熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

世界の文化と日本の文化・・・ドナルド・キーン

2010年07月11日 | 学問・文化・芸術
   後世の人が、20世紀を振り返って褒めるとしたら、それは、東洋と西洋の邂逅であろう。
   初めて、東洋と西洋が接触して、理解しようとした、画期的なことである。
   こんな語り口で、ドナルド・キーン先生は、「知の役割 知のおもしろさ」と言うシンポジウムの基調講演「世界の文化と日本の文化」を始めた。

   ケンブリッジで勉強していた頃、(どうも、1950年代の前半のようだが、)何を勉強しているのかと聞かれて「日本文学」だと答えると、何故、猿真似の国の文学を勉強するのだと、10人中9人から聞かれたようで、当時、日本に関して欧米人が知っていた唯一のことと言えば、日本が猿真似の国であると言うことだったと語って、それ程、日本のことが知られていなかったのだと言う。
   また、日本の明治時代の西洋事情は、欧米への日本人留学生によって齎された翻訳本などからだが、その多くは、留学生の下宿のおばさんの知識情報から出ていたので、その知的水準に止まっており非常に怪しかったと言う。
   どうも、まともな知識情報の流れの最初は、アーサー・ウイリーの「源氏物語」の翻訳と、坪内逍遥のシェイクスピアの翻訳あたりからのようである。

   キーン先生は、源氏物語に関する興味深い話を語った。
   ウイリーが翻訳した「源氏物語」の初版本は、3000部の出版で、半分ずつが、イギリスとアメリカで販売されたと言う。
   しかし、現在は、3種類の英訳本があるが、毎年2万部ずつが売れていると言う。

   最近、キーン教授は、ポルトガル領のマデイラに行ったが、
   1000ページを超える源氏物語の訳本が良く売れていた。
   これは、エキゾチックな日本趣味を味わいたいからではなく、この物語には、普遍性と魅力があり、また、外人読者が、日本人と同様に、美しくて悲しい物語を読みたいと思うからだ、と語った。

   外人に対する日本人の質問は、決まって、刺身を食べるか、箸を使うか、だったが、日本人は、自分たちがユニークだと言うことを欲しているようだが、そんなことを証明する必要もないし、また、それを誇りに思うのはおかしい。
   欧米人が、能の値打ちを認めているのは、普遍的な魅力を持っているからで、日本の素晴らしい文学や芸術が価値あるのも、その特異性にあるのではなく、全く同様の理由だと言うのである。
   従って、近松門左衛門や井原西鶴のどこが猿真似か、奥の細道しかりで、正しい日本の姿が、欧米に知られて行くにつれて、日本は猿真似の国だと言うのが嘘だと分かって来たのである。
   
   私自身、欧米に14年住んでいたし、一泊以上滞在した国は40くらいあると思うので、多少、普通の人よりは、外国経験があると思うのだが、外国の人々と付き合ってきた接点の殆どは、自分が日本人であって外人とは違っていると言う感覚ではなくて、世界中どこへ行っても人間は皆同じなんだと言う強い感慨とその確認以外の何ものでもなかったような気がする。
   私など、先入感が強くて頭の固い、どちらかと言えば、日本愛の強い人間だと思うのだが、
   世界中を歩いて見て、色々な文化や伝統に触れて、素晴らしい芸術などに遭遇して来たが、例えば、どこでオペラやシェイクスピア劇を見ても、あるいは、ボカでタンゴを聞き、ブダペストでジプシーバイオリンを聞き、リスボンでファドを聞き、グラナダでフラメンコを見、そして、日本で歌舞伎や文楽を観るなど色々なパーフォーマンス・アートを鑑賞して、その素晴らしさに感激し続けて来たような気がする。
   そのオリジンには一切関係なく、人類が営々と築き上げてきた文化遺産の素晴らしさ、人間が人間として生きる喜びと悲しみを凝縮爆発させて生み出して来た普遍性が、時空を超えて人々を感激させるのではないかと思っている。

   私は、キーン先生の、源氏物語を外人が読むのは、美しくて悲しい物語を読みたいのだと言う言葉に、限りなく感動を覚えた。

   会場で、即売されていたキーン先生の「私と20世紀のクロニクル」を買って、帰りの電車の中で拾い読みをした。
   まず、目を引いたのは、「ナチ侵攻のさなか、『源氏』に没頭」と言うタイトルである。
   タイムズ・スクエアのゾッキ本書店で山積みにされているウィリー訳の『源氏物語』を見つけて、好奇心から読み始めて、その夢のように魅惑的で、どこか遠くの美しい世界を鮮やかに描き出しているのに心を奪われてしまった。
   1940年のことだから、日本が脅威的な軍事国家だとばかり思っていたのだが、世界の嫌なものすべてから逃れるために、源氏物語に没頭したのだと言う。
   源氏は深い悲しみと言うものを知っていて、人間であってこの世に生きることは避けようもなく悲しいことだと感じながら生きていた、その源氏の世界にどっぷりとつかりながら、まだ見ぬ、しかし、人生を変えてしまった異国日本に思いを馳せていたのかも知れない。

   この本のあとがきで、世界は随分変わったが、一番大切なものは同じままだとして、「源氏物語」を語っている。
   ”私たちの生活が千年前の貴族の生活といかに大きく違っていても、この小説が自分のことのようにわかるのは、紫式部が描いた感情の数々が私たち自身のものであるからだ。愛、憎しみ、孤独、嫉妬その他は、生活様式がいくら変わろうとも不変のままである。「源氏物語」であれシェイクスピアであれ、昔の文学を読む大きな楽しみのひとつは、時空を超えて人々が同じ感情を共有していることを発見することである。”
   東西の邂逅によって、お互いに理解し合おうと言う努力が、お互いの世界の価値ある普遍的なものを発見し理解が深まった。日本の文化や芸術が輝いているのは、日本人の生み出した人間精神の根本に根ざした普遍的な魂の輝きが認められたからであって、日本人が拘る日本は特異だと言う意識など末梢的で、日本文化は、世界、人類共通の普遍性に培われた価値あるものだと言うことを日本人自信が認識すべきだ、とキーン先生は言いたかったのであろう。

   キーン先生を、歌舞伎座やロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの公演などで見かけたことがあるが、講演を聞くのは初めてで、非常に面白かった。
   日本語に対する日本人の思い込みの強さを語っていたが、特に、面白いのは、外人は日本語が読めないので日本語は暗号のようなものだと思っていたことで、米兵には禁止されていた日記を日本兵は熱心に書いていたのだが、海軍で日本語の文書を翻訳する部署に配属されて、この日記を翻訳して機密情報をキャッチしていた。
   しかし、日本兵の心情を吐露した日記に感動した。時たま、ページの最後に、英文で戦争が終わったら日記を家族に届けて欲しいと書いてあり机の中に隠していたのだが、没収されてしまい痛恨の極みだと言う。

   これに関連して、キーン先生の日本文学に対する博学多識を、英文などへの翻訳を通じて得たものと思っていた東大教授が居たようで、日本人の学者以上に日本語に精通しているキーン先生の実力を分かっていない日本人が多いようである。
   今や、日本文学の講座のない外国の大学は一流ではないと思われていると、キーン先生が言う時代なのである。
   これに良く似た話を、昔、名文章家で有名な高峰秀子が、(子役から多忙極めていて学校も出ていないので)、誰かに書いて貰ったのだろうと言ったこれも東大教授が居たと言う話をしていたのを思い出した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする