くの研究が、地理的な近接と文化の多様性―――他の文化、宗教、性的指向に開放的であること―――も、経済成長に多くな役割を果たしていることを示していると説く。
また、他の学説でも、地理的に解放性と文化の多様性と許容力が、経済の増進の原動力になると、多様性は経済成長を生み、均質性はそれを遅らせると言っている。
太陽の沈まない7つの海を支配した大英帝国の繁栄も、世界中から英知を結集して発展を続ける移民大国アメリカの発展も、この原理の発露であろう。
面白いのは、フリードマンは、
主流の民族もしくは宗教が多様ではない日本ですら、多元的な共存の考えを受け入れれば、適応するために、世界のどこからでも、最高の着想を手に入れると言う習慣をつければ、多元的共存の成果を享受できる。と言っているのだが、どうであろうか。
多様性を受け入れることは、変化する現在の環境で、レジリエンスを創出するうえで、環境による変動に影響があっても、何かの生物もしくはそれに似たものが、対処法を編み出してくれるように、多元性共存システムがある時には、それが、自動的に適応して、あらゆる形の危難を、処理できる問題に、あるいは何か有益なものにさえ変える。と言うのである。
尤も、精力的に多様性に取り組まなければ、シリアやイラクのように、単に多元的であると言うだけでは、緊張を増大させるだけであるが、
双方が話をして耳を傾ける対話や、譲り合い、批判精神、自己批判の上に築かれた真の多元的共存を実現した多元的な社会は、政治的な安定を享受する。加速の時代には、多元的共存のROIが急上昇し、経済と政治の両方の理由から、社会にとって唯一の最も重要な競争力になり、莫大な資産になる。と言うのである。
加速の時代に、多元的共存―――ジェンダー、思想、人種、民族の多元的共存―――を育む社会は、より創造的になり、他のことすべて平等になる傾向があり、世界のどこからでも最高の頭脳や才能を引き出し、多様な観点をより多く混ぜ合わせることができるので、多元的な国が創造力を伸ばす可能性が高いのは当然なのである。
フランス・ヨハンソンの「メディチ・インパクト:世界を変える「発明・創造性・イノベーション」の記事で、メディチがフィレンツェに築いた文化文明の十字路でルネサンスが生まれたことについて書いたことがあるが、正に、世界各地から画家彫刻家などの芸術家や文学者や科学者など、多くの偉大な頭脳や才能が糾合・結集して文化文明の十字路を形成して、これらの人類の英知が火花を散らしてパワーを炸裂させた結果であった。
これこそ、フリードマンの言いたい多様性の発露であろう。
ルネサンスついでなのだが、このイタリアで開花したルネサンスには、当時、最高峰の文化を誇っていたイスラム文化の影響が強かったと言うことを付記しておきたい。
文化文明が停滞期にあったヨーロッパを、メソポタミア文化を継承しつつ、中国、インド、ペルシャの先進文化のみならず、高度なギリシャローマ文化を継承維持して進化発展させたイスラム文化が、触発した。
このあたり、10年ほど前に、今西先生などがチーフであったダンテ・フォーラムでその息吹を感じたので、その一端を披露すると、
”・・・樺山紘一先生が、紹介したのは、スペインの古文献学者アシン・バラシオスが、ダンテを研究し、「神曲」は、イスラムから霊感を得たと解釈していると言う学説である。永遠の女性と人間の聖化、地獄と煉獄の宇宙など、イスラムと共通だと言うのである。
当時のイタリアの学問体系が、イスラムに極めて近かったことは、ギリシャあたりの学者たちが、最先端を行くイスラム科学や文学等学問や芸術の翻訳文献を持ち込むなどして、大きく影響を受けていることは、良く知られている。
ついでながら、同席していた田中英道名誉教授は、ここぞとばかり、ダ・ヴィンチの母親はイスラム人で、ダ・ヴィンチの指紋はイスラム人のものであることが分かったと付け加えた。・・・”
このイスラム文明について、一寸違った切り口から、フリードマンが、触れている。
アルカイダやISISなどは、宗教や民族の多様性を排除して、モノカルチュアで純粋なイスラム世界を確立しようとしているが、アラブーイスラム世界が黄金時代であったのは、世界最大の混合文化を誇っていた8世紀から13世紀にかけてで、科学、数学、天文学、哲学、医学等々、偉大な知力が横溢して、まさに、学問芸術の中心であった。
これも、前述したフィレンツェと同様に、まさに、文化文明の十字路を形成して、当時のイスラムの学者が、中国、インド、ペルシャ、ギリシャなど、様々な文化文明の最高の学識を糾合し橋渡しに努め、それらの学識を統合昇華したからであって、この混合文化によって、アラブ世界は、途方もなく富み、健全になり、レジリエンスが高まった。
多様性を一掃し、陰謀理論や病的な考え方の影響に極めて脆い単一文化を築いて、イスラム世界を再興しようと言うのは、時代錯誤だと言うのである。
リチャード・フロリダが、多くの研究が、地理的な近接と文化の多様性―――他の文化、宗教、性的指向に開放的であること―――も、経済成長に多くな役割を果たしていることを示していると説く。
また、他の学説でも、地理的に解放性と文化の多様性と許容力が、経済の増進の原動力になると、多様性は経済成長を生み、均質性はそれを遅らせると言っている。
太陽の沈まない7つの海を支配した大英帝国の繁栄も、世界中から英知を結集して発展を続ける移民大国アメリカの発展も、この原理の発露であろう。
面白いのは、フリードマンは、
主流の民族もしくは宗教が多様ではない日本ですら、多元的な共存の考えを受け入れれば、適応するために、世界のどこからでも、最高の着想を手に入れると言う習慣をつければ、多元的共存の成果を享受できる。と言っているのだが、どうであろうか。