熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

中央大学:ビジネス・スクール旗揚げ

2007年12月08日 | 政治・経済・社会
   日本の法曹界で重要な役割を果たしている中央大学が、ビジネス・スクールを来年開校する。
   一頃のビジネス・スクール開校ブームが一段落したかと思ったら、遅ればせながらと言うことであろうが、法学とのコラボレーションによるシナジー効果を活用したユニークな講座が開講されるのであろうかと興味を感じて「開設記念シンポジウム」に出かけた。
   「企業戦略と内部統制―守りから攻めへ―」をテーマにしたシンポジウムで、前公認会計士協会会長の藤沼亜起氏など新任教授たちが加わって講演やパネル・ディスカッションが行われたのだが、会計、金融、経営、商法などの多方面からの問題へのアプローチで面白かった。

   このビジネス・スクールの目的は、若い学生を相手にして企業家を育成するような大学の経営学部の延長のようなビジネス教育を行うのではなく、むしろ、実務経験豊かなビジネスマンを、「リーガルマインド」と「ビジネスマインド」を併せ持つ「高度専門職業人」に育成するプロの経営者予備軍を育てることのようである。
   既にある専門大学院「アカウンティング・スクール」と「ロースクール」との連携を図るなど、中央大学には、イギリスの法制度を学ぶべく実学を重視した開学精神が脈打っており、ユニークなビジネス・スクールが生まれるような気がしている。

   このスクールは、ビジネスマンに、更に高度な経営学を教授することによって、真のプロフェッショナルの経営者に育て上げることを目的としているので、戦略経営と経営法務を重視すると言う。
   ところで、今一番経営者に求められているのは、サスティナブルな地球環境の維持への使命感やCSRなどへの高い倫理道徳観などの高貴な経営哲学であり、日本の経営者に最も欠けていると言われるリベラルアーツの素養など、もっと人間的魅力の涵養であろうと思われる。
   プロフェッショナル教育とどのように折り合いを付けて行くのか難しい問題であるが、重要な使命である。

   私の学んだペンシルベニア大学ウォートン・スクールは、1881年創立の世界最古のトップクラスのビジネス・スクールだが、もう30年以上も前の卒業なので現状は良く分からないが、良くも悪くも、一世紀以上も、卒業生が世界のビジネス界の一翼をリードしてきたと言えるかも知れない。
   ケース・スタディ重視のハーバードと違って、どちらかと言えば講義スタイル主体のビジネス・スクールであった。
   遅れて出来てきたロンドンやヨーロッパのビジネス・スクールの設立を助けており、謂わば、ビジネス・スクールのトレンド・セッターの役割を果たしてきた訳だが、ミンツバーグが著書「MBAが会社を滅ぼす」で言うような問題を起こした責任の一端もあろう。

   私が言いたいのは、世界には、100年以上も歴史のある多くのビジネス・スクールが犇いており、今更、ビジネス・スクールでもないであろうと言うことで、敢えてビジネス・スクールを新設するのなら、特色を持った意義のあるものでなければ意味がないと言うことである。
   東京工大などが理工学との連携を図ってMOTを指向したビジネス・スクールを目指すなどが、その一例だが、日本のビジネス・スクールは、世界的に卓越した経済力と企業力があり、その意味では、世界をリードする新しいトレンドを創り出すことが出来る筈なのである。
   
   このブログでも、母校京大のビジネス・スクール新設についてコメントしたが、どうのようなビジネス教育が行われているのか、多少興味を感じている。
   京大の場合は、総合大学であり極めて優秀な多くの学部や研究所など付属組織を持っているのだから、この豊かな学際環境をフル活用すべきであると思う。
   このICT革命によってフラット化したグローバル経済社会に対処し、知識情報産業化社会におけるハイ・コンセプト、ハイ・センスに裏打ちされたクリエィティビティを生み出せるビジネス人材を育成する為にも、京都の培ってきた豊かな知の集積と知財の価値は計り知れない筈である。

   もう一つ京都でないと出来ないことは、日本経済に燦然と輝いている京都発の優秀な企業の秘密「京都式経営」を徹底的に解き明かして、京都経営学の真髄を追求して教えることである。
   歴史と伝統に根ざした人間の叡智の蓄積と伝統工芸などの技術等からも斬新かつクリエィテブな起業の発想が生まれるであろうし、ベンチャーや新規事業の種子は限りなく豊かな筈である。
   任天堂、京セラ、日本電産、島津、オムロン、村田、堀場、ローム、ワコール、タキイ、日本新薬等々、とにかく、古色蒼然とした京都から鬼子のような素晴らしい企業が生まれ続けている。
   また別の面から、イタリアのファッション関連クラスターなどを考えれば、京都発の文化価値の高い創造的な新産業とも言うべきクラスター誕生の場であっても、不思議ではないほど京都の持つ文化的な潜在的エネルギーは高いのである。
コメント
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