熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

久しぶりの宇治散策のひと時

2007年03月30日 | 生活随想・趣味
   宇治は、私が学生生活をスタートした最初の地で、正に、青春の思い出の凝縮した土地でもある。
   昔の兵器庫の跡地に作られた京大宇治分校も、入学後ほどなく閉鎖されて旧三高の吉田分校に統合されたのだが、あの当時は、全くの仮校舎といった感じで、塹壕がキャンパスのあっちこっちに残っていた。
   近所に、隠元和尚の創建した黄檗山万福寺があって、中国風の雰囲気が漂っていたのだが、この隠元和尚が請来したお茶の木が宇治茶の起源であろうから、周りに綺麗に刈り取られた茶畑もあった。

   私は、宇治駅の側の茶問屋の二階に下宿して、大学の生協で買った中古自転車で分校に通っていた。
   今のようにコンビニやデパチカのない頃で、三食は生協食堂でお世話になっていたので、殆ど毎日学校に出かけて行った。

   暇な時には、宇治川の畔をよく散策した。
   今でも、立ち木に遮られて宇治川の岸辺から平等院は見えないが、平等院の門前から岸辺に出て小橋を渡って宇治川に横たわる塔島と橘島に出て周りの風景を眺めるのもたのしみの一つであった。
   平等院の反対側には、小高い佛徳山の山並みが続き麓に宇治上神社や興聖寺がある。
   その間を宇治発電所からの水が勢いよく流れ出ていて、上流の天ヶ瀬ダムからの宇治川本流に合流して宇治橋の方に白波を立てて流れ下る。
   右手上流は、すぐに急峻な山に入るので元々水流は激しくて、佐々木高綱と梶原景季の宇治川合戦での先陣争いも分かろうと言うものである。
   この天ヶ瀬の山並みが四季折々に装いを変えながら変化して行く。特に、一日の内でも雨風や霧や靄、空気と陽のゆらめきに微妙に反応しながら時々刻々と変化してゆく風情は本当に素晴らしかった。

   久しぶりの宇治だったが、春たけなわなのにJR宇治駅で降り立つ観光客など誰もいない。バス客が大半でそれに京阪での観光が殆どで、JRは昔と同じのんびりした関西の田舎ローカル線のままで牧歌的なのが良い。
   懐かしい下宿の部屋の窓を眺めながら裏道の路地に入って平等院に向かった。
   今でも、新茶の季節に、この宇治は県神社の祭・県祭で賑わうのだが、これは夜の奇祭で昔は夜這いが許されていたとか言うことだが、とにかく、この辺りの路地は日中でも殆ど人通りがなく寂しい。
   平等院の門前は、茶問屋の売店や喫茶飲食店、みやげ物店が並んでいて多少小奇麗になったが観光ずれし過ぎて、昔のほっとした雰囲気が完全に消えてしまっていて寂しい。

   平等院正門の内外にある巨大な藤棚の藤はまだ蕾が固く、境内で咲いている花は、池畔の枝垂桜一本と、紅色のボケの大木一本だけで、桜はまだちらほらで華やかな春の風情はなかったが、うす曇の湿り気を帯びた爽やかな空気感が正に宇治そのものであった。
   鳳凰堂は、宇治川合戦など多くの混乱を経ながらも無傷のままよく歴史の風雪に耐えてきたと思う。何時見ても優雅で素晴らしいが、ことに、正面の阿字池に浮かぶダブルイメージは、空が夕闇に染まる頃が一番美しくて格別である。
   土門拳の「平等院鳳凰堂夕焼け」と言う茜雲に染まる夕空に浮かぶ甍を写した素晴らしい作品があるが、たった一枚しかシャッターを切れなかったようだが、屋根だけのイメージなので一寸惜しい。
   今なら、土門氏のように大型カメラを組み立てる苦労をしなくても、ブレ防止機能の付いた一眼レフなら、プロとは行かないまでもシャッターチャンスを失することなくそれなりの写真は撮れる。

   現在、国宝の阿弥陀如来坐像と天蓋の平成大修理中である。
   しかし、博物館・鳳鐘館で、修理の終わった光背の背もたれの部分である光背二重円部相部と箱型天蓋の正面と覆いの部分が展示されていて真近に見ることが出来る。
   ここには、ほかに、鳳凰堂の屋根の頂上の一対の鳳凰、梵鐘、52体のうちの26体の雲中供養菩薩像などの国宝が展示されている。
   私は、楽器を持ちながら雲中で楽を奏する菩薩達の像が好きで、最初に阿弥陀堂の四方の白壁に浮かぶ色々な楽師たちの彫刻を見たときには感激したのだが、あの法隆寺の天女像なども同じで、ハレの儀式には雅楽の演奏と天女の舞は欠かせなかったのであろう。

   学生の頃何度も訪れた時には、梵鐘も鳳凰も野ざらしであったし、阿弥陀堂の御仏や雲中供養菩薩像も昔のままの状態で安置されていた。
   今回、修理の終わった阿弥陀如来像だけは阿弥陀堂に安置されていたが、美しく金箔を施された坐像が、光背も台座も天蓋もなしに安置されていると聞いたので、今までのイメージを壊したくないので、完全に修理が終わるまで待とうと思って阿弥陀堂に入るのを止めて平等院を出た。
   
   塔島から橘島に歩き小橋を渡って対岸に出て、宇治上神社に向かった。
   宇治神社の境内を左に抜けて進むと公道の真ん中に赤い鳥居が見えて、その道のずっと前方に簡素な門があり拝殿が見える。
   この神社は、国宝であり世界遺産でありながら、境内出入りは拝観料なしの全くフリーパスである。
   もっとも、名水の桐原水と小さな祠春日神社とが付属した、拝殿と本殿が二列に並んだだけの小さな神社であるが、背後の本殿が面白い。
   
   非常にカーブの急な湾流刀のように反り返った曲線の美しい屋根の長屋風の建物で、正面の屋根が長く背後は短くそのパンバランスが良い。
   正面は、端から端まで下から上まで全く同じ意匠の格子障壁で、その内部に、3棟の「内殿」があり、この本殿は、いわば覆屋なのである。
   三つの内殿は、屋根と左右の内殿の壁が覆屋と共有されているが、完全に入れ子の感じで、「中殿」が応神天皇、「左殿」は莵道稚郎子、「右殿」は仁徳天皇が奉られていると言う。
   学生の頃は、一度もここへは来たことがなかったが、世界遺産に登録されてからはちょくちょく訪れて、隣の源氏物語ミュージアムにも出かけている。
   この日は、新入りのバスガイドの講習であろうか、ベテランのガイドに引率され熱心にメモを取る若いバスガイドの一団がこの宇治上神社を訪れていた。

   宇治は、確かに自然の微妙な変化と美しさは格別だが、とにかく、冬は寒くて夏は暑い、住むのに大変なところだと言う印象が強い。
   この日は、この宇治上神社から直接京阪宇治駅に向かって醍醐への道を急いだ。
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