熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

料理は食について文化が累積した知恵の体現

2009年12月25日 | 学問・文化・芸術
   このタイトルは、マイケル・ポーランの「雑食動物のジレンマ」で紹介されたロジンの言葉だが、人間が火を使うようになって調理を覚え、動物の肉と植物を消化し易くして、初期の人類が摂取するエネルギーの量を格段に拡大し、190万年前の原人の脳を劇的に大きくしたと言われ、文化を生むようになった。
   このことは、雑食性である人間ゆえに起こり得たことで、草を食べる牛やユーカリを食べるコアラなどの単食動物は、ひたすらに何も考えずに、良い食べ物と悪い食べ物とを区別するだけで良かったのだが、何でも食べられる人間には、何を食べれば良いのか、想像も付かないようなストレスと不安が伴ってきた。
   人間は、大体の区別は最小は感覚が手伝ってくれるが、それを記録して保つためには文化に頼らなければならない。
   タブー、儀礼、マナー、料理の伝統などの複雑な構造によって、正しい食のルールを体系化する必要があり、このことが文化の創造に直結したのである。

   この料理と言う食のルールが、例えば、生の魚はわさびと一緒に食べるとか、すぐに腐る肉料理には抗菌性のある強いスパイスを使うなどと言った知恵が加わり、正に、料理とは、食についての文化が累積した知恵を体現したものとなったのである。
   従って、ある文化がほかの文化の食を取り入れた時には、それに関連した料理法と知恵を一緒に取りいれなければ、病気などの原因になる。
   この洗練された人間の味覚ゆえに、地域社会独特の食の嗜好や調理・処理法が、食卓に人を呼び集めるだけではなく、地域の集団として社会を纏める役目を果たすので、国の食文化は、極めて安定していると言うことである。

   ところが、今、世界中で日本食が異常なブームとなっているが、初期には、コスモポリタン性のある鉄板焼き、今日では、寿司などと言った洗練されてはいるだろうが比較的ヘルシーで料理度が低い日本食が主体のようで、このことが、グローバル市場での外国人のアクセスを容易にしているのであろうか。
   私は、長い海外生活で、日本からのお客さんなどの接客で経験しているが、逆に、日本人の大半は、素晴らしいフランス料理があるなどと言って薦めても現地の食には馴染めず、日本食に拘る傾向が強かった。
   尤も、新しい食べ物を料理する時には、よく使うスパイスやソースを使うなどしてよく知っている調理法によって、新しい食材も馴染みやすくなり、摂取の緊張を和らげられるので、海外旅行には、必ず、小さな携帯醤油瓶を持ち歩いている人がいたが、正解であろう。

   ポーランの指摘で面白いのは、アメリカには、しっかりとした食文化が存在したことがないので、この人間と食との関係を管理する食文化の力が弱いので、いろいろな苦しみをもたらしていると言うことである。
   移民たちがそれぞれの国の調理法をアメリカの食卓に持ち込んで来たけれど、どれもアメリカの食文化を纏めるほど強くはならなかったために、いかにも雑食動物の不安を招き、悪徳企業やエセ医者に付け入る隙を与えるなど、奇想天外かつ奇天烈な食品神話が生まれるなどして、アメリカ人の食生活に混乱を来たしてきたと言うのである。
   
   科学的研究や新しい政府指針、あるいは医学の学位を持ったたった一人の変人が、全米の食生活を一夜にして変えてしまうとか、天地をひっくり返すような栄養学的流行がアメリカ全土で猛威をふるうとか、とにかく、このような食についての不安を煽り立てて人々を翻弄する傾向が強いと言うことである。
   そして、正にこの状況が、食品業界には好都合で、マーケティングにこれ努めて、既に栄養を十分に取っている人に更に食品を売れないので、高度に加工した新商品を導入するなど市場シェア合戦に明け暮れて、不安定な食によって繁栄し、それを悪化させ続けているのだと言う。

   アメリカの通説では、ある特定の美味しい食べ物は毒だと決め付ける(今は炭水化物、昔は脂肪)。しかし、食事をどのように取るのか、あるいは、食に対してどう考えるのかが、実は食べ物そのものと同じくらい大切だと言うことが分かっていないと言う。
   アメリカ人は、何世代にも亘って殆ど変わらない食生活を続け、味や伝統と言う古めかしい基準に頼って食べ物を選ぶ文化があり、栄養学やマーケティングより習慣や喜びを重んじて食事する文化があり、この方が、はるかに、食生活が健全であり、文化度が高いことを認識すべきだと言うのである。
   ポーランは、ワインをがぶ飲みしチーズをむさぼる国民が、心臓病も肥満の率も自分たちより何故低いのか、フレンチ・パラドックスとして、フランスの食文化を語っていて面白い。

   この料理は、食文化の知恵の集積だと言う考え方は、随分以前だが、ヨーロッパ在住中に、ミシュランの赤本を片手に、片っ端から、星のあるレストランを回ったので、その凄さを肝に銘じている。
   アメリカのファスト・フードに対する、ヨーロッパの歴史と伝統を体現したスロー・フードの途轍もない食文化の値打ちをである。
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