電気製品の欠陥や食品偽装などに対するリスク管理の対応の拙さによって、企業が危機的な状態に追い込まれることがある。
インテルも、それまで386などとナンバーを打って発売していたマイクロプロセッサの新製品を、1993年に、ペンティアムと銘打って新発売したのだが、このバグで大変な試練に遭遇した。1994年10月30日のことである。
ことの発端は、バージニア州のリンチバーグ大学のトーマス・ナイスリー教授が、ペンティアムに問題があるのではないかとと言う趣旨の電子メールを、数多くの個人や組織に送信したこと。
タイトルは、「ペンティアムのFPU(浮動小数点数演算ユニット)のバグ」で、「・・・特定の除算を行うと、ペンティアムのFPUは誤った結果を出す」と言うもので、専門誌報道やIBMの発売停止などで追い討ちをかけられる等、その後のインテルの対応が悪く、社運を賭けて開発したペンティアムのバグ処理にグローブ等首脳陣は振り回されたのである。
当時、コンピュータ技術の世界では、バグは珍しくなく、不満の声はあがっていたがクレームの大合唱と言う程ではなく、社内でも欠陥については極一部の人間しか知っておらず、それ程深刻に考えずに処理しようとしたのが問題で、グローブ自身がインテルのあまりの繁栄に身震いしたと言う程であるから、世間にはインテルに対する根深い嫌悪感が広がっていた。
ペンティアムのバグが、インターネット上の議論になっているのを業界誌の注意を引き、「エレクトロニクス・エンジニアリング・タイムス」が記事として掲載して、更に、インターネット上の書き込み内容を知らされたりNASAからの電話を受けるなどで興味を持ったCNNのスティーブ・ヤング記者がインテルに押しかけて取材をして、CNNの番組「ナイトライン」でトップニュースとして放映したのである。
この番組は、インテルがペンティアムの欠陥に無頓着な様子を浮き彫りにした。
インテルのテクニカル・マネージャーが、「地球から太陽までの距離が、およそ数フィート違っている、そう言ったレベルの話です」と答え、それに、この問題を心配するメッセージが何百もネット上に掲載されて顧客からインテルの信頼性を疑られているにも拘らず、チップの交換に応ずるかどうかを検討すると言って、ペンティアムのリコールを発表する気配さえ示さなかったのである。
更に、悪いことに、comps.sys.intelにグローブ自身がメッセージを書いたのは良かったが、「お詫び致します。当社は無条件で総てのペンティアムを交換します。」と言うだけでよいのに、長々と技術的な説明などを書いて適切なメッセージを伝えられなかったと言う。
1982年と86年に発生したジョンソン&ジョンソンのタイレノールの異物混入事件の時には、間髪を入れずに全品改修して対応したのに比べると、あまりにも落差が激しく、その違いを聞かれた時に、J&Jは死人が出たが、インテルは人を殺していないと回答したと言うのであるから、リスク管理に対しても企業倫理やCSRに対しても、当時の超優良企業インテルのマネジメントは、お粗末限りなかったのである。
追い討ちをかけたのは、インテルの面目を潰そうと反撃のチャンスを覗っていたIBMのルイス・ガースナーで、品質の疑わしい製品の搭載を許さないと、ペンティアム搭載のパソコンの出荷中止を発表したのである。
その日の午前、インテルの株価は、1時間で、67.8ドルから58.4ドルへと急落したと言う。
このペンティアム・バグ事件は、何度も修羅場を潜ってきたグローブにとっても、絶対絶命のピンチであったようで、インテルが、押しも押されもしないトップ企業として君臨していたにも拘わらず、インテルの自己認識が着いて行っていなかったと言うか、急成長企業の悲劇を味わったのである。
結局インテルは、膨大な損失引当金を計上して処理したが、最後まで、徹底的に謝ると言う潔さに欠けて未練がましかったとテドローは記している。
しかし、このペンティアム・バグ事件で、製品が完璧でなければ、そっくりリコールして交換すると言う先例が出来上がった。
何故ここまで問題が深刻化したのか、グローブなりに反省したようで、
1.「インテル・インサイド」キャンペーンで、消費者への知名度が上がったが、社内にブランド・マネジメントの専門が一人も居らず、販売戦略の稚拙がCEOに跳ね返ってきた。
2.あまりにも、インテルが急速に巨大化し過ぎた。
3.インターネットの普及とその威力。 だったと述べているのだが、実際には、社内全体に蔓延していた慢心にあったと言うことらしい。
非常に面白いのは、パソコンの心臓部を製造販売しているインテルのCEOでありながら、インターネットの驚異的な威力については、この事件で思い知らされたようで、その後、インターネットには注意を払ったと言う。
出来すぎた話だが、グローブは、世の中の企業を電子メールを利用しているかどうかによって二つのカテゴリーに分けて、電子メールを利用している会社の方が、数段に仕事が速く組織の階層も少なく・・・業務の進め方も民主的になるようで・・・と高く評価していた。
ペンティアム騒動は、インターネットの威力を示す画期的な出来事だとテドローは言っているが、グローブが、自分自身が開発に心血を注いできた製品の素晴らしい活躍によって、窮地に追い込まれてしまったと言う笑えないような話も忘れてはならない。
インテルが、どれほど、ワシントンでロビー活動をしているのか書かれていないが、同じ様に快進撃を続けてトップ企業に躍り出たウォルマートも、同じ様に広報やリスク管理等で問題を起こしており、やはり、成長企業にとっては、身の丈に合った社会へのCSR対応やIRやPRは難しいようである。
インテルも、それまで386などとナンバーを打って発売していたマイクロプロセッサの新製品を、1993年に、ペンティアムと銘打って新発売したのだが、このバグで大変な試練に遭遇した。1994年10月30日のことである。
ことの発端は、バージニア州のリンチバーグ大学のトーマス・ナイスリー教授が、ペンティアムに問題があるのではないかとと言う趣旨の電子メールを、数多くの個人や組織に送信したこと。
タイトルは、「ペンティアムのFPU(浮動小数点数演算ユニット)のバグ」で、「・・・特定の除算を行うと、ペンティアムのFPUは誤った結果を出す」と言うもので、専門誌報道やIBMの発売停止などで追い討ちをかけられる等、その後のインテルの対応が悪く、社運を賭けて開発したペンティアムのバグ処理にグローブ等首脳陣は振り回されたのである。
当時、コンピュータ技術の世界では、バグは珍しくなく、不満の声はあがっていたがクレームの大合唱と言う程ではなく、社内でも欠陥については極一部の人間しか知っておらず、それ程深刻に考えずに処理しようとしたのが問題で、グローブ自身がインテルのあまりの繁栄に身震いしたと言う程であるから、世間にはインテルに対する根深い嫌悪感が広がっていた。
ペンティアムのバグが、インターネット上の議論になっているのを業界誌の注意を引き、「エレクトロニクス・エンジニアリング・タイムス」が記事として掲載して、更に、インターネット上の書き込み内容を知らされたりNASAからの電話を受けるなどで興味を持ったCNNのスティーブ・ヤング記者がインテルに押しかけて取材をして、CNNの番組「ナイトライン」でトップニュースとして放映したのである。
この番組は、インテルがペンティアムの欠陥に無頓着な様子を浮き彫りにした。
インテルのテクニカル・マネージャーが、「地球から太陽までの距離が、およそ数フィート違っている、そう言ったレベルの話です」と答え、それに、この問題を心配するメッセージが何百もネット上に掲載されて顧客からインテルの信頼性を疑られているにも拘らず、チップの交換に応ずるかどうかを検討すると言って、ペンティアムのリコールを発表する気配さえ示さなかったのである。
更に、悪いことに、comps.sys.intelにグローブ自身がメッセージを書いたのは良かったが、「お詫び致します。当社は無条件で総てのペンティアムを交換します。」と言うだけでよいのに、長々と技術的な説明などを書いて適切なメッセージを伝えられなかったと言う。
1982年と86年に発生したジョンソン&ジョンソンのタイレノールの異物混入事件の時には、間髪を入れずに全品改修して対応したのに比べると、あまりにも落差が激しく、その違いを聞かれた時に、J&Jは死人が出たが、インテルは人を殺していないと回答したと言うのであるから、リスク管理に対しても企業倫理やCSRに対しても、当時の超優良企業インテルのマネジメントは、お粗末限りなかったのである。
追い討ちをかけたのは、インテルの面目を潰そうと反撃のチャンスを覗っていたIBMのルイス・ガースナーで、品質の疑わしい製品の搭載を許さないと、ペンティアム搭載のパソコンの出荷中止を発表したのである。
その日の午前、インテルの株価は、1時間で、67.8ドルから58.4ドルへと急落したと言う。
このペンティアム・バグ事件は、何度も修羅場を潜ってきたグローブにとっても、絶対絶命のピンチであったようで、インテルが、押しも押されもしないトップ企業として君臨していたにも拘わらず、インテルの自己認識が着いて行っていなかったと言うか、急成長企業の悲劇を味わったのである。
結局インテルは、膨大な損失引当金を計上して処理したが、最後まで、徹底的に謝ると言う潔さに欠けて未練がましかったとテドローは記している。
しかし、このペンティアム・バグ事件で、製品が完璧でなければ、そっくりリコールして交換すると言う先例が出来上がった。
何故ここまで問題が深刻化したのか、グローブなりに反省したようで、
1.「インテル・インサイド」キャンペーンで、消費者への知名度が上がったが、社内にブランド・マネジメントの専門が一人も居らず、販売戦略の稚拙がCEOに跳ね返ってきた。
2.あまりにも、インテルが急速に巨大化し過ぎた。
3.インターネットの普及とその威力。 だったと述べているのだが、実際には、社内全体に蔓延していた慢心にあったと言うことらしい。
非常に面白いのは、パソコンの心臓部を製造販売しているインテルのCEOでありながら、インターネットの驚異的な威力については、この事件で思い知らされたようで、その後、インターネットには注意を払ったと言う。
出来すぎた話だが、グローブは、世の中の企業を電子メールを利用しているかどうかによって二つのカテゴリーに分けて、電子メールを利用している会社の方が、数段に仕事が速く組織の階層も少なく・・・業務の進め方も民主的になるようで・・・と高く評価していた。
ペンティアム騒動は、インターネットの威力を示す画期的な出来事だとテドローは言っているが、グローブが、自分自身が開発に心血を注いできた製品の素晴らしい活躍によって、窮地に追い込まれてしまったと言う笑えないような話も忘れてはならない。
インテルが、どれほど、ワシントンでロビー活動をしているのか書かれていないが、同じ様に快進撃を続けてトップ企業に躍り出たウォルマートも、同じ様に広報やリスク管理等で問題を起こしており、やはり、成長企業にとっては、身の丈に合った社会へのCSR対応やIRやPRは難しいようである。