北野白梅町から嵐電に乗って、御室駅に出た。
改札を出て、北口へ出ると、もう、目の前に、巨大な二王門見えている。
これまで、何回も門前を通り過ぎたのだが、何故か、学生時代以来、何十年ぶりかの入山である。




このお寺の良さは、境内のオープンな雰囲気で、広い境内に、塔中など構築物が広く散在していて、多くの古社寺のように、圧迫感がないことである。
仁王門をくぐると、金堂までは、一直線の広い参道が伸びている。


この金堂だが、1613年建立の旧皇居の正殿・紫宸殿を移建改築したもので、屋根を檜皮葺きから瓦葺きに変えたが、近世の寝殿造遺構を残した宮殿建築の雰囲気を残していると言われている。
唯一の国宝建築で、非常に美しい建物である。



境内には、観音堂、御影堂などの重文の建築物が立っているのだが、私には、やはり、重文の五重塔に関心があった。
多宝塔も含めて美しい五重塔や三重塔などを見たくて、随分歩いてきたのだが、この仁和寺の塔も、木立の間に見え隠れして、大和の古寺のようなオープンな雰囲気はないのだが、美しい。



仁王門を入ると、右手に拝観入り口があり、そこから、宸殿や黒書院、白書院などのある御殿を見ることが出来る。
日本の古社寺には珍しく、三脚を立てたり、フラッシュを使わなければ、写真を自由にとって良いと言う。
余談ながら、欧米の博物館美術館、寺院などでも、大概、写真撮影は自由なのだが、日本だけは、意味もないのに写真撮影禁止が多い。
入り口に、屏風の前に生け花が置かれていた。シンプルだが、御室流とと言うことであろうか。



入った瞬間から、白砂の敷き詰められた宸殿の南庭越しに臨む勅使門や仁王門が素晴らしい。
本格的な日本庭園である宸殿の北庭も、今は、彩には寂しいが、重厚な佇まいが、何とも言えない落ち着きと清新な気持ちを味わわせてくれて、何時間もじっと眺めていたい。
京都の古社寺の良さは、建物も庭園も、そして、仏像も障壁画も襖絵も、日本の伝統文化歴史の奥深さを、一度に何拍子も揃って鑑賞できることであっる。



豪華な宸殿や書院などの雰囲気は流石で、襖絵も新しいようだが、魅せてくれる。
映画のロケに使うと、素晴らしいセットになりそうである。
廊下の板戸に面白い絵が残っていた。









さて、仁和寺は、能「経政」の舞台である。
仁和寺御室御所に仕える行慶僧都が、法親王の命により、一の谷の合戦で討ち死にした平経政(経正)を弔うこととなり、琵琶の名手として知られた経政が愛用した青山の銘の琵琶を仏前に据え、管弦講を行う。
経政の亡霊が現れて、花鳥風月を愛で、詩歌管弦に親しんだ在りし日を懐かしみ青山の琵琶を奏で、舞うのだが、あさましい戦いに苦しむ姿を見せ、修羅道に堕ちた身を恥じて暗闇に紛れて消え失せる。
11月に、国立能楽堂で、シテ今井清隆の金剛流の古式「経正」を鑑賞しており、雰囲気は感じている。
私など、吉田兼好の徒然草の、仁和寺の僧侶が、
”石清水に詣でたのだが、自分勝手な判断でふもとの付属の寺と神社に参っただけで、山の上にある肝心の石清水八幡宮の本殿には参らずに、帰ってきてしまったという失敗話。すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。と言う話や、
これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、・・・傍らなる足鼎を取りて、頭にかづき・・・顔をさし入れて舞ひ出でたるに、満座興に入ること限りなし。
しかし、その鼎が抜けなくなって、医者も見放してしまい、・・・わらのしべを周りに差し入れて、首も千切れるばかりに引き抜いたら、耳も鼻もかけたが、命ばかりは助かったもののながく病みついた。と言った話の方がなじみ深い。
この仁和寺には、遅咲きの御室桜の庭園があって、奇麗な桜が咲く。
学生時代には、嵐山から嵯峨野、そして、仁和寺を経て、竜安寺、金閣寺と、桜を求めて、良く歩いたのを思い出す。
改札を出て、北口へ出ると、もう、目の前に、巨大な二王門見えている。
これまで、何回も門前を通り過ぎたのだが、何故か、学生時代以来、何十年ぶりかの入山である。




このお寺の良さは、境内のオープンな雰囲気で、広い境内に、塔中など構築物が広く散在していて、多くの古社寺のように、圧迫感がないことである。
仁王門をくぐると、金堂までは、一直線の広い参道が伸びている。


この金堂だが、1613年建立の旧皇居の正殿・紫宸殿を移建改築したもので、屋根を檜皮葺きから瓦葺きに変えたが、近世の寝殿造遺構を残した宮殿建築の雰囲気を残していると言われている。
唯一の国宝建築で、非常に美しい建物である。



境内には、観音堂、御影堂などの重文の建築物が立っているのだが、私には、やはり、重文の五重塔に関心があった。
多宝塔も含めて美しい五重塔や三重塔などを見たくて、随分歩いてきたのだが、この仁和寺の塔も、木立の間に見え隠れして、大和の古寺のようなオープンな雰囲気はないのだが、美しい。



仁王門を入ると、右手に拝観入り口があり、そこから、宸殿や黒書院、白書院などのある御殿を見ることが出来る。
日本の古社寺には珍しく、三脚を立てたり、フラッシュを使わなければ、写真を自由にとって良いと言う。
余談ながら、欧米の博物館美術館、寺院などでも、大概、写真撮影は自由なのだが、日本だけは、意味もないのに写真撮影禁止が多い。
入り口に、屏風の前に生け花が置かれていた。シンプルだが、御室流とと言うことであろうか。



入った瞬間から、白砂の敷き詰められた宸殿の南庭越しに臨む勅使門や仁王門が素晴らしい。
本格的な日本庭園である宸殿の北庭も、今は、彩には寂しいが、重厚な佇まいが、何とも言えない落ち着きと清新な気持ちを味わわせてくれて、何時間もじっと眺めていたい。
京都の古社寺の良さは、建物も庭園も、そして、仏像も障壁画も襖絵も、日本の伝統文化歴史の奥深さを、一度に何拍子も揃って鑑賞できることであっる。




豪華な宸殿や書院などの雰囲気は流石で、襖絵も新しいようだが、魅せてくれる。
映画のロケに使うと、素晴らしいセットになりそうである。
廊下の板戸に面白い絵が残っていた。









さて、仁和寺は、能「経政」の舞台である。
仁和寺御室御所に仕える行慶僧都が、法親王の命により、一の谷の合戦で討ち死にした平経政(経正)を弔うこととなり、琵琶の名手として知られた経政が愛用した青山の銘の琵琶を仏前に据え、管弦講を行う。
経政の亡霊が現れて、花鳥風月を愛で、詩歌管弦に親しんだ在りし日を懐かしみ青山の琵琶を奏で、舞うのだが、あさましい戦いに苦しむ姿を見せ、修羅道に堕ちた身を恥じて暗闇に紛れて消え失せる。
11月に、国立能楽堂で、シテ今井清隆の金剛流の古式「経正」を鑑賞しており、雰囲気は感じている。
私など、吉田兼好の徒然草の、仁和寺の僧侶が、
”石清水に詣でたのだが、自分勝手な判断でふもとの付属の寺と神社に参っただけで、山の上にある肝心の石清水八幡宮の本殿には参らずに、帰ってきてしまったという失敗話。すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。と言う話や、
これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、・・・傍らなる足鼎を取りて、頭にかづき・・・顔をさし入れて舞ひ出でたるに、満座興に入ること限りなし。
しかし、その鼎が抜けなくなって、医者も見放してしまい、・・・わらのしべを周りに差し入れて、首も千切れるばかりに引き抜いたら、耳も鼻もかけたが、命ばかりは助かったもののながく病みついた。と言った話の方がなじみ深い。
この仁和寺には、遅咲きの御室桜の庭園があって、奇麗な桜が咲く。
学生時代には、嵐山から嵯峨野、そして、仁和寺を経て、竜安寺、金閣寺と、桜を求めて、良く歩いたのを思い出す。