熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

年賀状をプリントアウトした

2009年12月27日 | 生活随想・趣味
   今日、年賀状を書いた。
   書いたというより、プリントしたと言った方が正確であろう。
   数年前から、デジカメ写真処理ソフトについていたサンプルから適当なデザインを選択して、その年に撮った写真の一枚をプリントして差し替えて文章を加えると言ったシンプルな方法だが、この簡便法のおかげでかなり助かっている。
   昔は、印刷に出したり、写真店に頼んだりしていたのだが、ワープロが出始めてからは、自分でプリントアウトして、年賀状を作ることにしており、パソコンで、表の住所のプリントアウトが出来るようになってからは、もっと、楽になった。

   ところが、それが、年に一度の仕事なので、失敗続きで、今年も、気付かずに、平成22年 元旦を、21年にしてしまったり、裏表を間違って印刷して駄目にしたり、パソコンからのプリントなので、瞬く間に、プリントアウトされるので、ロスが多くて困っている。
   尤も、5円の手数料を払えば、新しいはがきと交換してくれるので助かっているが、駄目だなあと、時には嫌悪感を感じている。
   
   家族の動静も含めて克明に近況を伝える年賀状もあれば、その人の一年が手に取るように分かる親切な年賀状もあって、本当は、丁寧に近況などを書いて新年の挨拶を贈るのが本来なのであろうが、私の場合、ものぐさの上に、出す相手によって中身を変えるべしと言う気持ちが強いので、この頃は、どうしても気が進まず、適当に考えて同じ文章で通している。
   それに、ペンで、添え書きをすべきだと思っているのだが、考え始めると前に進まないので、結局、プリントアウトしたままで出して、失礼を続けている。

   先日、NHKBS1で、スペインでは、殆どの人は、携帯でクリスマスの挨拶を送り、紙のクリスマス・カードを送るのは、たったの2%だと報道していたが、日本でも、若い人の中には、年賀状を出さない人がいると聞く。
   イギリスにいた時、イギリス人の家庭を訪れると、部屋に端から端まで、糸を張って、送られてきたクリスマス・カードを日本の運動会の万国旗のようにぶら下げて飾っていたが、そのカードも多種多様で、日本の年賀状以上の入れ込みようである。
   IT革命、パソコン全盛で、もう、そんな公序良俗とも言うべきクリスマス風景が消えてしまうのかもしれないと思うと感慨を覚えざるを得ない。

   ブラジルとアメリカにいた頃には、出す相手も少なかったので、個人的に、カードを買ってきて、自分で書いていたが、オランダとイギリス在住時は、会社関係が多かったので、秘書が全部手配をしてくれて、私は、サインさえすれば良かった。
   海外にいた時には、日本の友人知人たちには、クリスマス・カードと言うわけにも行かないと思って送らず、年賀状も失礼して、特別な人に対してだけ、絵葉書で新年の挨拶を贈った。
   まじめに、年賀状を毎年送っているのは、日本に居た以前と、帰って来てからである。

   私は、別に虚礼廃止主義者ではないし、年賀状は不必要だとも思っていないので、親しい友人知人などに送っているが、亡くなったり、移転などで住所が分からなくなったりして、年々、少しずつ年賀状の枚数が減ってきている。
   年に一度だが、年賀状が届くだけでも、その人が元気で暮らしていることが分かって嬉しいし、その動静がよく分かれば、もっと嬉しい。
   年賀状は、本と同じで、パソコンの年賀状や携帯の年賀状とは違ったヒューマン・タッチの温かさがあって、スペインの一過性の携帯メール挨拶とは違う値打ちがあるように思う。
   絵手紙タッチで絵を描き、毛筆書きで年賀状を送ってくれる友など、天然記念物だと思っているのだが、毎年、年賀状の発売と同時に書き始めて、600枚丁寧に一人一人挨拶文を変えて出すと言っていた友人が、目が悪くなって、年賀状を出せなくなったと嘆いていたが、人夫々で興味深い。

   郵便局は、25日までに出せと言うが、まだ、宛名書きのチェックがあるので、明日の夕方出すことになろうか。
   いつも出すのが遅いので、元日に着いているのかどうか心もとない。
コメント
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