熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

マイケル・ポーラン著「雑食動物のジレンマ」(1)~トウモロコシ漬けの危機的な食生活

2009年12月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   地球上の生命は、すべて光合成によって植物が獲得した炭水化物に貯蔵したエネルギーに対する競争である。その植物連鎖の環をひとつ上がる毎に、その植物エネルギーは殆ど消化さてしまってその10分の1になるので、被食者より捕食者の数が少なくなる。
   ところが、その環の最終段階にある人間が、今まで世界のどこにも存在しなかったトウモロコシ食動物と成り下がり、コモディティ化して湯水の如く生産され続けているトウモロコシに、完全に支配されてしまった。
   そのトウモロコシと言う工業の食物連鎖の恐ろしさを、マイケル・ポーランは、この本「雑食動物のジレンマ THE OMNIVORE'S DIRENMA」で説いており、特に、米国牛肉については、遺伝子組み換えや狂牛病問題などを交えずに、フォアグラを造る鵞鳥や鴨の様に、トウモロコシを押し込まれて工業的に増産されている恐怖の実態を活写していて、実に興味深い。

   本稿で扱う論点は、この著書の「第一部 トウモロコシ」だけに限るが、この部には、何故トウモロコシがアメリカを牛耳ったのかから説き起こして、農場から牛の肥育場、加工工場、肥満やファストフッドへ突っ走る消費者の実態に至るまで克明にレポートしており、アメリカの食物連鎖の問題点が良く分かる。
   実際に、子牛を買ってその飼育の過程を追跡するなど、密着レポートの迫力は抜群だが、食物連鎖を牛耳っているカーギルやADMなどの穀物メジャー(トウモロコシの3分の1を買い付け)の取材拒否に会って、悪い奴ほど良く眠る実態を暴露している。
   あのアイゼンハワー大統領がコインした「軍産複合体」と言う言葉を引用しながら実態に迫ろうとしており、アメリカ資本主義の悪と凋落が、金融資本による市場原理主義だけではないことを語っていて興味深い。
   
   さて、トウモロコシだが、その運命を変えたのは、窒素固定法による合成窒素の発見で、この合成肥料が、植物連鎖を、生物界から工業界の理に従わせることとなり、その恩恵を最も受けたのは交雑種のトウモロコシだと言う。
   合成窒素の半分以上はトウモロコシ栽培に使われており、膨大な化石燃料を食べ物に転換するプロセスが進行し、深刻な公害を引き起こす遠因となったのである。

   更に追い討ちをかけたのは、政府が、目標価格を保証してその差額を支払って農家にトウモロコシを売らせる制度を採っていたが、その後の農業法案で、アメリカの競争力を高めると言う名目で、目標価格を徐々に引き下げて行き、生産コストを賄えなくなった農家をどんどん破産に追い込んだ。
   しかし、何故、生産コストが高過ぎて逆ザヤなのに、トウモロコシが市場に溢れ続けて行くのか。
   問題は、極めて明瞭で、農家が生計を立てる為には、一定のキャッシュフローを維持することが必要であり、その為には、馬車馬のように働いて、少しでも生産量を増やしてキャッシュを得るしか方法がないからである。

   この過剰供給に陥って、どんどん安くなったトウモロコシを如何に処分するか。
   鉄道とカントリーエレベーターの発展によって、膨大なトウモロコシが、どんどん貯蔵され続けて行く。
   唯一の有効な方法は、如何なる方法であろうとも、フルスピードで売却して消費させることである。

   このトウモロコシの大半――五粒に三粒が行き着くのは、アメリカの畜産場であり、牛の餌となる。
   しかし、この過剰トウモロコシを、本来草しか食べない牛に食べさせて太らせ、1億頭の食肉牛に転換されるのだが、この自然の摂理に反した無理やりの飼料転換が、品種改良されたとしても、牛たちを病気に追い込み、これを避ける為に、多くの抗生剤が投与され続けている。
   人間は自ら食べる動物と同じ微生物生態系に住んでいるので、そこに起きることは人間にも起きる。
   それに、本来なら肥料となる動物の排泄物が有毒廃棄物となってしまって、近くの肥育場の堆肥沼の公害の惨状は目を覆うばかりであり、著者の持ち牛は勿論肥育場の牛たちも、粉塵の舞う分厚く積もった排泄物の上で寝起きしているのだと言うのである。

   カリフォルニア大学バークレーで教鞭を執る著者の言を半分にして聞くとしても、この問題提起は、狂牛病で米国産牛肉をチャックする以前の極めて深刻な問題であり、特に、米国産牛肉でないと駄目だと言う吉野屋は、この問題にどう答えるのか。
   
   さて、トウモロコシだが、直接に、トウモロコシを食べることは少ないが、その2割は、普通貨物列車で湿式製粉工場に輸送されて、ここで物理的な力や酸や酵素によって分解されるなど、正に、人間の消化機能の工場化が行われる。
   コーン油やコンスターチ、コーンシロップなどに精製されて、トウモロコシは大豆同様に、加工商品の基本部品として、何でも好きな加工食品として転換されて行く。
 
   食品で問題なのは、ある一定の量しか腹に入らないと言う「食欲の限界」で、ゼネラルミルズやマクドナルドやコカ・コーラなどと言った食品会社は、加工食品と言う悪いイメージを払拭するために「食品システム」と言う言葉で、製品を複雑化して付加価値を高める努力をして、あの手この手で、食品の売り込みに奔走している。
   ここでは、加工食品には食料科学が良いとするものが入っていて、原材料の生鮮食料品より加工食品の方がはるかに良くなり、腐るなどの自然に対する脆弱性も低くなるとして、著者は、新製品開発への動きを語っているだけで、批判の矛先を収めているが、果たして、そうであろうか。

   肝心のタイトルの雑食動物のジレンマだが、食品加工技術の向上によって、1キロカロリーあたりの糖と脂肪の価格を急落させ、エネルギーが詰まった食べ物が市場で最も安い食品になったことに問題がある。
   エネルギーが詰まった食べ物を求める遺伝子に組み込まれた動物の舌にとって、脂肪や糖類を口にすれば美味しく感じる。
   したがって、エネルギー密度を過剰に強調した食品システムが、エネルギー密度のずっと低い未加工食品に対して進化してきた筈の雑食動物・人間の感覚を欺いてしまったのである。
   
   ファストフッドが、その典型で、貧しい人々が、最も安いカロリー源である糖と脂肪を最も経済的に調達出来る手段となっており、このことが、肥満と糖尿病が、社会経済層の最も下の方で多く見られる理由でもある。
   著者は、もし、このトウモロコシが、飢えた世界中の食糧危機に喘ぐ人々に行き渡れば助かる筈だが、このアメリカのトウモロコシ中心の食物連鎖故に、ムダに消えて行く食糧エネルギーが如何に問題かを示唆していて興味深い。

   とにかく、読んでいて、食料安全保障の問題を、真剣に考えなければならないと感じた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする